第858話 利根川煉瓦ものがたり!成田市市街編☆『もしかして残っていれば活躍できた不要普及線?』成田宗電気鉄道・第一第二隧道ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『成田と言えば皆何を思い浮かべるかな^^』
滑河駅から成田線に揺られている道中、お兄ちゃんがこんな質問をしてきたんす。
真っ先に『ハイハイハイ!』と手を挙げたのは夕実っち。
『やっぱり成田山新勝寺ですう~(*´д`*)』
まあそうっすよね普通^^
じゃあ~私はと言うと無難に
『成田空港っすよね^^』って答えた。
すると『だよな~^^』って返すお兄ちゃん。
てっきり、そんなことわざわざ聞いてくるくらいだから『お前らはそれしかイメージ沸かないのか。バカだねーw』って貶してくるかと思いきや拍子抜けだったわけです。
その代わりーーー
お兄ちゃんから別の質問が返ってきた。
『皆、成田山や成田空港行ったことある?』と。
『わきゃー行ったことないですうw』
『実は私っちもだわさw』
『ぶっちゃけオレも初めてなんだよねw』
なんだよ誰も成田に来たことないんすかW
でもまさか成田駅からあんなに近いところに煉瓦遺構がいっぱいあるとはね!
第858話、私っちこと菅原琴音視点で成田駅駅近煉瓦ちゃんを探訪するっす^^
成田駅に30分くらいで到着っす^^
初めての成田駅。初めての成田市街にみんなキョロキョロ。
『わきゃ?結構、都会ですね~成田^^』
『パッと見、ビルとかあって駅周辺は開発されまくりな気がするが、こんなとこに駅近煉瓦遺構なんてあるのか?琴音^^;』
おや?
意外や意外。
お兄ちゃんならてっきり成田駅近くの煉瓦ちゃんを知ってるかもと思ってたんすが、案外成田市までお兄ちゃんのアンテナは立ってなかった様子(むしろ嬉しいw)
ならば『しょうがないなあ~(*´д`*)』って感じで、
早速、成田駅の駅近煉瓦ちゃんを説明開始するのでした☆
『まずコレをご覧くださいっす^^』
『『また広報なりたかW』』
『だって便利と言うか、さすがタウン誌っすよ! ここには情報いっぱい詰まってるっす(*´д`*)
じゃあ~特にここんとこ見てよ^^』
そう言って私は広報なりたのある一文を指さして見せた。
『わきゃ?明治43年、県内初の電車って書いてあるですが、これがどうしたの?琴音っち^^;』
『うん。実はっすね? JR成田駅辺りは昔、3つの路線が存在してたんす^^
現行、今でも残ってるのはJR成田駅のある成田線と、京成成田駅の京成線なんだけど、
かつてはもう一つ路線があったし駅もあったんすよ^^
それは成宗電車って言う千葉県内初の電気鉄道だったんす☆
それは宗吾霊堂~成田山門前を走ってた路線。
簡単に言えば成田山新勝寺前までの参拝者さん御用達?の路線だったんすよ^^』
『ほお~なるほどな琴音^^
要するに楽して参拝したい人用に造った路線ってことだなw』
『別に楽したいとかじゃないっすよ^^; 鉄道会社が参拝者さんが利用してくれるだろうと当て込んで・・・造った千葉県初の路面電車っす^^;
まあでもこれが・・・案外当てが外れたみたいでーーー
利用者は伸び悩み、京成線の子会社化で存続したものの、
昭和期になるとバスや自家用車などのモータリゼーション(普及化)が始まって、
更に貧を窮することになっちゃうんす^^;
そこにとどめの一撃!
太平洋戦争へと進む日本は武器生産の材料となる鉄材に困窮することになるんす。
そこで不要不急線。
つまりは最低限必要な路線以外は廃止しちゃお!
