第822話 2015ラストオーダー『振り返ればいつも君がいた?』煉瓦と島旅といっぱい [思い出パート]
『歳くってからの方が、よっぽど修学旅行してる』
なんか常々思います^^
学生の頃は仲間と遠出する『ワクワク感』がメインだった修学旅行。
班別に分かれて各自、自由散策で訪れる寺社仏閣の候補地選びなんかをしたものですが・・・
正直言うと、女子に怒られながら渋々どこに行くかを決めてたりしてましたなw
旅に出ること自体は昔から好きだった。
でも目的をもった旅路だったかというとどうなのかな?
何となく観光地へ行って、
何となく美味しいものを食す。
まあそれはそれで良いものなんですけどね^^
ここ2年でしょうか。『煉瓦』と言う目的を持って旅をするようになりました。
おかげで普通に旅をするよりも、その土地の歴史・繋がり・関わり・背景をより深く知る旅へとなっていったようにも思います^^
2015年もたくさん旅をしましたね♪
ではでは簡単ではありますが振り返ってみたいなあと思います。
第822話、2015ラストオーダー。始まります^^
いつも記事長いよ!って言われるからサクサク行くぞ!
いやまず、本題に入るまでが既に長いのよ。
こうやってる間に更に記事が伸びるっすw
いや普通だろ?
だから余計なことすんなよオッチャン!
やだなあ~怒らないでよぎゃる魅さんw
ウザイw
まあ~このままじゃ埒が明かないので行きましょう^^
今年も毎年恒例のお正月旅行からスタートしました。
広島編ね^^
そう言えばなんで広島を選んだの?
それは当然、ある意味世界で一番有名な煉瓦建築である『原爆ドーム』を見たかった事と、
戦争遺構に触れたいと思ったからだ。
正直言うと教科書でしかオイラは原爆の歴史に触れていない。
広島も長崎も行ったことが無かったからな。
あら?これはなんだっけかしら?
これは旅の途中で発見した煉瓦刻印の出所が気になって、急遽最終日に訪れた竹原市の煉瓦工場前の廃煉瓦の浜辺だ^^
思わず拾って帰りたかったが止めておいたがなw
実は広島編最終日はこの時点で熱も出て風邪をひいていた^^;
帰りの飛行機はぐったりしてたのを覚えているよw
さて、次は珍しく立て続けに連休を貰えたので南の島へと行きましたね^^
西表島編ですな^^
ジャングルの中の煉瓦遺跡探索だったわよね^^
いやあ~この宇多良炭鉱跡にはテンション上がったな!
恐らく日本最南端の煉瓦遺構だと思うよ^^
海の透明度にも驚かされたが、
船でしか行けない船浮集落のその先で見つけた沈没台湾漁船に出会ったとき、ここは本当に日本か?日本なんだよな!って驚いたもんなあ~^^
蛍も見たし見ごたえある旅だったわね^^
さて、早々連休ももらえないので日帰り旅にも精を出します。
ここはオイラの地元県『静岡』の伊豆市・梅木にある『梅木発電所の水路橋』だ^^
まさかこんなのがあるなんて知らなかったんでしょ?
いやあ・・・マジで知らなかったよ^^; 地元の伊豆にもこんな立派な煉瓦構造物があっただなんて再発見だったね^^
そして梅が咲く頃だったかな?
たまに利用する伊豆諸島への玄関口『竹芝ターミナル』から、
今年も季節限定で千葉県は館山市にジェット船が寄港するという情報を得て、館山市へと行ったんだ^^
残念ながら当初の目的地である『州崎第二砲台跡・弾薬庫跡』には辿り着けなかったんだけれども、
『館山海軍砲術学校跡』の煉瓦ちゃんには出会えた(*´д`*)
来年もまた館山シリーズやりたいね^^
この美味しそうな鍋は???
4月初っ端に行われたオフ会の鱈ちりだね^^
白山の五右衛門さんでのリッチな感じのオフ。
次の日にはオイラの勤める居酒屋『上野・れんこん』でも続けてソネブロオフ会も開催されました^^
ちなみに忙しくてオフ会メンバーに顔すら出せなかったのが悔やまれるw
まあ・・・ご主人様の店は、年末よりも上野公園の桜が咲く時期の方が忙しいですもんね^^;
だから春になると鬱になりますなw
その代わり、
桜の時期とゴールデンウィークを過ぎた辺りで休めなかった分の連休が何個かもらえましたよ^^
まずは第一弾!教授3(駅員3)さんの恒例のBBQの日と次の日で連休になってしまったが、
ここから意地で函館へ飛び立ったw
今までで一番強行軍の旅路だったわよねw
函館の煉瓦建築を探索したその足で北斗市茂辺地へ!
かつてそこに存在したと言う幻の煉瓦工場跡へと行きました^^
熊も出るらしい藪を突貫すると!
超貴重な煉瓦刻印のカケラをゲットすることが出来ました(*´д`*)
今じゃ超宝物ですよ(*´д`*)
---さて、
相変わらずクソ忙しくって日帰り旅もままならないからと、地元『草加市近辺の煉瓦工場跡地探索』なんてのもありました^^;
八潮市の煉瓦工場や亀有の煉瓦工場。
荒川・足立の煉瓦工場群などを近いから楽だろうってことで散策したんだけれど、
実は一番実りのある散策でもありました^^
さてここで再び何故か急遽『連休を貰える』ことに^^
そこで選んだ旅先はーーー
会津若松・喜多方の煉瓦遺構編ですな^^
これはソネブロガーのjohncomebackさんの記事を見て、会津地方にも煉瓦があるのか!と気になって気になってて出向いたのだ^^
行ったらビックリだ。
日本の中でも煉瓦が色濃く残る煉瓦蔵の街だったと思い知らされた。
残念ながらその会津の煉瓦を焼いた登り窯は外観しか見れなかったが、
後に『刻印も見れるからもう一度来てくださいよ』と、関係者さんであろう方のコメントを頂けたので、
是非ともここはリベンジしたい場所ですね(*´д`*)
何気にこんなブログでも見てくださってる方がいらっしゃったので喜んだもんね^^
そして、いつもは単発・単一の煉瓦刻印を見れるだけでも嬉しかったのに、
大量の色々な煉瓦工場の煉瓦刻印に出会える事件に遭遇することに。
そこがまさか江の島にあるとは夢にも思わなかった。
江の島の『サムエル・コッキング苑』ね^^
いや・・・まさか江の島に煉瓦遺構があるとは思ってもいなかったよ^^;
行ったらビックリだあ~。
ここでの煉瓦刻印たちとの出会いが横浜・横須賀の煉瓦工場。
そしてそこに関係する愛知県の煉瓦工場へと飛び火したんだよな~^^
生しらす丼も食ったがめっちゃ美味いかと言われると普通だったのはナイショなw
さてさて暑苦しい時期に突入。
ここで煉瓦とは関係ないけれど、昔から気になってたとこへと行ってみた。
ディズニーリゾートの外周一周旅っすねw
常々、ディズニーランドの敷地の外側は『どうなってんだろ?』って思ってたんだ。
ぶっちゃけ半裸のオッサン達がベンチで寝そべるようななんでもないとこだったが(近隣に住むオジサマ達やワンコの散歩コースなんだろうな)
結構面白かったw
ブログのタイトルに『ディズニーランドの裏側へ行ってみました?』とかつけちゃったからアクセス凄くなっちゃいましたよね^^;
『ブログ記事のタイトルって大事なんだなあ・・・』って思い知らされましたね^^;
さてここで日帰り旅としては、かなりの遠出をした。
愛知県の『半田赤レンガ建物』のリニューアルイベントだ^^
テレビの取材なんかも多くって、取材されちゃうんじゃないかとドキドキしてたらボクだけスルーされたのは、ほろ苦い思い出でしょうか^^;
足の指を踏まれちゃったわよね?鉄扉に^^;
そうなんだよな^^; 不意に開いた鉄扉に足の指を挟まれて、親指の爪が剥がれちゃったのだ^^;
正直ここには痛い思い出しか残ってないw
---さあ8月に突入です。
8月初旬と言えば~
かんなみ猫おどり!
そう!毎年恒例の、オイラが実家『函南町』の猫おどり祭りに行って来たよ(*´д`*)
・・・とは言っても
いつもいつも祭りに行くだけじゃ芸も無い。
そこで考えた挙句、『地元にかつて存在した軽便鉄道の痕跡探し』をしてから猫おどり会場に向うことにしたんだよね^^
その過程で『煉瓦の登り窯らしきもの?』を発見したのだが、交渉決裂で詳しいことは聞けなかった^^;
地元の函南町にこんな煉瓦の遺構があっただなんてと小躍りしたんだけどなあ・・・
まあでもこれはプライベートなことでもあるし仕方が無いことよね^^
でもマジで色々と聞きたかったんだけど・・・^^;
おかげで猫おどりはいつもよりブルーな感じだったのはナイショなw(結構、引きずってたw)
今年の猫メイクはシンプルだったかな?
来年は自分自身で手を加えてみようかとも思ってるぞいw
---さてお盆も過ぎたころだったかな?
こちらも恒例suzuran6さん主催の『鱧しゃぶ』に行って来たよ(*´д`*)
今年は念願の雑炊を食した。
鍋の後の雑炊マニアとしては至福の時を過ごしたね(*´д`*)
このペラペラの煉瓦はアレよね?
伊勢崎市のスバル360モニュメント!
ぶらり群馬県は伊勢崎市探訪だったけれど煉瓦の遺構が結構多くて面白かったなあ~^^
(※ この他にも群馬県・前橋市探索なんてのもありましたね^^)
ん?この煉瓦の刻印は???
これ、ちょっと時期が後になっちゃったけど梅雨時に出向いた横浜山下公園の煉瓦刻印だ^^
ぶっちゃけると横浜に行くのは我慢していた。
なんでよ?横須賀には何度か行ってるのに。
横浜は煉瓦の宝庫だし刻印も宝庫だからなw
とっておきにしておきたかったのだが・・・
酔っ払ってついついカメラ持って出向いてしまったのだよw
なんだよおう。そんなツマンナイ理由(酒)で行っちゃったのかw
念願の赤レンガ倉庫にも行ったよね^^
でもでもまだまだこれだけじゃないのが横浜っす(*´д`*)
---そしてそして、
これまた夏休み(4連休)恒例の長旅へと行ってきた!
今年出向いたのはーーー
『長崎・五島列島の旅』だ^^
なんでまた五島列島に?
煉瓦もそうだが、本当の理由は『広島に行った時に長崎にも行かなければ』と胸を急かされたのが一番の理由でもある。
『原爆遺構』に触れたいと言うか原爆と日本を知っておきたかったからだ。
奇しくも日本に残る原爆の遺構は広島も長崎も『煉瓦構造物』だったんだよね・・・。
勿論、最初から長崎市内で原爆に由来する構造物を尋ねても良かったのだが、
長崎と五島列島と教会とキリシタンと鉄川与助を踏まえてから最後に原爆遺構に触れるのが最善だと思ったので、そういう旅路をあえて選んだんだ。
なんだかんだ適当に旅行ルートを選んでるわけじゃないのね^^
一応考えてるよ? 勿論自分が楽しみたいのが大前提だけれども、
見る人に伝えたいこともあるからね^^
長すぎるから端折るけれど、とにかく食い物が美味かったなw
五島列島最高!
長崎市内に戻ってきてからは、日本の煉瓦史を語る上では絶対行っておかなければならない聖地『小菅修船場跡』へも行きました^^
そしてなんと言っても偶然に。
たまたま最後の最後に爆心地公園に寄る事になったんだけれども、
『煉瓦の刻印』と『原爆』と『鉄川与助』と言う物語が交錯した時に、
ボクは本当に感動してしまった(泣いてはいないけど、うわあ・・・うわああ・・・えええ!?マジでか?ってずっと言ってたもん^^;)
爆心地公園があるなんて知らなかったしそこに原爆の直撃を受けた煉瓦のモニュメントがあるなんて知らなかったしね^^
あの時の感動は忘れないし、また、この地を旅先に選んで良かったと思ったよ^^
長崎旅行の興奮も冷め遣らぬうちに、ボクは自分の誕生日を迎える。
40も越えてくると誕生日の感動も薄れるものではあるのだけれど、
お師匠さん(駅員3さん)が去年ボクが土壇場で風邪ひいて出席できなかったボクの誕生日パーティーのリベンジを主催してくれた!
・・・幾つになっても、
やっぱり祝ってくれるのは嬉しいよね☆
でも遅刻したけどな!
あんた本当さいてーだよねw
駅員3さん並びに集まっていただけた方、本当に申しわけございません^^;
でも嬉しかったなあ~^^
なんだよこの美味しそうな食い物。
これはお師匠さんの誘いで再び横浜の煉瓦研究へと向かった時に中華街で食ったものだw
ここからは最近なので端折ります^^
だからって食いもんかよw
ジュラール煉瓦とか元町公園とか横浜駅二代目とか行きましたよね。
煉瓦のエキスパート達の会合の末席にお邪魔させていただいたのだけれども、非常に有意義な時を過ごしたね(*´д`*)
中でも知りたかった煉瓦刻印の出所を知ることが出来たことと、
なんと言っても日本煉瓦製造に勤めていらっしゃった方とお話出来たことかな^^
この蕎麦は?
最近なんだよね?
これはYUTAじいさんさんと息子さんと一緒に出向いた長野県は上田市のお蕎麦屋さんの天ぷらそばだ^^
この時は古城や山城(砥石城とか)に多く出向いたわけなのだが、城址と言うのも行ってみると面白いものだな^^
まさかブログのお付き合いで仕事場の助っ人(息子さん)を紹介していただけたり一緒に遊びに行くことになるなんて、
ブログ開設当初には絶対思わないわよね^^
公私ともども、こんなにブログにお世話になるとは思ってなかったよね^^
もう、感謝しか無いよ^^
そしていよいよ今年最後の旅行だね^^
ごまちゃん可愛い(*´д`*)
orangeお姉さん主催の京都オフ会に参加した時の1枚だ^^
煉瓦アリ、紅葉アリ、交流アリ、
ぶっちゃけると日帰り旅としては最長で迂遠の京の都だ。
でも遠くなんて感じなかったな^^
楽しいオフ会でしたよ!
