北の島からこんにちは 奥尻島編 最終話「一人ぼっちの上映会」 [島旅]
周囲67.5㌔の日本の北に浮かぶ「奥尻島」
今まで行った島旅じゃ、かなり大きい部類の島なんだよね。
ハプニングの連続で半分も回れなかったのだけれど・・・
旅行時間的にもギリギリな第二日目にして最終話。
島の災害と復興と未来。今日はそんなお話かな。
奥尻島の頑張り物語とボクの旅、いざ、スタートです☆
【前回からの続きです】
空港までのバスに乗り込んだオイラは、空港手前であり、奥尻島の最南端である「青苗地区」に降り立った。
時刻は10時半を過ぎたところ。フライト時間は12時半。
できれば空港には最低でも11時4~50分までには着いていたい。
地図を広げると、ここからは歩いて30分以上は掛かるだろう。
せいぜいこの周辺に滞在できる時間は30分くらいだろうか?
ポケットに突っ込んであった携帯を手に持ち替えて、時間を表すデジタル表記とにらめっこしながら、ボクは小走りに「ある場所に」向かったのです。
そこは「奥尻津波館」。北海道南西沖地震という1993年、この島に多大な災害をもたらした大地震の記憶と記録を伝える資料館なんだよね。
絶対にこのお話がくると思ってたわよ。この島をアンタが選んだ時点でね。
この旅行を語る上ではどうしても避けてはいけない話題だよ。
バス停から数分歩いたところでそれらしき場所が見えてきた。
緑の低草に囲まれた岬にぽつんとそれは佇んでいました。
その手前に小高い丘があり、人工的な建造物が見えたので、ボクはまずそこの階段を駆け上がることにしたんだ。
何ここ?
うん、ここはね「時空翔」(ジクウショウ)って言って、北海道南西沖地震で被災された方達の慰霊碑だ。
ここには亡くなられた方の名前が全て印されてる。
そこを降りて岬の徳洋記念碑を少し見て周った。
その記念碑の向こう側は、雲にぽっかりと穴が開いていて、差し込む光が神秘的でした。
でね、この周辺を見ていて思ったのだけれど「かなり低い土地」だったのが印象的でしたね。
さ、いよいよ最終目的地「奥尻津波館」に行くことにしよう。時間も迫っていたしね。
美術館みたいな建物の玄関を潜ると、一人の男性スタッフさんが丁寧に出迎えてくれました。
入館料600円を窓口で払うと、男性スタッフさんが館内の見学順路や、どういったものが展示されてるのかを説明してくれました。
どうやらマンツーマンで付き添ってくれるような感じですね。
ただ・・・時間的余裕があるのなら説明をお願いしたんですが、何しろ時間が無い。
心苦しいけれど、自分的には少し早めのペースで閲覧したかったんです。
・・・というわけで、時間があまり取れない旨を伝えたところ
「なるほど、分かりました! では先に3D映像ホールへ行きましょう!時間は10分ほどの上映ですが」と薦められました。
時間無いんじゃないのーw
う・・・どうしよ。って思ったけれど「これを見てくれないと意味が無い」くらいの勢いを感じたので「お願いします」って言っちゃったw
男性スタッフさん、小走りにボクを地下にある映像ホールに先導です。同じくボクも小走りに。
そこは、ボク一人だけの上映会でした(館内には数人の観光客がいらっしゃいましたが)
1993年7月12日。午後10時17分。「北海道南西沖地震」が発生した。
奥尻島が大津波に飲まれ、数多くの犠牲者を出した、近年では阪神淡路地震に次ぐ大災害だよね。
ボクの中で薄れ掛けていた、当時のテレビで見た記憶を再び思い起こすビデオ。
知ってたようで知らないことも一杯あったね・・・。
上映が終わると共に退出しようとしたところ、男性スタッフさんの元に、女性スタッフさんが近づいてきました。
見たところ、館内スタッフさんで一番偉い人って感じでした。
