第812話 鉄川さんの贈り物編☆ファイナル『長崎グラウンド・ゼロの煉瓦の刻印』爆心地公園&浦上天主堂ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『わきゃ・・・実は私、怒られてしまいそうですが長崎原爆のことあまり知らないかもですう・・・』
とても申しわけない感じに夕実ちゃんはボクに呟いた。
それを聞いたのだろう、琴音が話に入ってきた。
『実はわたしっちもかな^^; うーん・・・なんだろう。広島原爆のようにシンボル?・・・が無い気が。
広島原爆だと真っ先に原爆ドームが思いつくんだけど・・・』
そう言って、同じ路面電車に乗りあわせた座席に座るおばあちゃんの顔を見て、妹はバツが悪いように押し黙ってしまった。
それにつられてボク達も沈黙・・・
---夕実ちゃんと琴音がそう思うのも分からないでもない。
静岡県の子供の頃の社会科の教科書には原爆ドームの写真はあった。・・・気がする(定かじゃない・・・)
では長崎の原爆は?
平和記念の像の写真が白黒で載っていたかもしれない。
・・・でも、平和記念の像の写真を見た小学生中学生は原爆ドームのようなはっきりとした戦争や原爆の悲惨さのイメージをもてなかったのでは?
・・・なんて思ってしまった。
ボクはその為に、彼女達の為?に。
そして自分の為にも長崎旅行最終日にここを選んだ。
ふとリンダを見やると、ただただ真っ直ぐに長崎市街の町並みを見つめていた。
日本語で言うならその姿は『神妙な面持ち』だろうか。
・・・正直キツイだろうが、アメリカ生まれの彼女のキモチも聞いてみたいところでもある。
第812話。ボクこと菅原雄介視点で、原爆と煉瓦と鉄川与助と言う人物が交錯した物語に決着を付けたいと思います。
『結局・・・長崎の教会群に煉瓦刻印見つけられなかったっす・・・』と嘆く琴音。
確かにそうだった。
ボク的にも10も20も存在する長崎の煉瓦教会の中で、1つくらいは煉瓦の刻印を拝めるかと思っていたのだが、
見える範囲にはそれらしいものはほとんど見受けられなかったのだ。
路面電車に揺られること10分。
松山町で下車することを彼女達に告げて皆で降り立った。
そこから歩くと直ぐ
『わきゃ?な、なんかエスカレーターみたいなのがあるですよ?』と夕実ちゃん。
『あれは平和公園入り口に設置した平和の道エスカレーターって言うんだ^^
原爆被害に遭われた方達もその親族の方達も、今やもう高年齢。
この丘の上にある公園への慰霊に訪れる方達に考慮して、
近年、長い階段の横に設置されたんだ^^』
『高齢化の為・・・ですかあ・・・ううう・・・』
・・・これ以上ないくらいにやんわりと説明したのだけれど、
夕実ちゃんは、もうすでに声が明るくない。
たぶん感受性の強い彼女のことだろう。
戦争からどれだけ月日が経ったのか、その家族たちは?と、イメージが膨らんだんだろうね。
見えない向こうまでイメージし、そしてそれを憂い、悲しんでくれる分かってくれる彼女の性格がボクはとても好きだったりする。
とっても優しい子だ^^
『さて、平和公園には直行しないで先に浦上天主堂へ行くよみんな^^』
『絶対そうくると思ってたっすよお兄ちゃん!』
『『浦上天主堂???』』
多少知識のある琴音と違って夕実ちゃんとリンダはハテナマークを頭上に浮かべるのだ。
ボクはその2人に対して
『そここそ見てもらいたい場所なんだよ^^』と告げて先頭を歩いた。
途中、松山橋と言う所を渡ることに。
『この橋も知ってもらいたい。
ここは下の川と言う川に掛けられた橋なんだけれども、
この松山町上空約500メートル、あの日に一発の原子爆弾が炸裂したんだ。
1860余りの住人が居た松山町。
偶然にも防空壕に居たたった一人の少女を残して全住民が即死だったんだ・・・。
この下の川には水を欲して辿り着いて息絶えてしまった方達もまた多く居た。
辛いことだが受け止めて感じてもらいたい場所のひとつかも』
