第836話 競艇場の傍には煉瓦あり琵琶湖・浜名湖編☆vol③『プチパナマ運河?水のエレベーター‷大津閘門‴』琵琶湖疎水取水口・小関越え(しない)ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
私はJR近江八幡駅へ戻る道すがら、琴音先輩にさらりと驚愕の事実を伝えられた。
『教授さんもこっち(滋賀県)に今きてるんすよマジで^^』
・・・え?お父様がΣ(ll゚д゚
『私たちとは別行動だけど、琵琶湖疎水の煉瓦ちゃんの調査中だよルカっち^^』
・・・なぜそれを言わないのよ二人とも^^;(琴音先輩とお父様)
『きょ・・・今日はおとう・・・いえ教授さんとは合流とかするのでしょうかハイ^^;』
『うん?あ~残念ながら別行動っすよ^^ 教授さんは大阪での会合の前にプライベートで琵琶湖疎水の調査に行ってる最中っす^^ ねじりまんぽとか煉瓦遺構の調査にね(*´д‘*)』
ちょっとホッとした私である。
だってえ・・・みんなの前でお父様とか呼ぶの恥ずかしいもん^^;
もちろん教授さんとか高幡教授って呼べば済む話だけれども、
後でお父様に『なぜ、お外でお父様と言わない。そんなに恥ずかしがることないじゃないかルカちゃん^^』って言われちゃうんだもん!
プライベートは超絶クールな感じで生きているつもりの私。?
ピアスもあけたしファッションもお嬢様的生活の真逆なクールファッションをあえて選んでいる。
だから~実は前時代的な呼称で普段はお父様と呼んでいるなんて分かったら皆にかっこつかないでしょw
しかも琴音さんとか『お父様だって、ワハハWWW』と絶対笑うに決まってる・・・
だからホッとしたのヨン^^;
なるべく全員が揃う場面だけは避けてきたのだからーーー
第836話。引き続き私こと高幡ルカ視点で
滋賀県の琵琶湖の水が京の都を支えたそのスタート地点をめぐるレポート。
スタートですヨン^^
JR彦根駅から今日の宿泊地である大津市へと向かった私たちは、
途中で『JR膳所駅』から京阪線『京阪膳所駅』へ乗り換えたのですハイ。
(乗り換えのJR膳所駅は滋賀県で最も古い駅でもあります^^)
『わきゃ?ぜんしょ駅って読むんじゃないんですねえー^^;』とぶちょーが呟く。
私もルビを見るまでは『ぜんしょ駅』って言うのかと思っちゃいましたヨン^^;
『膳所駅』と書いて『ぜぜえき』
難読駅名クイズでよく問題に出される場所だとかそうじゃないとかw
膳所駅からたどり着いたのがココ『三井寺駅』(みついでらじゃないですよ?みいでらです^^)
なんでも琴音先輩が言うには『琵琶湖疎水取水口はここからすぐ近くっす^^』とのこと。
私たちは駅員さんに切符を手渡して外へと飛び出した。
乗ってきた京阪線を見送って踏切を渡ると川沿いに道が。
『えっと先輩。その琵琶湖なんちゃらの入り口ってどこらへんなんでしょうネン^^?』
『え?この目の前の川みたいなやつっすよルカっちい^^』
これがそうなのかよ!w
『でもっす。どうせなら琵琶湖と繋がる本当の入り口を見たいから琵琶湖まで歩くっすよ^^』
と言うことでこの川伝いに琵琶湖まで歩くことになりましたヨン^^;
と言っても徒歩3~4分で琵琶湖ですw
そして目の前に広がるのが、その琴音先輩の言う琵琶湖疎水取水口なんだそうです^^
琵琶湖疎水が何なのか自体を説明されていない私は取水口よりも、
目の前に広がる琵琶湖とようやくご対面できたことを喜んだ(マジ海みたい~^^)
『ちなみにこの裏手にはびわこ競艇場があるっす^^』
要らない情報ありがとうございます先輩w
『わきゃ・・・この橋の名前、読めないですう^^;』
取水口を跨ぐ橋の欄干には橋の名前が刻まれていたのですが・・・
これなんて書いてあるの^^;
『新三保ヶ﨑橋(しんみほがさきばし)っしょ?^^』と琴音先輩はさらりと言うけれど、やっぱ私と夕実ぶちょーは読めなかった(現役の学生だけどね!)
