第761話 南総里見発見できない編☆in館山②『どう考えても二色だよ!』館山海軍砲術学校跡&くじら弁当 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『うはー^^; どのバス乗ればいいかよくわっかんねえー^^;』
館山駅のターミナルにあるバス停達とにらめっこする私と琴音っちだったのですが・・・
ムムムムム・・・です。
バス停の時刻表と路線図を見てるのですがチンプンカンプン。
どこまで行くのか・・・
どこ方面なのか・・・
どこでバスが分岐してるとか・・・
時刻表の△や▲や※とか・・・
正月や祝日は走ってないとか・・・
正直バスロマンじゃなくってバス路線は、電車と違って分かりづらいですう^^;
じっくり見れば分かるのでしょうが、どうも私と琴音っちは細かいことは苦手のようで^^;
結局手っ取り早くターミナルに止まっているバスの運転手さんに聞いたですう(このほーが早いw)
『え?安房佐野ですか? でしたらこのバスで大丈夫ですよ^^』
琴音っちが尋ねると、どうやらこのバスでOKらしい。
ではでは乗り込みますですう^^
第761話、私こと大瀬崎夕実視点で物語りは進みますですう~♪
バスに揺られること30分くらいでしょうか。
琴音っちがバスの運転手さんと交渉していた
『安房佐野(あわさの)』のバス停に到着ですう^^
正直辺りを見回した感じ、ごくごくフツーの片田舎風景。
いったいここに何があるのォ???
バス停脇から直ぐ傍の側溝に架かる橋を見つめて無言の琴音っち。
『ねえねえこの橋が何か???^^;』と聞くんだけど、ム~ン・・・と頷いて答えてくれない彼女。
えっと・・・ただの石橋だよね? 特段なんも無いように思うんだけど^^;
そんな彼女はしばらくしてから『こっちだよ夕実っちい^^』と歩き出す。
橋を渡って先を行くみたい。
私は『うん^^;』と言ってついていった。
目の前にやたらと幅員の広い道がまっすぐに広がったです。
田舎にはこんな道よくあることと、私はそれ以上気に留めなかったのですが、
彼女は道路わきに立つ看板にタッタッタ・・・と近づいて、今度は大きく頷いたのでした。
・・・私もそれが何だろうと彼女の後ろから覗き込んだ。
『館山海軍砲術・・・学校?』
私の声に反応したのか(やっとかよ!琴音っちい・・・^^;)
彼女がこの看板を見つつも私に色々と説明をしてくれましたです。
『この周囲一帯は、元々は館山海軍砲術学校っていう軍関連の広大な敷地だったんすよ^^
昭和16年開校。昭和20年、終戦と共に閉校。
元々は横須賀の海軍砲術学校の分校としてここに造られたみたいっすね^^』
元々分校。というか砲術学校ってなんですか???
戦争史にすこぶる疎い私(戦争とか軍とか苦手なの^^;)
『砲術学校ってなんですか?』って聞いちゃった。
『簡単に言えば・・・戦地へ赴く戦闘員養成の為の学校ってとこっすかね。
ガンダムで言えばブライトさんみたいな人をいっぱい開校時には養成してたんだよっ^^
でね?ここは特に上陸作戦の実戦部隊養成(陸戦隊養成)が主だったとこみたい^^
海軍ってことで艦船軍船の操舵技術や兵器操作を教わるってイメージしちゃいそうだけどお、
海の上だけじゃ無いんだね^^;』
そうなのですか。なんとなく分かりましたですう(ガンダムの例えはさっぱり意味不ですが・・・^^;)
・・・ふと、ここで私はバカな頭でも気づいた。
『学校ってことは・・・学生さんってことですよね・・・。若い子ばっかり戦争の勉強してたんですね・・・』
『そうっすよ^^ 若いって言っても幅はあるけどね^^
大学卒業くらいの人や専門学校卒クラスの人も居たし、今で言う高校生の年齢の人も数多く在籍してたんす^^
まあでも・・・米軍攻勢の戦争末期には、この高校生くらいの子達がここで短い期間の訓練を受けて戦地に送り出されたんだけどね。
そして数多くの人が散っていったのも事実っす・・・』
ううう・・・年齢差別をするつもりは無いですが、
未来のある子達までも駆り出される戦争ってなんなんでしょうか・・・。
足りなくなったから若い子で補充ですか・・・
補充って・・・
人は物か何かですか?
私は看板にある隊をなす学徒の写真をマジマジ見つつ、戦争ってなんだろ?コノヤロー!と思いを馳せるのでした。。。
---私が無言で渋い顔をしていたのを察したのか琴音っちがフォローしてきた。
『なんかわかんないけどゴメンね夕実っち^^; 戦跡巡りって正直当時を思うと気持ちの良いものじゃないと思うの。
でもさ?
こういうの知らないで過ごすのも勿論平和だけど、知らないでいつしか同じ過ちを繰り返すよりよっぽどいいと私は思うっすよ^^
私はなるべくポジティブに考えたいっす^^
最悪にして最高の反面教師っす』
最後の彼女の例えはどうかと思うけれど、
ちょっと励まされた。
そういう彼女の発想もまた嫌いじゃない。なんかそんな気がしましたですう。
ーーーここで琴音っちが看板の写真の一部分に指を這わせて私に振り返る。
『ねえねえ見てよ夕実っちい^^ ここにさっき見た石橋が写ってるよっ☆
当時のまんまなんだね。あの石橋^^』
ああほんとだ!
よく見ると道路の幅も石橋も当時のままなんですね^^
その後は彼女に『この橋は戦車が通っても平気な頑強な造り・・・』とか色々とウンチクを聞かされる。
あんまり何事にものめり込まず深くも考えないタイプの私なんですが、彼女の話を聞いてるとーーー
なんだか過去を知り発見をするってのは、結構面白いし勉強になるんだなあ~と思わされましたです^^
さて、先ほどの看板意外にも道路の脇には別の看板が立っていたです。
そこには当時の砲術学校の見取り図が載ってましたです^^
『この地図を頭に叩き込んでからこの集落を歩くのも面白そうっす^^』と言う琴音っち。
確かにちょっと宝探しっぽいですね^^
私は地図をスマフォのカメラでパチリと収め、この広大な砲術学校敷地跡の探索に向ったのですーーー
昔、学舎(第一学生舎)が在ったところは館山市房南中学校^^
砲車庫・戦車庫があった付近は・・・JA安房神戸支店?
ふとここでJAの花壇が煉瓦造りだったので琴音っちに『ねえねえ琴音っち!煉瓦だよここ~^^』と聞くのだけれど、
彼女が言うには『煉瓦の表面をよく見てみ? なんか引っかき傷みたいなのあるっしょ? これってイマドキの煉瓦成型によく見られる傷なんすよ。 だから戦跡遺構とかには全然関係ない奴っすね^^』だって。
え?そーなの?
私にはさっぱりわからないよー^^;
私達は、あの幅広で真っ直ぐ続くメインストリートを進まずに右手に折れてみることに。
そこもまた随分と幅員の広い大きな道路でしたです^^
右手に見える場所は元々砲車庫・戦車庫があった場所のようです(今は何かの会社さんの倉庫みたい。もしくは水道局)
歩いていくとその先には小さな川が流れていました。
この砲術学校跡一帯はコの字型に山々に囲まれている半分盆地みたいなところなんですが、
そのコの字の境は小川と小さな山間でしたです。
そこに架かる橋もまた
随分と立派で堅そうな石橋でしたよ~^^
山肌を注意深く見てみると、これまたお約束なんでしょうね。
明らかに人の手によって掘られた防空壕っぽい横穴を何箇所も発見でしたですよ^^
『おおっと煉瓦ちゅわ~ん発見☆』と、道端(農道脇)で見つけた煉瓦片に小躍りする彼女。
少なくとも彼女に言わせると古い煉瓦さんぽいらしい。
私はワケワカメでしたけどね^^;
さて再びメインストリートに戻ってきたです^^
昔の面影はほとんどなく、広大な畑の中に民家がポツンと点在する程度。
何でも琴音っちはこのメインストリートの先にある物件に用があるとのこと。
・・・パッと見た感じ何もなさそうだけどなあ^^;
道の突き当りまで到着。
『昔はここに館砲神社って言う神社があったらしいんっすけど・・・』
彼女に言われて見上げてみるけれど、木々が鬱蒼としてまるで面影も欠片も無い気が・・・
でもこの広大な砲術学校を見下ろせる一等地だったのはなんとなくわかりましたです。
昔はここで訓練生たちが日本の未来や自分達の無事を祈ったんでしょうかね。
---さてっと。
ここで琴音っちが『多分目的地はもうすぐそこだと思うっす^^』と、神社跡から左手に進み出した。
私もてくてくついて行く。
あ! なんか民家の横にあやしげな物件が見えるですね~w
そうです。
彼女はやっぱり煉瓦さんの建物を見たかったようですね。ウフフ^^
『ぐはー!心がピョンピョンするんじゃあぁぁあぁー♪』と、ヨダレを垂らしつつ駆け寄る琴音っち^^;
正直一緒にいるとハズイ^^;
でもこの建物って何?
『ねえねえ琴音っちい~、この煉瓦さんは何の建物だったですか???^^』
『ここっすか? ここはこの館山海軍砲術学校の訓練生達の料理を作った烹炊所の釜場だったんだって^^
簡単に言うと給食の調理の煮炊き場ってとこっすかね^^』
へえ~給食のおばさんが居たかどうかはわかりませんですが、ここで火を焚いてご飯作ってたですね^^
『厳しい訓練で鬼の館砲って恐れられた、ここ館山海軍砲術学校。
多分、寝るときとご飯食べてる時だけが憩いのひとときだったんじゃないっすかね^^』
・・・そんなに厳しいとこだったんですか^^;
でもなんかご飯をガツガツ食べてる当時の学生さんを想像してしまいますですね^^
ここで『さってっと。一通りこの釜場跡の煉瓦ちゃんを見て回るっすよ~ん^^』と、さっそく琴音っちはウキウキで煉瓦の建物を嘗め回しはじめましたですw
私も彼女に追従することにした。
屋根は抜け落ちてどこにも無いみたいです。
あるのは窓枠?から見上げる青天井。
ここまでさんざん彼女と付き合って来たからわかりますですよ~^^
これはイギリス積みってやつですよね^^
窓枠以外にも変な穴が。
でもなんか石がいっぱい詰まってるです^^;
建物の左手にやってきました。
石造りの開口口から彼女が敷地内に入っていったので私も潜って中へと進む。
そこにあるのは煉瓦壁だけの釜場と、小さな花たちだけでしたです。
昔はどんな感じの建物だったんでしょうかね^^
『じゃあ~とりあえず刻印探しでもするっすよーん^^』と、琴音っちが軽い感じで言うのだけれど、
・・・多分あなたそれが目当てだったんでしょw
彼女は煉瓦刻印が見つけられそうな煉瓦の一番面積の大きい部位が露出してる場所を探すんですが、
見た感じそんな都合の良い部位はなさそうでした^^;
(※ 露出してそうなところは石造りで被さってたりしてるし^^;)
そんな彼女は先ほど外側から見た穴(石がいっぱい詰まってた穴)に注目し始める。
なんでも彼女の言うところによれば、この地面伝いに外へと抜ける穴はボイラーの穴だったんじゃないか?だそうですう。
煉瓦や石以外に瓦の欠片も詰まってるですう。
でもなんか新しい年代っぽいですね^^
穴に詰まっている煉瓦片を手にとってマジマジと観察する琴音っち。
『ちりめんじわもあるし煉瓦自体は年代物っぽいっすね^^』と、ニヤニヤする彼女。
・・・どこにそんなニヤニヤする要素があるのか私には正直理解不能^^;
---そんな彼女が突然大きな声を上げる。
なんだか手に取った白っぽい煉瓦?を見て発狂してるのです。
『ぐはあー!いいもんみつけたああああ☆』って^^;
どうしたの?と聞いてみるとーーー
『これは多分耐火煉瓦っす^^ ディンプル(くぼみ)があるこの手の形は結構年代物なんじゃね!?』とはしゃぐ。
・・・結構レアってこと?
よくわっかんなーいけれども彼女にとってはお宝発見だったみたいですう。
そして『耐火煉瓦ってことはつまり、火を扱う釜場だった証明でもあるんだよね』と嬉しそうに頷いてましたですよ彼女^^
煉瓦1つからその建物の歴史の足がかりになるんですね~。
そう考えると煉瓦探しも面白いって思っちゃいましたです^^
さてその後は再び煉瓦の刻印探しに没頭(私も一応お手伝い^^)
落ちてる煉瓦や建物の壁などを探して見て回りました^^
---時折
『うぎゃあああああああああ!』
『ひいいいいいいいいいいい!ですううううう^^;』
と、ひっくり返した煉瓦片の下のダンゴムシさんに驚かされつつも探します(もおーいやだあーーーー!w)
結局は刻印らしいものは発見に到りませんでしたが、結構楽しい宝探しの時間でしたです^^
この後は帰りのバスの時間も気にしつつ、
かつて存在した『館砲神社を探しに行こう!^^』と言う彼女に付き合って小高い山を目指しますです(時間あんまり無いのにい・・・です^^;)
藪まで突貫したのにそれらしいものは何もありませんでしたですう^^;
あるのは枯れ草ばかりなり。
多少、自然に出来たとは言いがたい怪しい地形もありましたですが、名残りと呼べるものは見受けられませんでした。
それでも木々の間から見下ろす集落の景色は中々のものでしたよ☆
ここから学生たちを見守ったのだと思うと、神社がここにあった理由も納得でしたです。
---さて、
結果としてこの神社探索が仇となりましたです。
『うはああw 3分差でバスいっちゃったよーマジで^^;』と、バス停の時刻表を力なくなぞる琴音っち。
そんなんアナタに文句言いたいですよ~プンプン!