『水を・・・ください・・・ですね・・・ううう・・・』
説明書きに指を差しながら説明するボク。
今にも泣き出しそうな夕実ちゃん。
『みずをください』とは原爆被害を知っていくにつれ、どんなに辛い言葉か・・・。
熱線にやられて喉どころか体まで焼かれて彷徨った人たちが追い求めた場所は、河川や池、泥水でもあったのだ。
水でさえあれば渇きが潤すことが出来ればどんな水分だって・・・だった。
気持ちが辛くなるかもだけど、知っておいてきっと良いことだと思う。
夕実ちゃんには申しわけないけれども、ここは知らぬが仏じゃ済まさ無い。
知ることこそ仏とボクは思ったので。
---ここで少し目的地を見失う^^;
なんてどうしようもない方向音痴なんだと自分を責めるのだが、
すぐに目的地は見えた。
子供達が遊ぶ『天主公園』の遊具から向うに見えた浦上天主堂は、遠くからでもとてもその大きさを計れる。
『あそこに行くよ^^』
『『『はい』』』
返事はハイとだけ返って来たけれど、それは素っ気無いんじゃない。
見てみたい!と言うハートの篭った彼女達の返事だったよ^^
---天主公園から道路を一本跨げばすぐそこが浦上天主堂だった。
ボク等を最初に迎え入れてくれたのは天主堂の石垣。
『ここは元々は庄屋さんのお屋敷だったんだけれど、そこの土地を購入してこの浦上天主堂が建つことになるんだ^^
この石垣は一部修復されてはいるけれども、原爆の被害にあっても残ったものなんだよ。
時代を見つめてきた石垣でもあるね^^』
パネルを見つつも軽く説明するのだが、彼女達は原爆で崩壊した天主堂の写真に釘付けだった。
でもいい。伝えたいところは石垣そのものよりも被害の甚大さでもあったし。
さて、このまま天主堂に向おうと思ったところ、
小学生の団体に囲まれるボク達。
どうやら修学旅行のチビッコたちのようだった^^
先頭に立つガイドさんが一生懸命この天主堂と原爆について説明をするのだが、
皆、真剣に聞き入ってたよ^^
中には説明を求める子もいたりしてねえ^^
正直言うと皆で感動してしまった。
『なんか自分がハズイっす・・・^^;』
別に琴音が真摯に向き合ってないわけじゃなかったが、
子供達の真剣な眼差しを見たボク達は奮い立つ。
『ボク達ももっと天主堂と原爆に向き合ってみようぜ^^』
『『『ハイ!』』』
いい返事だ。小学生に負けてらんねーよな^^
・・・とは言え小学生の団体についていくことにしたボク達。
なぜならタダでお話聞けるからねw
かなり卑怯ではあるけれど、やはりプロの方のお話を聞きながらの方がいいのである(言い訳です☆)
小学生の団体についていったところーーー
目の前に崩壊して横たわる『天主堂旧鐘楼』が。
丘の縁と言うか崖っぷちにそれはポツンとあった。
ポツンとは言ったけれどもかなりの大きさでもある。
ボク達は学生に混じってガイドさんの語りを聞くのだったーーー
『皆さん見てください^^ この目の前に横たわる煉瓦は鐘楼と言います。
鐘楼と言うのはお寺さんの鐘をつくところみたいなものです^^
時を告げる為に造られたこの鐘楼はですね、
原爆の爆風によって元あった場所からここまで吹き飛ばされてしまったのです。
原爆の被害に遭った当時そのままを残す浦上天主堂唯一のものなんですよ』
実に優しくやんわりと子供達に説明するガイドさん。
それに対して特に一人の女の子が色々と質問をしていた。
よく聞き取れなかったけれど皆はそれに感心していたよ^^
あらかた説明を聞き入ったところで皆思い思いに旧鐘楼を柵越しに見学することに。
琴音はやっぱり例のヤツをしてましたけどね(罰当たりが!)
よく見ると鐘楼の屋根の部分が斜めに地面へと突き刺さっているた。
こんな巨大なものが吹っ飛ぶほどの威力。いや脅威。
当時、その時を思うと胸が詰まってしまう・・・
写真を一通り収めた琴音がボクの袖を引っ張りつつ聞いてくる。
『お兄ちゃん。中通島で出会った旧鯛ノ浦教会の煉瓦ってこの浦上天主堂の被爆煉瓦が使われてるんでしょ?