いつも思うけど河川に建つゲゲゲの鬼太郎ハウスみたいなのはなんだろう?
思い切って琴音先輩に聞いてみる。
『ねえ琴音先輩。あの鬼太郎ハウスみたいなのは何でしょうか?』
『え?鬼太郎ハウスじゃないの? っつーのは冗談でえ~、あれは水位流量観測所ってやつっすよ^^
簡単に言えば河川とかの水量や水位を観測してデータを取るとこっすね^^
そのデータは治水防災にひじょーに役立つわけっす。何気に結構重要な建物だよん^^』
へえ~なるほど。河川専用鬼太郎ハウス侮るべからずですね^^
さて、琴音先輩が今度は
『じゃあ~入り口も見たし、取水口から戻って琵琶湖疎水を順々に辿っていくっすよ~(*´д‘*)』と言い出したので、
私たちは再び元来た道を水路伝いに戻ることになりましたヨン^^
まずさっそく最初に目についたのは白い建物とレンガ調の取水口でした。
そのまま建物の裏手までやってくるとーーー
?
『第一疎水』と書かれた、疎水を跨ぐ橋があったんですハイ。
そこから白い建物の裏側をのぞき込む私たち。
裏側もまたレンガ調の3連の取水口。
『あれは琵琶湖第一疎水揚水機場って言うところっす^^ 琵琶湖の水位が低下してもポンプでくみ取ることによってコントロールをするとこかな?』
あんまり興味ないので『へえ~、そうなんですね^^』と相槌打ちつつもそれ以上は特に言葉も続けない私。
むしろ、それよりも私は少し気になっていたことがあった。
『ちょっと話は脱線しちゃいますが琴音先輩?
この、今わたし達が居るこの橋ってなんか変な感じするんですけどハイ^^』
『変な感じっすか? どこらへんが?ルカっち^^』
『この橋って水路に対してなんで斜めに掛かってるのかなあ~って思ったんですヨン』
とっても些細な事だけれども、取水口を跨いでいた字の読めない橋も、駅から降り立ったすぐ傍の橋も全部水路に対してまっすぐなクロスをしていたのに、
なぜかこの橋だけは斜めっていたんですヨン。
その私の些細な疑問に琴音先輩も
『言われてみれば確かにここだけ斜めってるよね^^; なんでだろ? とりあえずすぐ横に水路を跨ぐ道路橋があるからそっちからじっくり見てみようず^^』と言ってきたのでそっちへ移動して、この橋の全景を眺めることになったヨン。
『『『やっぱり斜めに掛かってる橋だ』』』
道に合わせてこんなになっちゃったのかな?
たまたまなのかな?と、みんなで考えあぐねていた。
するとここで琴音先輩が橋の袂を指さして大きな声をあげる。
『なんか橋の橋台がめっちゃ古そうな煉瓦ちゃんなんすけど(*´д‘*)』と。
ああほんとだ! 私達が居たさっきの橋はレンガ調の新しい橋に見えたけど、
橋を支えている土台部分は古そうな煉瓦ですね。
『わきゃ?ここに地域の地図があるですよ^^』
夕実ぶちょーが橋の袂にあった周辺案内図の地図を指さす。
それを見ると、この斜めに掛かる橋を含めて『大津絵の道』って書いてあったのですハイ。
『これはマジ気になるっすね^^; ちょっと調べてみようか大津絵の道ってのをさ☆』
そう言い出した琴音先輩はスマフォを取り出して色々と検索し始めたのです。
すると答えがようやくわかったんです^^
(196年代の今昔マップからです^^)
『この大津絵の道ってのは、元々は江若鉄道線(こうじゃくてつどうせん)って言う路線が通ってた場所だったみたいっす^^
開業1921年。廃業1969年。
ちょっと古い地図を見てもらうとわかるように同じような競合路線があるっすよね?