そしてレールなどの鉄材は全部ぜーんぶ武器への資材にまわしちゃお!ってことになるの。
そのなかでも娯楽などの観光輸送的鉄道は真っ先にやり玉に挙げられた訳で・・・
結果として、この成宗電車も廃線の憂き目にあったわけっす^^;』
『わきゃあ~、歴史はなんとなく分かりましたですよ琴音っち。で、それと駅近煉瓦ちゃんがどう絡むのですかあ???』
『夕実っち、よくぞ聞いてくれましたw
この成宗電車が開通したのは明治後期(1910年・明治43年)
その頃の鉄道構造物には数多く煉瓦ちゃんが使われていたわけっす(*´д`*)
当然この成宗電車にも煉瓦が使われていたんすがーーー
今でもその当時の煉瓦のトンネルが残ってるんすよ!(*´д`*)
それはほんとに歩いてすぐだから行ってみようず☆』
ここまでが前置きですw
私はかつての成宗電鉄の地図を皆に見せつつも目的の場所へと向かったのです^^
京成線の高架にぶち当たったところで新勝寺方面へ。
するとそこは明らかに築堤。つまりは電車用に土手を築いた真っすぐな道がずっと続いていました^^
道路に転用したその築堤並びに歩道は幅員も狭く・・・
ちょうど下校時刻の学生さんたちの波を何とかかわしつつ先へ先へ^^;
するとようやく見えてきましたっす(*´д`*)
『わきゃー!結構立派なトンネルですね^^』
『なあ琴音。車道としては狭かったが、このトンネルの間口は広いんじゃないか?もしかして複線だったんじゃないのか???』
『うん。開設当時は複線だったって聞いてるよ^^ でも大正時代に単線になっちゃったそうっす^^;
で、ちなみにこれが第二隧道っす^^』
『わきゃ?地図だとこの向こうにもトンネルありますけど、向こうが第一でこっちが第二なのは何でですかね』
『それは当然新勝寺が起点だからじゃないっすかね^^
今の感覚的にはJR成田駅が栄えてるからそっちが起点と思うけれど、やっぱりメインの成田山から第一第二って数えるのがふつうだと思うっすよ?夕実っち^^
まあ~話もそれくらいで、ちょっと見て見ようっす皆☆』
トンネルの坑口左右には、これまた立派な翼壁が(*´д`*)
翼壁は主に『土留め』の役割があるっす。背後の急斜面から土砂が流れてくるのを防ぐ重要な機能でもありやす(*´д`*)
『わきゃ? 軒下煉瓦ちゃんあるですよ^^』
『う~ん・・・残念ながら夕実っち、煉瓦が縦積みになってるから刻印探しても見つかる可能性うっすいかもっす^^;』
刻印が見つけやすい平面はモルタルの中。これじゃ厳しい^^;
そもそも煉瓦トンネルは刻印探し厳しいっす^^;
関西圏は長手面に刻印があったりするのだけれど、関東圏は滅多にそんなのは無いのです^^;
『無難にイギリス積みだな^^』
まあ・・・お兄ちゃんが言うように堅牢なイギリス積みっすね^^;
成田山側に出てきて見上げると、立派なデンティル(歯のような装飾)
JR成田駅側はツタに覆われていたから見えなかったけれどこうなってたのね^^
さてここには土木遺産のプレートと、その説明書きがありましたっす^^
もうある程度説明しちゃったので割愛っすねw
一応、デンティル部分を望遠でパシャリパシャリと撮影。
刻印らしきものは・・・無かったかな?