次のバスは一時間後・・・
待つには長い長い時間でしたです・・・^^;
---結局私達は
次のバスをここで待たずに徒歩で館山駅に近づくことにしましたですう^^;
---約40分後・・・
館山市街のまだ手前の『運動公園前』と言うバス停まで到達。
こういうのには廃村さーくる活動で慣れてはいますですが・・・
さすがにここで一息入れようってことになりましたです(もー疲れたですよ!)
公園内の東屋でホッと一息、腰を落ち着かせます。
お風呂じゃないですが『ふ~~♪』と言うなんとも言えない声をあげる私達2人でしたw
ここで私は買っておいた清涼飲料水のキャップを捻って一口二口喉を潤してたら・・・
琴音っちがリュックの中をガサゴソ漁って、嬉しそうに何かを私に見せたんです。
『くじら弁当買っておいたっすよ☆ 遅めのランチと行こうっすw』と、お弁当とーーー
缶チューハイを私の前に置いたのです^^;
あんたいつの間にそれ買ってたんだよ!w
ううう・・・、でもそう言えば朝乗って来た電車内での塩茹で落花生しか食べてない私・・・。
色々とツッコミ入れたかったですが、素直に『ありがとう^^』と受け取りましたです。
ではさっそく乾杯してから実食ですう☆
パカッと開くとこんな感じですう^^
彼女がお店の人に聞いた話だと真ん中が玉子そぼろでーーー
右側がくじらのそぼろ
そして左側はくじらの大和煮の
『くじらの三色弁当だよっ☆』って説明してくれたんですけれど、
どう考えても二色☆
でもでもなかなかどうしてですう^^
くじらのそぼろも大和煮も味付け絶妙でクセが無くって美味しかったですう♪
とは言えじっくり堪能する時間も無く早弁で喉に掻き込んで、バス停に戻って無事館山駅へ^^;
(ちょー!せわしない旅路でしたです・・・^^;)
さて、館山駅に到着したのはいいのですがー
どうやって帰るか?となったのですう。
①電車で帰る
②高速バスで帰る
③高速ジェット船で帰る
の三つの選択肢。
こうやって考えると館山って結構交通の便は良い観光地ですよね^^
結局『どうせなら最短(約一時間)で東京に辿り着ける高速ジェット船で帰るっすよマジで☆』と言う琴音っちの意見を尊重する形に。
だって私、高速ジェット船って乗ったことないんですものw
(※ 物語上、夕実ちゃんは乗ったことない設定。実際のボクは何度も乗ってるのはこのブログ読んでる人は知ってると思うけどw)
折りしもこの日は低気圧が抜け去った風がとんでもない日でした。
館山駅から徒歩で15分の高速船ターミナルへの道中は、
海辺から飛んでくる機関銃のような砂粒に視界を奪われつつの行軍でしたですう・・・^^;
・・・すごく痛いですう!
なんとか『渚の駅たてやま』さんに到着です^^
この施設の一画に、季節限定『館山~東京航路』のチケット売り場があるらしいって琴音っちが教えてくれる。
ではではチケット買いに行くですよ~☆
焼玉エンジンの展示物横の入り口から建物内に潜入。
売店やミュージアムがあったですが、そこを抜けて一番奥の会議室みたいなとこがチケット売り場でしたです。
ふと、特設のチケット売り場の部屋に入ろうとした私達の目に、
実に残酷な文字が写ったのです。
欠航です☆
どうやら強風の為に港に接岸できないと言うことで欠航とのこと^^;
『ぐはあ・・・マジっすか^^; 風は強いけど良い天気になってたから平気だと思ってたっすよ^^;
こんなことならスマフォのネット検索で船の運航状況をチェックしとくべきだったすねえ・・・^^;』と嘆く彼女。
・・・頼みますよ琴音っちい^^;
じゃあ~館山駅にこのまま帰るのもアレなので、併設のレストランでお茶でもしていこうとなったのですが、
レストランやってねーですよ^^;
・・・結局、とぼとぼと歩いて駅まで帰りましたです(時間かえせーw)
東京までは高速バスに決定。
なんでかと言いますと~電車だと帰宅ラッシュに巻き込まれる時間帯だし、座って帰りたいから☆ですうw
最後もやっぱり塩茹で落花生☆
失敗も色々ありましたけれど、色々勉強になった館山日帰り旅でしたよ^^
《あとがき》
ここまで長々と読んでくださりありがとうございました^^
多分ボクの記事を見るんだったらスマフォの方が楽なんじゃないかなw(下にピュ!ってスクロールすればいいだけだし)
さて今回は丁度一年ぶりくらいかな?館山再訪してきたわけですが・・・
バス移動の往復で時間を取られて二箇所しか巡れませんでしたね^^;
とゆーことで、また来年も同じ時期にリベンジしたいと思います^^
次回の記事は~廃鉄かな?
久しぶりに古煉瓦バージョンではない廃村さーくるシリーズかもね^^
ではではアディオス!
第760話 南総里見発見出来ない編IN館山①『藪でどこだかわからないよっ!』州崎第二砲台跡? [廃村さーくる(古煉瓦)]
『え?雨降ってるけど行くですか?』
夕実っちが少々ほろ酔い気味にフララ~っと窓辺に手を這わせて外を覗き見る。
『午後から晴れって予報出てるっす^^ だからどーにかなるっしょ☆』
私の言葉に『ええ~・・・^^;』と嘆く彼女だったが、まあその反応、分からなくも無いっす。
だって多分、今日は藪漕ぎするだろうから・・・
第760話、南総里見発見出来ない編。IN館山!スタートっす☆
シトシトシトシト・・・冬の雨。
私と夕実っちは始発に乗り込むために暗いうちに部屋を飛び出した。
『ねえねえ、ホントに行くですか?』と、相変わらずしつこーく聞いてくる彼女だったけれど一切無視w
『アーアーキコエナーイw』と笑って駆け出す私に彼女は渋々と追いかけてきたのであります^^
東武スカイツリー線、中央林間行きに揺られ(この日は路線トラブルがあって正確には渋谷駅止まりでした)
錦糸町駅でJRに乗り換え。
早い時間だと言うのに混んでいたのでリッチにグリーン車輌にクラスチェンジ!
こっちは流石にすいていたっす^^
ここからはかなりの長旅。っつーことで早速宴にまいりましょうず☆
夕実っちと少年サンデーを仲良く見つつもビールと塩茹でピーナッツで晩酌の続きをば^^
『わきゃ?塩茹でピーナッツを買ったのは、今日の旅先に敬意を表してですかね^^;』
『ま、そんなとこお~w』
そう、今日向っているのは千葉県は房総半島の先っちょの方なんでありんす^^
だからピーナッツ・・・と言うことでもなく、
タダ単に塩茹で落花生とかがお気に入りなだけなんすけどね☆
最近はJR系の売店で塩茹で落花生やピーナッツを置いてくれるようになったので嬉しい限りっす♪
私はビールをぐびぐびしつつ、塩茹でピーナッツを4~5個掴んでは頬張って、その柔らか感触から染み出る味を楽しんだ。
残念ながら千葉駅で憩いの時間は終了を告げる。
ここからは内房線のローカルで先を目指すことになる・・・。
(※ 特急もありますが、時間的に指定席車輌の無い鈍行に乗ることになるのです・・・)
『わきゃあ・・・学生さんと押し競饅頭状態ですう^^;』
『ぐは・・・サラリーマンのおっちゃんのショルダーバッグの先っちょが股に当たってきもちわるいんですけど!^^;』
正直、房総半島を下れば下るほど車内は閑散として快適に目的地へと着くもんだと思っていた私と夕実っち。
ぶっちゃけとんでもなかった。
大きな市である木更津駅を越えれば学生もサラリーマンも一気にいなくなると思ってたのに、
ギュウギュウ詰めは君津駅まで続いたのであったっす・・・
---ようやく車内が閑散とした頃、
空いたロングシートに腰掛けた私達2人はいつのまにか寝ていたみたい。
なんせ前日から私の部屋で朝まで寝ないで呑んでた2人でしたからw
(学生の本分を忘れてるって言われちゃうかもっすが、大学生活は2人ともすこぶる真面目っすよw)
『次は~終点、館山ぁ~館山ぁ~でえす。身の回りのお荷物を・・・』
車内アナウンスにヨダレを垂らしつつ慌てふためく私と夕実っち。
『わきゃ!? も、もう・・・館山にきちゃったですう^^;』
『そ、そうっすね^^; 通り過ぎちゃったなあ・・・』
なんでこんなにビックリ嘆いているかと申しますと、実は館山駅の前に途中下車して寄り道したいところがあったからだったりします^^;
(※ あえてどこに行こうとしたのかは今回伏せておきます。来年行くことにします☆)
---ちょっと予定より早いけれど・・・
私達は無事に?千葉県は館山市、館山駅へと降り立った。
『わきゃー☆ 館山駅舎って煉瓦チックな建物ですね^^』
『煉瓦タイルとかだと思うっすけどねw』
初めて降り立った館山駅。
その内観外観は煉瓦基調のお洒落な建物でしたっす。
ただ、古煉瓦を齧った私には真新しくてなんでもないって、ひねくれて思っちゃうのがナンダカナーって感じですよね^^;
知らなければ『お洒落な駅舎』で済んでたのにねw
---さてと。
本来なら寄り道をして今日の午前中をそこで過ごす予定でしたが、来ちゃったならしょうがないっす^^
『戻るですか?』と言う夕実っちの提案もあったけれど、次に予定していた場所を繰り上げて探索したほうが良いと判断して、
目的地までのバスを探すことにしたっす^^
『く、くじら弁当とかあるです!なんかキニナリマス~^^』
『ここ館山もかつては捕鯨の港だったらしいっすよ。・・・っつーか、お弁当食ってる暇ないっすよ夕実っち^^; それよりもバス停バス停^^;』
・・・確かに『くじら弁当』は気になったけど、
伊豆出身でコアな人なら『イルカ』とか普通に食べるし、クジラもイルカもほぼ同類。そこまで珍しいタベモノじゃ~ないっしょ^^;
(※ 実際、伊豆半島の一部のスーパーではイルカなどのお肉とか普通に売ってます^^ マンボウとかも売ってます。
伊東市・旧戸田、自分の地元の函南町のスーパーでもたま~にイルカのみりん干しみたいなのパックで売ってるっす^^
でも多分、宮城・仙台産じゃないかな?)
私達は駅前のバスターミナルでどの路線に乗ればいいのか右往左往。
『止まってるバスの運転手さんに聞いた方が早いですう^^』と、夕実っちがバスの運ちゃんに話しかけてあっさりと乗るバスが分かりましたっす^^;
そうだよねw そのほーが早いよw
やってきたのはバスに揺られること約30分の『坂田ばんだ』と言うバス停っす^^
千葉県館山市、房総半島の最も西端の岬である洲崎(すのさき)と言う岬までの途中で降り立った私達。
今回はここからのハイキングコースに用事があったわけっす^^
目の前は東京湾の入り口のすぐ外海。
雨はいつの間にか止んでいたけれど、海はどことなく荒れていたっす。
帰りのバス時間もしっかりチェック。
予定より早いとはいえ、ここはローカルタイムっす。
ひとつバスを逃せば一時間後になっちゃうっすからね^^;
さて今回の目的は『州崎第二砲台並びに弾薬庫跡』見物^^
ここ館山界隈にかつて存在していた東京湾防衛、要衝のひとつにお邪魔することにしたんす^^
え?なんでかって?
それは『戦跡あるところに煉瓦ちゃんあり!』ですからね!ぬははははw
そして戦跡に到るにはいくつかルートがあるらしいのですが、
ハイキングコースからも行けるみたいな情報もあったので、そちらから目指すことになったっす。
これが多分失敗?だったのかもしれませんが・・・・・・
『ねえねえ琴音っちい!ここに大山登山道・・・って書いてあるですよ』と指を差す夕実っち。
坂田のバス停からすぐそばに、めっちゃ擦れた看板がありました。
どうやらここから登っていけば・・・ゴクリ。
そこは集落の海沿いの表口。
私達はさっそく道伝いに上へ上へと歩く事にしたっす。
途中、どこから目の前の小さな大山を目指すのか見失う。
・・・だって道だと思ってたら民家の軒先だったりするんだもん^^;
なんとかかんとか上へと歩くとーーー
一見、民宿へと通じる道と錯覚してしまうようなところに
『大山コース』の立て札がポツンと立っていたっす^^;
『わきゃあ・・・なんか・・・不安にさせる藪道が見えるです^^;』
彼女が嘆くのも当然。
民宿の壁伝いに向こうに広がる景色は・・・ボボボボーボボー・・・でしたからねえ・・・^^;
さっそく小道を歩き出すと・・・
『み、水溜りですう^^;』
『うは^^; どーかんがえてもこの水溜りの道を避けて通れないじゃんかw』
2人して散々悩んだ挙句、脇の竹薮を踏み倒しつつ水溜りを避けて向こうへと行くことにしたっす^^;
・・・とは言っても、この細い竹、意外と丈夫でして・・・
『わきゃあ・・・靴濡れたですううう^^;』
『うはー・・・竹つえええええ^^; しなるけど折れない!全然前に進めないんですけどお!^^;』と、
かなり悪戦苦闘でした。
なんとか靴をドロだらけにしつつも水溜りルートを突貫した私達。
再び竹薮ルートへ突入っす・・・^^;
道はあるんだけど・・・正直この道でいいの?って思うくらいに背丈の二倍(いや三倍)ほどの竹薮に不安を煽られる。
竹の落ち葉が濡れていてとても滑りやすいし、まるで迷宮っす^^;
竹薮ルートを抜けたところで(抜けてないんだけどね本当は)
前方の斜面の道にロープがぶら下がっていたっす。
『ねえねえ琴音っち・・・。あのロープはなんだろうですう^^;』
『たぶん、登山道を通る人の為に設置してくれたロープなんじゃないっすかね^^;』
見上げれば確かにそこそこ急な登り。
地面がぬかるんでることもあり、このロープは重宝しましたっす。
うんしょうんしょと登り切り、先へ先へと登るんだけどーーー
いくらなんでもこんな山の上に弾薬庫とかありそうもないと思えてきたんす。
情報じゃ、この大山を通関する『トンネル式弾薬庫跡』だったはずだし・・・。
このままじゃトンネルの上の部分をひたすら歩くようなもんじゃね?