京阪線・石山坂本線。さっき私たちが乗ってきた電車っす^^
色々端折るけど、結果としてここは廃線になっちゃったってとこっすね』
つまり先輩が言うには大津絵の道は元々線路だった。
今はその路盤も遊歩道として残っているってことらしいですハイ。
煉瓦の橋台もまたその当時の名残ってことなんでしょうネン^^
---さて、
私たちは更に更に水路を追って歩みを進める。
『じゃあ~琵琶湖疎水を跨ぐ現・京阪線の橋梁や橋台は煉瓦ちゃんかな!って補修工事で見えねーっす!』
三井寺駅までやってきた私たちは京阪線とクロスする場所まで帰ってきたのですが、残念ながら確認できませんでしたヨン^^;
少なくとも煉瓦とかは使われてないっぽいでしたヨン^^
たまに水路の左右を変えて歩ってみる私たち。
少なくとも右手は舗装された道では無かったです(でも通れるようにはなっています)
そしてーーー
『北国橋(ほっこくばし)』と言うとこまでやってきました^^
そこから見えたのは、琴音先輩が言うにはーーー
『琵琶湖疎水・大津閘門』と言う明治23年(1980年)に造られたという日本人が設計した日本最古の閘門なんだそう^^
『右と左で水路が二手に分かれてるっしょ? 右側はゴミの除去とか水質を保つ迂回路で、
左側の鉄門扉は前後にゲート状になっててね?
ここに一旦 船を入れて水位を上げ、この先へと進ませたんだってさ~^^
昔はここから京都まで船が行き来してたんすね~^^』
え!? つまりは学校の世界史でならったパナマ運河みたいなとこってこと???
運河の出入り口の水位の高低差を埋めて、船が自由に行き返ることができるように造られた施設ってことですか!
正直、そこまで興味なかったはずなのに、
水のエレベーターであるプチパナマ運河があったことと、
そしてこの水路に船が行き交っていたことに驚いてしまったんですヨン^^
いったい・・・琵琶湖疎水ってなにものなのよ^^;
大津閘門を後にしてやってきたとこは山肌に水路が飲み込まれようとしている場所でした。
琴音先輩が目いっぱい望遠で撮影したその水路のトンネル画像をのぞき込む私。
何かとっても立派なトンネルの入り口でしたヨン^^
水路伝いに歩道を進めば途中にこのトンネルの説明版が立っていたんです。
見れば『扁額』と言う、その建築物に対する思いを文字に起こして掲げる看板表記みたいなものの説明が載ってましたヨン^^
『氣象萬千』
伊藤博文が筆をふるった(揮毫)んですね!
水路脇は柵で囲まれているから『扁額みえねーw』と言っていた琴音先輩だったけど、
望遠カメラで捉えたそれは立派な扁額でしたヨン^^
さて今までの水路は山肌へと消えて行ってしまいました。
『この山の向こう側に京都の山城や南禅寺や水路閣とかインクラインとかあるんだよなあ~マジで^^;』と琴音先輩はトンネルの向こうの山々を見て嘆くのですヨン。
この山の向こうはもう京都府なんですね^^
と言うかなぜそんなにこの水路が気になるの?琴音先輩。
と言うか琵琶湖疎水ってそもそもなんなの???