「お時間があまり無いようですね。空港まではここから徒歩ですと・・・おそらく2~30分は歩かれると思います。
よろしければこのあともご案内いたしますが・・・」と女性スタッフさん。
ここで気付いたよ。「すごく伝えたい」ってキモチ。
奥尻島の被災がどうだったのかを知ってもらいたいそのキモチに。
お客さんが少ないからつきっきりでとか、マニュアルだからとかそんなんじゃないキモチにさ。
ボクは、この時間までは空港に辿り着きたいとの旨を伝え、解説・説明をお願いすることにした。
館内の壁にぐるりと掛けられてる被災当時の写真パネル。
当時のテレビでここまで見たことは無いものばかりでした。
「写真の間に飾られてる当時の小・中学生の作文も見てあげてください」と女性スタッフさん。
写真以上に、こう・・・なんていうのかしら、子供の作文には何か色々伝わってくるものがあるわね・・・。
そうだよな。写真もそりゃ~驚いたよ。・・・どんだけ酷かったんだよってさ。
でもなんか、文章の方が「よりリアル」な感じがした。
これを見てくださいって言った意味が分かったね。
館内の中央部には、この島の創生から現在の復興に至るまでの48個の立体模型が展示されていました。
このちっさーい窓ガラスみたいな写真はな~に?
これはね、女性スタッフさんの受け売りだけど、被災して亡くなられた198人分の数だけステンドグラスになってるらしいよ。
館内すべてに色々と思いが込められてるんですね。
そうだね。
三宅島旅行の時も思ったけど、自然災害は色々と考えさせられるよな。
だってさ~人が起こす戦争での犠牲は、人間がめちゃくちゃ努力すれば回避も出来るし、防げるだろ?
・・・ただ「自然災害による犠牲」ってのは減らすことは出来るかもしれないけどさ、どんなに努力しても避けられないことのほうが多いよね。
そうですね~。
自然が相手じゃね・・・。地面に蹴り入れてもしょうがないし。せめてもの救いは恨む相手が人間じゃないくらいかしらね・・・。
戦争とかだと、やり返したりしてまた戦争・・・なんてことになりかねないもんね。
そのとおりかもな。
ただ、人間てーのは「やられっぱなし」は無いんだよ。ここが人間の強いところ。
どんなに自然の脅威にさらされようが、そこから立ち直るのが、人ってやつの良いところ。
あんなに壊滅的なダメージを受けたこの奥尻島、今じゃ立派に復興してる。
被災当時も日本全国の人たちの援助、ボランティアの協力もあってか、普通ならありえないくらいのスピードで、ライフラインが復旧し、そこから今という奥尻島があるんだよね。
今回もまた色々と教えられた気がします。やっぱり来てよかったよ。
ボクは全部の展示物を見終え、この奥尻津波館を後にしました(玄関でボクを待ってくれて、さらに空港までの道のりや時間をとても心配してくれたスタッフさんありがとうございます☆)
さあ、ここから徒歩で空港へ。
さっきの奥尻津波館で、ぽっきり折れてた灯台ってぇー、この灯台とおんなじ~?
同じだよ☆
空港までの道はとても単純で、30分ほど道なりに歩くと無事に着くことが出来ました。
色々ありすぎた島旅だったけれど、とても記憶に残る旅だったと思います♪
(ハプニング的に今んとこ歴代NO.1)
ここは夏場にもう一回リベンジしたいな。だって半分周れてないんだもん。
夏場?
だって・・・寒いのはもうこりごりですよw 死んでまうw
(最終回の予定でしたが、次回はオマケの「函館タッチ&ゴー編」ですw)
ちょいのりさんは、ちゃんと歴史を知って目的を(持っていないようで(-_-;))もって、島をめぐっていらっしゃるんですね。。。
さらに、館内を親切な解説で巡れ、心に残ったことでしょうね。
そんないろんな気持ちが伝わってきました。
是非夏にも行って島のもう半分を伝えてください!