なんだかんだで北に南に日本を駆け巡ったわね^^
まだまだ足りないぜ!
行きたい所は日本だけでも無限大だぜ!
来年もまた色々なとこに行きたいね^^
そして交流も。
感謝も尽きないし目的も尽きる事無いし旅ってやっぱ楽しいぜ♪
さてっと、今年も居酒屋けいばと言うブログを覗いてくれた人はありがとうございます。
もはやタイトルのカケラも無い旅番組となってしまいましたが、
そこはもう10年経っちゃったわけですし趣味も趣向も変わるわけですし許してくださいね^^
ではでは2015ラストオーダー。
最後は皆でご挨拶です^^
今年一年ありがとうございました!
また来年お会いいたしましょう(*´д`*)
2016年は長崎・佐世保編からスタートです(*´д`*)
佐世保バーガー!
第799話『ブログはボクの10年史☆』ブログ開設から10周年^^&振り返ってみた♪ [思い出パート]
『ブログ記事は自分の歴史』
自分史そのものだよね。
日常をブログに記さなくても記事の日付や内容のどこかにきっと当時の自分の出来事や思い出を探せるはずです^^
---子供の頃、
夏休みの朝顔観察やら絵日記やら宿題やら、毎日かかさずやらずに最後にまとめてやってたダメダメ板さんちょいのりでございます^^;
それがこんなことになるなんてね☆
第799話。話数も区切りが良いところで!(全然良くねーよ)
スタートです^^
はい!ってことでこの『居酒屋けいば』ってブログもなんと!
10年経ってしまいましたw
へえー
おいこらあ!10年だぞ?10年!もうちっと祝ってくれよまったくw
だって毎日更新してるわけじゃなくね?
う・・・そこをついてくるか^^;
10年前にブログ開設してさー、9年放置して~、10周年の日に1個記事書いても10周年だよ?
さすがにそれは極端だしズルイだろw
とは言えダラダラとやってきて、とうとう10年ですよ奥さん!
あんなに長続きしない男が10年もやっちゃったんだぜ?
むしろ自分を褒めちぎってやりたいw
で、今日は・・・もしかしたらありがちな思い出回顧みたいな記事かしら?
そんなつまらないことしないっしょ
アレじゃないですか?普段見てくださってありがとー!ってことで、何かプレゼントをするとかそんなんじゃないかなあ。
えっと・・・プレゼントとかしないし、つまらない・・・回顧録だから^^;
ま、ですよねー(わかってました☆)
っつーことで、開設当初から自分のブログ歴史を辿ってみたいと思いますよ^^
アニバーサリーだからって自分の記事を改めて振り返って記事にしようとしたんだが、
毎日更新じゃないとは言え記事数1900を越えるので全部なんてとてもじゃなく振り返れねーw
だから幾つか要所要所ピックアップです^^
ではでは気になる方だけ、ボクの10年史。見てつかーさい^^
そもそものハジマリの日は2005年8月29日。
ちょっと待てやオッサン!
何でしょうかぎゃる魅さん^^;
まだ10年経ってないじゃんかよw
そうよねえ。あと数日残ってるんじゃ・・・
丁度10年目の日は金曜土曜で店が忙しいから前倒し企画なんだよ。そこは察しろよw
なんだか10年の重みも全然無いなあ~^^;
丁度10年前でしょうか。母親のボーナスで買ってもらったパソコンでネットと言うものに興じはじめるオイラ。
10年前って31歳とかじゃね?
パソコン親に強請ったのですかw
ダメな息子ねえ^^;
いいじゃねーかよー。実家に帰省した時に我が家にしては珍しいパソコンがあったから、思わず『いいなあ・・・』って言ったら買ってくれたんだからっ!
ま、そんなダメな部分は置いておいてだ。
パソコンを授かってからは競馬関係のサイトを見て周る始末。
当時は競馬中心のダメな生活してたんだよなあ~・・・^^;
---そんな折
『自分の競馬予想を見てもらいたい!』と考えるようになる。
でもホームページとかパソコン初心者のオイラじゃ絶対開設できない自信満々だった!
---するとだよ!?
自分の利用するプロバイダー『ソネットさん』に『ブログ』と言う項目を発見したわけっす。
『へえ~、これなら日記つけるみたいに簡単に競馬の予想とか競馬の感想書けるじゃーん^^』と食いついたわけです☆
それが始まりなのね^^;
そんなこんなで2005年の夏の日にブログ開設申し込んだのが、ボクのスタートなんですよ^^
さて最初の記事はってーとーーー
写真も無く、今より字も小さいなんてことない記事であります。
タイトルは『休みがすくないなあ~』です^^;
競馬のお話だけでは能が無いと思ったからなのか、自分の職場のお話を絡めつつ記事を書き始めたってとこでしょうかねえw
だからブログタイトルは『居酒屋』+『競馬』
ハンドルネームは『昔乗ってた原付の゛チョイノリ”にあやかった』ってとこです。
へえ~
でもなんで居酒屋けいばの『けいば』の部分を漢字にしなかったの?
実はオイラも分かってない。
分かってないのかよw
居酒屋競馬じゃ堅苦しいし、全部平仮名で『いざかやけいば』じゃアホの子っぽいとか、そんな深くは考えてない。
ただなんとなくそうなったんだろうなあ(まるで他人事)
さて開設当初は競馬予想とか書き込みたいなと思いながらも・・・
ほとんど会社の愚痴ばっかですw
まあ~なんせヒドイ会社でしたからね^^;
とは言え細かいこと書いてると長くなるので先に進みましょう。
2005年10月にしてブログ初画像。
『合羽橋に行ってきました』だったね^^
当時は携帯画像も画素数少ない時代だし、ましてやカメラにまったく興味もなかった。
だから字面で押し通そうと思ってたけれども、
『写真もアップできるのかー』とドキドキしながら投稿したのがこのお話かね^^
どんなお話なの?
リンクつければいいんじゃないですか?
いや、ツマラナイ話だし別にいいかなリンクしなくても^^
この後紹介する記事達もリンクは貼りません。
メンドクサイし見てみたい方は、勝手に検索してくれるだろうし^^
---さてとだよ!
ブログやり始めると『自分のブログってどれだけ見てもらえてるのか?』と欲望にまみえてくるわけですよ。
ブログって見てもらいたいからこそ書いている訳でもあるしね~^^
そう。だから評価って気になるよね^^
そんなところ、
ナイスもコメントも皆無だった記事なのに、当時の自分としては異常なアクセスの記事があったのだ。
競馬の記事ね
当時、1記事のアクセス平均が20~30数程度だったのにも関わらず、
この『シックスセンスの鞍上・・・』って競馬の話が、初の閲覧100越えだったんです。
勿論、超嬉しかったですねえ^^
そしてこの記事と並んで開設当初から突出していたのがこっちの記事↓
文字しかねえw
ああ~『惨劇と経営と本音と建前と!』ですなあ。
給料一ヶ月遅れるし、お店が発注した野菜やら肉が来ねーし、とんでもない店だったねえ^^;
そーしまして2007年秋口、
ここから居酒屋けいばの記事形態が変化します。
あ、私の初登場回ね!(うおっか姫に、今週の予想とか色々聞いてみた!編)
わたしも直ぐ後に登場ですな(シマウマ君と考える今週の秋華賞・乙女心と秋の空編)
この頃からアイコン式会話ブログになったんだよね~^^
会話形式で自分の中の意見を戦わせてひとつの記事を作る仕様になったわけです。
要するに壮大なひとりごとっすよね。
それは言わんといてー^^;
2008年は地味にアクセスもコメントも増え出してきました。
そして翌年、
『デスクトップアイコン限界突破?』と言う記事でアクセスが2000を越えてびっくりするのだ(現在は3378)
あったわねこんな話w
確か画面いっぱいにアイコン開いて、それ以上にアイコン開いたらどこに表示されるのか?ってやつですよね。
結局どうなっちゃうわけ?
画面外(デスクトップ外)に存在するだけ。いらないアイコン消すと画面外のアイコンが画面に戻ってきたしなw
へえ~。
まあそんな競馬以外にもアホなことやってたわけですよw
そしていよいよ競馬と日常以外にも2009年は登場です^^
人生初のひとりで島旅が初登場!
ここから島旅シリーズも始まったんだよねえ^^
一番最初は八丈島編だったわよね。
特攻兵器『回天』の洞窟なども見にいきましたな。
飛行機乗り遅れそうになったり洞窟探しに迷ったりと、まあ今思うと楽しかったねw
当時は戦争遺構は回天の洞窟だけだと思っていたのだが、
実は要塞がゴロゴロあることに気づいたのはごく最近。
当時は知らずにこの穴は何だろうと思ってた場所も戦争遺構だったことに気づいてビックラした次第でやんす。
そして2010年初頭。ボクの島旅の中でもお気に入りの記事である『式根島編』が登場^^
小さな島だけど全てがワクワクだったね。
天候不順だったり出会いがあったり^^
『ちょいのり参止!』と、浜辺にイタズラ書きし始めたのもここからですなw
ここらへんからアクセスもナイスも増えてきたかな?
その中でもシリーズ化しなくてもったいない話もあった。
それがコチラ↓
『ひとりではとバスツアーできるもんっ!』ねえ^^
シリーズにしても良かったんだが、島旅でフリーダムな旅を覚えてしまった後だったからなあ^^;
何かと時間に拘束されるバスツアーは敬遠しちゃったんだよねw
んでもってーーー
丁度この頃から『第〇〇話』や『タイトル絵(扉絵)』がデフォとなりましたね^^
ですから本来なら第2000話くらいにはなってたんでしょうねえ。
2010年はコレも初登場だね↓
猫おどりか!
地元の一風変わったお祭りに、ようやく気づいたオイラが初参戦w
これはお祭りもそうだけどブログ友達との出会いもあって素敵で大事なシリーズだね^^
それとこの年の後半にはいよいよアイツの登場です。
アイツって誰よ?
2010年10月『ウチの仔に限ってッ!?』と言う上野動物園訪問記で『ぎゃる魅』初登場☆
わたしかw
まあ・・・いいツッコミ役が出てきたなあと今は一応感謝している^^;
ん?この上の画像は何よ?
これも一応初登場になるのかな。
『第166話 ぼくらの風呂場戦争!』と言う、子供の頃の弟と一緒にお風呂に入ってた頃のエピソードなんだが、
初めて自前の絵がブログに登場した回でもある^^
写真加工と字面だけじゃ伝わりにくいと思ったのか、下手でも絵を載せることにしたんだよね~。
そして年が明けて2011年、
『廃村さーくるシリーズ』初登場☆
自作ノベルゲーを昔こつこつと作ってたこともあって、ブログにも物語性のあるシリーズをやったみたかったんだよね。
それがまさかこんなに続くとはw
昔はタイトル絵だけじゃなくって、結構漫画的な絵の挿入もあったのねえ。
もしかしてコレ↑夕実ちゃん!?
今とは全然違うなw 髪の長さも違うし、キャラ的にももっとキャーキャーうるさいキャラだったしw
まあ5年も描いてれば絵も変わるよねえ^^;
この頃になるとブログ間の行き来も増え、アクセスもコメントもnice!も急激に増えだす。
そして忘れもしない出来事が2011年春に起こる・・・
東日本大震災だ。
丁度仕事中だったのだが10分後にはみんなの安否が気になってブログをアップしてたんだよな。
まず家族に電話しなさいよ^^;
こんな大災害時に、ギャグが多いオイラのブログは不謹慎なんじゃないかと暫く更新を控えたんだ(逆に記事アップして勇気付けてください!とお叱りうけましたけれど)
そんな中で、少しでもクスッと笑っていただけたならばとアップした記事はこっち↓
『第256話 おねしょ隠蔽大作戦?』だね(アクセス3700~)
これは子供の頃のおねしょの対策のお話で、実際のボクの子供の頃のエピソードでした。
まあ対策と言っても事後ですしね(おねしょしちゃったあと)
しかも扇風機で乾かしたやつよね。
ちなみに高学年までやってたぞい☆
2011年の夏ごろには『この夏ぼくは疎開しましたシリーズ』や、廃村さーくるの琴音なんかも出てきたねえ^^
そして秋には波照間島シリーズ。その中でも『ゆんたくって何さ?』と言うお話はいまだに検索でも引っかかるようでアクセスを伸ばしてる。
nice!もチラホラ100越えし始めるのもこの頃かもしんないね。
島旅回顧録もまたいずれやってみたいと思うけど長そうだからたぶんやらない。
やらねーのかよw
2012年になると『アンナのバイト繁盛記☆』と言う、かつてのアイコン人気キャラのフシアンナが居酒屋を舞台にエロ板さんと戦うシリーズもスタートする^^
わたし、このシリーズ結構好きなんだけどあんまり書かないわよね。
変わった食材でも入ったらそのうちやりますよ^^;
ーーーで、この頃になってくるとオフ会の参加も増え始める。
まあ~ほとんど駅員3さん主催だけどなw
そしてこの年のボクのお気に入り記事はこれだね↓
長瀞・天神山城跡編ですな。
確か夕実ちゃんの死んだお母さんが幽霊になって二十歳のお祝いに駆けつけるような話だったっけ?