と言うことで、一旦仕切りなおし。
元居た平坦な藪道まで戻ることにしたっす^^;
途中、藪がひらけた所に変な空間を夕実っちが見つける。
うーん・・・。確かに怪しい気もする。
綺麗にうっすら溝っぽいのも見えるし(奥の不自然に盛り上がった台地も気になるしね)
~と言うことで一応確認の為に近寄ってみたっす^^
何かあるかな?と台地を駆け上ってみる。
するとーーー
なんもないっすw(行き止まり☆)
その後は誰かが踏み歩いたっぽい路盤跡を竹薮書き分け進んだり色々と探ったのですが・・・
どうやらこの界隈じゃ無さそうだと言うことに落ち着いた私達。
結局、
海沿いの県道まで戻ってきてしまいました^^;
ここで夕実っちが『わきゃ?そー言えばですよ、琴音っちは確か別ルートが何個かあるって言ってたですよね?
だったら別ルートを探してみるのは?』と提案してきたのである。
正直もう帰ろうよと言われると思っていただけに意外や意外でしたっす^^;
ということで夕実っちもまだまだやる気があるうちにと、別ルート散策に出かけたでアリマス!
先ほどのバス停付近のルートから少し岬側へ寄ったところにひとつの登り道がありました。
さっそく行ってみますぜ^^
ん?道の脇に怪しい水の溜まり場を発見。
どう考えても自然に出来たものじゃない。
でも近くに畑もあるし、別に戦跡遺構には関係ないかもと判断して先を行くことに。
ココまで来ると石段ですら何もかもに対して疑心暗鬼。
この階段は軍が昔作ったんじゃね?とかさ(これはただたんに近くのお寺さんに抜けるための石段だったっすw)
草に埋もれた道を発見。
正直誰も歩かなそうな石の道。
せっかくなのでこの道を頼りに大山方面へと歩いてみた。
するとーーー
舗装された綺麗な道路にぶつかってガッカリ^^;
でも方角的には弾薬庫とか点在してる方向に伸びてる道のような気がしてならなかったのです。
モノのついでに舗装道を歩くのですが・・・
大きなダンプが引っ切り無しに行き交う場所だった。
しかも、途中から工事中で関係者以外お断わりで先に進むことは出来なかったっす・・・^^;
結局、私達は諦めて舗装道を下ることにしたーーー
その舗装道入り口と県道の境に工事関係者さんの掘っ立て小屋があったんすが、
その裏手に『なんのための柱なのかわからないけど石柱』が、道路両脇にポツンとあった。
夕実っちは『昔、ここらへんに家でもあったですかね^^? その名残りとか?』と首をかしげていたんだけれども、
私は州崎第二砲台跡に辿り着けなかったことにガッカリし、彼女に『う・・・ん、たぶんそんな感じじゃないっすかね』と生返事を返すだけだったっす。
坂田のバス停に到着。
どうやらタイミング良くあと5分程度で館山駅行きのバスに乗れそう^^
『今回は残念でしたですう・・・^^; こういうこともあるですよね^^;』と夕実っちが私を慰めてくれた。
『そうだよね。毎回毎回必ず辿り着けるってわけじゃないよね。あはは^^;』
普通の観光地ならばよっぽど方向音痴でなければ辿り着ける。
でも今回は観光地じゃないしね^^;
自然に埋もれた戦跡遺構を探りに行った訳だし、そういうこともあるだろうと割り切った。
少々ローカルタイムで遅れてきたバスに乗り込んだ私達。
車窓から見た海辺の景色は青々とし、朝方まで雨だったことを忘れるくらいに良い天気だったっすよ^^
時間もまだまだ正午手前。
次の目的地も決まってる。
そこで気分をリベンジすんぞ!と私は意気込んだ^^
ふと、夕実っちが今回辿り着けなかった州崎第二砲台跡をスマフォでネット検索しておさらいをしていた。
するとーーー
『わきゃ・・・ねえねえ琴音っちい^^; この地図見て見てえ^^;』と、スマフォに表示されるマップを私に見せてきたのです。
げっ!
私達は随分と見当違いの場所から戦跡巡りをしていたようっす^^;
いや、正確に言うと大山登山道を行くのは悪くは無かったみたいです。
むしろ大山を登りきってしまえば何かしら戦跡にめぐり合えたようっす^^;
そしてもっとビックリと言うかガッカリだったのは、
実はあの綺麗に舗装された道の先こそ戦跡が点在する道への入り口だったようです^^;
ちなみに家の石柱かなんかか?と思っていたあの柱こそ
『州崎の砲台地区の門柱の名残り』なんだってw
まあでもしょうがないか^^
どのみちその先は関係者以外立ち入り禁止になってたしね☆
私達は館山駅に再び帰って来た。
そして再びバス探しが始まったのでありますーーー
《あとがき》
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
今回は一年ぶりの軍都・館山市探訪です^^
残念ながら今回はお目当ての場所に辿り着けませんでしたw
でもなかなかどーしてどーして、竹薮のトンネル巡りは楽しかったよお~(強がり)
さて次回は館山市の別の戦跡へと向います。
煉瓦とクジラと欠航と。
色々盛りだくさんなので期待しないで下さいね☆
ではではバイビー!
第759話 『落書きだらけの天使?』三菱製紙中川工場の煉瓦倉庫跡&金町製瓦株式会社 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『お兄ちゃんお兄ちゃん!西表島のどこに行くん?』
『え?ナイショに決まってんだろ^^』
今日はお兄ちゃんが石垣島離島の雑誌を抱えて私のアパートにやってきたっす。
なんでも差し迫った西表島旅行の日程調整と私の意見を参考にしたいからなんだってさあ。
だったら夕実っちも一緒に呼べば良いのにね^^;
『イリオモテヤマネコには是非会いたいっす!あと、由布島の水牛車!』
『うーん・・・行ってみたいけどどうかなあ^^』
なんでだよ!この2つ見ないで何が西表島っすかw
まあ由布は西表の属島だけれどさあ。
『オイラは煉瓦と戦跡と廃墟廃村見たいんだよなあ~』と地図をにらめっこするお兄ちゃん。
結局それかw お兄ちゃんらしいっちゃらしいけど^^;
っつーか私の意見を聞きにきたんじゃねーのかよオイw
でもまあ名目上『お兄ちゃんの卒業旅行』なので、強くは反論しませんけどね^^;
---さて、あーだこーだ言いながらも宿も決まり(どうやらデラックスでおーしゃんびゅーな洋室らしい)
移動手段・観光日程もほぼ決まった。
私はさっさとお兄ちゃんを部屋から追い出していつもの煉瓦調査へとお散歩に出かけようと思ったら、
『思ったよりさっさと日程決まったしオレもこのあと暇だからついていっていいか?^^』と言ってきたのです。
まあいいけど邪魔しないでよねお兄ちゃん☆
第759話、落書きだらけの天使編!すたーとっす^^
やってきたのはJR新橋駅。
はい。ここんとこ恒例のヤツです^^
『おいおい琴音? もしかして散歩って煉瓦の高架橋の刻印探しか???』
『うん、そーだよーん^^ 私はここで刻印を見つけるのだエヘン!』
そう、最近は暇があればここら辺に来ています。
前回は雨天でせっかくの望遠レンズが機能しなかったので、晴れ間のある今日ならば・・・とやってきたんす^^
なかば呆れ顔のお兄ちゃんだったけれども私は気にしない。
私はさっそく煉瓦刻印が見つかる『可能性がある』
『高架橋最上部の装飾積み煉瓦』を撮影しまくったのだ^^
『ああなるほどな^^ 煉瓦壁面とかはアーチ下のスペースに店舗が出たり入ったりしてその都度工事して煉瓦も随分綻んでるけれど、最上部の部分は当時の面影を色濃く残してるしなあ。
お前にしたらよく考えたじゃん^^』
でへへ。お兄ちゃんに褒められちったぜ☆
いや・・・褒められてないような^^;
途中からお兄ちゃんも積極的に参加してくれるようになる。
ふとお兄ちゃんが高架橋を指差して私に声を掛けてきた。
『ここのアーチの右と左を見てみろよ琴音^^
左側は分厚い内巻きのコンクリートで補強してあるけれど、右手側は薄いだろ?
なんでも100年を悠に越える煉瓦高架橋の耐震補強工事が今、着々と進んでいるみたいだそうだ。
なんせ建設当初から一度も耐震補強されてないらしいからな^^;
2020東京オリンピックまでに結構煉瓦をガリガリとやるらしいから今のうちに写真撮っとけw』だってさ。
なんでもお兄ちゃんが言うには、特に新橋駅一帯は大規模改修が行われるんだって。
なるべく煉瓦外観は残す方向らしいのだけれども、一部はだいぶ削られたりするらしい・・・
とゆーか大きな地震に遭ってきたのに100年耐えた高架橋マジすげーっすよね^^
ちなみに補強されてない右側のアーチも工事中でした。
工事のオジチャンがそっぽを向いてる間に、こっそり隙間から覗いて見たらーーー
高架橋の下まですごーーーーーく掘り込んで、鉄骨の杭が幾つも刺さりまくってましたよ^^
かつては松杭で支えていた煉瓦高架橋も(もちろん今現在も、この高架下の地盤には松杭が支えています)
少しづつ少しづつ時代の流れと共に変わっていくんですね^^
今のうちにいっぱい見ておいていっぱい写真撮っておこうかな☆
出来れば煉瓦の外観はそのままでいてほしいと思いますっす^^
・・・結局、何十枚も写真を撮って画像を拡大してみたのだけれど、まったく煉瓦刻印らしきものは写ってなかったっす^^;
まだまだこれでも全体からしたら数パーセントしか写真に納めてはいないんすけれど、
さすがに少々へこんだ私です^^;
『まあ、まだ見つけられる可能性はあるよ琴音^^; でも今日はこの辺でお開きにしようぜ』と一応気遣ってくれる兄者。
『う、うん。そだね。アハハ^^;』と力なく返す私に、
お兄ちゃんは1つの提案をしてきた。
『なあ琴音。少しだけ遠回りして帰らないか?
もしかしたら口直しで煉瓦刻印が見られるかもしれないぞ^^』
・・・
・・・
え?なんですと!?
こ、刻印見られる場所知ってるのお兄ちゃん!?
私は二つ返事で『うん行くっす☆』と大はしゃぎw
普段ならお兄ちゃんが私にちょっとでも触れようものならぶっ飛ばしてしまうんだけどォ、
私はお兄ちゃんの腕に組み付いて、その場所へと連れてってもらったよ~ん(ゴロニャン☆)
やってきたのはJR常磐線『金町駅』
私の住んでる埼玉草加市からそんなに遠くない東京葛飾区の駅でやんす^^
金町と言う名前でピン!ときた私。
『ねえねえお兄ちゃん。もしかして、金町製瓦工場の刻印が見られるってこと!? うは、それってマジ嬉しいんですけど☆』
『うーん・・・確証は無いけれど、望遠レンズあるだろ? もしかしたら発見できる可能性はあると思うぞ^^』
金町製瓦株式会社。明治21年操業の古い煉瓦工場っす^^
大正7年に日本煉瓦株式会社に吸収されるまであった幻の煉瓦工場。
ああ~ん。その煉瓦刻印見れるかもだなんてチョー嬉しいんですけど!^^
駅前から理科大学通りを歩いてやってきたのは
当然のごとく東京理科大学。
なんでもお兄ちゃんが言うにはこの大学の近くらしいとのこと。
私は周囲を目を皿のように大きくして見まわした。
すると理科大学と常磐線の間に
煉瓦っぽい建物の屋根発見☆
お兄ちゃんと組んでた腕を吹っ飛ばして駆け足で辿り着いたそこはーーー
見るからに立派な煉瓦の倉庫っぽかった♪
ここでお兄ちゃんが後から追いついてこの建物が何なのかを教えてくれた。
『ここは三菱製紙中川工場の煉瓦倉庫跡なんだよ^^
大正6年操業開始。でも近年製紙業の不況による事業縮小で閉鎖。
今ではこの煉瓦倉庫跡が残るだけなんだ^^;
よーく周りを見てみろよ琴音。・・・なんか変な感じしないかここ』
お兄ちゃんに促がされて、今一度このあたり一帯を見回してみる。
すると・・・広大な空き地にここだけがポツンと取り残されているみたいだったっす。
『この一帯はすべて製紙工場跡なんだ^^ あの理科大学も勿論工場跡に建てられたもの。
近くの高層マンションも工場跡だったりする。
そしてこの煉瓦倉庫を取り囲むように残された敷地もいずれは再開発の波に飲み込まれる予定なんだよ^^』
『え!? じゃあ・・・この煉瓦の倉庫もいつかは無くなっちゃうかもってことっすか^^;』
『どうなんだろうな。でもなぜかここだけ最後まで残してあるからには、なんらかの形で保存する予定か、マンションに上手く融合させて残す意図があるのかもしれないね^^』
大正期の立派な煉瓦倉庫。ただ取り壊すだけじゃもったいないなあ・・・^^;
どうにか上手く活用できる方法があれば嬉しいけどお・・・。
(※ ちなみに住友不動産の物になってます^^ いずれ居住区となる予定?)