山口県でもいいよ~!回天の島、大津島とか。。。
by リン (2010-11-22 06:03)
リンさん、割とコンセプトをもって島選びしたりもしてたりしますw ま、後付設定も多いのですが。
んん!? か、回天の島!?
それは非常に気になる! このブログでの一番最初の島旅の「八丈島編」のコンセプトは「回天の洞窟を見に行こう」だったんですよー。
ちょっと調べてくりゅー!!!
by ちょいのり (2010-11-22 06:13)
次はぜひ、真冬の北海道へ(^^
by たかれろ (2010-11-22 07:09)
地震では神戸の大震災は鮮明に覚えています。
やっぱり地震は怖いと感じるのは、その所為なんで
しょうね。一度合わないとわからない恐怖です。
津波も怖いんでしょうね、そちらは合ってはないので
想像ですが、自然災害を屈服させようという白人的
思考よりも受け入れて如何に受け流すか、という日本
的思考は重要なことだと思います。
by まめ (2010-11-22 07:10)
この地震の前にココでTV番組の取材があって
出演していたお子さんはこの地震で亡くなりました。
放映は見送る方針だったそうですが
ご両親のたっての希望で放映されました。
そのテロップが流れたとき
涙が止まりませんでした。
by デルフィニウム (2010-11-22 09:07)
一気に拝見させていただきました。
悲喜こもごも、色んな体験のひとつひとつがリアリティあって、伝わってきました。
自分も、訪問するなら夏じゃないと無理だなぁ、って(^^;
報道でしか見てなかった奥尻の地震のことも、あらためてその恐ろしさを見せつけられました。作文のくだりは、自分も目の奥がちょっと熱くなりましたよ。
ホント、素晴らしい島旅レポ、ありがとうございました!
by しんりゅう (2010-11-22 09:09)
たかれろさん、記事ではもう寒いのこりごりだーって書きましたが、いずれ本物の冬に挑戦してみたくなりましたよw
もっと旬なものがあるときにリベンジしたいですぜ☆
まめさん、これはもう本当に実際に体験された方にしか分からない恐怖や絶望でしょうね。
でも、知らない人や体験してない人でも知って欲しい。
別にこんなん体験しないで生きていければいいのは当たり前ですが、知ることで何か足る、ことがきっとあるはずだと。
無知な享受は余計な災害を被る。
>反発しないで受け流す、ボクも同意見ですよ^^
by ちょいのり (2010-11-22 12:02)
デルフィニウムさん、両親、どんなキモチだったんだろうね・・・。辛かっただろうな。
ただ、やはり「伝えたかった」って事なのかもしれませんね。
我が子があのときまで動いていたんだ、と。
今はもういない理由ってどんなものだったのかを皆さんに是非知ってもらいたい。だったのかな。
ボクが人の親だったら同じことできただろうか?
自信ないな・・・
しんりゅうさん、ボクは結構涙もろいのですが、写真は我慢できたんです。でも作文のところで泣きました。
あんまりおおっぴろげに泣くのも恥ずかしいので、上向いたり目を瞑ったりしてね。
写真より「リアル」です。
島旅レポで「一緒に旅してるみたい」って言葉をいただけると、
あ~本当に書いて良かった、行って良かったと思います^^ ありがとうございますです☆
by ちょいのり (2010-11-22 12:18)
え”
本物の冬を体験するのですか?!真冬の択捉とか?