旅の途中で出会った朝子って女の子と共に廃墟に出かける話だったけれど、実はそれはお母さんだったってエピソードだねえ~^^
あんまり超常現象的ものは記事に入れたくないのだけれど、廃墟で見つけた懐かしのゲームと廃墟記事をうまくあわせたくってねえ、
思わず幽霊を出しちゃったけれども、ボクの中では話の進め方も出来がいいし(自画自賛)
忘れられないお話かなあ^^
そして2013年へと突入するわけなんだがーーー
この年がオイラのピークだったなw
アクセスもナイスも多かった。猫おどりにシズカ山廃スキー場・湯野上温泉に稲取どんつく祭りとエピソード満載の年でもあったし。
島旅では与那国や渡名喜に神島、大分の姫島と言う、年間最多の島旅だったしな^^
そして廃村さーくるが変化し始めたのが2014年。
運命を変えたのはこの話からだね。
『第657話 ヨロシク浦賀ドック、ワンワン!』
教授さん(駅員3さん)と浦賀ドックを訪れた時に『煉瓦の刻印』を見つけてしまったことから、
琴音をベースに煉瓦刻印探しのサークルへと変わって行きました^^
廃墟巡りはだいぶ減ったわよね。
まあ・・・お母さんにあんまり危ないとこ行くなって釘を刺されたこともあるしね^^;
でもまあ路線変更してボクは正解だったと今は思います^^
廃墟巡りはグレーゾーンだし、危ないとこも多いしね。
堂々と記事にアップすることも躊躇してたし良かったとも思ってる^^
それで煉瓦遺構の廃墟に行ってれば世話無いっすよ^^;
北海道茂辺地の煉瓦工場跡探しだって一歩間違えば熊と遭遇ですよ^^;(※実際にご近所で熊と遭遇したニュースがあったそうです)
半田の赤レンガで親指の爪剥がれたじゃないw
たまにはそういうこともあるけれど、廃墟よりは安全です(真顔)
さてさて、まだまだ沢山あるけれど2015年へ
今では仕事の忙しさや、一個の記事に調べ物が増えたおかげで(煉瓦建築の背景や歴史調べなどで)
とうとう4~5日に一回更新って感じのゆる~い更新頻度になっちゃいましたなあ^^;
でもまあ~1記事1記事大切に作っていきたいのでこれからもこんな感じだと思います^^
さてさてさて、
実はサブブログの方も丸4年なのかな。
ψψ2枠の悪魔ψψね^^
今あるサブブログ2枠の悪魔は二代目で一回全部削除したので、全部合わせると6年になるのかな^^
月に一度とかだけどねw
実はそっちの記事の『ある記事』がボクの記事では最高アクセス数でもあったりする。
それはーーー
自分の地元をかつて襲った狩野川台風の犠牲者たちを葬る為に作った臨時火葬場のお話。
(アクセス10000越え)
廃村さーくるにもちょこちょこ登場したリンダが番外編として登場したエピソードでもある。
その記事内にも記述しているけれど、ボクとしては特別大事にしていたお話でもあったんだけどメインブログで火葬場の話はなあ・・・ってことでサブブログでこっそり書いた話でもあります^^
機会があれば是非どうぞ→心霊研究部番外編vol①韮山廃火葬場跡・狩野川台風の犠牲者たちへのレクイエム
世界文化遺産登録での韮山反射炉で一躍脚光を浴びた伊豆・韮山だけれども、
同じ韮山でもこういう場所があるんだと知っていただけたら幸いです^^
さてとこれで一通り10周年の回顧録は終ったかな?
ほんとはもっともっと紹介したい記事とかあったよ^^
三十路を過ぎた雛祭りのお雛様の頑張り物語とか、島旅裏エピソードとか、記事にはアップしてないけれど嫌なこともあったんだよとか色々ね。
でもまあ長くなるのでやめておきます。
それだけ10年って長いってことかもね。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
ブログの更新頻度は下がったけれども、やめる気なんてさらさら無いからなw
下手したら、いつか自分のお店を出した時に『宣伝と言う武器』にもなるとも思うし、もったいないもんw
現金な話ねw
ココまで来たらおじいちゃんになっても続けていくつもりなのでーーー
これからもよろしくおねがいします☆
ちなみに煉瓦ばっかりの昨今。どう考えてもオイラの記事ってネットコミュニティーカテゴリーじゃねえよな?ってことで、
趣味・カルチャーカテゴリーにこれを契機に変更したんだけど、
40位だってよw
趣味・カルチャーカテゴリーは層が厚いわよねw 皆さんプロ顔負けの趣味人ばかりだし^^
まあ気楽だしいいのだけどもうちっと上の方に行けるように頑張ろうかな(欲望)
さて次回は群馬県伊勢崎市の煉瓦遺構のお話の続きです^^
この街のかつてのシンボル的存在と出会いがあったエピソードでしょうか。
気になる方は覗いてくださいな^^
ではではごきげんよう☆
第743話 『2014 ラストオーダー』結構行ったよね!色々なとこ^^&いつかはあなたの住む街へ行くかもしれません☆ [思い出パート]
『思えば今年も色々なとこへと行きました^^』
家に引きこもってもブログは書けますが、行って良かったことばかりです^^
また、新しい発見ばかりでもありました☆
元々そこまでお出かけするブログではありませんし、
どちらかと言うと出不精のオイラでしたが、
廃村さーくるのロケハンがてら、いつのまにやら随分と出かけることが多くなりましたね。
ま、そんな来歴を今年最後の記事として綴ってみたいと思います^^
ではではラストオーダー。始まります^^
要するに今年の旅の総括ってことね
この時期お約束というか安易な記事っすね
安易とかゆーなやw
そういえば有馬記念どーしたんだよオッチャン
ファイナルSはばっちり取ったぞ!(コーリンベリー流し)
(外れたんだねw)
ま、それは置いておいて行くぜ!
まずは今年初っ端の旅と言えばコレだよな^^
鶏飯?
奄美大島旅行ですな^^
正月旅行は奄美大島~加計呂麻島だったよな^^
鶏飯ばっかり食ってたよマジで(お気に入り☆)
さて次行くゾイ。
ちょっとまてやオッサン。こんな写真しかねーのかよw
記事長くなっちゃうからしょーがないでしょー☆
でもほんとに面白いとこだったよね。でか過ぎて周りきれなかったのが悔しいがw
本当でしたらリベンジで今年もここに行く予定だったんですけどね^^;
うわ・・・すっごい廃墟っすねここ^^;
ここは確か秩父の鹿の湯旅館でしたよね。
そう。ここは雪もまだバリバリの季節に出向いたんだよな^^;
正直、廃墟というか瓦礫と化していた。
実質、廃墟らしい廃墟探訪はこれが最後かもしれないね。
ここからは煉瓦色がより強くなる旅路へと変わって行く事になった^^
ここは深谷市の櫛挽の弾薬庫?跡だったかしら。
秩父と同じ日だけれども一応ね^^
ここに訪れた後、カメラを落っことしちゃってねえ・・・結果としてブルーな旅路でもありました^^;
ううぇあああ^^; なんすかこれ^^;
これは朝霞のりっくんランドに出向いた時の写真だ^^
YUTAじいさんさん達と巡ったプチオフ会だったね^^
この時は雪も凄かったわよね^^;
なんせ40数年ぶりの関東の大雪でしたからね。
そして本邦初公開になるかな?
当時の記事では画像を加工してお送りした浦賀ドッグ編☆
うっは!めっちゃ煉瓦やんけ
ここは教授3(駅員3)さんと出向いたんだが、圧巻だったよ☆
この時、浦賀ドッグの外壁に煉瓦の刻印を発見しなかったなら、
ボクはきっとここまで煉瓦刻印に嵌ることはなかったと思うよ^^
教授3さんと外壁にぶら下がって探したら見つけちゃったのよね。煉瓦の刻印。
レアキャラ見つける楽しさと言う魔力にとり憑かれたわけですよ^^
さて、次は久しぶりの島旅?になるのかな。
館山・沖ノ島編ですな。
無謀にも塹壕にはいっちゃったのよね・・・
ここは正直、自分の無謀さに反省だったな。
下手したら帰って来れないパターンだってあったわけだし^^;
ただ、ここでは塹壕への知識と、冬場限定で運行する高速船があることを知った。
おかげで行動範囲は益々選択肢が増えたんじゃないかと思う旅路でもあったかな^^
この煉瓦の堤防は、羽田・大田区の煉瓦堤防だね^^
ここはほんと思いつき(酒の勢い)で、寝ないで遊びに行きましたw
当初、行く気はまったくなかったんですが、羽田空港のリムジンバスに酔っ払って乗っちゃったのよねw
ここは横須賀・夏島っすね^^
初めて単独で市や町の主催する限定イベントに申し込んで突入した場所でした^^
とは言え去年、教授3さんと一緒に参加した猿島の時にいらっしゃった地元の先生とか居たので(たまたまだけど)
安心でしたけどね^^
廃村さーくる記事としてはここが転換期でしたな。
主人公の夕実ちゃんと琴音ちゃんが廃墟から古煉瓦へとシフトする節目のお話でもありました^^
桜の季節には、予てからWEB上でお付き合いのあるorangeさんの関東上陸を契機に
新宿御苑での『お花見オフ会』に参加したんだよね^^
また来年もやる予定っすよ~♪ 皆ぜひとも参加してねっ!
ここはアプトの道にリベンジしたお話だったわよね^^
基本的に飽きっぽいし滅多に再訪しないオイラですが、
煉瓦がゴロゴロしてたよな?刻印煉瓦もあるんじゃね?ってことで、刻印探しにリベンジしたお話かな^^
行ってビックリだったよね。
まさか火災で行こうと思ってた温泉施設が営業中止してたとは知らなかったからさ^^;
刻印煉瓦的にはそこそこ収穫はありましたね^^
探しきれてないとこもまだまだあったけどな^^ とは言え新たな発見もまたあった旅でしたっす^^
えっと・・・この写真だけじゃワタシ、さっぱりどこに行ったのか思い出せないんだけど^^;
これは自分の地元・草加市のお隣『川口市』へ煉瓦探索に出向いた時のフランス積み煉瓦壁の写真だね^^
この時から近隣の煉瓦の検索に勤しむ様になったかな。
埼玉県の近場の市町村1個1個にも煉瓦の痕跡がたくさんあることを知った、結構収穫のある回だったとも思います^^
なんすかこれ?
これはお城の石垣刻印のお話でしたよね。確か皇居(北の丸公園界隈)に出向いた奴ですか。
そうそう。・・・実は煉瓦以外にも刻印があることを
ブログのコメント欄で知ったのだ。
johncomebackさんのコメントで『お城の石垣刻印』が存在することを知ったオイラは、
なんですと!? ならば早速それを探してー!と、ご近所の皇居へと探しに行ったのがこのお話だよね^^
ここは用宗・大崩海岸の崩壊煉瓦トンネルね^^
新キャラの坊勢さんが登場した回でもありますな。
死んでる猪さんに遭遇したのもビックリだったすよね^^;
地元県の静岡に、こんなすんごいとこがあるなんて知らなかったぜ!とビックリさせられたとこでもある。
ここは中々見所満載だったよなあ~^^
さて、ここで毎年恒例の例の奴が登場です!
毎年ゴールデンウィークの前後に開催される『駅員3さんのBBQミーティング』よね^^(第3回目)
毎年参加してるのだが、ブロガーさんが連れてくる子供さんの成長の早さに毎度毎度驚かされるんだよねえ^^
去年はあんなに小さかったのに、今年はボクとかわらねー背丈だったり、
去年は河川敷で一緒に無邪気に水切りして遊んでた男の子に、
『ちょいのりさんも大変っすね^^;』とかふと同情されたりとかな・・・
おっちゃんはまるで変わってないってことっすねw
でも良いわよね^^ WEB上だけのお付き合いだけではなく、実際に言葉を交わして集まるイベントってのは^^
来年もやれたらいいなあ~☆
勿論全力でサポートしますので、興味ある方・参加したい方は是非ともどうでしょうか^^
えっと・・・ここなんだっけ? ちょっと印象薄いかな^^;
ここは川崎の煉瓦堤防だな^^
川崎にかつて有った煉瓦工場を探しに行った話しだったよね。
とは言うものの・・・
結果的には見つからなかった。
でもホームレスさんの事情とかアングラな歴史を垣間見れた回でもあったね^^
ここは煉瓦の古道編で訪れたお話よね^^
栃木県・野木町の熊野神社ですな。
迷子になってたら、日本の古煉瓦では屈指の最重要ポイント
『ホフマン窯四天王のうち1つが、シモレン』に到着しちゃった回ですね^^
これもまたこの画像だけじゃどこに行ったかさっぱりね^^;
これは土砂降りの中出向いた『島村の渡し』の回だね^^
利根川河川敷の中にかつて有った幻の集落へと煉瓦探しに出向いたやつ^^
ここでは煉瓦の神社とか色々発見があった☆
そして、教授3(駅員3)さんとの恒例の旅路を迎える。
『八つ沢発電所遺構群・山梨編』の第三水路橋ですな^^
ここはビビッタなあ・・・
群馬碓氷のメガネ橋最強!って思ってたんだが、まさかこんな立派な煉瓦構造物があっただなんて・・・と、度肝を抜かされたよ^^;
煉瓦の世界もまだまだ奥が深いと言うか広いわよね^^
そしてここいらへんからいよいよ季節は夏へと向います^^
suzuran6さん主催の『鱧しゃぶ☆』
念願だったのよね。この鱧しゃぶオフ会に参加するの^^
最高でしたぜ!
来年もあるかな? その時は皆様も機会がありましたら是非ともいかがでしょうか☆
そしてそして。
我が居酒屋けいばで島旅・煉瓦と並んで一大イベントのアレの季節がやってまいります!
夏休みの時期と来れば、もうコレしか無いわよね^^
正直、このイベント記事のおかげで居酒屋けいばと言うブログのアクセス数は下支えされてますなw
その一大イベントはコレだ↓
『かんなみ猫おどり』っすね^^
地元、静岡県は函南町の最大イベント『かんなみ猫おどり』
猫のコスプレをした老若男女(舌噛みそう・・・^^;)が一体となって盛り上がる、
最高にして至福のコスプレ祭りだw
小さな小さなお祭りだったのに、今や静岡県東部では大きなお祭りになったわよね^^
毎年毎年素敵な出会いがあって楽しいぜ!
いかがでしょうか?
来年もまた参加する予定ですので、興味ある方は是非とも参加してね☆
いや、参加しろやああああ!w
そして夏休みを過ぎた頃。
ようやくボクは会社の夏休みをいただける(しかも4連休)
つまりは恒例『島旅』です♪
今年は当初『北大東島』へと向う予定でしたが・・・
(※ 北大東島とは、沖縄県のずっと南の島)
台風の影響でお蔵入りの憂き目に会うことに^^;
まさかの旅先変更だったわね今年は^^;
急遽の旅先変更で四苦八苦。
そうして新たに目指したのは太平洋から日本海へと矛先を変えて
なんと神々の発祥の島々だった。
島根県は『隠岐諸島編』
あ、神社のおじいちゃんに貰った手ぬぐいと缶コーヒー・・・
毎回毎回島旅してて思うのだが、またここでも島の人たちの『ふれあい』『やさしさ』に心打たれることになる。
やっぱり島旅はどこ行っても忘れらんねーよ!
