第630話 宇佐これ!vol②『田園にポツリと浮かぶ悲しい丘』城井1号掩体壕跡とか爆弾池とか [戦争遺構の旅☆]
『大分県きっての穀倉地帯、宇佐。』
それはそれはのどかで、山や川も全てが明媚であったでしょう。
また、全国4万社余りの八幡宮の総本宮『宇佐神宮』などに代表される規模の大きい寺社が数多く点在する、歴史のある土地柄でもある。
---昭和初期
世界はきな臭い方向へ方向へと進んでいた。
勿論、日本も同様に。
『③計画』と言う日本帝国海軍の海軍軍備計画なるものが構想されることになる。
所謂『戦艦などの建艦を推し進める国防増強計画』
そしていつしかこののどかな田畑の広がる宇佐市も、戦争と言う流れに飲み込まれていくことになるーーー
第630話 宇佐これ!静かにスタートです^^
電信室跡を後にしたオイラは、そのまま広大な田畑をジャスタウェイ号(電動アシスト自転車)と共に突き進もうと思っていた。
でもどうしても先ほど見過ごした『エンジン調整室跡』を見ておきたくって、一旦Uターーーンすることにした^^
さんざん民家の中をぐるぐるしながら『こ・・・これかなあ・・・?』と言う物件にようやく辿り着く。
うーん・・・なんか戦時に使われてたんです!って言われないと、ただの家屋の廃墟みたいよねえ
だよな^^;
立派なものを想像しがちですが、戦時下にはこういう建物の方が狙われにくいとは思いますがね。
それもあるのかもな。
ま、あまりにも民家の廃屋っぽかったし、周りは民家に囲まれていたからこれ以上踏み入る事はよして、先に進むことにした。
次の目標は『爆弾池』
爆弾池!? なんかヤバゾーっすねネーミング。
デジカメに撮った地図を見ながら、再び刈り入れの終った広大な田畑をジャスタウェイ!
なんでもその田んぼの一角にあるらしい。
・・・が、
結局見つけられませんでしたw
なんでよw
農道と田んぼばかりで目印になるものなんて一切無いんだもん!
結局サア、その爆弾池っつーのはどういうモノなんすか?マジで。
見つけられなかったが、それは後ほど訪れる場所で一緒に説明できるからもう少し待ちんしゃい^^
ボクは電動アシスト自転車のパワーボタンを最大にして、秋晴れの穀倉地帯を突き進んだ。
(なんか立ち漕ぎしてたら、アシストパワーが全然感じられなくなったんだが・・・。もしかして、こっちがマックスで走るとアシストしてくれないのかね?)
田畑のところどころにポツンといかにも人工で盛りましたって感じの小山を幾つか見受けながらもガンガン進むオイラ。
やがて、綺麗に周りを整備された同じような物体の前までやってきたのだ。
えっと・・・なんて読めばいいんすか?ジョウイイチオレカラダゴウ???
これは『じょういいちごう、えんたいごう』って読むんだ^^
この宇佐市にかつて存在していた、宇佐海軍航空隊遺跡のひとつだよ^^
ここはどういった施設跡なのかしら
簡単に説明すると飛行機(軍用機)の防空壕かな^^
米軍の空襲から機体を守る為に造られたコンクリート製の防空壕だ。
ちなみにここを説明する看板もあるのでソレを見ながら、この宇佐市と宇佐海軍航空隊がなんであったか紐解いていこうじゃないか^^
これは、丁度ボクがぐるぐるぐるぐると巡ってきた場所を上から撮影した戦後間もなくの写真が貼られたパネルだね。
なんか穴がボコボコ開いてる!
そうなんだ。見て分かるように幾つもの不自然な穴が見えるだろ?
実はこれ空爆による穴なんだよ。
かつては数多く残っていたのだが、今ではほとんどが埋め立てられたり整備されて田畑に戻った。
でも一箇所だけ土地の所有者さんの意思なんだろうね。
今では水が溜まって池となった空爆跡を残してある。
それがさっき言ってた『爆弾池』なのねえ。
『宇佐海軍航空隊』
それは爆撃機・攻撃機の搭乗員育成の為につくられた軍の施設だったわけです。
実機を使っての訓練も行われた。
ここ宇佐市は周防灘に程近いこともあり、かつ平坦な場所も望めた。
飛行場や施設を作るのには、悲しいかな非常に適した立地だったんでしょうね。
ではさっそくもっと近づいてみようじゃないか。
これは?