被爆煉瓦が使われている場所も鐘楼だった気がするんだけど』
『そうだな^^ 確かに旧鯛ノ浦教会にはこの浦上天主堂の被爆煉瓦が使われているそうだ。
それがこの鐘楼の部分の煉瓦なのかは定かじゃないんだ。
でも・・・きっとボクは使われていると思うよ^^
同じ鐘楼部分が煉瓦であることの意味はきっとあると思ってる。
ボクは旧鯛ノ浦教会に被爆煉瓦を使用したことに絶対造り手のメッセージがこもってると信じているからな^^』
『私もそう思うっす^^』
珍しく素直に笑顔を見せる我が妹様。
いつもそうなら憎憎しくないのにねえw
植え込みの影には当時のものかは分からないけれども、煉瓦片が散乱していたりもする。
天主堂の前は多くの人だかり。
先ほどの小学生たちは天主堂をバックに集合写真を撮っていた。
その脇を抜けて今一度見上げてみるボク達。
『浦上天主堂』もしくは『カトリック浦上教会』
建物・信者数とも日本最大のカトリック教会。
その佇まいは青空もあってかとても神々しかった。
『オオウ・・・』とそれ以上言葉も出ずに手を合わせて見つめるリンダ。
『わきゃあ・・・わきゃあ・・・すごいです・・・』と口をあんぐり開けて呆気にとられる夕実ちゃん。
『マジ・・・でけえ・・・っす』と、もうちょっと良い表現できないのかと思う台詞を吐く琴音が居た。
ボクと言えばーーー
やっぱり『すげえ・・・すげえ・・・』としか言ってなかったかもw
だって圧倒的ですもの^^;
神社で言ったら総本社。
お寺で言ったらば大本山とか総本山だよ・・・。
興奮と言って良いのだろうか。
それが幾分冷めた頃合を見てボクはゆっくりと、この浦上天主堂を彼女達に説明するのだった。
『簡単に説明するよ^^ でも興味を抱いたなら自分の手でじっくり知ることをお薦めする。
なんせ、ここの歴史には隠れキリシタンから長崎原爆までの流れがかなり詰まっているとても重要な建物だからね^^
そして、本来はここが原爆ドームのような戦争の歴史を物語るシンボリックな場所だったはずと知っても欲しい^^』
『わきゃ? はず?って言うのは先輩どういうことですか???』
『はずって言ったのは、この原爆で被災した浦上天主堂の残骸は一部を残してほぼ取り壊されてしまったからだ。
残していれば・・・後世の万人にここ以上の原爆のメッセージを送れる見てもらえた建物は無かったのでは?とも言われているんだよ夕実ちゃん。
さっき見たろ?見てまじまじと息を飲んで見つめてただろ?白黒のぶっ壊れた浦上天主堂のパネル写真を君は』
『は、はいですう・・・。衝撃的でした。見てて辛かったです・・・』
『でもね?夕実ちゃん^^ 写真は現物には決して勝てないんだよ。
少し言いすぎかもしれないけれど、
それは一部を切り取ってるにしか過ぎないんだ。
なぜ残せなかったかの歴史背景は割愛しちゃうけれども、もったいないと思わない?
残っていさえすれば、これほどのメッセージがこもった建物はないよってことで、゛はず”って言ったんだ^^』
『もったいない・・・ですね・・・』
思わず声が大きくなってしまったようだ。
ボクの熱に少し萎縮してしまった夕実ちゃん。
と言うか、自分が知って欲しいと思ってたことが思わず先に口を突いて出てしまっていた。
全然この浦上天主堂の概要と言うかスペック(建設年代とか何種の建造物)とか説明できてないことにハッとする・・・。
---気を取り直して今一度。
コホンと空の咳を入れてからリベンジ説明するオイラ^^;
『えっと・・・前身は明治12年(1879年)に小さな聖堂を造ったのが始まりなんだ^^
そしてさっき見てきた立派な天主堂があっただろ?