琵琶湖疎水が何なのかも分からずにここまで来てしまった私は、
琴音先輩に説明を求めたわけです。
『ああ~ごめんごめんルカっちw
てっきり琵琶湖疎水を知ってるテイで連れまわしちゃったっすねw
分かりやすく簡単に琵琶湖疎水を説明するとっすね~
明治時代の京都復興プロジェクトっす^^
京都ってのは、江戸時代から明治時代に移行する明治維新に東京遷都や大火で人口の流出や産業衰退の憂き目に直面するんすよ。
そこで『これはマジやべえ・・・』って考えたその当時の京都府知事さんが考えた対策なんす^^
琵琶湖から水を引いて灌漑や水道水の確保、水運による産業の活性化を目論んだニュー京都政策の一旦っす。
暮らしやすい・働く場所があるんだよ?ってアピールして、
出て行っちゃった人達に再び京都に目を向かせる事業。
カムバック京都と模索した事業の一環がこの琵琶湖疎水てやつなんすよ^^
めっちゃ簡単に説明しちゃってるけどねw
そしてその琵琶湖疎水事業には多くの煉瓦が使われたんすよマジで(*´д‘*)?
だから私ってばその疎水の入り口求めてここまでやってきたってのがあるんすよルカっち(*´д‘*)』
・・・なるほど。
ようやく話が見えてきたですハイ。
明治維新の京都復興プロジェクトがこの琵琶湖疎水ってやつなんですね^^
そしてそれには時代的にも数多くの煉瓦が使用された建物が存在すると。
琴音先輩らしい場所選びだと納得した私。
わだかまりもモヤモヤもようやく晴れたですヨン^^
『わきゃ? 琴音っち、この後はどうするですか???』と、夕実ぶちょー。
そう、そう言えばこの後はどうするんだろ???
まさか山肌に消えていった疎水を求めて山越えとか?
『う~ん・・・本当は京都と滋賀を隔てる逢坂山・東山を貫く琵琶湖疎水を追いかけたいところなんすが・・・
時間的に厳しいっすね~ホラ^^;』
そういって琴音先輩は腕時計を私たちに見せる。
あら・・・もう4時半ですヨン^^;
『琵琶湖疎水を辿ってたら途中から真っ暗になりそうっす。宿の予約も5時だしね^^; っつーことで、今日はこれでお開きかな~』と琴音先輩。
と言うことで、ここから歩いて近い本日の宿『東横イン』へと向かうことになった私たち。
だったのですがーーー
『ピロリロリン♪』と琴音先輩のスマフォが鳴った。
『ん?なんじゃらほい?メールっすかね~っておい!教授さんからメール来たっす^^』
お父様とメル友なのかよ琴音先輩^^;
実の娘の私も知らないんですけど!(電話番号しか教えてもらってない^^;)
『わきゃ?なんて書いてあるですか^^』
『んっとね~---おお!まさに私っちが時間があったら行こうと思ってた小関越えの画像がいっぱいっす(*´д`*)』
『『小関越え??』』
『小関越えってのは地図で見るとこんな感じっす^^』
『この小関越えってのは大津と京都を結んでいた江戸時代の古道の呼称っす^^
実はこのルートこそ山間に隠れてしまった琵琶湖疎水と並ぶように続くルートでもあるっす^^
で、
教授さんが私たちに先行してこのルートを調査してきたっす(*´д‘*)
じゃあ~みんなで見てみようっす^^』
そう言って私たちの目の前で琴音先輩はスマフォの画面をゆっくりと下にスクロールしつつも、お父様からのメールを解説するのでした。
『アッハッハ。ご機嫌いかがかな?琴音君^^
私は先ほど琵琶湖疎水の小関越えを敢行してきたので簡単ではあるが数点、資料を送りますぞ!
去年の夏に夏草に阻まれた↑ 琵琶湖疎水の”あるポイント”へと赴いたのだよ^^
そして今冬、
ご覧のとおり冬場は草も枯れ、見て御覧なさい!あの煉瓦の遺構を!!!