と言うか・・・
学生さんの往来がめっちゃ激しくてじっくり撮影なんて無理ゲーでしたw
当然、学生さんの往来が優先。私たちは数枚撮影するだけで自重しましたっす^^
さて、第二隧道を見送ればすぐに見えてきました。
成宗電気鉄道第一隧道っす^^
『わきゃ~こっちも立派な翼壁がありますです^^』
ここには片側だけ(幼稚園側だけ)煉瓦ちゃんの翼壁がありました。
もう片側はコンクリの法面。でももしかしたら当時はダブルウイングだったんじゃないっすかね。ダブルウイングとかかっくいいーw
『なあ琴音。煉瓦の坑口が6重巻きの立派な入り口だよな~。当時としちゃ結構金かかってそうだなw』
確かに随分と立派な6段積みのアーチ部分。
煉瓦の量も相当。
成田山の参拝客を当て込んでも御釣りがくると充分に踏んだんでしょうね。
でもまさかイマイチ路線になるとはねえ~w
ここは学生さんもほとんど通らず人通りも無いので撮影し放題(*´д`*)
(学校や幼稚園はこの手前なのでw もしくはこの上を通るか、翼壁手前に階段があってそちら側を皆さん通行するから車の通過がほとんどなのっす^^)
っつーことで、望遠で手分けしてデンティルの平面を刻印探ししたっす。
・・・特に何もなかったっすけどねw
ここでお兄ちゃんが私に疑問形。
『なあ~琴音。そもそもこの成宗電気鉄道の煉瓦の出どころを掴んでるのか?^^』と。
『う~ん・・・う~ん・・・分からないっすw
だって千葉県の煉瓦って調べ始めたばっかなんだもん^^;
明治後期(43年)ってことだし、他県からの煉瓦の流入も多い時代だしね^^;
私としては~今では成田市となった利根川流域の多くの煉瓦工場たちの可能性を探ってるって感じっすかね^^』
利根川流域どころか成田市街でも煉瓦が焼かれていたことが分かっているんすが、
なんせ資料も少ないし、じっくり取り組まないことにはらちが明かないっす^^;
今後の課題でしょうか^^
さて成田山側の入り口まで出てきました。
今度は第二隧道と逆で、こちら側がツタに覆われていたっす。
目地は結構ぞんざいw
でもまあ~美しくみせる必要性無いっすからね^^
鉄道煉瓦建築は堅牢であるのが最重要っすから。
その後は一通り見て終了っす^^
なかなか見ごたえのある煉瓦ちゃんでした(*´д`*)
ここで夕実っちがぽつりと言う。
『わきゃ~、色々と歴史の憂き目にあったとこですが、もしかして我慢し続けて存続していたら、
結構今ならば活躍できたんじゃないですかね^^;』
それに続くようにお兄ちゃんもまた。
『だよな。今の時代~残ってれば案外、観光の目玉として利用できただろうって物件はたくさんあるからな^^
今じゃ路面電車が残ってればよかったのにーって嘆く自治体も多いからなw』
まあ~後の祭りってやつだとは思うっす。
昔、こういう建物ありましたよって看板よりは人を呼び込めたかもでしょう。
ここだって『残っていればもしかして・・・』って場所かもね^^
仮に残ってたら私は当然、煉瓦トンネルをくぐって参道出来るこの路線を利用してたでしょうけれどw
帰りは第一トンネル脇から学生たちの後を追ってJR成田駅へ。
すると第二隧道の上はお墓や、屋台蔵なんかがあったっす^^
こっちが正式?な成田山新勝寺へのルートっすかね?
こちらは多くの観光客で賑わってたっすよ^^
ちなみに、ここじゃないけれどーーー
かつてはこの先の参道は煉瓦敷きだったんだそうっすよ(*´д`*)
これも広報なりた情報。
今回、どんなにお世話になったことかw
さて、
『わきゃあ!もう見るとこ無いですよね!無いですよね?早く帰ってご飯食べたいです!(半ギレ)』と駄々をこねる夕実っちが居たもんだから、
成田駅の蕎麦屋さんで渋々私とお兄ちゃんは彼女を鎮めることにしたっす^^;
まあ・・・よくよく考えると、いつものように朝から碌な物を食わずに夕刻でしたから、彼女の気持ちも分からないでもないんすけどねw
でもなぜ? 真っすぐに帰らずに駅蕎麦で彼女をとりあえず諫めたかと言うと、
お兄ちゃんが言っていた『寄り道をさせてくれ!損はさせない!』って言葉があったからなんすよね^^
まずは皆で『『『かんぱーい♪』』』と、お疲れビヤー(*´д`*)
これがまた旨いこと旨いことw
胃どころか小腸突き破って大腸まで貫通する旨さですぜ!