う~ん、それはそれで期待しちゃいますねぇw
by まめ (2010-11-22 12:48)
作文がね、、、(/_;)
立派な言葉じゃないからこそ 心に直接響いた☆
その人の心からの言葉だから素直に伝わるんだろうね
自然災害はいつ自分にも降りかかってくるか分からないけど、、、
ダメダ 上手く書けないや ゴメンナサイ
by gensan (2010-11-22 13:06)
この時は小学生でした。
少し風邪気味で調子が悪く夜7時過ぎに寝て、朝起きてきたらこの映像が流れてて…。
何が起きたのか全く理解できませんでした。
修学旅行で行った雲仙普賢岳の火砕流被災家屋もそうでしたが、実際に身をもって体験された方の「伝えたい」という気持ちが全面に出てました(若干、声もつまってました)。
改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
…自然災害ではないですが、「伝えたい」って気持ちが出てましたね…“あの島”でも^^
by 下総弾正くま (2010-11-22 13:16)
まめさん、そこはさすがに許してw
でも択捉とか行けたら行ってみたいなこりゃ(一応渡航自粛な場所ですよね^^; 日本の島なのにパスポートで行くのが日本政府としちゃかっこわるいと言う意味で)
gensanさん、この作文、写真よりも頭の中で想像させ考えさせられますよね。
この他にも作文があったのですが、あえてこの二点を抜粋しました。
地震が起きたときの感情と、地震が終わってからの悲しみの感情が非常に分かりやすく、そしてリアルにあらわされてると思ったので。・・・泣いたよ^^
by ちょいのり (2010-11-22 13:26)
下総弾正くまさん、当時ボクはホテルで働き出したころだったかな。仕事を片付け、後は仮眠室で明日の朝食準備まで寝る予定でしたよ。・・・が、社員食堂のテレビ前にひとだかり。はて?何だろうと思って覗いたら、この災害でした。
いくらか仮眠して朝食前にまたテレビを見に行くと、そこには黒煙を上げた壊滅的な島の姿。あれは今でも忘れられない衝撃的な映像だと思います。
今回、その黒煙が上がり、家屋が全てなぎ倒され火事で焼け野原になった「青苗地区」に降り立ったわけなんですが、
キレイなところでしたよ^^ 地震があったのが嘘みたいに。
ただ、ここまで島民のみなさんが努力されたからこそこんなにキレイな場所になったんだな、と。
災害は防ぐのには限界がありますが「伝えること」がきっと何か大切なことをもたらしてくれるとボクも思います。
by ちょいのり (2010-11-22 13:42)
ちょっと出かけてきますよ~^^
も~お腹ぺこぺこw
お酒もまだだしね(休日的な意味で)
by ちょいのり (2010-11-22 13:47)
思えばもう一週間経ったんだね~。今頃は何してたっけか。
あ・・・スクータ-を直しに大汗かいてたなw
by ちょいのり (2010-11-22 14:02)
僕、阪神大震災のとき、自衛官で災害派遣に3日間行ってました。ヘリの中から見た現場はまさに地獄絵図で。
地に立つと身体の振るえが止まりませんでした。
そんな経験から、今回の記事にはとても共感できます。
自然災害だけは、どんなに気をつけても、カウントも前触れもなく突然起きてしまう悲劇ですので・・・。
常日頃、いざという時に備えている事は、大切なことだと思います。
その時が来てからでは遅いので、こんな惨劇が起きない様に・・・。
いや、起きても最小限に止められる様にしたいものです。
あっ!
冬も良いもんでしょう?(爆)
by yoshinorhythm (2010-11-22 14:21)
yoshinorhythmさん、ボクは幸せなんですよね。ほんとに。
こういう被災地で写真パネルを見ると余計に実感します。
正直実体験されてる方には遥かに及ばないし、失礼な幸せの感じ方です。幸せとか安易に使っちゃダメなんだろうけど・・・
災害現場を実際にまわられたのですか。それはきっと価値のあることだと思います(被災された人のキモチを考えるとこれまた失礼な言い回しになってしまうけれど。。)
ボクはそれが人生の糧にもなると思うのです。
伝えることもとても大事ですよね^^
冬旅しますよ~w
なんかyoshinorhythmさんに煽られた感もしないでもないけどw
by ちょいのり (2010-11-22 16:05)
ちょっと出先の立ち飲みやさんでほろ酔いですw
変なコメント返しになっちゃったらごめんなさ~い^^;
by ちょいのり (2010-11-22 16:07)
【あとがき】
今回は重たいお話だったと思います。
だけれどもボクとしてはこういう問題提起的な記事も、たまには必要だと思ったから。
そこのところは汲んでくれると有り難いと思ってます^^
さて、次回は本当にオマケのお話。
この旅路の結末といいますかなんというかw
函館に戻ってからのたった2時間でのお話を書いてみたいと思ってます☆
niceやコメント下さった方は勿論のこと、通りすがりやロム専のかたも、本当にありがとうございました。m(._.)m
by ちょいのり (2010-11-22 16:22)
出先でもすらすらとコメント書けるような携帯電話が欲しいよなあ~。
やっっぱスマートフォンのほうがいいのかね?
by ちょいのり (2010-11-22 16:27)
スマートフォンって文字をすらすらと打ち込めるの?