琵琶湖疎水第二立坑をご尊顔できたのだよ。アッハッハ^^
(立坑・竪抗とは、垂直にトンネル掘って、そこから左右にトンネルを掘ったりする工法の入り口部位です。簡単にだけど)
見たまえ! 実に立派なイギリス積み煉瓦巻きの遺構でありますなあ^^
残念ながら近づくことは諸所あって諦めたのだが、
人目につかない山中に、それでも立派な意匠を施す煉瓦施設を造り上げた先人たちのプライド・こだわりに感服いたしましたぞ^^
その後は
少々傷を負いながらも藪漕ぎして小一時間、山中を冒険(調査)してきたのである。
そして几号標石を見つけてきたぞ琴音君アッハッハ^^』
その後もつらつらとお父様からのメールは続いていた。
(※ 教授さん。つまりは駅員3さんのご厚意でいくつかお写真をお借りいたしました^^ 時期は少し前後しますが自分も駅員3さんもほぼ同じ時期に琵琶湖疎水関連をめぐっていたわけであります^^
本当は駅員3さんのブログではまだまだ非公開の画像も託されましたが、ボクが公開するのはあまりにもズルいのでこのくらいでw
琵琶湖疎水小関越えや立坑、そしてその詳細などは駅員3さんの記事で確認してくださいね^^
↑クリックでリンクいたします^^)
『くっはー!教授さんマジすごいっす(*´д‘*) 藪漕ぎして色々と廻られたみたいっす。私も同伴したかったにゃ~(*´д‘*)』と、琴音先輩は実にうらやまし気にお父様のメールを読み上げたんですハイ。
どうやらお父様は藪を掻き分けてまで琵琶湖疎水関連施設を調査したようでした^^;
・・・お父様、結構ワイルドだしなあ(娘としても納得ですハイw)
ーーーと言うことで
私たちは今日の予定も終え、貧乏学生の味方の東横インさんへと向かいましたヨン^^
(綺麗だし安いし朝食ただだしねw)
『ぐは!めっちゃ受付が団体で混んでるっすねえ・・・^^;』
私たちは三井寺付近(つまりは琵琶湖疎水 第一トンネル付近)から10分くらいの『東横イン・琵琶湖大津』に到着したのはいいのですが・・・
観光バスから連なる中国の団体さんが受付に列をなしていたので、
『これは・・・私たちのチェックインも時間かかりそうっすねえ^^; 受付にお返事だけして先にご飯食べに行こうっす皆^^;』と言う琴音先輩の苦笑いに頷いて、
お食事を先に取りに行くことにしましたヨン^^;
彷徨うこと1時間・・・
なんだかんだでいつも旅先でお世話になってる日本海庄屋さんへと入店することになったのですハイw
(※日曜日だったからなのか、JR大津駅を中心に人気どこの居酒屋さんを検索してお邪魔しようとしたけれど、
ほとんど満席で断られちゃった^^;
と言うか食い物処がそこまで多くない感じですね大津って^^;
JR大津駅前よりは京阪の浜大津駅周辺の方が栄えてるのかな???)