シャイでこちらから話しかける勇気なんてもってない臆病者なのに、
それでも温かく迎えてくれる人が居る。
島旅最高!
行き先は余儀なく変更されちまったけれども、楽しい嬉しい温かい島旅旅行になったよね^^
えっとここは?
栃木の列車の廃墟でしたっけ?
ここからいよいよ秋を迎えた頃になるかな?
栃木県に東北本線旧線跡を求めて旅立ったわけだけれど、
そこで偶然にも列車の廃墟群に遭遇することになった。
煉瓦跡探しだったけれども、これはこれで大収穫?だったなw
久しぶりの廃村さーくるらしい旅路でもあったしね^^
まあとにかくこの記事のロケハンはすげー歩いた^^;
(※ 悲しいのは後日、このお話で散策した河川敷にペットショップの犬猫が大量に廃棄されたって事件を聞いたのがねえ・・・)
そして里帰りついでだったはずなのだが、
煉瓦探索としても地元新発見としても『非常に意味のある旅』を迎える。
何ソレ? そんな重要な話しあったっけ?
うん。それは静岡県・河津町にある
『煉瓦の洞』だ^^
韮山の反射炉を筆頭に、
『なんでオイラ、こんなにも地元の話を知らなかったんだろうか!』と、
思い知らされた回でもあるし、
『日本の煉瓦のルーツがここに凝縮されていたのを知らなかった』ことに後悔と、
そして
『地元にある歴史的遺構への誇らしさ』を感じた回でもあったんだ^^
(※ この煉瓦の洞シリーズは非常にアクセスも多いし、また、知ってもらえたことに喜びと感謝が絶えないお話でもあります^^
改めてありがとうございます^^)
晩秋の頃に訪れたお話よね
ビックリするぐらい真っ暗でしたなw
時刻的には4時過ぎくらいだったんだけど、山陰だし日が落ちるのも早い季節だったし、
本当に難儀した話だったなあw
なにより鹿との遭遇よりも猪が出る土地だったから怖かったのを覚えてるよ^^;
とは言え大変勉強になったと感謝もしています^^
ここは『山葵丼』のリベンジも兼ねて、もう一度再訪したい場所ですね^^
ま、数年後に『今までずっとずっと温存してきたブログの新シリーズの物語』で使う予定ですけどね^^
なにそれ^^;
地元の伊豆を舞台にした物語は常々考えていたのだ^^
伊豆の遺構を紐解きながらお話を作ってみたいなあ~と、ノベルゲーを作ってた時から脳内に思い浮かべてたからな^^
さあ、季節は初秋から晩秋へと向います。
秋中盤に出向いたところはーーーー
近隣の町である東武動物公園界隈・杉戸町の河川敷の煉瓦遺構。
ここでは煉瓦遺構そのものよりも、途中で出会った不法投棄物に憤りを覚えたお話でもあったかな^^;
あ!このおじいちゃんの後姿は覚えてるわよ^^
中小坂鉄山跡編ですな^^ この後、夜の富岡製糸場に出向いたりとチグハグな旅路でしたよねw
地元のおじいちゃんにはメッサお世話になった話だったなあ~♪
元々ここは先の煉瓦の洞からの流れで出向いたのです。
古煉瓦のハジマリ=反射炉
その流れを調べていくうちに、耐火煉瓦と中小坂鉄山跡に到ったのですよ~^^
下仁田の自然・歴史・煉瓦。
小さな片田舎にもまた、ものすごいストーリーが眠っているんだと思い知らされた旅路でした(田中角栄さんが鉱山で働いていたとかね^^)
ここは栃木・足利市『トチセン』のノコギリ屋根ですね^^
足利市文化財一斉公開日なる素敵なイベントに遭遇した回だったよな^^
本当はじっくり周って見たかったが、
休みを取れなかったので出勤前に遠征した、結構ハードな日でしたねw
でも収穫あったよ~♪
ちなみに本編では書いていませんが、実は出勤前なのに
電車でお酒飲んでたりしますw
仕事前に飲みますかね本当^^;
時効です☆
ここは京都水路閣近辺の紅葉のトンネルですな^^
東京・大阪混合大規模ソネブロオフ会に参加した訳だけれども、
水路閣・ねじりまんぽと、煉瓦マニア垂涎の回だったね(オイラだけかw)
というか、かつてのオイラだったら絶対『参加してなかった』
そうよね^^;
交通費考えても『日帰り京都遠征』は昔のご主人様的に無理な話でしたしね^^;
正直最近は日帰り旅にグリーン車使ったりビックラするくらいっすよw
それだけ仕事が充実してると察してください。
忙しい職場ではありますが、仕事に生きがいを感じてる。
そう思っています^^
(※ ブログの更新頻度は減る一方ですが、生活面は充実してる。なんかそんなとこっす^^)
ココまで来ると本当最近ね^^
羽生の『おばけトンネル』の話しよね^^
正直言うと、ここもまた酒の勢いの思いつきでフラフラ~っと出向いた話しだったりするw
特にここへ行こうとはそこまで思ってなかった^^;
でも行ってみてびっくりした。
得る情報見る情報全てが身になった^^
自分の住んでる町・自分がしょっちゅう利用している駅・路線の歴史がこんなにも面白く、
そして煉瓦と関わりがあったとは・・・と思わされたお話でしたよ^^
何にも無いとこを延々と歩くこともあるよ?
時には『何で休日にこんなとこ歩いてるんだろうな~俺^^;』とか、
『ブログ記事の為に散策してる自分ってなんだろうな・・・』なんて思うことも勿論ありますよ。
でもね
無駄だった旅とか散歩なんてひとつも無い☆
絶対無い!
そうボクは思います^^
さあ、いよいよ後数日で来年です。
来年もまた歩くし訪れるでしょう。色々な所に^^
気分は昔の女の子アニメ『花の子ルンルン』です^^
主題歌の歌詞じゃないですが、
『いつかはあなたの住む街へ、行くかもしれません☆』
正月旅行は『in広島』
島旅も煉瓦も待っています。そして上の↑画像にあるように新兵器もクリスマスプレゼントで購入です。
気になる方は待っていてくださいね^^
そうでない方はそれなりにw(写るんです)
ではでは今年最後の最後のご挨拶。
皆、OK?
せ~の!
今年もお世話になりました!
来年もよろしくおねがいします☆
ネクスト『世界で一番有名な煉瓦編☆』でお会いいたしましょうず^^
PS 年賀状書くの諦めましたw
第721話『おばあちゃんと週刊新潮と三ツ矢サイダー』お墓参り&金町煉瓦工場跡?&閘門橋 [思い出パート]
『手を挙げて横断歩道を歩いてた期間って、とても短かったような気がします』
そう。子供の頃。それも低学年の時期までだったような。
大人になった今、手なんて上げて渡りゃーしませんです。
なんかハズカシイしね^^;
散歩の間に見かけた黄色い帽子を被った学童を見たとき、ふと思ったことなのであんまりキニシナイデくださいw
でも、集団登下校でもなく、
小学生の男の子が背筋をピンと伸ばして手を挙げてまっすぐ横断歩道を歩いてたの見かけたらなんかかっこいいしほほえましかったなあ^^
信号も無い交差点だったけれど、止まってくれた車の運転手さんもなんだかニッコリしてましたよ^^
まあ、本来この横断歩道で手を上げる意味合いは
『体を大きく見せ、運転者に自分の存在をアピールする為の行為』だし、それは小さい子供達だからこそなんだけれどもね^^
ボクも背格好低いんだしやったほうがいいんだけどねーw
さて、自分の誕生日でお騒がせが色々と御座いましたが・・・(ホント申しわけないです^^;)
自分の誕生日の翌日が休日でしたのでお出かけしてきたんです。
ある人に『バカボンのパパと同い年になっちゃった^^;』って報告しに出かけましたですよ~^^
ある人ってのはあの人です^^
第721話、9月末日の晴天の日の物語、スタートです。
京成・・・臼井ってどこやねんな?
簡単に説明すると千葉県だ。
もっと分かりやすくいいますと、
ミスタージャイアンツ!長嶋茂雄さんの出身地だ(現・千葉県・佐倉市)
なんでまた誕生日の翌日に埼玉から千葉県へ?マジで~
煉瓦ちゃん探しに?
いや違うよ^^
実は、大好きなおばあちゃんのお墓参りにやってきたってだけだ。
ボクの誕生日に、おばあちゃんの命日が近かったってこともあって、
『おばあちゃん^^ また1つ歳とっちゃったよ~』って報告に行って来たんだ^^
おばあちゃんの長兄方のお墓が千葉県で、そこに眠ってるから、そこに行って来たのさ。
・・・一昨年亡くなったおばあちゃん。
ボクにとっては初めてといえる身内の死だった。
父方のおじいちゃんおばあちゃんとか、
親戚のお葬式は幾度とあったけれど、ボクの実家で一緒に暮らしているわけでもなかった。
だから身近な感じがそこまで無かった。
でも、
母方のおばあちゃんはボクの実家に中学校くらいから同居することになったんだよね。
(長兄家族もいるのに何故か次女であるオイラのお母さんの家にね^^ 事情は知らないよ?でもうちに来たの。---嬉しかったな☆)
というかボクのおばあちゃんは、お父さんには悪いけれど、母方のおばあちゃんだけだ。
(お母さん。この記事を見てもお父さんには言わないで欲しい)
ボクの名付け親はおばあちゃんだしね。
いとこ含めて彼女にとって一番最初の初孫がボクでもあった。
どんなにどんなに可愛がられたことか(母親や父親に怒られるおばあちゃんも良く見たよ。オイラを甘やかしすぎだってさ)
一昨年のおばあちゃんの死には震えた。絶望した。泣いた泣いた泣きじゃくった。
人生でこんなにケモノのように吼えて泣いたのは、
おばあちゃんの死を母親から『おばあちゃん、死んじゃったよ!』って電話を聞かされた後と、
昔の彼女が血液のガンになった時に、
『私と別れてもらえますか。あなたには未来があるから・・・』って泣きながら言われた時くらいだ。
普段おちゃらけてるけど結構ヘビーなこともあったんすね・・・。
まあ人間生きてれば色々あるよな。
ま、それはいいのだ。
ずっとずっと頑張るわけにはいかないが、たまに思い出し、自分を時に戒めて生きていくのもまたアリじゃねーかな^^
ま、マジな話はここで終りだ^^
ということで去年以来、久々にこの千葉県佐倉市臼井にやってきたのだが・・・
去年は大失敗?だったのだ。
何が大失敗?
この京成臼井駅からおばあちゃんが眠ってるとこまで去年は歩いて行ったのだが・・・
結構遠い^^;
タクシーとかバス使えばいいじゃないのさw
そんな高貴な乗り物にオイラが乗るわけ無いだろ?(お金かかるしw)
っつーことで、今年はもう少し考慮しておばあちゃんに会いに行ったよ☆
久々の登場っす!オイラが相棒
『キックスケーター君』です♪
新潟・粟島編か・・・群馬・赤城山以来・・・ですかね?
41のおっさんがガーガーとキックスケーターを唸らせて進むのも結構ハズカシイんだけどな^^;
でもやっぱ
速いんだよ~♪
折りたたみ自転車までとは言わないが持ち運びも便利だし、
坂道をうまく利用すれば『上りはハードだったとしても、下りは徒歩の数倍』っす!
(赤城山横断の時は徒歩なら半日掛ったはず。でもコレで数時間で済んだ)
ま、そーいうことで、
去年の三分の一の時間で目的地に到着っす☆
『千葉県・佐倉市・萬福寺』
云われはわかんないけどお腹が膨れそうなお寺さんだよなw
一年前とは違って、なんかやたらと改造。いや工事してたなあ。
まあいいや。オイラはキックスケーターをコンパクトモードに畳んで肩に担ぎ上げ、
おばあちゃんの眠ってるとこへ向う。
向うが・・・
同じような区画で、えっと・・・おばあちゃんのお墓ってどこだっけ?と迷う。
大きな墓地だと良くある話よねw
まあ~それでも、おばちゃん愛ですよ。
数分かかってやっと見つけた^^
数分もかかるのかよw
93歳というおばあちゃんの長い年月、生きてきた証しに改めて度肝を抜かれる。
93年間の生涯ってやっぱすげえよ!
浅草に生まれ(実は最近まで知らなかった。千葉か茨城の出身ってずっと思ってた)
関東大震災を経験し、
戦争を経験し、若くして旦那さん(おじいちゃん)も失った。
都内で下宿を営んで学生の世話もした(東村山)
アニメや漫画のめぞん一刻みたいなこともしてたんだな^^
静岡県は伊豆にやってきた経緯を知らないけれど(いや聞いとけよオレ。少なくともお母さんに聞いとけよオレ)
そこで旅館に住み込みで勤めたおばあちゃんだった。
長男や娘(オイラのお母さん)の子供達に、
おこづかいをあげるのが趣味だったんじゃないかと思うくらい、自分のことには全然お金を使わない人だった。
後年、聞けば
孫・息子・娘たちそれぞれの貯金に全部費やしてた・・・と聞かされた。
おばあちゃんがボクや従兄弟の為に貯金を積み立ててたのは大人になってから知ったことだ(従兄弟6人どころか他にも・・・)
お金とかそういうのは置いておいてさ・・・
オイラは甘えてばかりで何か感謝したのか?と今更ながら思うのだ。
ぶっちゃけおばあちゃんに何かしてあげた記憶あんまりないし。
ーーー葬式の時、おばあちゃんの妹の長女さんが
『孫の顔を見るだけで嬉しい人だったんだからいいじゃない』って言ってたけど、
オイラは・・・納得していいのかどうか。
答えは無いわよね。でも後悔するより感謝するべきかもね^^
そうだな。もう感謝しかねえ。
後悔しても何もねえ。ありがとうおばあちゃん!
惜しむらくはもっともっと色々お話聞きたかったってとこだな^^
(※ちなみにこのおばあちゃんの妹の長女さんは、オイラの眉間のシワを1つを見ただけで、オイラの現状・境遇を一発で解き明かしてしまった恐るべき人だ・・・
初めてビビッたよ・・・。
こんな占い師みたいな人^^; 一昨年、20年ぶりくらいに会ったのに私生活の様まで全部当てるんだもんなあ・・・)
ようやく辿り着いたおばあちゃんの墓前。
オイラは三ツ矢サイダーをお供えした^^
なぜ三ツ矢サイダー!