大浦天主堂。あの立派な聖堂に負けないように造られたのが、この浦上天主堂だったりする^^
その建設には起工から19年と余月を要する一大プロジェクトだったわけなんだ。
大正3年(1914年)に完成。煉瓦造り瓦葺の大きな大きな教会がこの地に誕生した^^
そしてここから鉄川与助さんが関わってくるんだが・・・
実は浦上天主堂はまだまだ完成していない。
鉄川与助が大正14年(1925年)に煉瓦造りの双頭の鐘楼を造って、浦上天主堂は本当の完成を迎えたわけなんだ^^』
『っつーことはここも鉄川さんなんすね!』
琴音が嬉しそうに聞いてくる。
煉瓦教会建築の父でもあるし気持も分かるね^^
『そうだよ琴音^^ 鉄川与助さんは建設当時にも参加しているそうだが、この双頭の鐘楼こそ鉄川さんの作品だ^^
そして原爆で吹き飛んだ浦上天主堂を再建したのは
今、目の前の建物を造ったのは鉄川さんの息子さんの与八郎さんでもあるんだ^^』
『『『えええΣ(゚д゚ (゚д゚;)´д`*)』』』
『ここは鉄川親子が関わった大切な教会でもあるんだよ^^』
さあ、そろそろ天主堂をじっくりと見て周ることにしよう。
入り口手前には原爆で被害を受けたイエス像などが復元されていた。
『わきゃー、首が痛くなるくらい高いですう^^』
夕実ちゃんが言うとおりとても高い。
琴音なんかは軒下煉瓦を撮影しようとしていたが
『遠すぎて50倍ズームでもキツイ・・・』と諦めていたしね^^;
ここには皆で拝観することに。
中の写真は勿論無い。
出てきたときに皆が一斉に口をついた言葉は
『ステンドグラスが凄いです』だった。
ひとつひとつにイエスキリストの生涯をモチーフにしたステンドグラスになっていたのです。
そこから木漏れる日の光は天主堂内を青色の世界に導いて、とても荘厳で美しかった。
再び外へとやってきたボク達は拷問石やいまだに散乱している当時の瓦礫などを見て周った。
ここで時計を見るボク。
『みんな。そろそろお暇しようか^^ 本当は資料館とかも行きたかったけれど、時間も残り少なくなってきた。
最後に皆で祈って帰ろうじゃないか^^』
ボク達は手を合わせてからこの地をあとにした。
また今度会いましょう。浦上天主堂!
『あれ?この石造ってさっき見上げた教会の上についてたやつじゃね???』
帰る途中の下り坂。敷地の中に琴音が見つけたのは浦上天主堂の外観装飾の石造だった。
『ポツンと寂しそうですう・・・』
夕実ちゃんが言うようにそれはとても物悲しそうな顔をしていた。
さて、今来た道を帰るのはもったいないと言うことで、平和記念公園の裏手がわから駅に戻ることに。
道路側から見た旧鐘楼。別名アンジェラスの鐘。
こちら側から見たほうが凄まじさが伝わってくるように思う。
少し先を行くと煉瓦塀が。
ここは常清高等実践女学校の被爆煉瓦塀。
被爆倒壊で埋没したものを再建したそうだ。
そこから歩く事、数分。
平和記念像の裏側にやってきました。
『わきゃー・・・どうせなら正面からお会いしたかったですう・・・^^;』
まあ・・・そうだよねえ^^;
ぐるっとまわって正面から。
そこにはーーー
多くの方達がお祈りをしていました。
ボク達も手を合わせることに。
『うお!煉瓦の遺構がここにもあるっす!』と琴音が驚いてはいたが、
それよりも驚いたのが
ここが刑務所跡だったことだった。
『恥ずかしながらボクは知らなかったよ・・・^^;』
『わきゃ・・・右におなじくですう^^;』
爆心地から近いところで約100メートルのこの地。
原爆当初、最も爆心地から近かった公共施設が、この長崎刑務所・浦上刑務支所跡だったんだね・・・。
ここでは134人全員が亡くなられている。
公園内には噴水があった。追悼の意をこめて造られた平和の泉。
『みずをください・・・ですね先輩』
『そうだね夕実ちゃん。原爆被害を最も表した言葉なのかもしれない。
お祈りしてくださいと書いてもあるね。皆でお祈りしておこうか^^』
ボク達は平和の泉へと近づいて手を合わせることにした。
すると、
小さな小さな虹が目の前に掛かったんだ。
祈ってくれてありがとうってことかな。
素敵なお返しにコチラもまたお祈りを返すのでした。
さて、エスカレーターを降りたところで琴音が駅とは別の方を指差した。
『お兄ちゃん、あっちにも公園ぽいのがあるっす!』と。
