第468話『余命ってなんなんだろうな』おばあちゃんとお喋り^^ [日常パート]
『元々、実家に行く予定でした』
毎年楽しみにしている地元のお祭り『猫おどり』
ここでソネブロガーさんと1人、そしてまた1人と出会いを重ねていったこともあり、
今年も参加できたら嬉しいな☆って思ってたんだ^^
が、今年は無職を重ねた日々であったツケが巡り巡って、お祭り当日は休むなんてもってのほか状態で泣く泣く見送った。
でも、たまたま祭りの次の日曜日が休みだったことから、雨天順延という最悪な神頼みを願い、実家へ帰る予定だったのです。
--ええ、神様はそんな不埒な望みなど一蹴。
無事にボクの雨乞いが叶うことなく今年も盛大に行われたそうです^^;
ま、それでも久しぶりに実家へと顔出し&新職場就職のご報告なんてのを兼ねて帰る予定にはしてたのです。
---その予定日一週間前。
滅多にメール着信のランプが光らないボクの携帯が点滅を繰り返していたんです。
『どーせソフトバンクからのお知らせメールとかしょぼいヤツだろ?』って思いましたよ。
パカッと未だにガラケーな携帯を開くとそこには母親からの着信あり。
内容は再就職はどう?みたいな感じ。
・・・が、後半の文字にボクは思わず天井を見上げてしまいました。
『あと3ヶ月ぐらいーーー』
別にブログに書かなくてもいいことではあるのだけれど、
あるのだけれど・・・
ーーーここまでボクは運がいいと思ってた。
なぜなら『身内の誰もが欠けることなくのほほんと生きてこれた』から。
勿論亡くなってしまった人も親類にいるのだが、それは一緒に生活して無い親戚とかそういうものだった。
でも今回は身内。
ボクの大好きな『おばあちゃん』の余命宣告を知らせる切ないメールだったんだあ・・・
・・・勿論、亡くなってない。
でもカウントダウンみたいなソレはキツイってば・・・
じわじわ減ってく日数とか考えるとおかしくなりそうだ。
とりあえずお祭りどうのこうの言っていたけれど、そんなのはもうどうでもいい。
ただ会いたい。
おばあちゃんに会いたい!
そう思って里帰りをしたのです。
本来ならそれでもただでは帰らない、ちょいのり里帰り話をここから書こうかと思っていたけれど、それはまた後日ということにさせてください。
楽しい話はまた今度ね^^;
---寝ないで飛び出た里帰り。
色々寄り道はしたのだけれど、炎天下のお昼過ぎに自宅に舞い戻った。
母親の出してくれたアイスが火照った身体に心地よい涼を取り戻させてくれる。
しばらくは『新しい職場はどうなの?』とか、
『帰ってくる気はないの?』とかそういうお話だ。
でっかいテレビでオリンピックの再放送を二人でボーっと見ながらも、なんとなくお茶を濁しつつ母親との押し問答だったりです。
『そろそろおばあちゃんのところに行こうか?』
母親の運転する車に乗り込み、おばあちゃんが居るグループホームへとボクは向った。
アパートみたいな建物の前に駐車し、母親が入り口のベルを鳴らす。
ボク達はにこやかに案内する職員さんに案内されつつ介護老人が集まるルームの扉を開いた。
すると真っ先にテーブルでお食事をしているおばあちゃんが目に止まった。
半年前の正月、自宅で会った時とは違う少し浮腫んだ顔つきだった。
母親が『〇〇が来たよおばあちゃん^^』(〇〇はボクの名前です)と、おばあちゃんに告げる。
おばあちゃんはこっちをじっと見てくれてるのだけれど、ボクを認識してくれたのかどうか?
正直わからなかった。
『お食事終ったらご家族さんとお話しましょうね^^』と、やさしく職員さんがおばあちゃんに話しかける。
ボク達は、おばあちゃんのお食事が終るのを
おばあちゃんの個室で待つことにしたんだーーー
---数分後
車椅子で部屋におばあちゃんがやってきた。
職員さんにゆっくりと押され、そして自分のベッドへと職員さんと母親のサポートで。
ボクは・・・
なぜか一緒に車椅子から抱き起こすことが出来ませんでした。
今なら自分を『なんで大好きなおばあちゃんの手をとってやらねーんだ!』と、殴り倒す自信があります。
なんだよオレ・・・情け無い・・・
そこからは母親とおばあちゃん、そしてボクとの会話です。
『〇〇だよ?分かる?』とボクの名前を言いながらおばあちゃんに話しかける母親。
その声におばあちゃんはボクを見るのだがーーー
しばらく声を出さない。
でもおばあちゃんはボクを見つめ続ける。
『おばあちゃんが一番好きな〇〇だよ?会いに来たんだよおばあちゃん^^』と、更にお母さんは声を掛けた。
すると、
『良く来たね!嬉しいよ^^』と、
腎機能の不良で浮腫んでしまった顔したおばあちゃんはボクに声を掛けてくれた!