さて、ここでふともう一つの疑問が浮かんだ私。
かつてこの周辺に金町製瓦株式会社(金町煉瓦工場)があったからって、ここに金町煉瓦が使われていたのかはワカンナイよね^^;
ひょっとしたら別の工場の煉瓦使ってるかもしんないしー。
(三菱だしね。丸の内にある三菱一号館や、上野にある岩崎邸は小菅集治監の煉瓦を使っていた。
ちなみに現在の復元された三菱一号館の煉瓦は中国製です)
私はさっそくこの煉瓦倉庫が本当はどんなものなのか、どんな歴史があるのか、刻印探しからそれらを探ってみようと望遠レンズをカメラにカチャッと装填したのです。
とは言うものの・・・
ファインダー越しに写ったその煉瓦の様はーーー
いたる所に落書きの山!山・・・^^;
むしろあんな高い所に落書きした労力を逆に褒めたいくらいでしたよ^^;
ま、気を取り直して撮影続行っす☆
勿論、狙う獲物はアソコっす↓
刻印が見られそうな『煉瓦の軒先』っす^^
すると早速ありました!
『〇と〇が重なる刻印・金町製瓦の刻印』が!
ワタシ大歓喜♪
『ちょっと見せろよ!』と、ワタシのカメラをひったくったお兄ちゃんがファインダーを覗きこむ。
『ほ~、間違いなく金町煉瓦だな^^ 横にあるカタカナの“フ”ってのは職人さんの符丁とかかな?
なんにしてもこの倉庫は地元の煉瓦工場の煉瓦が使われているみたいだね^^』
それ以外にも色々と見つける私^^
カタカナのフと言うよりも、どじょう髭みたいな符丁刻印?とか
カタカナのフだけの刻印!
そして正面側まで来てからもう一度Uターンして見直すとーーーー
『ローマ字の“Ⅱ”みたいな刻印』とか見つけましたっす^^
『へえ~結構見つかるもんなんだな。オイラちょっと驚いたよ^^;』
『ワタシも昔は半信半疑だったっすよ。でも正月の広島旅行で郷土資料館の軒先に刻印見つけたでしょ?
それから確信に変わったっすよ^^
狙うは煉瓦建造物の軒先だってね☆』
---さて、充分楽しんだ私達は帰る事に。
夕実っちにも西表島の日程表あげないとだわ^^
ま、そんな感じのある日の煉瓦刻印探訪でした☆
《あとがき》
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
ずっと煉瓦ばっかりで飽きられるかもしれないけれど、ボクが飽きるまで続きますw
なんせお散歩や旅行を兼ねる趣味なので都合が良いし楽しいのですよ^^
---さて、いよいよ西表島の日程も決まりました☆
3月17日 羽田~石垣~西表。レンタバイクでフリーダム!
3月18日 朝からレンタバイクでフリーダム。羽田へ!
の、一泊二日の旅路です^^
久しぶりの八重山諸島。楽しみっす☆
次回記事は房総半島の先っちょのお話です(さっき帰ってきたのだw)
歩き疲れたので今日は寝ますw
第758話 『都内で簡単に無料で気軽に見れる煉瓦刻印講座?』御茶ノ水・ソラシティー☆ [廃村さーくる(古煉瓦)]
『ねえねえねえねえ琴音っちい~。もっと簡単に煉瓦の刻印見れるとこないのですかあ?』
夕実っちが部室の掃き掃除をしながらなんとなく聞いてきたっす。
簡単に見つかるなら苦労しないよもー^^;
私は少々イラッとしつつも彼女に返す。
『無いことは無いっすよ^^;そこは都内だし望遠レンズも何も要らないし、勿論入場料とかお金も必要ないっす^^』
『え?そんなお手軽な場所あるならもっと早く教えてクダサイです~^^』
『いいっすよ? ああ・・でもどうせなら一人で行ってきてレポしてくださいっす^^
夕実っち、煉瓦さーくるの部長なんだからそれぐらい余裕っすよね☆』
チクリとやんわり嫌味っぽく言ってみたら彼女はさっそく乗ってきた。
『むきー!ですう^^; それぐらい全然余裕の吉雄さんですよ!』
フヒヒ、ちょろいちょろいですぜw
というか吉雄さんて誰よ^^;
・・・と言うことで私はある程度の場所を教えて彼女に宿題を課したのであるっす^^
第758話、誰でも気軽に無料の煉瓦刻印発見編(by都内)
ここからの物語は廃村さーくる&古煉瓦さーくる新部長の夕実っち視点ではじまるっす☆
あわわわわ・・・御茶ノ水とか初めて来たです^^;
降りてみて気づいたのは私と同じ学生ばかり。
でもでも何か、私の通う埼玉の大学よりも皆垢抜けているような・・・ですね^^;
都内恐るべしです!
---ここで私は、
琴音っちから貰った煉瓦刻印のある場所を示したクシャクシャの地図をポッケから引っ張り出した(クシャクシャにすんなー!)
・・・そこに記載されていたのは御茶ノ水駅と矢印ひとつ・・・
こ、こんなんで分かるかああああああああw
・・・とは言えこの御茶ノ水駅のちょー近くってのだけは分かりましたです^^;
あんな嫌味言われたら引き下がれないです。
女の子の意地を見せるでやんすですう♪(フンガ!)
わきゃ?あそこに見える立派な建物はなんだろうです。
もしかしたらあそこが煉瓦の刻印があるとこでしょうか???
私は駅前の周辺地図を見比べて確かめるのです。
『ニコライ堂』って書いてあるですね、あそこは^^
うーん・・・でもでもなんか外壁白っぽくて煉瓦っぽくないっぽい???
このへたっぴな地図の矢印的にも何か違うと思った私は、そのニコライ堂は保留として他を探すことにしたのですうーーー
(※ 夕実ちゃん残念^^; 実はニコライ堂も煉瓦が使われている立派な建築物だったりします。ちなみに重文です^^)
ーーーそんな私は右往左往。
煉瓦らしいものも見つけられず、
『御茶ノ水ソラシティ』という、めっちゃハイカラなビルヂングのある場所にやってきちゃいましたです^^;
御茶ノ水から徒歩1分(ただし信号に捕まらなければw)
こ、こんなとこにまさか煉瓦さんいないよね?
(※ 御茶ノ水ソラシティ。日立製作所本社の跡地を再開発したお洒落な複合施設です^^)
---と、思ったら
ビル前の憩いスペースに煉瓦さん発見ですう^^
煉瓦の案内板に煉瓦のベンチ。
案内板をよく読むと『ニコライ堂』とか『軍艦山?』とかここいらへんの歴史を物語ることが書いてあったですう。
そしてこのベンチや案内板に使われている煉瓦も、旧岩崎邸の煉瓦外壁の再利用と記載されてるです☆
これはひょっとして・・・と思った私は、さっそく刻印探しを敢行したのですよ~♪
ーーー経過すること5~6分。
えっと・・・刻印とかどこにもないじゃん琴音っちの嘘つきいいい^^;
私でも分かったです。
だって煉瓦の刻印がよく見える部分ってのは煉瓦と煉瓦の接着面(平の部分。一番面積大きい部位)なんですよね?
ここにあるベンチや案内板はガッチリ鉄のフレームや石で覆われていて、そんなの全然見えないよおおう^^;
・・・えっともしかしてここじゃないのかなあ。
彼女が言っていた場所ってここでは無いの?
とは言え無料(タダ)で見れて、煉瓦の情報っぽいのがこんなにある場所だしこの周囲ってのは間違いが無いような気もするしいー・・・。
---そこで私は諦めずにもう少し周囲探索をしたのですう^^
・・・
・・・
・・・ビル周辺の公園を探っていたら、
いつの間にかソラシティの裏手へとやってきてしまいました^^;
表側の華やかさに比べて人通りも少なく実に寂しい感じ。
ザ・裏側って感じです^^;
さすがにもう煉瓦のモニュメントすら無いんじゃないかなと諦めかけていたら・・・
なんとそこに煉瓦さんが居た!Σ(℃°;)がびーん!!!
そこは今までのベンチや案内板の煉瓦とは違っていたのですう。
左手には
『松山堂の蔵の煉瓦』
そして右手側にはーーー
『岩崎邸・三菱社の煉瓦』と言う煉瓦さんが展示されていたのですう^^
見るからに古そうだし、そもそも煉瓦刻印のありそうな接着面が剥き出しですう☆
と言うことでまずは左手の松山堂の倉庫煉瓦を見学ですう♪
あ!なんか丸に『サ』って刻印あるよっ!
こっちもカタカナの『サ』があるですう☆
到るところにサ!サ!サ!ですう♪
・・・でもこの刻印ってどこの煉瓦工場さんで打たれたものなんでしょうかですう^^?
(※ 色々調べたけれどどこの煉瓦工場かさっぱりワカリマセンでした^^; 神田の人気の本屋さんの蔵。手がかりは一杯あるはずなんだけどなあ・・・)
さてさてですよ~。
この煉瓦さんはどうやら刻印だけが凄いわけじゃなく、もっと別の部分が凄いって書いてありましたです^^
それはーーー
琴音っちに何度か聞かされた話ですけどお、煉瓦と煉瓦の間の目地が
『覆輪目地(ふくりんめじ)』と言う、こんもり蒲鉾状に盛り上がったモルタル目地は、中々見られないそうで、
しかもそれはーーー
『職人さんのプライドの証』なんだそうですう^^
技術的にも難しく、見た目も華やか。まさに職人さんの意地の作品なんだとか^^
(※ ちなみに東京駅の復元煉瓦にも見られますよ~。解説版付きで☆)
---さて、
私は一通り松山堂の倉庫煉瓦壁を見終えた後、
旧岩崎邸の再現煉瓦壁も見て見ましたです^^
そこにはーーー
サクラの刻印さんが^^
こっちにも違うサクラの刻印が煉瓦の天辺に咲き誇ってましたですう^^
この刻印さんは・・・えっと・・・えっと・・・(解説版を覗き込む私)
はい。そうです!
かつて『小菅集治監(現・小菅に有る東京拘置所)』で囚人さんが作っていた煉瓦の刻印だそうですよ^^
琴音っちほど別に煉瓦の刻印に興味があるわけじゃない私ですが、なんかレアキャラ発見できた気分で楽しかったですう^^
しかもそれが東京のど真ん中で簡単に見つけられて、かつ刻印が紹介されてるところがあるんだとビックリです^^
(いささかビルの裏手に追いやられてる感もいなめませんが、それでもこういう形でも昔のことを残してくれてるところに意義があるんだと思いますです^^)
さて、写真も撮ったしレポートレポート。
琴音っちに笑われないようにしっかりまとめますですよ~^^
一応、部長ですからね私w
追記:帰りに近くの秋葉原で回転寿司♪ 蟹のお味噌汁が美味しかったですう~(ニッコリ)
------夕実ちゃんの鍵付きの日記から抜粋
《あとがき》
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
今回は割りと短く記事をまとめられたかな?w
煉瓦刻印に興味ない方がほとんどでしょうが、東京ど真ん中にこんなとこがあるんだぜ!って知ってもらえたなら幸いかな^^
---さていくつかコメント欄にあった質問に少しだけ答えたいと思います。
『煉瓦とか刻印とかどうやって見当つけて探してるんですか?』
『なにか指南書とか参考書とか持ってるんですか?』って件に対してお答えです^^
ぶっちゃけネット検索しまくりなだけで本とかそういう類のものは持ってません^^
ただ検索するときに『〇〇市 煉瓦』とか『〇〇市 煉瓦 遺構』などと打ち込んで虱潰しに探しまくってるって感じですかね^^
町や市単位で地味に1個づつ探したりしてるんですよ~^^
その過程で別の場所の煉瓦ちゃん情報などもゲットして、気になったとこはブックマークしたりメモ書きしたりしてるのです^^
ひょっとしたら、あなたの町にも気づかないだけで煉瓦の遺構ってのはあったりするもんなのですよ~☆
さて次回は未定です^^;
もしかしたら久しぶりのエロ板さんの物語かもしれないし、突発的にどこかに遊びに行った話かもしれないですw
ではではまた今度お会いいたしましょうず☆
第757話 里帰り寄り道編in伊豆ファイナル☆『伊豆にもこんな立派な煉瓦の水路橋があったんだ!?』梅木水路橋ほか [廃村さーくる(古煉瓦)]
『世の中知らないことだらけ。そして灯台元暗しは気づかないだけでごまんと存在するっす^^』
ガタンゴトン!ガタンゴトン!と私達が乗った東海道本線は枕木をリズミカルに叩きます。
丹那トンネルを進む電車の車中、琴音っちはそうボソリと呟いたのです。
・・・えっと、それはどういうことだろう?
彼女は私に視線をくれることなく片手に持つスマフォの画面を見ながら言葉を続ける
『灯台の元を照らしてそれに気づいて気づかされて楽しむ旅ってのも楽しいんじゃないかな^^ フフフ☆』
・・・えっとそれってなんかの暗号?言葉遊び?
今から灯台に行くの?
正直、彼女が意図したことは当初の私には分かることもなかった。
第757話、 地元回帰の物語。スタートですう^^
本来なら熱海から伊東線経由で稲取に帰省するところ、
熱海から三島駅まで出て修善寺へと向うことになった私達^^;
ぶっちゃけ壮大な遠回りですう・・・^^;
一体彼女はどこへ私を連れて行くのやらです^^;
---三島駅から約3~40分。無事に修善寺駅に到着。
修善寺駅改札前には記念撮影用の制服なんかもあったり、
生憎の悪天候だというのにさすが観光地ですう。駅前は結構人で賑わってましたですよ~^^
---さてっと。
そう言えば琴音っちは去年、ここからバスで天城越えして
『煉瓦の洞』と言う日本最古の煉瓦工場跡を見学したと言っていた。
まさか・・・またそこに行くのかな?