誰か教えてよw
もうすぐ二年縛りも終了だしさ^^
by ちょいのり (2010-11-22 16:30)
作文を読んでいたら涙がぽろぽろ。。。
胸が締め付けられるおもいです。
怖かったのでしょうね、しんどかったのでしょうね。
気の効いたコメント書けなくてごめんなさいです。
by ちゃと。 (2010-11-22 20:55)
阪神淡路大震災で被災しましたから、この伝えたい気持ちはよくわかります。
発生時間が10時17分ですか・・・
震災は1月17日に発生したので、数字のつながりに気持ちが動揺しましたね。
by ふぢた (2010-11-22 22:44)
これは、やっぱり・・・
ちょいのりさんのブログは、
やっぱり何か形にして残すべきですよー!
これからは電子書籍って手もあるし☆
by ikuko (2010-11-22 23:06)
ちゃと。さん、この作文て単純だけれどもとてもそのキモチを表していますよね。
すごく心に突き刺さりましたもの。
今はこの作文書かれた方たちも大人になってるのかな?
そしてまた伝えていってくれてるんだと思います^^
ふぢたさん、大震災被験者でしたか。でしたらこの子達、そしてこのスタッフさん達のキモチがより分かるのでしょうね^^
おお、本当だ。数字の繋がり。これもまた偶然のようでなぜかそうでないものを感じますね。
by ちょいのり (2010-11-23 02:20)
ikukoさん、ブログだけで充分っすよー^^;
とりあえず皆に見てもらっても楽しいブログとかを書きたいですぜ☆
by ちょいのり (2010-11-23 02:30)
下総弾正くまさんがお若い事を知って軽くショックですw
by デルフィニウム (2010-11-23 08:05)
何度も読み返しちゃった
自然の大暴れには どうしようもないよね…
ただ そのあとの復活力には毎度脱帽です
人と人の繋がりがしっかりしてるんだろうな
by ねこじたん (2010-11-23 08:42)
ちょいのりさんの島旅から島の歴史がよく伝わってきて・・・勉強になります。
自然災害には勝てませんが、その自然をさらにおかしくしてるのは人為的なのでそこを何とかしたいものです。
by リン (2010-11-23 21:32)
大きい地震は体験しないと恐ろしさがわからないですよね。。
青森から上京したときに日本海沖の地震があり、、、経験ないんですよ(>_<)
by 吟遊詩人41 (2010-11-23 22:00)
この地震の時、ちょうど北海道の長万部にいました。
ゆれがすごくって、上司が私の頭をちゃぶ台の下にかくしてくれたのは、思い出です。
それと、、みんなで、必死になって、しめのお茶づけを支えていたのも。。。
次の日になって、震災の悲惨さが道路やいたるところに出てきて、、大変でした。。。
by あーちゃ (2010-11-24 17:05)
ちょいのりさん こんばんは
遅くなりました。
津波館のかたがたの誠意と知ってほしいという
お気持ちは、すごかったのですね☆その気持ちを
汲み取れるちょいのりさんだと館の方も分かって
おられたのでしょう~
お子さんの詩は、身につまされますね~
自然災害への日々の対処や訓練もだいじだと
思いますが、いつくるかわからない災害への
心構えを持ち続けるのは、難しいですね☆
しかし奥尻の教訓は忘れないようにしなくては
なりませんね~素晴らしいレポをありがとうござい
ました☆
by スマイル (2010-11-26 19:50)