三ツ矢サイダー好きなの?とは聞いた事は無い。
でも、おばあちゃんはオイラがコンビニに行こうかなあ~って言うと、
『じゃあ~三ツ矢サイダーと週刊新潮をついでに買ってきてね☆ はい、これ』と、多めにおこづかいをボクにくれた。
余った小銭は好きなもの買っていいってサインだったんだあ^^
いつもそうだった。
だから多分・・・三ツ矢サイダーが大好きなんじゃないかなあ^^
週刊新潮は買ってこなかったけれど、三ツ矢サイダーをお供えして近況をご報告^^
『おばあちゃん、あのね^^』と、たくさんお話してきましたよ^^
まあ今回はここで終ってもいい記事でもあるのですが、
そのあと色々寄り道してきたのでお付き合いください^^
何しろ良い天気の日だった。
臼井駅にUターンする道すがら、
カワセミちゃんにも出会ったゾイ^^
(カメラにはおさめられなかったけど)
この日、せっかく京成電鉄に乗って時間も余ってたので帰り道、
予てから気になっていた『金町』というとこに寄り道してしまいました。
東京下町って感じのとこですな^^
何しに行ったん?
うむ。実は東金町8丁目の江戸川沿いにはかつて
『金町煉瓦工場』という煉瓦工場が存在したのだよ^^
結局煉瓦じゃねーかw
っつーわけで痕跡でも残って無いか調べに、レッツゴーインゴー!でやんす^^
水元公園までやってきた。もうちょっと行けば目印の旧金町関所跡(写真撮るの忘れた)
そこから土手を登った江戸川河川敷一帯に、かつて工場があったらしいんだが・・・
それらしいものは何もなかったな^^;
ねーのかよw
あったのはホームベースくらいです。
(※ 明治21年創業。大正5年に江戸川大改修の為埼玉県八潮市に金町工場は移転。
大正7年、渋沢栄一の斡旋で日本煉瓦と合併。
江戸川河川敷の改修もあり、当時の面影は何も残ってないそうだ。
もしかしたら河川敷や川底に何かが残ってるやもしれませんがね^^)
で、このまま帰ってもいいかなあと思いましたが、ココまで来たなら『アレ』を見に行こう!と閃いたのだ。
その『アレ』というのは、先ほどの水元公園の北口?付近にあったはずだ!
夕暮れの中をガーガー言わせつつ駆け抜けるオイラ。
公園内だからキックスケーターもそれほど恥ずかしくない^^
でもなんだかんだ水元公園ってのは無駄に広いw
『アレ』に辿り着くのに30分くらいかかっちゃった^^;
えっと・・・橋?
逆光でよくみえないっす^^;
ですよねー^^;
ということでもうちっと光を抑えて撮影です。
それがコチラ↓
こうもんばし?
なんかお尻がウズウズしますね!
しないから。
見た感じ煉瓦のアーチ橋ってとこですな。
明治43年に建設された煉瓦造りのアーチ橋だ^^
東京都内に現存する煉瓦式アーチ橋はここしかない。
そして面白いのが3連アーチに見えるだろ?
3連・・・じゃね?
写真の撮り方が悪いから見えないけど実は4連アーチなのだ。
そしてこの裏側(下流側)から見るとなんと6連アーチなのだ☆
え?どーゆーこと?
水圧分散なんだろうな。今は歩行者や車のための通過橋だけれども、昔は樋門だったのだ
(※ ゲートを閉じたりして水路が洪水・増水した時に住宅地への水の流入を防ぐ門。小さな水門みたいな感じかな^^)
水が吐き出る部分が小さいほど、人力によるゲートの開閉の負担も減るだろうしね^^
実際、結構珍しい橋でもあるそうだ☆
煉瓦の積み方としてはーーー
ちょっと待った!私もオッサンの記事見てきて段々分かってきたから言わせてマジでw
はいどーぞぎゃる魅さんw
これはイギリス積みですな。
なんでダディーが先に言うねんっw
小さい面だけのラインと長い面のラインが交互に積み重なってるから多分そうだろうな^^
ちなみに『こうもんばし(漢字で書くと閘門橋)』には、先ほど痕跡を見ることが叶わなかった『金町煉瓦工場』の煉瓦が使用されているとのことです^^
じゃ、せっかくだし逆側(下流側)も橋の上から覗いて見ようか^^
なんか全裸のおじさんが棒もってりゅ!
いや全裸じゃないから^^;
このブロンズは何を表してるのですかね?
これは先ほどもちょっと言ったように、この橋は元々樋門だったわけだ。
木の板なんかをゲートとして落とし込み、水の流入を調節してたってこと。
その作業風景を模したものだと思うよ^^
(※ 昔は木の板・ゲート等のことを『角落とし』と言っていたそうです。その角落としの風景なんだろうね^^)
流石に全部が全部、当時のままってわけでは無いです^^
欄干や煉瓦上位部などは後々に改修・増築されたものだそうだ。
水門としての価値が薄れてから、壊してコンクリの橋にしても別に良かったはずだよ?
でも有効利用して存続してるんだよね^^
こう言う古きを取り込み現代に利用するってのがオイラはたまらなく好きだぜ☆
刻印とか探さなかったの?
こんだけ補修されてると、そうそう刻印面のある部分なんて見えないよw
・・・・・・アレ?
わたくしちょっと気になったことがあるのですがよろしいですかな?
ん?どーしたのよシマウマ君。
ご主人様って昔、ここに来ませんでしたか?
するどいね^^
うん。実はココ、ブログでも一度来てるはずなんだよ。
来てるはず???
この『居酒屋けいば』ってブログを初めて間もない頃だったかな、
競馬で小銭を稼いだんですよ。
当時、車も手放し原付も手離していていたもんだから『歩き以外の交通手段欲しい!そうだ自転車にしよ。健康的だし☆でもどうせなら折りたたみ自転車がいいなあ~』
って思ってさ、折りたたみ自転車を競馬の儲けで購入したのだ^^
それで初の遠征をしたのが水元公園であり、
その記事の冒頭で川を眺めてる場所こそが『閘門橋』の上だったんだよね~^^
その記事はコチラ→ 『20㌔走行ダイエット+マイナスイオン』
2005年の10月31日の記事だ。
当時は煉瓦なんかまるで興味なかったものねw
っつーか9年前の記事かw
そう思うと人の趣味と言うのは面白いもんだなw
個人にも流行り廃れの物語が年数を得れば得るほどあるってことですよ^^
さあ~今回の記事はこれでオシマイです。
なんでもないお墓参りとお散歩のお話だったのですが、書いてる本人は結構おもろかったっすw
次回記事も実は近所のお散歩話だったりします。
また散歩話しか! ・・・そろそろ遠出の話しも見たいにゃ^^;
宇都宮シリーズは9月2日の休日の話しだったんでしょ?
うむ。実は体調不良や仕事の多忙もあってこの一ヵ月半はほとんどお出かけして無い^^;
(あまつさえ台風が休日に重なったりな!今週もドンピシャだよ!たくう・・・^^;)
でも、仕事面では嬉しいサプライズがありました☆
サプライズ?
ソネブロでお世話になってるYUTAじいさんさんの息子さんが、今オイラの職場に助っ人として来てくれてるのだよ^^
おかげでめっちゃ助かってますです♪
ありがたいわね~☆
ブログの繋がりに感謝せねばなりませんな!
いや本当そう思うよ。ブログやってて良かったなあ、ブログで色々な人と出会えてよかったなあ、ブログでお付き合いの輪が広がってよかったなあと心に沁みてますよ^^
とにもかくにも息子さんに口利きしていただいたYUTAしいさんさん誠にありがとうございます☆
ま、仕事面・生活面で色々と助けられたにも関わらず、
今日はタイトル絵も描かず、皆の記事を見に行かずに
たっぷり寝ようかと思いますw
時間的・体力的に余裕出来つつあんのに寝るのかよw
みんな台風気をつけてね☆
誤魔化しやがったw
第617話 『二十年来のレユニオン』同窓会&アンタダレダッケ? [思い出パート]
『えっとォ・・・誰だっけ?』
ーーー時の流れは
"残酷”だったりします。
辛い思い出・悲しい思い出は時と共に薄れていって、人にやさしくなることもおありでしょう^^
・・・でも、
流れた年月が過ぎれば過ぎるほど残酷なこともあったりもします。
自分の記憶力を恨めしく思うか
加齢による脳の劣化を憂うか、
それとも記憶を繫ぎとめておくことが出来なかった付き合いの無さを嘆くのか。
いざ、それを試させる時がボクにやってきたのだ。
第617話、スタートです^^
っちゅーことで、成人式以来の同窓会に参加してきたよ~^^
ということは20年ぶりってことっすよね・・・
なんでよ?もっと頻繁に地元の人と懐かしんだり語り合ったりする機会がもてなかったの?
む~ん・・・。実はちょこちょこと小規模な同窓会はあったらしいのだが、
お誘いの葉書きは実家には辿り着いても、自分のところまでは中々情報が届いてなかったようだ^^;
『どうせ行かないんでしょ?』と、実家に帰ったときに初めてお母様に知らされるなんてケースもあったしな^^;
お母様のせいにしては行けませんね~。
結局はご主人様に『同窓会に行こう!』って気概があったのかどうかです。
まあそうだな。正直、参加したいとかあんまり思ってなかったように思うよ^^;
勿論、地元の子っちと久しぶりに会ってみたいなあ~とは思うけれども、
自分の今の生活>過去の友達達と会う
って感じだったね^^;
自分の今を優先ってことかね。
・・・ま、そんなオイラではあったけれど、
『20年来という節目』でもあり、『中学校の同窓会としては成人式以来の大規模な同窓会』という、
だったら『行ってみようじゃないのさー!』ってな感じで、参加しますと葉書きに返信のマルを書いたのが今回の同窓会の成り行きです^^
---10月某日。同窓会予定日。
オイラは店のスタッフさん達に協力してもらって、居酒屋では稼ぎ時でもある土曜日にお休みを頂いたのである。
冗談半分にだけれども、くそ忙しい土曜日を休ませる替わりに
『ある条件』をみんなに突きつけられたのだ。
条件?
うむ。笑顔でみんなに『同窓会で嫁を探して来い』とな^^;
・・・あまつさえマネージャーさんからも
『合コン・・いや同窓会・・・期待してますよ^^』という
なんか謎のプレッシャーをかけられたんだがあ^^;
まあ・・・なんか武勇伝と言うか、ひとつの土産話でも持って帰ってこないと休ませた意味が無い的なことなんでしょうねw
同窓会に嫁とか武勇伝期待されても、コッチが困るぜよw
ま、でもでも、昔好きだった子に会えたりなんだりしたらいいよね~とは、やっぱりボクも思ってたりしましたよ~^^
ーーーということで、
某日を迎えたのだが・・・
目を覚ましたら『同窓会開始時刻の1時間半前』だった。
一時間半前!?
実は『今日は休みだ!嬉しいな♪』と深酒してて(たぶん・・・午前10時くらいまでリーガル・ハイの一期のダイジェストを見つつ飲んでたw)
起きたら夕方4時だったw
アホすwww
ええっと・・・確か『静岡県は三島に5時半には』着いていないといけなかったんじゃないでしょうか???
あんたが今居る『埼玉県は草加市』からじゃ・・・
どう考えても無理な時間よね!www
正直行くの止めようって思っちゃったw
とは言え・・・せっかくお店のスタッフに申し訳ない^^;とお願いした同窓会。
だからボクは幹事さんに一時間は遅れる旨をメールして、家を飛び出したのであるーーー
なんとか走りまくったおかげで、ギリギリ一時間遅れくらいで済みそうな新幹線に乗れることができた。
ちょ、ちょちょちょちょ!?
あんた、いつも新幹線に乗る時は『100パーセント、アルコールを飲む』人間だったのに、
アルコールが無いとは珍しいw
二日酔いに決まってるだろうがw
---さすがに飲めねーよw
ま、そんな感じで大幅に遅刻しながらもようやく会場に到着したのだよ。
頭がちょっとばかし痛いのはご愛嬌。
久しぶりの中学校の同級生と会うってんで、会場受付までのボクの心臓は、けっこーバクンバクン波打っていた^^
そして受付まで到着。
『ああー!? ちょいのり君久しぶり~☆ 来てくれたんだねアリガトウ^^』と、受付を担当していた彼女に、
中学校3年の時に一緒だったクラスメイトの女子に言われたのだ。
その容姿は20年以上の月日を経たにも関わらず、
声も容姿も可愛らしさも変わってなかった。
だからむしろ変わってなかったことにびっくりしたくらいだ^^;
むしろ艶というか、色気も感じるくらいだったかも(中学生の時には可愛いな~と思ってはいたが、歳を経ても魅力は変わってなかったんだね~^^)
『先生もいらっしゃってるから、ご挨拶してきてね^^ 席は空いてるところに適当でいいかなあ』
そう言われて、会場の扉を開いたボクの目の前に広がった景色はーーー
『えっと・・・誰が誰?』
ってくらいに
『自分の記憶と面影探しのバトル』でしたw
要するに、同級生の特定に戸惑ってしまうくらい難儀したってことなんでしょうね^^;
正直ね・・・男の子の同級生は『面影と喋りの音声』で、なんとなくは分かったんだが、
女性陣は、化粧もあってか誰が誰だかさっぱりです(断言
中学までしか面識なかったら女の子は分かりにくいかもね
化粧なんてしてねーもんね。中学じゃ。
なんか横に貫禄でちゃった人もちらほらだし、『わあ~ちょいのり君じゃない!久しぶりっ!』って声を掛けられても
あんた誰よ?状態
『えへへ~おひさしぶり~^^;』と笑顔で返してお茶を濁しつつも、空いてる席を探したのだ。
どうせならクラスメイトや部活のメンバーの席でも空いてれば居心地がいいかなと探すんだが、空いてねえ^^;
結局最前列のテーブルしか空いて無さそうだったので、渋々そこに落ち着くことに。
そしたらそのテーブルに腰掛けていた男性は、
小・中・高、更には一緒に東京に出て、あまつさえ隣のアパートだったという『超腐れ縁』のO君だったのだ^^
若干悪友的な存在ではあるが、それでも嬉しかったしホッとしたね^^
しばらくはO君と、その隣に居た『誰・・・?』っていう人と久しぶりを懐かしんだのだ^^
一緒の席なんだから思い出してあげてーw
その話し込んでる最中にも、ビール片手にぐるぐるお酌しながら回ってる連中に声を掛けられる。
『おー!ちょいのりじゃんw お前まじで全然変わってねーなオイ!』
自分で言うのもなんだけど、
やっぱりボクが一番若く感じたんじゃないかなあ^^;
『あははは^^; 苦労してないからじゃねーかな^^;』と苦笑いで返しまくってましたよ。
家庭も無い、子供も居ない、役職についてるわけでもないの三三拍子だもんなオッチャンはw
苦労は年輪として顔体に滲むものとは言ったものだけれど、まさにアンタはその真逆を行ってるしねえ^^
若く見られるのは嬉しさ半分、でも残りの半分は、
『若く見えるのは皆より、当たり前の辛い経験や気苦労をしてこなかった』んじゃないかと胸が少しチクチクしたなあ。
ま、それはしゃーない。仕方が無いw
それより会費8000円ですよ!