それとも天城トンネルとかかなあ???
私が色々思案していると彼女が『こっちこっち^^』と、おいでをしたのでついて行く。
『えっ!? まさかタクシー・・・ですか???』
『うんそだよ^^ バスもあるけど時間が無いからサクサク行くっす☆』
かくして私達はタクシーに乗り込むことになったのです。
乗り込むときに彼女が『うめきまでお願いします』と言っていたのと、タクシーの運転手さんが『ん?うめぎまでかい^^あいよ~☆』と返していたのが気になったけれど、まあいいか^^
雨がそぼ降る中をグングンと進むタクシー。
あれ?どうやら天城の方には向ってない感じ。
方角的には伊東市へと向っているような・・・
ーーータクシーに乗ること15分くらいでしょうか。
『発電所はこの先だよ^^ 近くまで行こうか?』と言うタクシーのオジサマに
『いや大丈夫っす^^ 手前からじっくり見たいもんで^^』と、県道沿いに流れる川に掛る橋の袂で彼女は降りる宣言。
私達はオジサンに御代を払って降りましたです。
目の前には白いなんかの施設が見えるです。
もしかしてさっきオジサマが言ってた発電所?
周りを見回すとやっぱり発電所っぽいものがある。
『ねえねえ琴音っち、もしかして今日の寄り道って発電所見学なのお?』
『う~ん・・・発電所というか~、その関連施設っすかね^^』
関連施設?
ダムとかそーいうのかな?
そもそも琴音っちがダムマニアとか発電所好きとか聞いたことないし、さっぱり意味不ですう^^;
彼女に誘われるがままにこじんまりとした発電所に近づいたけれど、とくにコレと言って変わった建物でもないような^^;
昔の洋風建築でもないしごく在り来たりなそっけない建物だしい。
目を引くものと言えばせいぜい山の上から凄い勢いで流れてくる水路の水くらいでしょうか。
と言う事はココって水力発電所なんですかね^^
発電所を離れて少し上を目指しますです。
フェンス越しに見える赤茶けた施設に『ひょっとしてあれって煉瓦ですかあ?アレを見に来たの?琴音っち』と声を掛けたけれど、
『うーん・・・あれは煉瓦じゃ無い気がするっす^^;』と、どうやら目的はソコじゃない的お返事。
『あ、ここから行けるんじゃね^^マジで』と彼女は、先ほどのフェンスに囲まれた発電所施設を少し過ぎたあたりで山の上を指差した。
えっと・・・まさかココ登ってくの???
やっぱり登っていくみたい^^;
とは言え簡易な階段が出来ていて、藪漕ぎとかそういうんじゃなかったので一安心^^;
でもこんなとこ登って怒られないのかなあ・・・^^;
フェンス越しに先ほどの赤茶けた建物の答え合わせをすることになったですう。
彼女が言うように赤い苔が生えただけでコンクリだったのですが、
階段らしき部分の土台は煉瓦でしたですう。
半分当たりの半分ハズレのおあいこですねw
階段を登りきったそこから見えた先は、緑の水を目一杯溜め込んだ水路だったのです。
あんまり水力発電とか見たことが無い私にはなぜか新鮮でした^^
『多分この水路を辿っていけば目的の場所があるっす☆』と、彼女が水路脇を進み出した。
私もついて行く。
フェンス横は歩道と言えるものでは無いけれど、人ひとり分が歩けるスペースになっていたのですう。
路傍には椎茸のほだ木でしょうか。ちなみに私は椎茸苦手ですうw
振り返ってみると何ともいえない水路の景色。
あれ?そう言えばここって、道路よりだいぶ上を流れてる???
私がふと思った疑問の答えは直ぐに出ることになったのですう。
『ほら夕実っちい^^ 目的の場所に到着っすよ^^』と、彼女が手の平を向けた先はーーー
道路から随分と離れた所を流れる水路の橋だったのですう。
『このまま真っ直ぐ水路伝いに歩くのもいいかもっすけど、こっちにも道があるっすね^^
試しにこっちに行ってみようっす☆』と、水路を跨ぐ山の方へと向う小道へと彼女は歩き出す。
私も当然ついて行く。
だって真っ直ぐ水路伝いに歩いたら落ちそうですよ^^;
一旦、先ほどの水路から遠ざかり、竹薮の小道を歩く私達。
その先は再び水路と合流するかのような緩い下り道でした。
そして気づく私。
『す、水路の下が煉瓦ですう!』
『そう。今回はコレを見に来たんすよ~^^』
ここまで来てようやく納得。
彼女が寄り道したいって言ってたのはやっぱり煉瓦さんだったのですねw
先ほどの水路の橋の丁度向こう側へと到着です。
『せっかくだし危なくない範囲で上を歩いてみるっす^^』と言う彼女。
おっかなびっくり歩く事になったです・・・(ひいいいいいいいいいい! こ・・・わ・・・いい・・・・^^;)
(※ 落下防止のガードがありますが・・・そのガードの高さは膝下の高さです☆)
びびってフェンスにしがみつきながら歩く私を他所に、彼女は望遠レンズでじっくりと煉瓦を撮影しまくり^^;
恐らく刻印探しなんでしょうが・・・早く帰りたいいいいい・・・^^;
あらかた撮影した彼女は『じゃあ~下からもじっくり見るっすよ^^』と、意気揚々と道路への道を降りていく。
私も腰が引けつつなんとかついていった・・・^^;
やっと地に足着く場所まで下りてきてホッとする私。
そして今まで居たところを見上げて再び心臓がうねりを上げることにーーー
えっ!? れ・れれれ煉瓦の立派な橋ですうう!?
煉瓦造りの綺麗な6連アーチが向こうへと続く煉瓦のアーチ橋。
思わず『わきゃあ・・・なにこれ。こんな凄い煉瓦さんが伊豆にもあったですか・・・』と、惚けてしまいましたですう。
その私の顔を見て彼女が言った。
『私もっすよ^^ 私だって煉瓦に興味を持つまでは伊豆の片田舎にこんな立派な水路橋があっただなんて知らなかったっす^^ びっくりと感動っす』
彼女は説明版を指差しながらも解説してくれる。
『ここは梅木(うめぎ)発電所水路橋ってところっす^^
さっき私達が乗ってきた伊豆箱根鉄道線(駿豆線・もしくはいずっぱこ)の電力供給を確保する為に明治44年に建設された、
梅木発電所の関連施設“水路橋”なんすよ^^
近所に煉瓦職人を呼び寄せて煉瓦工場を造り、当時最新鋭の技術で造られた煉瓦の水路橋なの^^
当時はこのモダンな建物が人を呼び、大変な賑わいを見せていたんだって^^
お茶屋さんも出来るくらいw』
煉瓦に興味がそこまで無い私でも、伊豆のど真ん中にこんな素敵な建物があったなら見に行っちゃうかも~と思わず納得したです^^
煉瓦建築なんて物珍しい当時だっただろう伊豆。
ましてや水が煉瓦の上を通るだなんてです。
わきゃー☆ 当時に思いを馳せるとなんだか私でもわくわくですね^^
ここで煉瓦に苔むす赤苔を指でツンツンしながらも琴音っちが続ける。
『ぶっちゃけ京都・南禅寺の水路閣や山梨の駒橋や八つ沢の水路橋に比べたら歴史も概観も見劣りするかもしれないっす^^
でもさ、
びっくりじゃね?夕実っち^^
地元にこんなのあったの誇りに思えちゃうっすよ!
煉瓦に興味持たなかったらこんな場所に出会えなかったし知らなかったと思うの。
だからマジ感謝なのさ~^^』
彼女が言うのも納得だしほんとそう思いますです。
先の原爆ドームだって、もしかしたらご縁が無かったのかもしれないし。
煉瓦から繋がる地元発見。
煉瓦から知って驚く視野の広がりに、彼女と共に私も感謝したのですう^^
---その後はこの梅木水路橋をじっくり観察することになりましたです^^
アーチ下はご近所の生活の場として使われていましたです^^
農機具や軽トラなんかも雨宿りしてましたですよ~。
時には裏側へと回り込み、その構造を満喫ですう☆
琴音っちと言えばお約束の『煉瓦の刻印』探しに没頭してましたが、
彼女曰く『全然刻印ぽいのみつかんねー^^;』だったそうです^^
残念でしたねw
続けて彼女は『昔は刻印を打つのは義務ってわけじゃないけれど、小さな工場(こうば)で焼かれた煉瓦には特に刻印が無いものもあったそうだし、あとここ伊豆の田舎だしそーいうとこアバウトだったんじゃねw』と、そこまで特別嘆いてもいない様子でした^^
なんだかんだで約一時間はここに居たような気がしますです^^
飽きっぽい私ですが伊豆・地元の歴史建造物に魅了されたのだと思います^^
さて、いつの間にやら雨もやみお日様が顔を覗かせていましたです^^
とはいえ日も傾きそろそろ夕刻を迎えようと言う時間でした。
私達は最後に梅木発電所にお辞儀をし、帰る事にしたのです^^
帰りはバスで帰るっすと言う彼女。
どうやら修善寺には戻らずにバスで伊東市まで抜けて、そこから電車で稲取へという算段のようでしたが・・・
タイミング悪く30分以上は待つことに^^;
それならばと『暇つぶしに散歩しようず^^ なぜならこの梅木発電所の前に流れる大見川の川底には煉瓦片が眠ってる可能性があるっすからね^^』と、
大見川沿いの散歩を提案してきた琴音っち。
えっと・・・なんでこの川に煉瓦の欠片?
実は彼女の言う所によると、
梅木発電所の建物は、元々は水路橋と同じ煉瓦の立派な発電所だったそうなのですう。
それが昭和5年の“北伊豆地震”により倒壊。
今現在の木造鉄筋の簡素な建物に作りかえられたそうですが、後にこの伊豆半島を戦火のごとくに打ちのめした大災害
昭和33年の狩野川台風によって色々川へと洗い流されたとのことです。
(※ 北伊豆地震と狩野川台風までは時期がだいぶ空いてるので、地震で倒壊した建物の煉瓦瓦礫が施設内に残ってたからそれが流出したのかな?
少し調べが浅いので申しわけ御座いません^^;
とは言え二度の大災害で発電所は煉瓦造りから作り直されているのは確かです
ちなみに水路橋はびくともしませんでした^^)
私達は時間つぶしの名目で大見川へと向いましたです。
やっきになって琴音っちは川べり・川床に煉瓦片を探してみるのですが・・・それらしいものは無くーーー
いつの間にか梅木発電所の対岸まで戻ってきてしまいましたですう^^;
ここでふと私は対岸の発電所に違和感?を覚えるのです。
地震で倒壊し、今や木造の白塗りの建物に取って代わったんだよ~と彼女に知らされていたから気づいた異色。
私は彼女に向こうを指差して訊ねてみた。
『ねえねえ琴音っち。なんか発電所の下の方に煉瓦色が見えるです』と。
すかさず『ぬわあああにいいいいいい!?^^;』と、望遠レンズに付け替えて向こうを覗きこむ彼女。
彼女が『うは、マジか・・・』と小さく呟いてから見せてくれたそのカメラの画像には、くっきりしっかりと煉瓦が写っていたのですう。
その煉瓦はなんなのか?
果たして水路なのか発電所の煉瓦の土台なのか?