こっちが嬉しいよお。。。。
ボクをまだ分かってくれて嬉しいよお・・・
それからは一番介護で苦労した母親の、半ば通訳状態での三人のやり取りで時を過ごした。
昔話に花が咲き、それにおばあちゃんもしっかり呼応してくれたんだあ^^
ビックリしたのはおばあちゃんが実は浅草生まれだったこと。
てっきり茨城の人だとずっと思ってた。
茨城には後々移り住んだんだとも(戦争で亡くなった旦那さんの実家が単に茨城だったとこんなところで知った)
それに関係して母親がボクのブログのお話にも話題を振ってきた。
『あんたがブログで何時だったか訪れた茨城の黒子駅は、おばあちゃんの実家よ?知っててあそこに行ったんだと思ってたんだけど』
・・・知らなかった
かつて、廃村さーくるシリーズと銘打って、茨城の筑西市や明野に出かけたことがあったのだけれども(明野廃ストリップ劇場のお話)
おばあちゃんの実家のめちゃ近くを知らずに訪れていたなんて思いもしませんでした・・・^^;
おばあちゃんとたくさん喋った記憶があるのになんで実家も生まれも彼女が93歳にもなる今の今まで知らなかったんだよ
馬鹿かオレはアホかオレはホントどうしようもねーなバカヤロウ!!!
ちきしょう・・・
自分が何も知らなかったことにめちゃくちゃ腹立たしく、そして後悔した・・・。
それからも昔話に花が咲く。
おばあちゃんが勤めていた伊豆の熱川温泉での思い出話。 そこに幼少の頃に訪れたボクのエピソードに
おばあちゃんは必死に答えてくれたんだあ^^
『昔はね、旅館の洗濯物を近所の浜辺に各自振り分けられた場所それぞれに干しに行ったんだよ~』とか、
ボクがその旅館近くの熱川の海辺近くのプールで溺れたこととかも思い出してくれた。
いっぱいいっぱい喋ったよ~^^
『おばあちゃんが眠くなったらここから出ようね^^』と母親。
うとうととしかけるおばあちゃん?
顔のシワのせいで目を開けてるのか瞑ってるのかイマイチ判断し図らい^^;
『じゃあ、お暇しようか?』と、小さくおばあちゃんに声を掛けてからグループホームをボク達は後にした。
なるべく帰りたい。
そして、おばあちゃんに会っておきたい。
それしかボクにはもう何も出来ることが無い気がしてます。
まだ、ちょいのりさんにも時間が与えられたということではないでしょうか?うちの祖母も祖父も、どちらかといえば急死で、まだ、時間がある・・・なんて思っていた私はいまだに2人を思い出し、今ならこういう話も聞きたいなと思う次第です。
by リン (2012-08-12 05:52)
おはようございます。
御祖母ちゃんとのこれからを大切に。
私は母を高校生の時亡くしましたが父87歳頑張ってるので・・・親孝行できてません。
by YUTAじい (2012-08-12 07:28)
出来るだけ会いに行ってあげましょう!
by コンブ (2012-08-12 09:34)
時間をいっぱいつくってあげてくださいね。
まめには既に祖父、祖母ともにおりませぬ。
by まめ (2012-08-12 10:15)
ちょいのりさんは、優しいですね。
私は、既に、両祖父母ともに他界していますが、弱って行く姿を見るのが辛くて、あまり、お見舞いにも行かなかったように思います。
by 「直chan」 (2012-08-12 12:57)
いっぱいお話をして、昔のことを思い出したら、
お祖母さまも元気を取り戻すかも知れませんね!
自分も父親がそろそろ危ないと悟ってから、
何とか仕事をやりくりしながら週2回、
木更津と福岡の往復をしました...