朝から(いいえ夕方から)何も食べてないわけですから、元を取るためにも飯を食おうぜ!と、料理が並ぶテーブルへとレッツゴーです☆
(料理画像はありません☆)
で、料理選びしていると声を掛けられる。
『あれ?ちょいのり?ひっさしぶり~^^』
そして『まあまあまあまあ~』と、コップを渡されて酒を注がれる。
『今何してるんだよ~^^』とそこから話が始まって、
飯も碌に食えないよw
そんなこんなの繰り返しでほとんど料理食えんかったとです^^;
しかも中には一方的に懐かしんでくるのだが・・・
『やべえ・・・すごく親しそうに喋りかけてくるんだけど、この人誰だっけ?』なんてこともw
結局、元のテーブルに戻ってから悪友君に答えあわせをしてもらった
(本当は受付で渡されたシールに自分の名前を書いて胸に貼り付けるんだが・・・みんな貼ってなかったり、はがれやすいので落としたりしててワケワカラン^^;)
『アイツは〇〇で、あそこにいるのは〇〇かな^^』と。
どうやら悪友君はボクと共に東京へと出た後、30歳になった時に地元に帰っていたそうだ。
そしてちょこちょこと小規模な同窓会を開いていたらしい。
元々頼もしいところはあったんだが、今回はマジでお世話になりましたです^^
(この人とつるんでた高校時代はエピソード満載なんだが、それは追々別記事として語ることにしましょう^^
ちなみに一介の高校生じゃ中々やれないようなビックなこともしています☆)
その後はビンゴ大会です。ドンドンパフー♪
その結果、
第4位でハロウィンのお菓子と、修善寺のサイクルスポーツセンターの入場優待券一人分のチケットゲットです!
えっと・・・
何かな?ぎゃる魅君。
しょぼくないっすか、それw
まあ・・・ねえ~^^;
せめてペアで優待券とか欲しいですな
そもそも地元近辺のテーマパークの優待券じゃ、アンタ地元まで出向かないといけないわねw
まあいいじゃない^^ 余興余興☆
その後は、先生の席に行ってご挨拶。
驚いたのがーーー
恩年70近いというのに、先生って名前覚えててくれるもんなんだな。
ボクの年代以外にだってたくさんクラスを受け持ってるにもかかわらずさ・・・
正直嬉しかったし、自分の記憶力の無さをとことん嘆いた^^;
(これは喫煙所にてたまたま目の前の先生と別のクラスメートとの会話を聞いていただけなんだが、
80歳を迎えてる先生なのに『理科の実験中にガスが発生して君はぶっ倒れた子だよね~^^』と、当時の記憶を事細かに語り出してたのにも度肝を抜かれた^^;
自分的には、ああ~そういえばそんなこともあったようなあ・・・程度だったしねw
今考えると大問題だけどなそのエピソードw)
そんなこんなで、ようやく今現在の顔と思い出の顔が一致し出して、
テーブルを離れては別のテーブルの仲間と昔話や近況をお互いに報告しあってた^^
ただ少し自分的に残念だったのが、
中学時代につるんでた連中がほとんどいなかったこと、
クラスメートが40人以上居たはずなのに10人だったこと、
自分が所属していた陸上部のメンバーが3人しか顔を出さなかったこと、
そして小・中学校を通じて一番好きだった女の子が居なかったのが心残りだった^^;
まあ、二番目に好きだった子も三番目に好きだった子、4番目に好きだった子、5番目6番目7番目ーーー
もういいよw
要するに好きだった子が一人も居なかったのがねえw
(ちなみに猫踊り祭りで見かけた小学校に入ってから初めてあの子かわいいなあ~って思った子すら居なかった^^;)
素敵な家庭を築き、幸せだからこそ今は中々こういう集まりには来れないと思うしかありませんな^^
そうだよな。そう思うしかねーよな^^
(ここでちなみにパート2 ボクが好きだった子が所属していた陸上部女子は今日は全然いねーじゃねーか!って憤慨していたら、
ボクのテーブルの横の女子が陸上部女子の部長さんだったw
おもいっきし度忘れです。
ええ・・・勿論怒られましたともw)
そして遅刻してしまった自分を恨めしく思うかのように、同窓会はいよいよ終わりの時を告げるのだ。
最後の〆は何度もクラスが一緒になった優等生君の締めくくりの語り(実は、賢い不良君。超進学校に行くような人だったけれど、頭のいい悪ガキ君でもあったりする^^ ゆえに女の子にモテルw)
その中で『次は20年後の皆が還暦を迎えた頃になるだろうか?』という行に
いつも大声出してはしゃぐ連中が声を張り上げた。
『20年後じゃ、先生みんな生きてねーよw』と。
言い草的にはヒドスだが、確かにごもっとも。
でもその言葉に皆がドッと笑いを広げたんだ^^
ーーーそこで、優等生君は訂正です^^
『じゃあ、次は5年後だねw これならまだギリギリかなw』ってさ^^
次に大きな同窓会をやるのなら、ボクは参加してみたいと思いました^^
もしくは小さなもんでもいいからちょくちょくやってみたい。なんかそういう風に思いましたよ^^
この後は二次会に流れたわけなんだが、
正直、みんなの期待に得る事は無かったよw
嫁さん探しだなんて、ご冗談をですw
でも、楽しかったよ!
昔のあだ名で呼び合う世界がこんなにも懐かしくも楽しいだなんて^^
皆、世間様では40という歳柄です。
バリバリ働いてる働き盛りで、地位もそれなりの人間たちですよ。
でもみんな中学校時代そのもので、なにもあの時と変わらない子供の頃に戻ってたような気がしています^^
見た目は老けようとも、心ってのはあんまり変わらないものなんだ
な~と思わされた同窓会でした^^
実は3次会もあったようなんだが、ボクはお暇することに^^
帰りは悪友君が車で送ってくれた(お酒飲まない人なのだ)
地元に帰ってくることになったら、また小・中・高校時代のように、つるむ気でいる。
『また今度^^』とお別れして実家へと帰った。
慣れないネクタイを外しながらも実家の玄関をただいまと開けるのだが返事は無い。
あったのは電気をつけておいてくれた居間と、その横でグースカピーと寝ている親父だった。
ふと、
テーブルの上に置手紙が置いてあることに気付く。
『妹と私は二階で寝てるから、あなたはお父さんの横の布団で寝てください^^』と、母からの置手紙。
妹様が実家に帰ってきてるのは正直謎だったが・・・
まあそれはいいか。
布団とその横に着替えを用意してくれた親に感謝です。
かといって、すぐに寝るのもなあと、
お酒とおつまみを冷蔵庫の中をガサゴソと漁ってみる。
やばいい・・・オイラの大好きな『塩茹で落花生』を発見☆
これをプチプチとつまみながら、同窓会と、そして昔の思い出に耽りながら夜長を過ごした
ある秋の一日のお話でした^^
ここまでめげずに読んでくださりありがとうございました^^
何、ふんわりとした感じで話を終わらせてんだよ!w
嫁・探・し・は・ど・う・し・た・!
何にもなかったよーんw
ちなみに次回は与那国・黒島編ファイナルじゃなくって、
別のお話だったりしますw
もういい加減、南の島シリーズ終らせてくれよw
しょうがないじゃない。幻の第616話を書かなくてはいけないのだから☆
第501話『子供の頃の遠足をリピートしたら結構ハードだった^^;』大人の思い出遠足&月光天文台 [思い出パート]
ここに『一枚の写真』がある。
東京で一人暮らしをすることになった20年前に、なぜかアルバムからひょっこり抜いてきた数枚の写真の内の1つ。
(その他の数枚の内訳は、小学校での雪模様や弟との2ショット、オープン当初のディズニーランド訪問時のフォトと、
小学校当時好きだった女の子が写ってる集合写真とかだったりするw)
---なんでこの写真を持ってきたのかは、もう知らないし分からない。当時のオイラに聞いてみたいくらいだ。
この写真、小学校時代の遠足の写真だったりするわけなんだけどー
(一番可愛い男の子がボクねw)
ある時、この遠足で出向いた場所へとボクは向ったんだ。
その『ある時』と言うのは・・・あえて言わない。
本当はずっと傍にいて見守るのがスジなのに、その寝姿をずっと見ていることに耐えられなくなって闇雲に散歩に出かけた時の事なんです。
ではでは第501話。ここからハジマリです^^
小学校低学年とかの遠足ってけっこー、自分の町近辺だったりするよな。
そう?なんか随分と遠くに行ってそーな学校もありそうだけど。
そりゃ~いくら修学旅行で海外とか行ってしまうような昨今の学校事情でも、さすがに遠足程度じゃ昔の遠足と同じようなものでしょうな。
いくらなんでも遠足が海外とかねーよw
オイラもやっぱり小学校低学年の遠足は隣町の公園だったり、海や山だったねえ。
ま、それでも楽しかったしワクワクしたんだけどな^^
みんなでバスに乗ったり、その中でちょっとしたレクリエーションしたり、
お外で食べるお弁当もウキウキです♪
学校じゃ食べれないお菓子を友達同士持ち合って皆で食べたりとかさあ~
(遠足前日に近所のスーパーのお菓子コーナーで同じ学校の奴らにたくさん出くわすのが、これまた面白いところですw
狭い町だしね^^)
どんなに近場であろうが、当時は遠足って楽しみだったよ^^
まあ、ちょっとした経緯があって、ボクは小学校に行った遠足地まで散歩してみることにしたんだ^^
その遠足地は地元の町の山の方にある
『月光天文台』という昭和51年開設の天文台だ^^
星とか見たりするとこ?
そうだな^^ 今じゃ廃れ気味だけれどもプラネタリウムも併設されてたりするんだよ?
で、この記事冒頭の写真は確か、この月光天文台の敷地内の広場の遊具である『廃タイヤ』の上で撮った写真だったと思うんだ。
それをふと思い出してね、どうせ気晴らしに行く散歩なら思い出を確かめに行ってやろうと思ったわけなんだよ^^
と言うことで、実家から山の方へとノンビリウォーキングです。
函南原生林と言う、江戸時代から禁伐林として人の手をなるべくつけることなく保護されてきた、箱根山麓南部からずずずーいと広がる広大な森への途中に月光天文台はあったりします。
ま、とりあえずひたすら登りってことっす^^
JR函南駅を越えてひたすら登る登るーーー
新興住宅地を抜けいつのまにやら
民家もへったくれもない山へと。
うっそうと茂る木々のトンネルの向こう側にようやく開けた視界が見えてくる。
そこで遠方へと視線を通わすとーーー
富士山近いんだねー
しぞーか(静岡)ですからね☆
途中、大正と掘られた馬頭観音を見やりつつーー
ただひたすらに、
そして延々と黙々とボクは登って行ったわけだ。
うーーーん・・・
えーっと・・・・・・
えーっと・・・・・・
こんなにハードだったっけか?
うる覚えではあるけれど、小学校低学年当時と同じように月光天文台目指して登っていたわけなんだけど、
けっこーキツイんですが^^;
辛いことは忘れちゃってるだけなんじゃないの?
いやいや・・・、そりゃー思い出補正はあるかもだよ。
楽しい思い出がキツイ道のりだったことを忘れさせてるのはあるかもだが、
中々辛いのぼりですよ^^;
いつだったか自分の通学路を大人になって歩いてみたら
『こんなに学校まで近かったのかよw』な~んて思ったことがあったけれど、
この遠足地までの道のりリピートは、そういう感想は無かったねえ^^;
要するに、オッサンになって体力が無くなったってことじゃね?w
多少衰えはあるんだろうけど、さすがに小学校当時のオイラよりは全然タフなはずだぜ?
普段、もっとハードな廃墟めぐりや島旅ロードしてますしねえ
だよな。それに比べりゃどーってことないはずなんだが・・・
子供時代の『楽しい!』とか『ワクワク♪』って時に出る行動力とかは大人のソレとは違う無尽蔵なパワーなのかもしれないな^^;
これがたまに親類や友達の子供達をあやしてて感じる
『不思議パワー』なのかね^^
大人が負けちゃうチカラだぜ^^;
そんなこんなで、ゼーハー・・・ゼーハー・・・言いながらもようやく坂上に月光天文台の文字が見えてきた。
彼岸花がチラホラと出迎える月光天文台の正門前までボクはようやく辿り着いたわけです。
実に30年弱ぶりの訪問。
ここまで来た目的?のものを探してみた。
よかった・・・。昔とたぶん変わらない感じでボクを迎えてくれたよ。
このタイヤの上こそ、写真に残ってたボクの遠足の証しだった。
そしてココまで来た疲れが少しだけ辛い気持ちを忘れさせてくれたのも事実でした。
疲れや思い出に感謝するだなんてとも思ったけど、この時のボクには少しありがたかったとも、今では言えるのだと思います^^
あの時の友達は今どうしてるのかな?
そんな風に思いながら、ボクは再び家を目指して帰途についたのです^^
大好きなおばあちゃんへ^^ [思い出パート]
『ボクの名付け親はおばあちゃん^^』
子供の頃は、月一回くらいでふらふら~っとおばあちゃんがうちに遊びに来たのです。
旅館勤めの休日なんだろうね^^
『いつなんだろう~』『今日かもしれない!』『いや、明日かなあ~♪』なんて、いつもいつも楽しみにしてたんだよ~^^
お土産抱えてやってくるんだ~☆
いつだったか、ボクが当時ハマッテタ、ビックリマンチョコを箱ごとおみやげで買ってきた時は、さすがにお母さんに怒られてたっけ^^;
ああ~色々思い出す思い出す!