ビールで今日一日の労をねぎらった後は~
なぜか高知で取れたお魚をパクリ(なんて魚だったかしらw)
『わきゃ?近江牛みたいなのがあるですよ!(*´д‘*)』と、夕実ぶちょーがよだれを垂らすから・・・お肉もいただきました^^
二人の趣味に合わせてるとおっさん臭いメニューに偏るからピザも注文しておきましたヨン☆w
酔いもいい感じになった頃合いに一応のお開きをして東横インへと戻りました。
今までルームキーだったけれど、ここはメンバーカードがカードキーになってるんですね(カードをかざすと鍵が開く)
部屋の前で『どうやって開けるんだろう・・・』と困っていた尼さんとお連れさんにたまたま遭遇したので、
『私たちもさっき知ったんですよ~w』と言いつつ入室のお手伝いしちゃいましたヨン^^
さて、すぐさま寝るわけでもなく(私たち若いんでね!w)
稚あゆの佃煮などをおつまみにしながら二次会に突入しましたヨーン~(*´д‘*)
私は煉瓦に興味がないからアフターの方がとっても楽しいですハイw
その後はそれぞれの部屋に戻って爆睡☆
翌朝は朝食サービスをがっつり頂いてホテルを後にしました^^
でもここからが先に進まない^^;
氷屋さんの煉瓦壁に見とれてる琴音先輩を急かしつつ・・・
ビミョーに違う二種類のデザインマンホールに
『わきゃー(*´д‘*) 間違い何個あるですかね~』と、なっかなか動かない夕実ぶちょーの背中を押しつつも、
私たちはなんとかJR大津駅へと辿りつきましたのですハイ^^;
さあいよいよ『ひこにゃん』に会いに行くヨン(*´д‘*)
・・・でもまさか、ひこにゃんのお城でも琴音先輩の趣味に振り回されるとは
今の私と夕実ぶちょーはまだ知らないのであるーーー
ここまで読んでいただきありがとうございました^^
閑話休題的お話しでしたが、それでも記事が増長してしまいました(反省とかしないから!)
読むのがメンドクサイ人は最後の方のデザインマンホールの間違い探しだけでも興じていただけたらいいんじゃないかなw
(間違いは何個ある?)
さて、次回はもちろん彦根城☆ ただし分かっているとは思いますが普通には城巡りしないよ!
本来なら石垣刻印が多くあって当然の彦根城なのにほとんど無いという、その謎に迫ります(*´д‘*)
ではではまた今度お逢いいたしましょうず☆
(ちょっと群馬県と長野県の境界へと寝ないで出かけてくるので、お返事等々は明日の夜以降っすマジでw)
おはようございます。
煉瓦・城址大忙しですね・・・彦根楽しみです。
by YUTAじい (2016-03-10 06:41)
京阪膳所駅は、駅名クイズに出しました(^^;
滋賀県は、私は琵琶湖のイメージしかないですw
by えーちゃん (2016-03-10 06:56)
琵琶湖疏水、プチパナマ運河と聞くと一気に「ちょっとだけど判る~(^.^)」になりますねぇ^^
彦根城も楽しみです(^^♪
by ニッキー (2016-03-10 08:42)
琵琶湖疏水、奥が深いですね・・・・一昨年の京都オフを
思い出します。
by kinkin (2016-03-10 08:51)
おはようございます。是非ともひこにゃんに逢ってください。近江牛もお勧めです。すぐには寝れないですよね!鮎で2次会、良い感じだと思います。^^;
by ソニックマイヅル (2016-03-10 09:19)
大津から京都まで船が行き来してたことに驚きです
by くまら (2016-03-10 11:53)
京阪線、ではありませぬ。
京阪電鉄石山坂本線ですね。<細かい
見慣れた京阪電車ですw
浜大津の方がまだ飲食街あるんじゃないですかね。
あっち、フェリー乗り場とかもありますしね。
by まめ (2016-03-10 12:41)
煉瓦旅、楽しそう^^
駅員3さんもスゴイですね。記事も拝見させていただきました。
ちなみに全国のマンホールデザインを、コイン型のキーホルダーにしたらマニアの方に売れそうだなと思います(^o^)
by ワンモア (2016-03-10 13:03)
ますますフットワークが軽くなりましたね。
by サンダーソニア (2016-03-10 13:19)
マンホールの蓋で間違い探しができるとは
大津、楽しいところですね^^
某国の団体さんが一緒だったんだ
朝ごはん、残っていて良かったですね
食べる量が半端無いと聞いたことが^^;
by さる1号 (2016-03-10 14:20)
膳所高校出身の後輩がいるんだわ^^)
by 獏 (2016-03-10 20:32)
琵琶湖疎水は、南禅寺から下流域を除くと
山科辺りを少し歩いただけ、目的は花見でした
by koh925 (2016-03-10 20:37)
教授さんも忙しいのに頑張りますね~
by katakiyo (2016-03-10 21:19)
駅名は難しいですね^^;
可愛いマンホール、どんな人がデザインするんでしょうね^^
レンガの遺構、どこかで見たことがあると思ったら駅員3さんのブログでしたね^^
by 美美 (2016-03-10 23:45)
三井寺の鐘は見ましたが、疎水はまったく素通りしました。一昨年、一部区間で舟の試験運行があったそうですが、今はやってないんでしょうね。舟で下ってみたい気はします。
by 足立sunny (2016-03-11 07:25)
おぉっ!鮎の佃煮 すごく贅沢な感じがしやす。
食べたいでやすo(◎o◎)o
by ぼんぼちぼちぼち (2016-03-11 21:40)
銀婚式記念関西旅行でJR大津駅前のホテルに宿泊しました。
駅周辺に適当なお店を見つけられず、琵琶湖岸まで歩いて
ホテルのレストランで食事しました。
琵琶湖って滋賀県の半分以上の面積があるイメージでしたが、
実は6分の1だって最近TVで知りました。
by johncomeback (2016-03-12 07:53)
さすが達人ですね、斜めに架かった橋から廃線路を発見されるとは!