(※ なんせタクシーのショートカットあるにせよ、かなり空腹で歩きましたしねw)
おつまみあればオプションで付けてもよかったけれど、無かったから皆でそれぞれお蕎麦を頼みましたっす。
夕実っちは山菜そば。お兄ちゃんと私は鴨南蛮そば。
普段ならそこまで美味しく感じない駅蕎麦でも、砂漠に彷徨う旅人が見つけたオアシスの一滴(ひとしずく)みたいでめっちゃ美味しかったっすよ(*´д`*)
さあ!腹ごしらえも終えて夕実っちの駄々もすっかりおさまりやした^^
目の前には我孫子駅行きの電車がホームへ滑り込む。
電車に乗り込むなり、お兄ちゃんが拝むように手を合わせ申し訳なさそうに私たちに言ってきた。
『ごめんね皆。あと数駅で途中下車するよ^^; 嫌!って言うなら強制はしない。
その時はボクだけ降りるから皆で草加駅まで帰っていいよ^^
でもそこはボクが寄りたかった場所だし皆にも見てもらいたい場所でもあるんだけどね☆』
そう言われちゃずるいよ。行くしか・・・寄るしかないじゃんw
夕実っちは本当は真っすぐ帰りたかっただろうけれど、好きなお兄ちゃんにこうまで言われたら行くしかない。
『わきゃ~♪ 先輩が言うならどこまでもお~(*´д`*)』
だよねw あんたそうでなきゃw
『で、お兄ちゃん。どこで途中下車すんのさ?』
『おお、目指すは千葉県印西市木下駅だ^^
ここには煉瓦の刻印を越える物が残ってるからな^^』
ええっ!?刻印より凄いものっ???
もうそれだけでワクワクが止まらない!
次回、印西市編。利根川煉瓦ものがたりファイナルっす☆
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
やってきたのは恥ずかしながら初めての成田駅市街でございます^^;
その駅近の煉瓦ちゃん、成宗電気鉄道跡の煉瓦トンネル遺構。
いや~立派なトンネルだったね(*´д`*)
時間的に下校の学生の波にのまれちゃって大変大変^^;
あの人なにやってるんだろうか?的な視線をグサグサっと感じつつも寄り道したわけだけれど、いいもの見たと思います^^
色々あって廃線になった路線だけれど、今だっらばきっと有効利用できた物件なんじゃないかとちょっと思ってます^^
さて次回は利根川流域の煉瓦ものがたりファイナル。
日本全国『住みよさランキング』の連続トップになってる千葉県印西市へと寄り道です^^
そこには煉瓦刻印求めて奔走した琴音と言うキャラが刻印以外の煉瓦と言うものに触れる物語が登場。
自分としても皆に見てもらいたい今回のクライマックスでしょうか^^
興味がなければガッカリかもしれんけど、見て決して損は無いと思います☆
ではではまた今度お会いいたしましょうず☆
ちなみに今年のかんなみ猫おどりは『手筒花火』なんだそうだ^^
大人の事情で、今回は中学校のグラウンドを間借りして開催されるそうなんだが・・・
手筒花火って間近で見たこと無いので、めっちゃ楽しみです☆
おはようございます。
土木学会・・・遺産なんですね。
by YUTAじい (2016-06-28 06:49)
成田と言えば、成田三樹夫(俳優)だな(^^;
成宗電車なんてあったのね。
立派な煉瓦のトンネルが残ってるんだね。
しかし、木下駅も「きおろし」って読むんだよね。
千葉にある駅は素直に読めないのが多いな(^^;
by えーちゃん (2016-06-28 07:27)
成宗電車というのがあったのですね。 とても勉強になりました(^.^)
by ぼんさん (2016-06-28 08:16)
成田というと、鰻もなかなかのお味でした(ちとお高いけど)
by さといも野郎 (2016-06-28 08:25)
成田にこんなに立派な煉瓦隧道があるそういう線があったんですねぇ(@_@;)
本当に今も残ってればかなりの人気だったでしょうねぇ(^_^;)
「煉瓦の刻印を超えるもの」、何だろう?