そうそう、
たしか遠くのどこかのだるま市に二人でお出かけした時、ボクってば迷子になっちゃってねえ~
もう一生会えないんじゃないか?帰れないんじゃないか?と、なきながら彷徨った。
スピーカーから流れる大音量のお囃子が声を掻き消し、雑多な人の流れにボクはまっすぐすら歩めない。
なにより大人は小さいボクには大きな壁だった。
でも聞こえた。
おばあちゃんの声が^^
すごく走ったなあ~。無我夢中でその声の方へ。
おばあちゃんを見つけたときはどんなに嬉しくて安心したか^^
そういえばアレもあったな~。
デパートで迷子になったときも、おばあちゃんは絶対こっちにいてボクを探してくれてるはずだ!と、そっちへ駆け出したらやっぱりおばあちゃんがいた^^
・・・と、いいますか、この頃から迷子病だったんだねオイラw
ははは^^
治って無いみたいその病気^^;
そんなおばあちゃんも歳を重ねて落ち着くことになる。
本来なら長男家族の家でのんびりご隠居生活なんだろうけれど、
なぜか長女であり妹であるボクの母方の家で一緒に暮らすことになったんだ。
---嬉しかったね~^^
だって、いつもおばあちゃんが家に居るんだぜ?
一緒にご飯食べてさ、
一緒におでかけしたりさ、
さすがに一緒に風呂には入らないけど、全然キニシナイデ洗面所から上半身すっぽんぽんで出てきたおばあちゃんのタレパイには苦笑いだったですよ^^;
ま、そんなこんなでいつも家に居るおばあちゃんと中学・高校を過ごしてたわけだ。
でもボクも大人になる。
就職です。
色々なことが重なって、東京へ出ることになった。
当然のごとくおばあちゃんとは離れ離れだ。
若い頃はしょっちゅう実家に顔を出して、おばあちゃんとおしゃべりしていたのだけれど、
それも歳を重ねていくと
月一回から3ヶ月に一回ーーー
そしていつのまにか半年に一回とかになっていた。
・・・実家までたいした距離じゃないのにね。
自分のやりたいことを優先し過ぎたのかもしれない。
もしくは『家族は常に安泰です』って勝手に遠くで思ってただけなんだよね。
そんな折、去年だったと思う。
久しぶりに実家に顔をだした実家。少し様子が変わってた。
元々糖尿を患ってたばあちゃんが、腎臓にも障害をきたしていると知らされた。
物覚えもだいぶ悪くなっていたんだ。
でも90を越える恩年の身でもあるし、そりゃ~多少そうだろうよくらいにと一緒に暮らしていない自分は楽観的だった。
元気は元気だったし。
でもそうじゃなかった。
母親が常日頃からおばあちゃんをサポートしてたんだ。
食事からトイレからなにからなにまで。
そして妹も同じく。
去年の暮れ頃、ボクが仕事をやめてフラフラフラフラしてた時、
おばあちゃんがデイケアのお世話になってると聞かされた。
そしてまた年が明けて再び立ち寄った時には、グループホームへとおばあちゃんは入所してたんだ。
知らなかった。
お母さんが悲しそうに言った言葉がある。
『おばあちゃんをグループホームに入れたのは、お母さん申し訳ないって思うのよ・・・』
『それはしょうがないよ』と確かボクは返したと思うのだが・・・
ボクがどうこう言える立場じゃない。
ただ、母親の苦労を考えたらそれしか言葉が無かった。
---今年の夏
ボクは再び再就職。どうしようもないボンクラ息子で孫である^^;
再就職しましたというメールを送ってやりとりした少し後に、
『おばあちゃんの余命』について聞かされた。
・・・愕然とした。
ブログじゃいいように書いてるが、ほんとどーしようもないサイテーな息子であり孫ですよ!
分かってるんだけど分かってねーって自分をしばきたいくらい。
---その日からは帰れるならなるべくおばあちゃんに会いに行こうと。
実に情けないものではありますが、会いに行ったんだ。
(おばあちゃんにしたら、なんで最近急に懐かしいメンバーが顔をみせるのかとか不思議に思うのかもしれないけど・・・)
グループホームで見せるおばあちゃんの笑顔、そして話し振り。
確かに昔とは色々と違かったのだけれども、
それでも思い出話などたくさんお話できたようにも思った。
---10月2日
メールの着信音と電話の着信音は別の音色にしているのだが、
滅多にかかってこない電話の着信音が鳴る。
連日の忙しさにぐったり寝ぼけ眼のボク。
普段なら出ないでゆっくり起きた後に、後々着信が誰からなのか確認してから掛け直すダメ人間。
でも、携帯のサブ液晶パネルに母親の文字が見えた時、
ボクは何かを予見して布団から這い出て受話器ボタンを押した。
『おばあちゃんがね・・・死んじゃった・・・』
電話越しに聞こえる母親の声に、いつかはと遠くに思っていたボクだったが、
現実に引き戻された。
当初、すぐにでも帰りたいと思っていた。
だが・・・仕事もおいそれととも考えて躊躇していた。
『とりあえず・・・会社に連絡するから』と、一旦電話を切り
すぐに会社へとかけた。
数時間後、ボクは新幹線で実家へ向うことに。
途中、5年くらい会って無い弟からの着信があったことにようやく気づき、
弟に連絡する(いや、実はこの時点じゃ見覚えの無い着信だった)
『もう、おばあちゃんは家に来たよ。待ってるからねお兄ちゃん』
実家の函南駅に付いた時、車で迎えに来たのはお父さんだった。
そこで道中、色々と話を聞かされた。
実家に数分後辿り着く。
ヘルニアを患って排便もおぼつかない飼い犬の老犬が鎮座して、少し来客には申し訳ない臭いのする玄関だったはずなのに、
その犬もいない。
キレイになっていた。
玄関を上がると、母親が出迎えてくれた。
そしてその向こう側に白い布を顔にかけたおばあちゃんが横たわっていたーーー
しばらく顔なんてみれなかったよ
だめだよみれねーよ
居間でひとり、落ち着くまで泣いてました
---正規の公休と合わせて連休を取ったのだけれど、色々と都合がつかないようで、
お通夜と告別式に、ボクは出られそうも無かった。
というか、会社に入ってまだ三ヶ月の身分。
少し会社に気を使って連絡してしまった。
『大丈夫です。仕事には出られます』って
お通夜の日はおばあちゃんが亡くなってから三日後。
ボクの連休が終ってからだった。
新幹線で実家から出勤し、普通に仕事を始めようとした通夜の日取りの日だったのだけれど、
弱気なボクがバカでした。
へんなとこで気を使っちゃうオイラがバカだった。
社長にご霊前をいただき、会社のみんなに早く帰れと言われつつも再び実家へ戻ったのです(でもなんだかんだと居たもので・・・、結局実家まで辿り着けずに途中駅の小田原駅のサウナで朝まで過ごして告別式へと向ったのです)
朝8時からの告別式には間に合った。
でもその後は辛いよ!
正直言わせてください。
実は火葬場初めてなんです。
火葬場って辛すぎるよ!
おばあちゃんが骨になっちゃうとかあんまりだよ!
---最後までガラスの向こうでおばあちゃんを泣きながら見送ってたのはボクと妹と、そしておばあちゃんの娘でありボクの母であるお母さんでした。
キレイなお骨だったよ。
でも実感わかねーんだよ!
それって、おばあちゃんじゃねーだろとかさあ。
箸でおばあちゃん持つのが辛かった
骨壷に納めるのが辛かった
なぜか焼かずに入れ歯だけそのまま納骨してくれたのが、余計に思い出して辛かったよ・・・
この骨がおばあちゃんとか思いたくなかったなあ・・・
リアルなことを書いてゴメンナサイ。
ブログなんかで書いて・・・ゴメンナサイ。
おばあちゃん、そしてお母さんゴメンナサイ。
でも、やっぱ親族の『死』は辛いです。
最後に、ボクから最後の花束を
実家に帰って出歩いた時に偶然見つけた花束だ。
それは地元の月光天文台の傍らに咲いていたマンジュシャゲ。
彼岸花ってやつなのかな?
白い彼岸花。
それは普通の赤い彼岸花と一緒に咲いてたよ!
マンジュシャゲの花言葉は数あれど、やっぱりこれじゃないかな。
『再会』
戦争で亡くなった旦那さんとの70年ぶりの再会をどうか。
おばあちゃんの最初の孫であり、
おばあちゃんがボクを旦那さんに似ているって言ってくれたのが、ボクの自慢ですよ。
PS:もうしばらく気持ちの整理をさせてください
第475話『視力は衰退しました!?』視力減退のルーツを探れ? [思い出パート]
『日常生活、基本的に裸眼です』
ええ、裸の目ですよそのまんま。
外に出るにも、仕事するにも基本的には生まれたまんまの目に頼ってます。
---とは言うものの、
家路に着いてからPC眺めたり、ワンセグでオリンピックとかを見てる時は眼鏡をシャキン!と装着です。
今、どのくらいの視力があるのかはわからないんだけれど、
正直、お目目はよくないの^^;
おそらく・・・0.いくつとかなんじゃないのかなあ~
(日によって良く見えたり見えなかったりすることあったりしない?前回の免許更新の時は眼鏡忘れたのだけれど、奇跡的に視力検査が良くって『眼鏡等』って表示が消えた不思議w
といいますか、たぶんこうじゃないかなあ~って感が冴えてただけで、警察のおねーさまが指し示す上下左右のCマークの口の向きがたまたま合致してただけなんですけどね!w)
日常生活ではやっぱり眼鏡かけてないと不自由なこと多いっす。
知り合いが向こうから歩いて来てるのに、めっちゃ近くまでこないと分からないとか
駅前の時計がうう~ん・・・何分?とか
道端にキラリと鈍く光る丸いもの見つけて『しめしめ!10円とかお金かなウッシッシ^^』と近くまでウキウキして寄ってみたら
測点明示板の丸い頭だったりとかね☆(道路にたまに丸い小さな鋲が打ってあるじゃない?プラスチックみたいなの。アレのことっす^^)
見えないとか見えにくいはやっぱり不便。
じゃ、なんで普段から眼鏡やコンタクトとかしないのよ?ってなってくるのだけれど・・・
その話は本編第475話と言うことでスタートです^^
(タイトルバック画像は今回ありません)
で、なんでやん。普段から眼鏡しないっちゅーのはマジで。
だってオイラ、眼鏡した顔ってかっこ悪いんすもんw
そんな理由かw
あとね、眼鏡掛けて気づいたんだけど、ノーズパッド(鼻の上にかかる部分ね)が普通だと、眼鏡が微妙に平行にならないんだよ。
ん?どゆこと?
簡単に言うと、微妙に鼻の形がいびつみたいなんだ。普通にかけると左下がりになるの^^;
それをくせでちょこちょこ直すのがうっとおしくてね^^;
眼鏡屋さんにそこまで直してもらえばいいじゃない。
ええー・・・めんどくせーw
あとね、
仕事上、湯気がかぶることも多いだろ?
嫌だよいちいち眼鏡とかフキフキすんの。
じゃーコンタクトにでもしろよオッサン!
眼鏡不細工も湯気もないっしょそれならーw
おまえ・・・
目の中に物入れるだなんて怖くて出来ねーよ!(恐ろしい・・・
どんだけコンタクトに偏見もってんだよwマジで^^;
なんかしらんが、よく睫毛が目に混入プレーするのよオイラ。
そんな睫毛でもウゼー!ムキー!ってなるような人間があんな異物を喜んで迎え入れるわけには行かない(断固として!
っちゅーことでコンタクトは無しね☆
そもそもなんでアンタの視力は落ちたの?
よくぞ聞いてくれました!
いや・・・話長くなりそうだったからw
中学校2年までは、視界はオールグリーンでしたよ!
鍛えれば透視できるんじゃないかと思ってたくらいな!
できねーし、透視できても何を透視したいかすぐばれるよオッチャンw
当時流行ってたファミコンのやりすぎなんじゃないかとおもってたけど、
そんなのは小学校5年からやってたわけで、それが理由だとは思えないんだよね。
じゃあーなにさ?
そこでよくよく考えたんだが・・・
どうやら夜中に部屋の電気を点けずに、学習机の最小灯で読書してたのが原因なんじゃないかと思うのだ。
あら?アンタ本を読まない人間だって散々言ってた割には学生時代は読んでたりしたわけ?
活字は今も昔もほとんど読まないよ?
じゃあーどう考えても漫画とかじゃんかw
暗がりで漫画読んで視力を急激に落としたとかハズカシイですな^^;
いや~漫画じゃなかったかも。
じゃあ何だよ?
それは内緒☆
エロ本かよw
視力的に目に毒だったようだw
第461話『頭をナデナデされることってキモチいいよね♪』オイラ中学生編☆ [思い出パート]
『なんで人を男と女に分けたのか』
なんかよく考えると不思議じゃない?
別にドラゴンボールって漫画のピッコロさんみたいに男が口から卵産んじゃって子々孫々繁栄するのが進化の理でもよかったじゃない。
単細胞動物やウィルスみたいに切られてそこから分裂して増殖していく生命の繋がりだって構わなかったとも思うよ^^
でもそうじゃない。
大半の生物が雌雄に分かれていて、次に連綿と繋がっていくシステムなんだよね。
人だったらそうだね、パパとママが恋をし、そして次の世代が現れるわけです。
ま、ぶっちゃけ学者でもなんでもないオイラなのでその理由なんちゅーのはさっぱり分からないのですが、
それでもせっかく男女に分けてくれたわけなので、こまけーことは抜きで男の子と女の子の色々でも楽しみましょう^^
---さて、
今回は過去話。
ボクの恋心のお話なのかな?^^
ドラマや漫画みたいな展開なんて全然ないのだけれど、それでも良かったらニマニマしながら覗いてやってくださいね^^
ではでは第461話スタートです☆
運動音痴だったオイラがふとしたことから跳び箱を飛べたおかげで、そこから少し世界が変わっていったってのは遠い昔にブログで書いたと思うんだ。
ああ~ありましたねそんなこと。
あれじゃない?もうちょっと続きも書いたわよね。
確か好きな女の子が中学で陸上部に絶対入るって決め付けて陸上部に仮入部したら、
その彼女がテニス部に仮入部してラケット振っててガッカリw
ってとこまでだったと思うんだけど。
漫画みたいなあらすじ解説ありがとうw
ま、大体そんな感じ^^ で、結局彼女は女子陸上部に入部したってところで私的青春ストーリーは終ったんだよね。
そこから発展があったとですか!? ・・・チュウとかした?