正直時間的にも寄る予定は無かったのだが、目の前の信号が中々変わらないから少し寄っていくことにした。
(※ 予定にありませんでした。 もしここに寄らなかったらば絶対後悔していたと思います^^;)
ここは爆心地公園。
もう言わずもがなでしょう。
『フキンシンデスガ、爆心地公園がハートの形デース^^』
リンダが言うように確かにハートの形だった。
元々なのか意図して整備されたのかは分からないけれども、ここにもハートが隠れていたようだ。
公園に足を踏み入れるボク達。
そこには同心円の真ん中に慰霊の碑が聳え立ち、そして奥には煉瓦の塔が立っていた。
ボク達はグラウンド・ゼロに立ち、空を見上げてみる。
『わきゃ・・・。この上空に原爆が・・・』
原爆投下当日の長崎は曇り。
本来は福岡の小倉が原爆投下の目標だったのは知られていること。
小倉が悪天候で断念。長崎は次の投下候補地だったのだがそこもまた曇り空だった。
ただ・・・雲の切れ間があった。あってしまった。
それがこのグラウンド・ゼロの上空だったんだ・・・。
お祈りをした後にその直ぐ真横にある建物へと足を運ぶ。
どちらかと言うと琴音は駆け寄っていたが^^;
そこにあったのは煉瓦の柱が2柱。
1柱はとても高くて目立つのだが、もう一方は子供の背丈と変わらない高さでした(左横にポツンとあるやつです)
人目でこれが何なのかが分かった。被爆した建物の残骸であることが。
そしてリンダが答えを見つけてくれた。
『スガワラサン見てくださいデース^^ あそこに琴音サンが先ほど見つけた彫刻と同じものがあるデース!』
ああ本当だ・・・。下から見るから変顔っぽくなっちゃってるけれども間違いがない。あの時の石造彫刻だ。
『・・・っつーことはお兄ちゃん。これって・・・浦上天主堂の煉瓦じゃね!?』
琴音の指摘通り、この目の前の煉瓦の残骸は、
『浦上天主堂の遺壁』だった。
昭和33年(1958年)新しい天主堂の再建時にここへと移築された、正真正銘浦上天主堂の被爆煉瓦壁だったんだね・・・。
こんな原爆当時を伝えるようなシンボリックなものがあったのを知らなかった自分に恥じた・・・。
そして琴音が隣でワナワナ・・と震えているのに気づくボク達。
『どうしたの琴音っち^^;』と夕実ちゃんが声を掛けても
『うわあ・・・うわあ・・・』としか言わない。いや言えないみたいだった。
妹の目線の先には
ポツンともうひとつの煉瓦壁。
正直先ほどの煉瓦壁のオマケみたいな小さなものだった。
少し落ち着いたのか琴音はその小さな煉瓦壁の上面を撫でてボク達に言うのだった。
『れ、煉瓦の刻印があるっすううううううう!』
・・・うわあ、本当だ!
まさかこんなところで煉瓦の刻印を見つけられるとは思ってもいなかった・・・。
ボクですら驚いたのに、琴音なら尚更だろう。
だって煉瓦教会を見て周り、煉瓦刻印探しを何度も何度もしたけれど見つけることは出来なかったんだから。
その度に落胆する妹を見てきた。
それがまさか最後の最後に見つかるだなんてね^^
『良かったな琴音。正真正銘教会に使われた煉瓦の刻印だ^^
しかも浦上天主堂の煉瓦壁と言うことはーーー
鉄川与助さんが関わったのは間違いがないだろうな^^
鉄川さんの教会建築を追ってここまで来たけれど、最後の最後に嬉しい発見だな^^』
『もう震えがとまらないよおォ・・・お兄ちゃん。きっと鉄川さんがくれた私たちへの贈り物だよね!^^』
ボク達が勝手にそう思ってるだけだがそう思ってもいいよね。
隠れキリシタンから始まったこの旅。
その途中で色々なものを見てきた。
煉瓦教会も原爆の痕跡も、そして鉄川与助と言う人物の物語りも。
最後に答えをいただけたことに感謝したいと思います。ありがとうございます^^
さて、この煉瓦刻印。見える範囲には2つほどあった。
『〇・・・の刻印っすかね?』
『いや、なんかリンゴのヘタみたいな棒線が薄っすらあるようにも見えるなあ^^』
『わきゃー☆ じゃあ~リンゴの刻印です~^^』
勝手に夕実ちゃんが命名してしまったが、実際の所これがどこの工場で造られたのかとかは分からなかった。
いずれじっくりと調べてみたいものだ^^
その後は少しだけ見て周ることに。なんせ時間も余り残されて無いしね^^;
階段を降りた川沿いには被爆当時の地層なんてものもありました。今度はゆっくり見て周りたいね^^