めちゃくちゃ楽しみ~^m^
by ニッキー (2016-06-28 08:34)
単線を複線化というのは良く聞きますが、複線だったったのを単線にするケースもあったのですね
コスト削減なのでしょうけれど、余計利用者が減るような・・・・
需要を当て込んだのに、それ程じゃなかったって・・・・
参拝の人たちはどうやって成田山まで行ったのかな
歩ける距離だったとか?
by さる1号 (2016-06-28 08:35)
おはようございます。煉瓦で橋げた、本当によく崩れないなぁと思っています。当地の赤れんが倉庫内は本当に昭和のにおいがします。^^;
by ソニックマイヅル (2016-06-28 09:03)
空港は行ってますが、成田駅は降りたことないし、新勝寺も行ったことないですよ。
成宗電車があったら絶対に今なら大流行りしてと思うんだけどなぁ。
by こんちゃん (2016-06-28 09:18)
をぉ、こちらにも成田幼稚園が成田山不動尊前に
ありますですよ。幼稚園バスも走ってます。
ちなみに我が家から成田山へは徒歩でも行ける範囲w
by まめ (2016-06-28 12:29)
成宗電車が有ったなんて初めて知りましたね、ま~~千葉へはめったに行きませんから知らないのは当たり前かな?
by 馬爺 (2016-06-28 12:31)
今回は割と短め?^^;
成宗電車は初めて知りました。
成田空港へは来月、もう一回行きますよ〜。
帰りに成田山新勝寺も良いですね(^o^)
by ワンモア (2016-06-28 16:05)
いつも京成線で空港まで行って
そのまま飛行機に乗るから
市内って行ったこと無いなぁ(汗)(@w@;)
by 獏 (2016-06-28 19:16)
隣に住んでいながら成宗線は知りませんでした(>_<)
by 太陽の玉子 (2016-06-28 22:42)
成田はいつも道が混んでいるイメージがあって…
この前行ったのは、厄払いの時かなぁ
(平日だったので、外人観光客に写真を撮られたwww)
手筒花火って、結構危ないヤツじゃないですか?
by 唐津っ子 (2016-06-28 23:21)
単に成田と聞くと新しい町のような気がしてましたが
そうでもないんですね。
煉瓦のこの色段々と好きな色になって来ましたよ^^
by 美美 (2016-06-28 23:29)
土木遺産て維持費があれなんですが
なかなかおもしろいですw
by テンポイント (2016-06-28 23:38)
もしかすると、ウチの近所にも、レンガ遺構(?)が
あるんじゃないか、なんて思えてきますね。意識して
歩くと見えてくるかも。レンガのトンネルってのは、重厚感
が溢れてますね。
by sakamono (2016-06-28 23:44)
成田で、新勝寺に行かなかったんですね。
僕も草津で温泉に入らなかったから他人の事は言えません。
興味の対象によって、人の行動はそれぞれ違いますからねぇ。
by johncomeback (2016-06-29 05:39)
さすがタウン誌詳しいことがのっていますね。
立派なトンネルですね!歴史も感じますね。
by みぃにゃん (2016-06-29 11:19)
成田=空港ですかね。あとは行ったこと
ないけど、成田夢牧場^^
そう言えば先日、母から煉瓦情報がありました。
山口県粭島の貴船神社裏が素敵な煉瓦塀
だそうです。(母方のお墓があって、神社もよく
行ってましたが知りませんでした)
島出身の義叔母によると、昔、高倉健さんが
ロケにきて住民がエキストラ出演したそうです。
by みずき (2016-06-29 23:14)
刻印探しにはお邪魔でしょうが
煉瓦とツタの組み合わせは素敵です。
手筒は 音も イイですし
運よく 空筒がもらえるといいですね。
by サンダーソニア (2016-06-30 07:47)
成田と言えば成田山のお守りです。
何故か子供の頃に首に描けられていた感じあります。
by lamer (2016-06-30 17:02)