してないよー^^;
なんじゃそら。打ち切り打ち切りそんなツマンナイ話!
少年ジャンプなら4週目で打ち切りですなw
そんな漫画みてーにいくかよw 勉強も得意じゃないし陸上部だって不純きまわり無い理由で背伸びして入部したダメ男の子だぞ?
その上、うじうじしてて泣き虫で背だって前ならえののび太君クラスの人間だったんだから(なんか自分で自分を評価すんのも辛いね~w)
ま、そんなオイラがそれでも中学校生活が楽しいと思えたのはやっぱり『恋』ってヤツなんだろうね。
学校の授業つまんねーなあーとか思っててもさあ~
放課後になれば・・・彼女を同じグラウンドで見れる♪って感じでねw
エロパワーは実に偉大なんすね
エロ言うな!恋だ恋!
ほんとそれだけで楽しかったぜよ。
でもな? 小学生の時はさ、普通に喋れていたはずだったんだけど(いや、そんな話してもないかw)
中学生になったら急に周りの女の子と話すのが恥ずかしくなっちゃってさ、
『オレって顔とか赤くなってねえかな?』なんてトイレの鏡で確認しに行っちゃうほど赤面性でうぶでしたよ(実際は赤くもなんともなってないのだけれど、感覚的に顔が火照ってると思ってたんだよね)
で、これこそ本当にどうでもいいエピソードなんだが、
ある時、教室と教室の間にあるラウンジスペースでたまたま男二人で遊んでたわけだ。
そこに、その彼女ともう1人の女の子が登場。
別段、彼女らと会話することもなく別々に遊んでいたのだけれどーーー
そのもう1人の女の子が『男の子の髪質』についての話題を背中越しに座ってる彼女たちが語りだしたんだよ。
はあ?
意味不明ですな。
まあ~オレも良くわからんw ただ男の子と遊びつつも耳をダンボにしつつきにしまくってたw
---するとだ
『ねえーねー^^ ちょっと髪触らせてくれる?』と、オイラが好きでもなんでもないほうが聞いてきた。
『ええ!? なんでよ?』とは思ったのだが、まあ~ちょっとくらいならいいかなと触らせた。
そして一緒だった相棒の髪の毛も触ったのだ。
『ねえーねえー、〇〇ゥ~やっぱ全然違うよ~^^ 触り比べてみてよ~ほら~』と、
オイラが好きな彼女に向って触ってみなよと、どうでもいい女の子が促がしたのだ!
どうでもいいとか、なんかそっちの彼女が可哀想っす^^;
やべ!これは来たね!きましたわ~って思いましたよ!
是非触ってください!
出来ればサスサスナデナデしてもいいよ~んと内心どっきどっきしながら心はスタンバってましたよ!
今日の話って実にくっだらねーなオイw
すると『ええー!?』って言いながらも、ボクと相棒の髪の毛を触り比べしてくれたのだ。
こ、ここここれは間接キッスとまではいかないけれど、なかなか意外と難しい『なでなで』なんじゃないか?
かなり難易度高めのスキンシップだよな!
あほか!w
おまえなあ・・・付き合ってても中々彼氏の頭をなでなでなんて普通してくれないぞ?
大人になったら男子たるもの余計叶わぬプレーだぞ!?
これは・・・難易度で言ったらかなりの。いや究極のテクニックだよ。
テクニックでもなんでもないしw
あんたの努力じゃねーからw
ああ~でもなんとなくアンタが幸せに中学生活送れた理由が分かった気がするわw
『〇〇君のは・・・固いね^^』って言われちゃった♪
なんかその台詞ドキドキしましたよ^^
今でも忘れない!
久しぶりにブログに帰ってきたってのにシモネタかよ^^;
ま、そんなこんなで、実にくっだらねーことでもドキドキワクワクしてさ~
楽しかった中学時代だったってわけよ^^
中学生編はまだまだ実にどうでもいいくだらない話があるのでいつか続きを書きたいと思ってます^^
とりあえず何個かあげておくけど、
①えっちい本探索
②準備室のウンコ
③待ち伏せお尻タッチ
とか色々^^
全部シモネタじゃんかw
若いときってのはそんなもんだよ♪
男子中学生がまともに生きるわけがないだろうよw
今日は恋心の話じゃなかったの?
まあいいじゃんw それも追々書いてみたいと思ってるよ^^
ま、冗談みたいな話をしてきたわけだが、
今もしも当時好きだった女の子に会えるのなら色々お話聞いてみたいな^^
『今ならたぶん喋れる』と思う^^
でも最初は照れちゃうんだろうなあ。
第444話『名前は“おや”』我が家のペットヒストリー&ペットの死とか [思い出パート]
『ペットを飼いたいっ!』
そういう時期がありました。
まあ・・・そら豆も満足に育てられない人間が何ゆーてんのや!と怒鳴られそうではありますが^^;
飼いたかったんだからしょーがないじゃないw
1人暮らしのアパートでは流石に犬猫はねえ・・・
だから色々考えたよ(基本、禁止っす)
『鳥』とかいいよなあ・・・
『爬虫類』ってのもありかな・・・(職場の後輩君はトカゲ飼ってるし)
『魚』も捨てがたい!
でも結局な~んも飼ってないわけで
(ほとんど家にいないしね^^;)
なんかこんなこと書いてると『誰でもいいのね』と、まるで浮気性な人みたいに思われるか
そういう安易な考えのやつがペットを捨てたりするんだよ!ばかもの!と怒られそうだね^^;
---本当はただ寂しいだけなのかもしれない。
疲れて家に帰って、ただいま~とか言いたかっただけなのかも。
その相手がトカゲでもおたまじゃくしでもってなってるのかもね^^;
ま、ペットにしてみりゃいい迷惑かもだわさw
さってっと、ちょっと辛気臭くなっちゃいそうなので、前書きはこれくらいにして本編へ(え!? 前書きが長い? い・つ・も・の・こ・と・で・す☆)
今回は実家で飼ってた歴代のペット達についてのお話です^^
ではでは、縁起が悪そうな数字が並ぶ、
第444話スタートです^^
ペットなら私たちがいるじゃん!なんかペットって言われるとムカつくけどw
お前ら架空じゃねーかよw
ぶっちゃけるなよ
ああゴメンゴメンw まあブログ上ではあるけれど、君達というキャラには少し助けられてるような気もしてるよ^^
『そこに君らが本当に居て会話している』って時々思うしね^^
だからアイコン式会話ブログが楽しいし、ブログを続けているのかもしれない。
傍目から見たらニヤニヤしながらPC打ち込んでるただのオッチャンでキモイだけなんだけどねw
よけーなお世話じゃ^^;
ま、『会話』ってのは人として生き物として生きてる証拠だよ。
誰とも話さないで生きろって言われたら、多分辛くてツマラナイと思うしな^^
---さて、ではでは冒頭に書いた通り本題にいきましょう。
ブログタイトルも意味不明ですもんね^^;
うちの家族は動物好きかっていうとー・・・、まあ好きな人が多いんじゃないかな。
オヤジは魚好きだし(いや釣りが好きなのかw)
妹は動物病院の専門学校通ってたくらいだし(卒業前に学校が倒産して気の毒なことになってしまったけれど・・・^^;)
あれ?弟さんは?
弟も好きだよ^^ でもそのエピソードはこの記事の最後のお話。
じゃあ~お母さんは?
これがまた、お母さんはあんまり好きじゃなかったみたいだね^^;
---ボクが生を受けてから最初に飼い出したのが『クロ』と言うワンちゃんだったらしい。
らしい?
正直、ほとんど覚えてないんだ。
アルバムを見たときに、犬が写ってたから『コレは?』って聞いたら『うちで飼ってた犬よ^^』って言われたくらいだしね。
まあ~当時2~3歳だったしな。
---それから空白の7年が経過して、『ある出来事』が起こる。
ある出来事?
まあ~これは何回か記事にしてはいるんだけれど、野良猫がうちのお勝手口をうろつくようになるのだ。
野良の茶トラね。
餌を求めてかなんなのかよくわからんのだが、よく来るようになったのだ。
ここでお母さん登場です☆
実はあんまりそういうの好きじゃないのよ^^;
『シッ!シッ!』って追い払ってたのを覚えてるよ。
---で、それでもしつこくやってくる茶トラだ。
そこでお母さん考える。
・・・考えたのかなあ?
『餌を遠くに放れば家に近づくことは無い!』と思ったんでしょうかね?
猫の食いそうなものをお勝手口から遠巻きに投げて追い払う作戦に出たのでありますです!
えっと・・・
なんというか・・・
ただの餌付け?
まあ・・・その甲斐あってか、いつのまにか我が家の居間まで新入する立派なペットに昇格したわけなのですw
それは絶対違うから!って思ってるならメールで反論してこいよお母さんw
ブログで親とのやりとりしないでよ、おっちゃん^^;
そんなわけで茶トラがペットになったの^^
雌で人懐っこい可愛い子だったね^^
家族が1人増えたみたいで皆可愛がってたね☆
お母さんは?
最初だけだよ、遠巻きにしてたのは。飼ってみるうちに餌とか普通にあげてたしね^^
---で、ここから我が家のペットヒストリーは、この猫から江戸時代のように長々と歴史が続くわけだ。
勝手に身ごもっては子猫を生み、その子も育てるって感じでね。
最初の子供は『たまたま』って変な名前の男の子だったね^^;
次の世代筆頭の子はソウルオリンピックの時に生まれたから『ソウル』だったし。
でもみんなどこか行っちゃうんだ。
ボクはソウルが好きだったんだが、ひとなつっこい子でね。
近所のセブンイレブンで見かけたよって言う言葉を最後にどこかにいっちゃった(男の子でした)
そういえば・・・大元の猫ちゃんの名前はなんなのさ?マジで
名前は『おや』だ。
おや?
子供産むまでは『名無しのごんべい』だったんだよ。
だからって親になったから『おや』ってネーミングはひどすぎじゃないのさw
まあ~そんなもんなのよw がっこーの帰りの会(ホームルームみたいなもの)で、
クラスの子1人づつ何か教壇の前でお話するって変な機会があったのだ。
何話せばいいんかなあ~と色々考えた結果。
家で猫飼ってますとかどうでもいい話題を喋った気がする。
---すると、せんせーが『その猫ちゃんの名前はなんて言うの^^』と、横から言ってきたので素直に
『おや』です☆と、答えたのだ。
ドン引きでしたね!
まあ・・・ねえ・・・w
あの、しーーーーーーーーーんって教室が静まり返ったのだけは未だに忘れないなあ^^;
(親猫だからおやなんです!って必死に説明したその後の自分もめちゃくちゃ恥ずかしかったなあ^^;)
で、その『おや』は、ボクが小学校高学年からずっとずっと一緒だった。
子供を産む時って猫ちゃんは隠れて産んだりするもんなんだろ?
わからないけどさ。
でも、おやはさ、
お腹大きくさせてみゃーみゃー家の物置のとこで泣くのよ。
『お腹さすってくれ~さすってくれ~』ってさ。
さすってやるととっても嬉しそうといいますかホッとした顔するんだ。
で、ボクもアニメ見たかったりゲームしたりご飯食べたりしたいじゃない?
それで離れるとさ、みゃーみゃーと大きな声上げて探しに来るわけだよ。
さすってくれ~さすってくれ~って^^;
しょうがないな^^;って、お父さんが用意したダンボールに布切れ敷き詰めた、おや専用の分娩室に戻ってさすさす~って大きなお腹撫でるの。
・・・また、・・・これがまた嬉しそうな顔をするんだ!
そんな感じで彼女のベビーの出産立会人に何度かなって時が過ぎて言ったねえ。
---ボクが高校を卒業し、静岡県を飛び出して東京の料理の専門学校に通うことになった。
もちろん1人暮らしのカリエッティです。
新しい都内での生活を迎えると共に、家族。そして一緒に過ごした同じく家族である、おやとも分かれることになった。
そのまま都内に勤めるようになってからは、実家に帰ることもだいぶ減った。
でもたまに実家帰って、おや見ると『老けたねえ~おやw』とか思いつつも撫でて可愛がるのが嬉しかったなあ^^
---都内で生活するにつれ、実家に帰る回数も徐々に減ってきたころだったかな。
盆暮れ正月。
ううん。正月すら帰らなくなってしまってたかも。
久しぶりに実家に帰ったときに母親から聞かされた。
『おや死んじゃった。こたつのなかでひっそりしんじゃったんだよ』って。
あんなに家族だと思ってたはずなんだけど、ボクは普通に実家帰って、
周りにおやが居ないだなんて別に不思議に思ってなかった。
どこか出かけてるんじゃないかな~多分思ってたかもしれない。
それほど実家を遠ざかってしまうってことは色々と無関心にさせてしまうのか、ボクが勝手に時の都合にしてしまってるのか。
母親に聞かされてから『いつのまにか無関心になってた事』、その自分に憤ったよ。
弟が最初の発見者だったらしい。
もう二十歳も越えた男の子がワンワンと泣いたと聞かされた。
コタツの中で十数年をボク達と共にした『家族の死』だ。
悔しいなあ・・・って思った。
最後を看取ってやりたかった。
たぶん弟なんかにゃ負けないぐらい泣いていた自信はある。
・・・絶対。
生き物を飼うからにはいつかは必ずあることよね。
そうだよな。別れってのが辛いからペットを飼わないなんて人もいるくらいだしな。
でもさ、うまく言えないけど
うまく言えなくていいと思うっす
飼い主やペットに良い思い出が残ればいいんじゃないかな。
撫でて愛でて一緒に走ってはしゃいで楽しんで^^
それが生を飼う。もしくは一緒に生きるってことなんじゃないかと、おっさんの戯言です^^