結局、2週間でその必要も無くなってしまいましたが
by haku (2012-08-12 14:08)
おばぁちゃま嬉しかっただろうな~
顔 たくさん見せてあげてくださいね
ちょいのりさんの為にもね
by ねこじたん (2012-08-12 16:00)
おばあちゃん、喜んでいると思いますよ。
私は、祖父母も両親もとっくに亡くなっていて
結構若いうちから人って。。。と考え、
自分の人生の最期も考えるようになりました。
皆、毎日をだいじに生きてこそだと思います。
おばあちゃんと少しでもお話しが出来る時間をもたれる事を願っています。
by chalice (2012-08-12 17:04)
ちょいのりさん、
重々ご承知かと思いますが、少しでも、僅かでも、残されたおばあちゃんとの時間を作ってあげてください。
やっと転職された新職場のコトもあると思いますが、おばあちゃんとの時間は、今しかないですからね。
それにしても、おばあちゃんとの話は、意外なコトだらけだったようですね。
まあ、あまり自分の人生を孫達にまでは語らない方々も多いので、かく言う私も、祖父母(全て他界しました)に直接、人生を聞いたお覚えがありません。今となっては、残念なコトをしました。
人一人の人生は、多くの経験と思い出に溢れているので、少しでも聞いておければ、勉強になったことが多かったと思います。
ですから、できる限り、おばあちゃんとの時間を持って頂ければと思います。
by kiyo (2012-08-12 17:25)
お気持ちはよくわかります。
私も母一人、子一人で育てられ、母親が持って12月までと言われた時は、目の前が真っ暗になりました
いきとし生けるもの、何時かはお別れがくるものです。
でもおばあちゃんはちょっとだけ先にお空の彼方に行くだけで、何時かまたお空の彼方で会えますよ!
それまでちょいさんのことをしっかり見守ってくれている事でしょう♪
by 駅員3 (2012-08-12 17:55)
ちょいサン。。。^^v
by yoshinori (2012-08-12 18:08)
「余命」、幸せか不幸か未だ一度も体験してません。
父方の祖父母は自分が生まれる前に亡くなってたし、母方の祖父母も両方とも前日まで元気だったの体調が急変して…ってパターンだったし。
祖父のほうは認知症の症状が出てから長かったし、その頃はまだまだ子供だったのでそういったことも理解できずにただただ「ボケ老人の相手は面倒」と何かと口実をつけて蚊を見せることもせず、最後に会ったのは亡くなる半年前。お通夜で祖父の遺影を見て初めて後悔して泣いたり…。
by 下総弾正くま (2012-08-12 19:45)
ものがわかる間にたくさん話ができてよかった。もっと聞いておきたかったなと後悔しないために、一杯話してください。そのうち話が聞けなくなる日が来ます。残酷ですが。わたしは今年のお盆、実家に帰っても、母は仏壇の中です。
by さきしなのてるりん (2012-08-12 21:25)
会えるだけ会って、悔いが残らないようにするのがいいです。私はそれが出来なくて沢山悔やみました。ちょいのりさん、おばあちゃんに沢山会って楽しい時間を一緒に過ごして下さいね。
by すもも (2012-08-12 21:32)
たくさん会って、たくさん話をして
たくさん手をにぎってあげましょう(^^
by たかれろ (2012-08-12 23:00)
会話が出来るうちにおばあちゃんといろんなお話をした方が良いと思います。
特におばあちゃんの若かった頃のお話を聞いてあげた方が良いですよ。
そして話に出てきた思い出の地を、ちょいのりさんがおばあちゃんの代わりに訪れて感じてみる旅も、よいかもしれませんよ。
by ちゃめこ (2012-08-13 10:27)
余命を知らされたということは、
おばあちゃんにもちょいのりさんにも時間をもらえたと
いうこと、その時間を有意義に使いましょうね。
でもちょいのりさんのブログを
お母様も見ていたとはすばらしいですね^^
by 美美 (2012-08-13 11:30)
生命の尊さてぇ
色々な~状況から生まれますから
まず前進~進歩したわけですから
まだ 救われましたよっねっ
大好きな~おばあさまと
お話し出来て良かったねっ
by みうさぎ (2012-08-13 12:42)
余命宣告って言葉の響きは辛いことですが、
とにかく残りの時間を大切に過ごして下さいね。。。
ちょいのりさんの思いが奇跡を起こしてくれるかも
知れませんし。。。
私は母方の祖父母は戦時中に亡くなっているので
顔も姿も知らないままでしたし、父方の祖父母も
小学生の時には亡くなってしまったので、
今でもお婆様の温もりに触れられる事を
本当に大切にしてほしいと思っております。
by 銀狼 (2012-08-13 13:02)
毎日行くのは大変でしょう・・・
週一で行ってください^^
うちの施設でも面会来ない人が多くて。。。
ちょこっと顔見せるだけで嬉しいんですけどね・・・
by 吟遊詩人41 (2012-08-13 15:45)
ちょいのりさんも大変だと思うけど、
できるだけ顔出してあげてくださいね。
偉そうでごめん。
by DEBDYLAN (2012-08-13 16:29)
変な言い方だけど,余命が判っているだけでも・・・
その間は会えるわけだし,話すことも出来るし・・・
突然ってのは,ほんと辛いですよ.
by 唐津っ子 (2012-08-14 00:01)
既に皆他界してますが、萌田もおじいちゃん子だったんでお気持ちわかります。
by 萌田かずきち (2012-08-15 22:25)