確かめるべく私達は再び発電所へと戻ることになるのでしたーーーーーー
(望遠レンズすげーw)
再び戻ってきちゃった梅木発電所ですうw
ここに来た当初はなんでもない木造建築だと思っていましたけれど、答えはすぐそこにありましたです。
フェンス越しに川向こうから見えた場所を覗き込む私達。
どうやら水路橋の出口が煉瓦造りだっただけのようです。
発電所の真下を通って大見川へと流れ、それで発電をしていたと。
でもそれだけじゃなかった。
発電所の土台部分にはモルタルが剥がれて剥き出た煉瓦が顔を覗かせていたのを琴音っちが発見^^
つまり発電所自体『煉瓦水路を土台にした煉瓦建築』だったわけです。
上の部分は倒壊したり流されてしまいましたが、煉瓦水路とその基礎は二度の大災害にも100年に及ぶ経年にも耐えて今現在も近隣の電力供給に役立っているってことなのですね☆
『煉瓦やっぱすげ・・・』と呟く彼女。
そしてボソリと続ける。
『しっかり造った煉瓦はコンクリなんかより遥かに強固ってのはホントなんすね・・・』
正直、彼女に付き合わされて煉瓦を学ぶまで、
煉瓦なんて地震にも弱いし、昔の装飾的建築物くらいにしか思ってなかったのですう。
でも、それは違うんだと思わされましたです^^
(※ ちなみに発電の水車や発電機も修理は重ねど明治当時のままなんです^^
現役バリバリ☆
あともう少し補足を入れると、水路橋自体は堅強でしたが瓦礫が詰まって一時期不能とはなりました。でも立派なものですね^^)
その後は施設の遺構的な物を見ながらも水路と大見川の合流地点までれっつごー^^
振り返ってみるとその100年以上を耐え抜いた雄姿にドキッとさせられましたです^^
---さて、いよいよ時間が迫ってきましたので駆け足でバス停まで戻る私達^^;
最終的には無事に稲取へと到着。
菅原先輩の就職祝いの宴に間に合いました。
まあ・・・近所のおばさん連中と共に食事やお酒の提供の裏方ばっかり手伝わされて全然先輩と喋れませんでしたけどね(げんなり寿司とか作らされた・・・^^;)
田舎は女性が裏方周りばっかさせられるから嫌だなあ^^;
まあでも先輩の親族や友達が楽しそうだったからいいかな(田舎の裏事情)
さんざん琴音っちに振り回された里帰りだったですが、地元再発見!と言うのも中々お勉強になったような気がしますですう^^
温泉とか猪くらいしかないなあ~と思っていた伊豆。
探せば色々あるのですね^^
そして最後に菅原先輩。念願の出版社就職おめでとうございますです^^
これからも大好きな先輩と会えるように色々考えなくっちゃいけませんねw
私は決して諦めないですう。
---夕実ちゃんの鍵付きの日記帳から抜粋
《あとがき》
ここまで長々と飽きもせずに煉瓦話にお付き合いくださりありがとうございましたw
いやあ~でも、伊豆にもこんな煉瓦なとこあったんだね。オイラびっくりですよw
そしてこの梅木水路橋・発電所の歴史を調べていく過程で、
まさか実家のある函南町にも色々と遺構があるという発見をしました(夕実ちゃん達の実家は伊豆稲取という設定ですが、ボクの実家は伊豆の函南町です。ボクの本家は稲取ではありますが)
それはまたいつか、その町に住む小さな女の子の好奇心の物語としてご紹介したいと思います^^
次回の記事更新は・・・いつになるのやら・・・
正直仕事から帰ってきて毎日ぐったりです。アハハ^^;
第756話 里帰り寄り道編in伊豆☆vol①『このトンネルすごく曲がってるよ!?』熱海・野中山隧道ほか [廃村さーくる(古煉瓦)]
『菅原先輩の就職が決まったですぅ♪』
なんでも大崩海岸の煉瓦探索でご一緒した、坊勢(ぼうぜ)さんの勤める出版社に就職が無事に決まったとか☆
すごく嬉しいのだけれども、ちょっぴり切ない私です。
・・・だって、今より先輩を遠く感じてしまうから・・・。
---さっそくお祝いパーティーをしようと思ったのですが、
実家のある伊豆・稲取の細野高原の野焼きに先輩は借り出されてしまいまして・・・^^;
どうやらそっちで親族や友達とのパーティーをすることになったみたいですう^^;
私と琴音っちも合流すべく、一日置いてから追いかけることにしました☆
ではでは第756話、里帰り寄り道編☆
私こと大瀬崎夕実視点でお送りしますです^^
『わきゃ・・・なんかそれエロいですよお・・・^^;』
草加駅から東京駅を目指していた車中、
琴音っちが女性誌の“下着特集”に指を這わせていた。
なんでも・・・『イマドキの勝負下着20選!これで男子はメロメロ♪』と言う記事だったのですが(なんかジジ臭いキャッチコピー・・・)
その派手さに思わず仰け反った私ですう^^;
(ちなみに坊勢さんの雑誌社刊行・・・)
それを見て琴音っちが・・・
『いやいやこんのくらいきわどくないと、来月にお兄ちゃんと行く西表島旅行で勝負にならないよ?夕実っち^^』と、ほざきやがるのですう^^;
いやいやいや。そんな下着しないからっ^^;
・・・とゆーか、勝負なんてしませんよ^^;
ま、そんな感じで彼女にからかわれつつも東京駅界隈へと到着したのですう。。。
ここで東京駅からいつものように新幹線で熱海経由で稲取に向うと思いきや違ったみたい。
『急ぐ旅じゃないし~、ちょっと寄り道してっていいっすか?』と、
東京駅には向わずに途中下車。
地下道を潜り抜け、
私が連れ出されてしまったのはここだった。
『えっと・・・琴音っち? ここは・・・何?』
『え?何って有楽町と新橋駅の間の高架橋の下だよ~ん^^
今日は時間もあるし、この高架橋の煉瓦の刻印探しをしたいと思うッすw』
また煉瓦か。
また刻印探しかw
今日は、そーいうのキニシナイデ里帰り出来ると思ってたのになあ・・・^^;
私は渋々と彼女の趣味に付き合うことになった・・・
『ぐわ^^; 結構雨降ってるっすねえ・・・^^;』
そう。今日はあんまり良い天気じゃなかったのですう。
関東地方では『ひょっとしたら雪になる?』という悪天候だったのですう。
私達は傘を引っ張り出して高架橋沿いに歩き出した。
『あそこにキュウべえ居るっす!』
大きな声を出して高架橋の煉瓦壁を指差すもんだから、
私はてっきり煉瓦刻印でも見つけちゃったのかと思いきや・・・
ちょっと前に流行ったアニメのキャラクターを発見しただけだったみたい^^;
と言いますか、
JRの所有建造物なのに、あんな絵を勝手に描いちゃっていいんですかね・・・^^;
(描いたというよりシールっぽいですが)
その後は雨の中を見上げる作業に付き合うことになるです・・・
煉瓦の接着面がむき出しになってるところを求めてひたすらに・・・
途中、高架下のディープな通路で雨宿りしつつも・・・
彼女は望遠レンズで何枚も何枚も撮影をするのです・・・
時には今も残るメダリオンの縁を這うように・・・
時には煉瓦装飾の縁をパシャパシャと撮りまくっていましたです^^;
でも、この雨と寒さが邪魔をするようです。
彼女曰く『ぐは・・・、雨粒にカメラの焦点が行っちゃうしー、寒すぎて吐く息がレンズの先にかぶってピンボケしまくるしー、
今日は無理っぽいね☆』だってさ^^;
そんなの最初から分かりそうなもんじゃないですかあ・・・^^;
(※ 雨を拭ったり光量が足りなかったりして全然まともに撮れませんでした。
それでも中には拡大してみると『おや?これは・・・刻印?』と言うのもありましたが、もう一度晴れた日に挑戦したいと思います^^)
---さて、
諦めの悪い彼女を引っ張って新幹線に乗り込んだのは正午を過ぎた頃。
私達は車中でお弁当を食べましたです☆
じゃじゃーん♪ 天ぷらのお弁当ですう☆と、喜びたいところですが・・・
正直冷たい天ぷらのお弁当は美味しく感じられませんでした^^;
『ぐはw 次はやめとこうっすマジで^^;』と言った彼女に私もウンウンと頷いた。
お弁当と缶チューハイを飲みきったところで丁度熱海駅に到着ですぅ^^
ここからいつもは伊豆急に乗り換えて稲取を目指すのですがーーー
『ちょっと寄り道したいとこがあるっす^^』と言う琴音っちの催促に・・・
またもや途中下車をすることになりましたですう・・・^^;
『こっちこっち!^^』と先行く彼女。
どうやら熱海駅横のアーケード街(平和通り商店街)を下っていくみたい^^?
子供の頃は不況も相まって平日は閑散としてたのになあ。
今日は花見(梅園)の観光客さんも居るせいかとても賑やかさんでした^^
人ごみ縫って歩くのが結構大変でしたです^^;
(※ 来宮駅からの方が梅園に近いけれど、熱海駅から歩いていく人って意外と多いんですね^^)
琴音っちが途中、足元を撮影してるからなんだろう?って思ったらマンホールですかw
ここ熱海は言わなくても知ってると思いますが温泉場ですう^^
ちなみにこの温泉マークの下は当然『温泉の湯』ですう^^
熱海市にある温泉は『市営』がほとんどで、市で源泉を一括管理して旅館や保養所、民家などに提供されてるんですよ~^^
配湯管や送湯管の所々にマンホールがあるのですう^^
イカサマ地蔵・・・
なんか怪しい名前ですね^^;
さて、海か山側かの分岐道に到着。
どうやら彼女は右手の山側へと向うようですう。
ううう・・・登るのね^^;
途中、熱海七湯が1つ『野中の湯』がモクモクしてましたです^^
ここらへんは『野中山』と言う小さな山の中腹部分(って彼女が言ってたw)
後々、この野中山って名前がまた出てくることになるのは今の私は知らないーーー。
歩く事10分くらいでしょうか?
左手に熱海市立図書館が見えたところで
道路を挟んでその真向かいの山側へと続く細いのぼり道を琴音っちは指差したのですう。
『うん。多分ココっす^^ じゃあ~行ってみようっす☆』
私達はこの細い道を登ることにしました。
『わきゃ? この先300m行き止まり・・・。そんな行き止まりの道を登って何があるデスカ???』
『まあいいからいいから^^』
中々答えを教えてくれない琴音っち。
いつもそうなんだからあ・・・^^;
海側の高いフェンスと山に挟まれたなんとも言えない怪しい小道。
その先にトンネルが見えてきたです。
とゆーか、ここは結構な上り坂ですう・・・^^;
トンネル入り口まで到着。
彼女のことだからてっきり煉瓦構造の隧道なのかと思いきや、ふつーのコンクリート打ちっぱなしのどこにでもあるトンネルさんでした^^;
ん?
・・・でも結構奥の方はカーブしてるような^^?
彼女に誘われるがままトンネルを歩く私。
いや、歩くと言うよりも上る?
あっという間にトンネルの出口が向こうに見えたところで、
感の鈍い私でも気が付いたですよォ・・・
このトンネルーーー
『すっごく曲がってるんですけど!(+急勾配☆)』
・・・そして今一度トンネルの入り口付近を振り返る私。
『えっと・・・ええっ!? ここって、まるでひしゃげたUの字磁石みたいです^^;』
ありえないくらいの勾配と急カーブのトンネルに呆然としたです。
『ここは野中山隧道って言う、熱海の隠れた珍スポットなんすよ夕実っちい^^
なかなかこういうトンネルってお目にかかれないでしょ?
だからつれてきたんだあ~^^』
いやあ~見たことないですよおーこんなトンネル^^;
例えるならループ橋のトンネルバージョンみたいなとこですね^^
最初はなんでここまで歩かされるのかと彼女をプチ恨みしましたが、
知ってる町にこんな知らないスポットがあっただなんて教えてくれて、今は彼女にちょっぴり感謝したりですかね^^
『ここはさっきも言ったっすけど野中山って言う熱海市内へと張り出した小高い山だったとこなんすよ^^
この先には野中山を貫く東海道本線・伊東線・新幹線のトンネルもあるっす^^
そちらのJRのトンネルもそれぞれ野中山トンネル(伊東線)、新野中山トンネル(東海道本線)。
この小道とトンネルが元々何用で造られたのかはわかんないっすけど、
鉄道も道路のトンネルも、この野中山を越えて先へ進むには必要だったってことっすよね^^』
彼女はそう言ってカメラをパシャリパシャリと撮ってウンウンと頷く。
なんでこんなのつくったんだろ?
なんで必要だったんだろ?って考えていくと面白いものですね^^
私はいつもいつも琴音っちや先輩に任せっきりだけれども、
構造物や建造物の『歴史』を紐解く作業というのに興味を抱かされた気がします(ちょっぴりですけどね!w)
一通り堪能した私達は下山しますw
ふと、琴音っちが腕時計をチラチラ見て難しい顔をしているのが見えたのでどうしたの?って聞いてみたですう。
『え?あ~えっとね。この後もうちょっとだけ寄り道をしたかったんだけど、
この後のことを考えると時間がギリっぽいから悩んでたんすよ^^;
だから熱海はやめて先に急ぐことにしたっす^^
さっさと熱海駅に戻るっすよ夕実っちい^^』
・・・まだ寄り道する気だったんだw
でもホッとしました。
これでようやく稲取に帰って先輩の就職祝いできそうですう☆
・・・ちなみに彼女に聞いてみたです。
『えっと・・・時間があったらどこに寄るつもりだったですか???』
『うんとねえ~、ここからもう少し歩けば丹那トンネルの熱海側坑口(入り口)っす^^
箱根の山を貫く日本屈指の鉄道長大トンネルにも、
実は煉瓦ちゃんが使われてるんすよお^^
全部が全部煉瓦じゃないっすけど(今はトンネル深奥部などほとんどが鉄筋コンクリ)
入り口付近は建設当時の煉瓦ちゃんが見えるんす☆
せっかくだから行きたかったけどまた今度じっくり見に行くことにしたっす^^』
え?そうなの?
丹那トンネルって携帯も繋がらないし長くてうんざり~・・・ってくらいにしか学生の頃は思ってなかったし、
ただの通過するためだけのトンネルくらいにしか思っていなかったけれど、そこにも煉瓦さんは居るのですか^^;
煉瓦にちょっぴりかじった程度の私だったけれど、
そう言われてしまうと見方もガラッと変わってしまうものですね。
今度彼女が『見に行こうよ!』って誘ってくれたなら行ってみたいかな?って思う私でしたですう^^
その後は道すがら無人販売を覗いたり~
工事の看板が妙に可愛らしくって2人で笑ったり~
熱海駅前にこんな鉄道チックなものあったっけ?と、2人で楽しく街歩きしながら熱海駅まで帰ってきましたですう^^
ーーーふと、
私は当たり前のように熱海駅の券売機で、実家の稲取駅までの切符を購入しようとした矢先、
『ちょっと待った夕実っち!』と、
彼女に腕をむんずとインターセプト(横取り)されたのですう^^;
そして彼女はこう告げた。
『修善寺駅に行くっす☆』
え?ど~ゆーことォォォォオォォッ!!??
ーーーーーー中々まっすぐ実家に帰れない旅路。次回に続きますですう^^;
《あとがきい》
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
あとこれだけは言わせて欲しい。
最近、しごとが忙しすぎんよ!w
花見の時期でも歓送迎会の時期でもないのにヒドスw
ま、そんな近況ですが、ひとつ良い事もありましたぞい^^
直接はお目にかかれませんでしたが、自分の働くお店にボクのブログの記事を見て食べに来ましたって方がいらっしゃったようです^^
自分のお店の名前はブログで堂々と公表してないから、ソネブロガーさんかな?と思ったんだけど違ったようです。
なんでも『ネットで見かけたエロ板さんと女の子の居酒屋でのやり取りの記事が面白かったので^^』だそうです
(タイトル絵にはお店の屋号の入ったTシャツ着た女の子を書いてあるから分かったのかしら?)
まさか『アンナのバイト繁盛記シリーズ』を見ていただけて、その上来店までしてくれたなんて・・・
しかもお褒めに預かりもう感謝感激です♪
今日もクソ忙しかったけれど、部長さんにその話を聞かされて励みになったなあ~^^
ま、そんな感じです^^
ではまたいつか更新するっすねw
次回こそ『梅が流れる煉瓦』のお話だよ!