ボク達は爆心地公園に今一度お辞儀をして路面電車へと乗り込むのだった。
ターミナルホテルで下車。そこから空港行きのバスに乗り換える(バスのチケット売り場はホテル内。待ってる間はラウンジで休憩も出来ます^^)
空港に辿り着いたボク達は搭乗手続きを済ませてからレストランへと飛び込んだ。
なぜならばーーー
お疲れビールを飲みたかったのと、
長崎ちゃんぽんを食いたかったからだw
『長崎に来てちゃんぽん食わねーでどうするよお兄ちゃん^^;』と言うものだから・・・
慌てて食べたぞい・・・^^;
味なぞ覚えとらん。美味かったけれど空港のレストランだしね(ようは普通です)
---定刻より多少遅れてのフライト。
羽田のイルミをみるといつも切なくなってしまうね。
『ああ・・・もう旅も終りっすか・・・^^;』
『正月にまた行くからいいじゃないか妹様よ^^; そん時はまた色々なトコを巡り倒してやろうじゃないか。なあみんな^^』
『『勿論です☆』』
次回の旅は長崎佐世保~有田。そしていよいよ軍艦島だ。
今回の旅みたいに晴れたらいいな。
そしてボク達の長崎旅行物語はここで一旦幕を閉じることに。
《あとがき》
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
とても長きに渡って書き続けてしまいましたがしょうがない。
だって楽しかったんだからw
色々な出会いや自然、歴史・原爆に触れた長崎の旅。もちろんグルメも。
実りある物だったと思ってます。
いかがでしたでしょうか? 訪れたことがある方は自分の思い出を思い返し、訪れたことがない方は行った気分に少しでも助力できたでしょうか。
行ったほうがええ。絶対にね^^
さて次回は山梨旅行編。
久しぶりに坊勢さんと菅原君コンビの出張シリーズです^^
浦上刑務支所が原爆で破壊されたので、死刑執行施設が福岡市に移されました。
(工事中は広島送り)
by yogawa隼 (2015-11-11 16:44)
平和の像、日本人ではなく、何故筋肉隆々とした外国人なんでしょうね
長崎旅行で、この事だけが大きな疑問でした
by koh925 (2015-11-11 18:12)
長崎は小倉に続いての第三目標だったらしいのですが、天候の不順で急遽長崎になったとのこと。
もし小倉だったら、被害は広島よりも甚大だった可能性がありました。
日本で一番早く、そして最もキリスト教が根付いた土地、長崎。
その日、長崎の上空だけは雲の切れ間ができていたそうです。
異教徒の国だからと罪悪感を感じないで原爆を投下したアメリカへの神様の強烈な訴えではなかったのかとさえ思います。
by ワンモア (2015-11-11 19:50)
長崎の上空だけ、雲の切れ間が...そういう経緯は
知りませんでした。あれだけ威力のある爆弾なら、
巨大な建物の一部の塊が、飛んできても不思議は
ないですね。そんなコトにも気がつきませんでした。
最後の最後に、刻印と出会えたコトが、とても
ドラマチックに写りました。
by sakamono (2015-11-11 21:16)
あの記念公園が刑務所なことは知ってたんですが
村でたった一人を残して全滅は知りませんでした・・・
原爆ドームのようなシンボリックなものがないのでは
なく、残らなかった、んですかね・・・
by みずき (2015-11-11 21:45)
原爆資料館と平和の像で記念写真撮ったのは覚えてます。
が、爆心地には行ってない。
浦上天主堂にも行ってない。
今なら、ちゃんと向き合えるかな・・・。
by しきみ (2015-11-11 22:28)
長崎とすぐ隣の県に長年住んでいながら、
平和祈念像以外のこと、特にグラウンドゼロは、
全く知りませんでした。
観光としてしか見れていなかった自分が恥ずかしい…
ちょいのりさん、ありがとうございます。
by 唐津っ子 (2015-11-12 06:44)
おはようございます。
どうしても・・・広島が表に出てしまい忘れられがちになりますね。
by YUTAじい (2015-11-12 06:48)
とはいえ広島市民にとっては長崎も同胞です☆
パグウォッシュ会議の科学者の皆さんが
核兵器廃絶に進んでくれることを祈ってます☆