意外とあるんですよ、びわ湖西岸から福井県にかけて廃線が。
閘門は伏見にもあって、宇治川に注いでいます。そこが疎水運河の南の終点になるかな。三栖閘門・昭和4年竣工の国登録文化財・・・ですが、確か煉瓦じゃなかったかな。(^_^ゞ
あらら?小関越えは楽しちゃいましたね♪
次はひこにゃん城ね、国宝現存天守の中でも一番創建当時の姿が維持されているのじゃないかな、レポ楽しみです。ヽ(´∀`*)ノ
by 路渡カッパ (2016-03-12 11:25)
琵琶湖に上陸ですか!最近ご無沙汰ですが琵琶湖の竹生島とかにいきましたね~しじみが名産ですね。
ちょいのりさんの目的は観光でなくレンガですね!
今回もディープな旅になりますね。
by みぃにゃん (2016-03-12 11:38)
マンホールのデザインと、アユの佃煮に
ご当地感がありますね。
明治期におかみの手が入った場所=
レンガがたくさん使われた場所なんだなぁと^^;
by みずき (2016-03-13 00:12)
おはようございます。
今日はお休み?・・・お出掛けですね。
by YUTAじい (2016-03-13 06:40)
プチパナマ運河と聞くと、スゴイものなんだなぁ、と思います。
(現金なモノですね^^;)。
「ゲゲゲの鬼太郎ハウスみたいなの」って、言い得てミョウですね。
昔から、何かに似てるけど何だろう?という思いがあったので^^;。
駅員3さんの記事とリンクしているところが面白いですねー。
いろいろ書いた後で揚げ足取りみたいですが、
明治23年の西暦年が...^^;。
by sakamono (2016-03-13 16:39)
アッハハ、ご一緒できなくて残念でしたぞ。
藪漕ぎは、ジーンズがあちこちほつれるほどの棘の攻撃!! やはり東南アジアでジャングルを彷徨した時に愛用したマチェットの装備は必須でしたな(^^)
そうそう、ご紹介されていた第一水門のすぐ北側に1912年に完成した第二疎水の扁額の付いた煉瓦造りの隧道があったのですが・・・ご覧になられたのかな!?
さぁて、何本か論文の執筆が終わったら、私も不思議な旅をご紹介しましょう!!
by 駅員3 (2016-03-14 07:15)
結構古い建造物は煉瓦が多いですね、琵琶湖疎水はすごい者なんですね、裾野にも箱根疎水はありますがこんなに大きなものではないですね。
by 馬爺 (2016-03-14 11:23)
僕もアフターだけ参加したかったりして^^;
by DEBDYLAN (2016-03-15 00:43)
もう稚鮎の時期なんですね!
by JR浜松 (2016-03-15 06:48)