(※ フェブラリーSは勿論、デジッ子のカゼノコ号を応援します!)
第754話 ある意味世界で一番有名な煉瓦☆ファイナル!竹原市編『マッサンと煉瓦の浜辺とたまゆらの町へ』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『カタタタタ・・・カタタタタ・・・』
それは広島旅行の三日目の夜でした。
夜中にふと目が覚めた私は琴音っちがノート型のパーソナルコンピューターのキーボードを一心不乱に叩く姿を見たのですぅ。
『ううう・・・何してるですか・・・』と声を掛けると
『ん?調べ物っす^^ あ、ちょっと煩かったかな?メンゴメンゴw』と、ちょこんと舌を出して謝る彼女。
私は『ううん。大丈夫ですう。・・・でも夜も遅いし早く寝ようね^^』と声を掛け、再び眠りについたのでしたーーー
第754話。ある意味世界で一番有名な煉瓦編ファイナル、スタートですう~^^
(最後は勿論、ヒロインの夕実ちゃん視点でお送りします^^)
『やっぱり焼酎ハイボールっすよハイボール♪ はい、皆に1個づつ~^^』
広島空港行きのリムジンバスに乗り込むとすぐさま、琴音っちから支給品が手渡されたのですう。
お酒かw
まあでももう飛行機乗って帰るだけだし、遠慮するのも変ですのでありがたくいただきました☆
『はい。おにぎりもあるからね~^^ いちおー広島っぽいの買ってきたから味わうように!』
彼女からお酒以外に配給されたおにぎりは『広島菜』で巻いたおむすび。
わきゃ?広島菜???
なんでも先輩が言うには高菜漬けや野沢菜漬けと並ぶ
『日本三大漬け菜』だそうですう。・・・知らなかった^^;
そんなこんなで車中はプチ飲み会。
外を見渡すといつのまにか雪に囲まれた高地へとリムジンバスは突き進んでいたです。
---45分ほどで広島空港に到着^^
さて、ここからどうするの?
だって私達の帰りのフライト時間まで6時間はゆうに残されていたのだから・・・
とりあえず空港内まで来た私達。
ここで菅原先輩が琴音っちに問い詰めた。
『おい琴音。まだフライトまでたっぷり時間あましてるんだが・・・どーすんだ?』と。
すると彼女はーーー
『広島二日目の帰りに宇品陸軍糧秣支廠(うじなりくぐんりょうまつししょう。現・広島市郷土資料館)に立ち寄ったっしょ?お兄ちゃん』
『ああ~寄ったな。刻印探しとかしたな。・・・でもそれが?』
『そこで気になる刻印があったから、それについて色々調べてたんだ^^
その煉瓦の刻印ってのはーーー
Mに〇の刻印?だったんすけどお、どうやらその刻印がさあ~広島県の竹原市の煉瓦工場っぽいってのをネットで見つけてね?
今日はその煉瓦工場を探しに竹原市へと行こうかなあ~なんて思ってるんだけどォ~どお?^^』と、
最終日4日目の残り時間を
煉瓦工場探しに費やすことを進言してきたのですう。
ああ・・・昨日の夜に彼女がカタカタとパソコンとにらめっこしてたのはそういうことだったんですね^^;
『どうせなら呉とか行きたかったなあ・・・』と、少々渋った菅原先輩ではありましたが、
私達は結局広島県竹原市へと向うことに相成りましたですぅ^^
(※ 最終日は原爆ドームと平和記念公園に行くことしか考えてなかったのは事実ですw
だから色々悩みました^^;
前日の夜にマジで色々調べましたよ~)
ただ、ココに来て問題発生ですう。
広島空港から竹原市までバスが出ているのですが1時間半は待たされるみたいだったのです^^;
色々考えた結果、
広島空港から一番近い山陽本線『白市駅』までバスで行き、そこから電車を乗り継いで竹原へ行くのが最短時間だという結果に落ち着きましたです^^
いざレッツゴー白市駅♪
私達はバスに乗り込みました^^
ポスターにあったように本当に15分で白市駅に到着☆
レッツ山陽本線ですう~♪
広島県JR三原駅で乗り換え。
ここから呉方面への電車に乗ることに^^
(※ ここまで来て気づきました。
今回の旅が広島初上陸だとばかり思っていましたが違いましたw
そーいやオイラ、過去に大久野島~大三島~今治~松山に訪れた時に広島空港もJR三原駅にも来てたんだっけw
思わず『なんか見たことある駅だよな・・・ハッ!?』って笑っちゃいましたよw)
ここで更なる問題が発生ですう・・・。
電車の接続がすこぶる悪かったのです^^;
ここまで来たのはいいのですが、一時間に1~2本の路線では帰りの時間にかなりの制約が・・・^^;
各駅停車の列車を待っていたら飛行機に間に合わなくなるですw
ということで、
快速の『瀬戸内マリンビュー』に乗ることになりましたです(わきゃ!なんか可愛い♪)
列車内は船室をイメージしたお洒落な電車☆
私達はさっそく乗り込んだのですが・・・
あれ?私達の座席が・・・無い?
琴音っちが『あれ?おかしいなあ・・・。一号車の9のDが無い・・・。あるのは9のAとC? えっとどーゆーこと?はあ???』と、
指定席券の座席番号と座席のプレート番号を何度も見返すけれど、どこにも無いですよお???
私達は動き出した車輌のドア付近に立って、とりあえずこれはどーゆーことだ?と考えることになったのです。会議です。
その答えは竹原駅で下車してから分かりました。
どうやら車輌を間違ってたらしい☆
指定席のある車輌ではなく
普通車輌の方で席が無い無い!と彷徨ってたみたい^^;
(ちなみに車輌は2車輌・・・。普通車輌は指定券無くても乗れますが、車内は立派な感じだったので錯覚してしまったようですう^^;)
『ぐわあ・・・もったいね・・・っすマジで^^;』
彼女が嘆くのも当然。
だって走り出す指定席車輌には各座席にテーブル付いてて瀬戸内海を見渡せるオーシャンビューの素敵な席が見えたのだから・・・
(※ 本気でバカやっちまった・・・OTL)
さて更なる問題が発生ですう。
私達は琴音っちの話によると、竹原市は竹原市でも隣の駅『吉名』に行かなければならないそうなんですう^^;
そこは快速は止まらない通過駅。
結局、快速列車の後発の各駅停車をここで待たなければいけないようです。
つまり快速に乗ること自体が意味無かったようです・・・^^;
『頼むぜ琴音よおお・・・^^;』『ほんとですう・・・^^;』
『あははメンゴメンゴw』
だめだ・・・彼女はまるで反省の色が無い^^;
さってっと。次の各駅停車は約1時間待ち・・・
駅のホームでだらだらと時間を過ごしていたのですがーーー
『あ、そうだ^^ どうせ時間もあるし竹原駅で一旦下車して暇つぶしするっす^^』と彼女の提案。
え!? だって私達次の駅までの切符持ってるよ???
『まあ~もう指定料金損したわけだし、一旦下車して一駅分の運賃くらい損するのもたいしたことないかもな。
ならばよし!途中下車するか^^』
えええ!?先輩まで^^;
・・・結局南極途中下車してお散歩することになりましたですトホホ・・・^^;
駅前の周辺観光案内図を見てみんな
はッ!? Σ(゜д゜;)!!
と、気づいた・・・
だってここ竹原はマッサンじゃないですかw
現在放映されてる朝のNHK連続ドラマ小説の主人公
ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝さんの生まれ故郷ですう・・・^^;
『あはは。マジ全然きづかなかったっすw じゃあ~竹鶴さんの生家もあるみたいだしい~、見に行くっす!^^』と彼女。
もちろん私も先輩も異論はない。
で・す・が、
『勿論見てみたいとは思うぞ琴音。でもな?
次の電車が来るまで残り30分だ。
竹鶴さんの生家のある町並み保存地区まで徒歩で約15分。往復で30分だぜ・・・^^;』と先輩。
そうですそうです・・・。次の電車を逃したら、吉名駅に行くのは空港までの帰りのアクセス時間を考えてもほぼ不可能ですう・・・。
『ならば走ろうず☆』と殴りたいくらいの笑顔でおっしゃる琴音さん。
ええええっΣ(゜д゜;)!?
結局私達はタイムバトルに突入する(巻き込まれる)ことになったのですう・・・
『あ、たまゆらっす^^ そっか~ここはたまゆらの聖地でもあったんすね』と彼女。
竹鶴政孝さんを押し出した竹原市アピールののぼりが立ち並ぶ街中の中にポツリポツリとアニメのポスターを見かけたのですう。
(※ ボクは見たこと無いのですが、ここ竹原市を舞台にした女子高生達の青春グラフティーだそうです^^ カメラのお話かな?)
閑散とした駅前商店街を抜け大きな道路へ
『車止めが筍で可愛いですぅ^^』
『うんうん可愛いね夕実っち。はいはい走る走る!』
ああ~ん・・・たけのこおー・・・^^;
ようやく町並み保存地区へ☆
ココまで来ると観光客でとても賑わっていたです^^
そしてーーー
竹鶴さんの生家を拝めたところで
『よし!帰るよ夕実っち☆』・・・だ・・と・・お・・・^^;
滞在時間約2~3分・・・
私達は再び走り出したですう^^;
駅まで何とか無事到着(はきそうです・・・)
駅前の空港行きバスの時刻表を見つつ先輩が言う。
『最悪、18時15分ってバスがあるから山陽本線で帰らなくてもなんとかなりそうだけど、あんまり当てにするのはやめておこう。
時間的に道路も混んでる可能性も充分考えられるしな^^』
一応、帰りの保険はあるみたいですね。
でも早め早めに行動したほうがよさそうですう^^;
さてよーやく電車が到着。
私達は乗り込んだ。
---乗車時間約10分(結構遠いですね^^;)
無事に吉名駅へ到着です☆
ここで先輩は、今一度帰りの時間を駅の時刻表とにらめっこして考える。
その結果『ここに滞在できるのは約1時間だ^^
琴音が言う煉瓦工場が近くならなんとかなりそうだな^^』と、今回のタイムバトル時間を皆に発表ですう。
一時間もあれば・・・。そう考えた時期がありました(遠い目)
ふと琴音っちが駅構内でしゃがんで何かを観察しているのが見えたので声を掛けるとーーー
『なんか煉瓦の刻印ぽいのあるっす^^ 〇にかすれてるけど・・・Mじゃないかなあ☆』
いきなり刻印発見ですか。ちょっとびっくりですう^^;
さて駅前の周辺案内板で現在地を確認ですう。
えっと・・・その琴音っちが探してる煉瓦工場ってどこ???
どうやら駅周辺には無いみたい・・・
すると『ほらほらアソコ!』と彼女が指を差す。
私と先輩は案内板の端っこの方に向けられた彼女の指先に目を這わせたーーー
えっと海沿い!?
『琴音? も・・・もしかしてこの松本煉瓦ってとこに行こうとしてるのか?^^;』
『そうだよ~^^ どうやらここの煉瓦ちゃんの刻印がそれっぽい気がしたからね☆』
地図の縮尺はわからないですが・・・見た感じではかなり距離がありそうですう^^;
だって高台にある駅から海辺が見えないじゃないですかw
他にも地図には東亜煉瓦さんや他の工場も多く載ってました。
どうやらここ竹原市吉名というのは煉瓦の町のようですう。
『時間的に間に合いそうに無かったら、強制的に引き返す!』という先輩の条件付きで、
私達はとりあえず目指すことになったのです^^;
はてさてどうなるものやらです^^;
駅前の坂を下り始めたとき、先輩が側溝に何かを発見。
それはどうやら耐火煉瓦のようでした。
小躍りする琴音っち。
『あのMRKは多分~、松本煉瓦さんの耐火煉瓦っす♪ 調べによると赤煉瓦だけでなく耐火煉瓦も製造してるとか☆』
町の側溝に町の煉瓦工場の煉瓦。
ほんとに何かレンガの町っぽくなってきましたです。
小学校脇を抜けると
川に突き当たりましたです。
それと共に向こうにチラホラと海が顔を覗かせているのが見えたのですう。
『案外・・・近いのかもね^^ 夕実ちゃん』
『そうですね先輩^^ ちょっと時間的にホッとしましたです☆』
今回はどうやら走らなくても大丈夫そう^^;
よかったよかったですう☆
瀬戸内海が見えてきたところで、道なりに左手に進む私達。
するとはしゃいで先行して歩く琴音っちが『来たコレ!マジで☆』と道端の何かを指差して喜ぶのです。
何かな?(想像できるけど)と、私達は彼女の元へ
それは道端に捨てられた?煉瓦の中から見つけた〇にMの煉瓦の刻印。
そしてここで気づく私達。
ココから先は煉瓦の魔空間だったのですーーー
どうやら松本煉瓦さんに到着のよう^^
向こうの丘まで海岸線は山積みの煉瓦煉瓦でした。
『ん?なんかマジで古そうな建物もあるっす☆』
『わきゃ? でもこっちはホームセンターにあるような煉瓦さんがズララララーですよ?』
『おいおいちょっとみんな見てみろよ! こっちはーーー
海辺が煉瓦だらけだぜ!?^^』
どこもかしこも煉瓦煉瓦。
琴音っちは狂ったようにおおはしゃぎw
ここで私はふと思う。それを皆に言ってみた。
『えっと・・・現役の煉瓦工場に来るの初めてですう^^』と。
そう。私達は廃業した、もしくはかつて存在した煉瓦工場跡ばかり追い求めてきたのです。
『実は・・・オレもはじめてだw』
『私っちもマジではじめてっすw』
なんだみんなもそーなのか^^;
『海に捨ててあるのなら持ち帰っても大丈夫だよねマジで☆』と彼女は煉瓦の浜辺に降りようとしたけれど、
先輩に『飛行機にコレ持ち込むのかよw』と腕を掴まれて引き戻されてました^^;
松本煉瓦工場(松本煉瓦株式会社)さんの正門まで到着。
正月ですのでやってませんでした。
さて、ここで宇品陸軍糧秣支廠(現・広島市郷土資料館)で見つけた〇にM?の煉瓦の刻印について先輩と彼女の煉瓦談義が始まりましたです(私、ついてけなーい^^;)
『なあ~琴音。あそこで見た刻印とここの会社の刻印は確かに似ていたけどさ、
ひとつ疑問があるんだが』
『何?お兄ちゃん^^』
『確か資料館の外壁は建築当時(明治44年)のまま保存されてると聞いたけどさあ、
この松本煉瓦さんは明治当時から存在していたのか???』
それには彼女もスマフォを取り出して、検索画面を私達に見せるのでした。
そこには昭和13年創業設立と会社の沿革に記載されていたです。
『昭和13年? じゃあ~どう考えても年代がおかしくないか?琴音^^;』
琴音っちは下唇に人差し指を当てつつ、むう・・・と唸ってからそれに答える。
『それは私も思ったよお兄ちゃん。松本さんの創業と資料館の外壁の年代がかけ離れてるってね!