by 獏 (2015-11-12 07:04)
広島には2度行きました。
長崎にも1度は行かないとなぁ。
広島と同様に無口になるだろうな。
by johncomeback (2015-11-12 07:56)
おはようございます。やはり長崎ちゃんぽんは外せないですよね!私は思案橋ラーメンを頂きたいです。お疲れの生ビールも最高だと思います。\(^o^)/
by ソニックマイヅル (2015-11-12 08:58)
その当時の原爆でこの威力。
今はもう・・・・・
どこに向かってるのか不思議な世界です。
隣国も予断を許しませんしね、戦争のない世界に
なることは人間がいる限り難しいのかも。。。
なんて悲観しちゃいけませんね。
by まめ (2015-11-12 12:51)
原爆はこれから原発を持っている所は何時でも作れますからね、核戦争が起きない事を祈るだけですね。
by 馬爺 (2015-11-12 12:58)
修学旅行で行った場所なのに
何も覚えていない・・・・--;)
長崎で覚えているのは路面電車とチャンポンを食べられなかった事・・・ーー;)う~ん 高校生の自分、何やっとったんじゃぁ
by さる1号 (2015-11-12 18:56)
○の刻印発見は感動的ですねぇ!
古いのは時を経ているからなのですが、
ここに残るレンガの意味は、ただの古さではないところ。
歴史の証人。なんとも感動的です^^
by orange (2015-11-13 00:21)
平和記念像は一度でも見に行きたいのですが!
一体いつになったら自由の身になれる事やら・・・
このブログを拝見する度にちょいのりさんが羨ましく
思います!もう自分は遅いかもしれません!
by Hide (2015-11-13 01:16)
原爆のこと
あまりに知らないで過ごしてきたなぁ〜
って思いました 知れてよかったです
by (。・_・。)2k (2015-11-13 02:51)
刻印、見つかってよかったですね♪
ちゃんぽん、おいしそうですね♪♪
原爆のことに改めて思いを寄せて、その当時の方々のことを想うと涙がこぼれてきますね・・・
by isoshijimi (2015-11-13 08:08)
最後の最後で刻印が見つけられてラッキーでしたね。
by gen (2015-11-13 09:00)
長崎へは高校の時に行って以来だけど
たぶん、バスガイドは原爆の話とかしてたんでしょうが
記憶が・・・
先日広島へ行った時に
バスガイドから原爆の話を聞いていて
ふと思いました。
by くまら (2015-11-13 11:38)
浦上天主堂立派ですよね行きましたよ~
いつもディープな旅ですね~勉強になります。
by みぃにゃん (2015-11-13 12:24)
浦上天主堂を原爆のシンボルにすれば良かったのにね?
by Aちゃん (2015-11-13 13:30)
「平和記念像」、私は見逃してしまいました(ーー;)
by 風来鶏 (2015-11-13 17:20)
ありがとうございました
by 太陽の玉子 (2015-11-13 21:50)
僕も、五島列島を旅行してはじめて『鉄川与助』の事を知ったのですが、福岡の太刀洗に今村教会堂という彼が建築に関わった立派な煉瓦造りの教会がありますよ。今度、訪ねてみようと思っています。
『天主堂旧鐘楼』は、地元の人に教えてもらって見に行ったのですが、爆風のすごさを今に残す唯一の遺産ですよね。山王神社の片足だけの鳥居もすごいです。
by 島酔潜人 (2015-11-14 17:33)
深いね深い
by テンポイント (2015-11-15 04:30)
う~ん、僕がここを歩いたのは17歳の頃・・・・全く記憶がない(^^;っっ
当時煉瓦に興味を持っていたなら・・・・
by 駅員3 (2015-11-17 07:41)
すばらしい探訪記でした。いろいろなことが思い浮かばれて、とても感動しました。
by sig (2015-11-20 21:03)
おはようございます。
今日は訪問ありがとうございました、お伊勢さんは楽しかったですげ運転していて気を使いましたね。
全員が爺さんばあさんばかりですが皆なかよしさんばかりでこのメンバーで19日は忘年会です。
by 馬爺 (2015-12-02 09:06)