当時の零戦のエンジンらしいよ。この国東半島沖から引き揚げられたものだそうだ。
戦争末期には特攻部隊としてまだ二十歳にもいかない人たちも実戦投入されたみたいだね。
81機もの攻撃機(多いときには150前後もの攻撃機がここに集った日本屈指の航空部隊)
そして特攻隊として154名の尊い命が華と散ることになる。
戦争遺構にアンタが訪れるって分かった時から、多分こういうお話を聞かされるとは思っていたけれど、やっぱり悲しいわねえ。
戦争の悲惨さはやっぱり知っておかないといけないと思うよ?
だからって別に常日頃思ってなきゃいけないことじゃない。
平和がいいしね^^ 普通の日常がいいしね^^
でも今ある場所や生活にはこういう経緯があったことも知っておいた方が絶対に良いと思います^^
だからこそ、その教えとなる、そして資料ともなる、
更に身近に知ってもらえるキッカケにもなる、こういう戦争遺構・遺跡は少なからず残して欲しいかなあと思います。
中に入ってみたが、案外奥行きは無い。
小さい飛行機だったんすかね。
ボクはあんまり詳しくないけど、せいぜい全長10メートルにも満たないものだったんだろうね。
(ちなみにこの掩体壕は、当時の近隣の住民や女学生達によって勤労奉仕というカタチで造られたそうだ)
その近くには鎮魂の碑があった。ここには特攻で亡くなった人たちの名前が刻まれた碑もある。
一通り見て周ったオイラだったが、すぐ近くのもうひとつの掩体壕が気になったので行ってみた。
今では農機具小屋として使われているみたいだね。
ご主人様の実家の伊豆方面も、防空壕の横穴を物置代わりに利用されてるところが多かったですな。
そういうのもいずれ紹介してみたいかなあと思います^^
さ、次も同じような掩体壕へと向うわけなんだがーーー
コチラ↓
なんかめっちゃデカくね?ここ。
家が一軒、丸々入ってしまいそうねえ
中型って謳っているが、その高さ9メートル、幅40メートル、奥行きは23メートルもある、
日本に現存する最大級の掩体壕だそうだ。
行ってみたかったが、民家の敷地内だったのでやめておきました^^;
この後は帰りのフライトも考えて駅へと戻ることにした。
戦争遺跡など気にしなければ、秋風心地よい実に爽やかなサイクリングですよココ♪
途中、田畑をまーーーーっすぐに縦断する幹線道路にぶち当たる。
実はここも航空隊の滑走路をそのまま利用した道路だった。
ぬおっ!? 遠くには空へと向ってるような坂道(鉄道の陸橋です)
これはボクも飛び出さなければと、全速力で自転車を漕いでみる。
なんでだよw
左ハンドルについているメーターは時速31㌔!
電動アシストの補助パワーもマックスにして坂をグイグイ駆け上がるボク。
残念ながら飛べませんでした^^;
要するに電動アシスト自転車の坂道での感じを試してみたかっただけっすねw
でも楽だね~♪ 電動アシスト自転車買っちゃおうかしら☆
廃墟めぐりに使えるかもしれないし^^
いや・・・あの・・・自転車で群馬や栃木まで行くつもりですか?
ああそうか。折りたたみ電動アシスト自転車でも無いと電車に乗ったり遠出できないなあ^^;
ま、そんな戯言はおいておきましてーーー、さっさと駅へ
途中、路地に入ったら今居る場所を見失い
また迷子か
こんなところを見つけた^^
今は別の施設になっているが、元々学校があった場所らしい・・・。
民間人も多くの犠牲になったんだろうって分かる戦争遺構なのねえ。
この後はようやく柳ヶ浦駅に到着。綺麗な奥様に無事ジャスタウェイを返却し電車を待つことに。
なんだかんだ汗だくでした^^;
そしてここまでずっとずっと我慢していたことをオイラは実行する!
サイクリングの後のジュースは最高ですね☆
それ酒です☆
次回、大分旅行物語、ファイナルです^^
ここまで読んでくださりありがとうございました^^