でもだよ。
ここでもう一度調べてみたんすよ^^
外壁はほぼ当時のまま保存されているらしいんだけれど、
屋根まわりは昭和59年に竣工当時を思わせるように復元・改修・再現されてるんだってさ^^』
『つまり・・・お前が言いたいのは、ボク達が見たあの屋根下装飾の煉瓦刻印は近年の改修工事で使われた煉瓦だったと言いたいわけか。
その過程でここ松本さんの煉瓦が使われたんじゃないかってことだな^^
うーん、それならばアリだな』
なんですかそのめいたんていこなんみたいな推理合戦w
でも先輩が言うには『時代考証から推定していくのが建築物の調べ方』と後に続けたのです。
そしてその手がかりは『建築物の装飾や鋼材。そして煉瓦などの物証なんだよ^^』とも。
マニアックだけれども、うーん・・・少し納得ですう^^;
(※ あくまでも自分の推論です。ここ松本さんの煉瓦が資料館に使われていたのかは、もっと踏み込んで調べないとワカリマセン。
良い線いってるとは思うんだけどw)
その後は一通り外から工場見学ですう。
途中、先輩が『オイ琴音!松本さんが正社員募集してるぞ^^』と検索画面を彼女に見せてた。
『いや・・・見るのは好きだけど造るのは・・・^^;』と苦笑いしていた彼女にクスッとしてしまいましたです^^
この松本煉瓦さんの近所で放し飼いの犬軍団に追いかけられたりとちょっとハプニングはありましたがなんとか無事一時間以内に吉名駅へ到着した私達。
(※ こらあああああああああああああああああああ!鎖につないどけえええええw
超絶心臓ばっくんばっくんしたよ^^;
犬たちの目を見ないで堂々とひたすらにゆっくり歩き続ける戦法で諦めてくれたけど・・・、囲まれて吼えられた時は生きた心地がしなかったです・・・^^;)
駅での電車の待ち時間にもう一度構内をウロウロする琴音っち^^;
そしてーーー
『ぐは!来た時よりもっとくっきりはっきりの煉瓦刻印ちゃんみっけた~♪』だって^^;
先輩はと言うとーーー
『なんだこの煉瓦に掘られた名前は? 刻印じゃねーよなw』と、
これまた変なのを見つけて喜んでましたです^^;
(※ 名前をネット検索したら・・・色々出てきましたが割愛します☆)
---山陽本線に乗り込んだ私達。
結局三原駅まで行って、そこから空港直通のバスで空港へ。
無事にフライト一時間前に到着です(安堵)
お土産など購入。フライトまでの時間つぶしに空港内を彷徨っていたらーーー
フライトシュミレーターなるものを発見ですう^^
『初級~中級とパイロット感覚で遊べるみたいだなw オレちょっとやってみたい^^』と先輩はノリノリで座席に付いた(100円~200円)
やっぱり男の子さんですね^^
私達女子チームは先輩の後ろから覗き込むことにした。
『これを握るのか。お?こっちは減速加速のレバー☆ いっちょやってみるか^^』と子供のようにはしゃぐ先輩ちょっと可愛い♪
まあ・・・途中で飛行機が縦に飛んでましたけどね^^;
その後は軽いお食事をしてから展望台へ。
綺麗なイルミと先ほどの食事でのお酒のせいか、ちょっぴりここで本音を吐露してしまった。
『広島旅行、楽しかったですう^^ でもでもです。
先輩卒業しちゃったら、もうこういうことも出来なくなるかもで寂しいです・・・』と。
すると先輩は言ってくれた。
『大丈夫!ボクもみんなとどこかへ出かけるのは楽しいんだよ^^
だから環境は別々になっちゃうけれども、
ここで約束するよ。ゆびきりげんまんだ』と、右の手の小指を私に。
左手の小指を琴音っちに差し出した。
仲良く指きりげんまんのトライアングル。
そして『せーのっ!』で約束の指を切った私達。
私達は展望台を後にし、飛行機に乗って帰路に着いた。
草加市に着いてそれぞれの別れ際に先輩が声を掛けてきた。
『今度はボクの卒業旅行に皆を招待するよ^^
イリオモテヤマネコと煉瓦に会いに行くぞ!』と。
『え?イリオモテヤマネコ?煉瓦???ですかあ???』
『おっと、これ以上は聞かないでくれよ夕実ちゃん^^
楽しみに待っててな☆』とバイバイしていったですう。
え?どーゆーこと?
廃村さーくる古煉瓦ヴァージョン『先輩の本当の卒業旅行編☆』へと続くーーー。
《あとがき退助》
ここまで長々と(約二ヶ月)広島旅行編にお付き合いありがとうございましたw
ながすぎんよ!マジでさw(あ、あけおめーw)
私達ぜんぜん出番なかったし(あけましておめでとー)
というか最後の終りは何スカ?
まさか西表島に行くの???
昨日、来月の製作途中のシフト表(仮)を盗み見たところ、
久しぶりに夏休み・正月以外の連休がもらえそうだったのだよ!
去年も連休のチャンスはあったのだが・・・
店長が骨折したりしてプチ連休なくなったりしてさあ・・・^^;
大分県の姫島旅行記以来の2連休ですぜ!(一年ぶり。うひょー♪)
っつーことは次回の島旅も『廃村さーくるサイド』で話が進むっつーことっすね^^
益々私達の出番少なくなるなw
まあそういうなよ^^; その代わり連休が確定してほんとに島旅行けたならば、めいっぱい楽しんでくるしご披露するからさ☆
さて、
今回の広島旅行編いかがでしたでしょうか?
みんなが期待するような観光地には行きませんでしたが、広島の魅力は伝わったでしょうか?
もし少しでも『へえ~、こんなとこあるんだ』『ここに行ってみたい!』『行った事あるけどもう一度見に行きたい!』なんて思っていただけたらボクとしても幸いに思います^^
ではではまた次回お会いいたしましょうず^^
※ サブも更新ですう♪→そもそも煉瓦刻印にハマッタ理由編☆
第753話 ある意味世界で一番有名な煉瓦vol⑩『原爆ドーム』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『夏雲が遠くに薫る、その晴天の広島に炎落ちゆく』
第753話、ある意味世界で一番有名な煉瓦編『原爆ドーム』
静かにスタートです(菅原琴音視点)
『うーん・・・はわわです・・・』
私の隣のベッドでは、朝起きの蹴伸びをしつつも夕実っちが起きだしていた。
『おはようっす^^』と声を掛けると、
『むにゃむにゃです。おはよう・・・ZZz・・・』と頭をたれる彼女。
おーい。今起きたんじゃねーのかー^^;
まったく子供のような1個上のおねーさんだよ^^;
でもまあそこがいい。
なんでこんな良い子を兄者は彼女にしないのかさっぱりワカラン。
私が男の子だったらとっととゴニョゴニョするのにな~w
私達は朝食をラウンジで取った後、さっそく身支度して平和大通りへと出た。
旅行最終日。今日の目的の場所はこの道の先にあったから^^
通りは川へと突き当たる。
ここは元安川。
前日に降り積もった雪が町並みをすっかり白く染めていた。
川べりと言うことも有ってか、川面を掬う冷たい風が肌身に沁みる。
私達は川沿いの遊歩道を北へと歩き出す。
『わきゃ? ピンクのお花が咲いてるですよ?』
彼女がこの季節に異質な桃色の低木を歩道に見つける。
『これは良く見ると模造だねえ^^』
お兄ちゃんが花弁をつまんで確かめた。
私と夕実っちは『ほら見てご覧^^』というお兄ちゃんの言葉に覗き込んだ。
ぷらすてぃっく。
本物じゃなかったみたい。
私達は周りの景色を楽しみつつ先へと歩く。
---ふと、
古い写真付きの碑が散策道沿いにいくつかあることに気づく私達。
そのひとつに寄ってみた。
『わきゃ・・・広島瓦斯株式会社跡。爆心地から約210メートル・・・』
そこに写っていたのは勿論原爆投下後の瓦礫の世界。
彼女はそれを見て言葉をどこかにやってしまった。
今回、最終日にここを訪れること。
そして原爆にまつわる物を見に行くんだよ!とは皆に確認していた。
だからこそ覚悟はしていたはずだと思う。
夕実っちも納得していたはずなんだけれども・・・
やっぱり写真を見る目はつらそうだった。
『原爆で吹き飛ばされた瓦や陶器片を拾ってる写真か・・・』
お兄ちゃんが別の碑の写真を見つめつつ、何ともいえないため息を漏らす。
これは“原爆犠牲・ヒロシマの碑”
この碑は、広島の学生の呼びかけで全国の小中学校・一般市民の寄付によって建立された碑だそうです。
『原爆瓦』と言う、原爆の熱線(1600~4000℃もしくは最高値6000℃とも)で瞬時に焼け爛れた屋根瓦は、
爆風に吹き飛ばされ数多く元安川の川底に沈むことになる。
それは昭和の50年代まで川泥に飲まれるままだった。
後年、広島市の元安川の美化計画が始まろうとした矢先、
学生たちの原爆瓦保存の運動が起こる。
『原爆瓦からあの戦争の悲惨さを知って欲しい』
その運動は幼稚園児から高校生。訪れる修学旅行生までを集めて広がることにーーー
素敵な運動じゃないですか!
私は今一度この石碑をマジマジとなぞり、声にして読んだのだった。
そこから少し歩いた所の川べりのお洒落なカフェの前に、
『旧元安橋』と言う、原爆爆心地にもっとも近かった橋の名残りがあった。
(新しい付け替えられた橋はすぐ隣・写真では右手奥の橋)
爆心地特定の手がかりともなった橋。
こここそ、原爆投下の際にもっとも多くの犠牲者が亡くなったところだそうです。
---さてここでお兄ちゃんが
『ココまで来たならば少しだけ寄り道をしよう^^ 知っておいたほうがいい。絶対だ』と、
遊歩道を降りて直ぐ傍の小さな三叉路へと私達を連れ出した。
そこからすぐ左に折れ、
病院の前にやってきたっす。
その袂にはーーー
『広島原爆爆心地のモニュメント』があった。
ここが・・・そうなのか。
もうそれしか言えないや・・・。
『あんまり言いたくないけれど、米軍のエノラ・ゲイことB-29は原爆を落として帰投したあと、
夕方から夜遅くまで祝賀パーティーをしたそうだよ』
・・・また余計なことをお兄ちゃんが言っちまった^^;
おかげで夕実っちはここからワンワン泣き通しだったじゃないっすか・・・^^;
本当は知ったほうがいいとは思うよ?史実はね。
現実はリアルで残酷なのは承知だ。
でもデリカシーに欠けるのがお兄ちゃんの困った所だ^^;
しばらく2人で彼女を慰めて次へ。
そして今日。いや、この旅路のメインの場所へと赴いた。
ビル影からもう見える。
元安川のほとりに現れたそれは
『原爆ドーム』
日本人の誰もが知るそのシルエット・・・・って
あれ?
『お兄ちゃん!なんか教科書の写真と違う!』
『うん・・・。実はここに来る前から知ってたんだが、お前が最後に絶対見たい!見たい!って熱く言うから言い出せなかったんだ^^;
この原爆ドームは1992年から経年劣化の状況把握や調査、補修の為に原則3年のスパンで
建物の健康診断をしてるんだよ。
で、今年は丁度第4回健全度調査期間であって、かつ、
第3回目の保存工事中なんだ(平成14年9月~平成15年3月)』
ああ~ん・・・
骨組みだらけでイメージとまったく違う~ん^^;
さっきまでべそをかいていた夕実っちも『うう・・・なんかこうじゃないですう^^;』と苦笑い。
お兄ちゃんはコホンと空の咳をしつつも続ける。
『まあまあ。だってしょうがないだろ?
なにせこの原爆ドームは大正4年建築の建物。
そしてみんなも分かるように原爆に被災した被爆建築物だ。
約3000度の熱線を浴び、秒速440㍍の爆風にさらされたんだよ。
完全破壊されなかったのが不思議なくらいの建物だったんだよ?
(ドームの部分と一部を除いてほぼ全壊)
平成の世、ましてやこの先保存をするとなると補修に補修を重ねないととても建物として生きていけないんだよ^^;』
理屈じゃ分かってるっす。
でもやっぱり鉄骨の足場に囲まれたものじゃなく、原爆ドームそのものを見たかったのが本音っす・・・。
ーーー私はここで原爆ドームを指差した。
半べそをかく夕実っちに今一度知ってもらいたかったからっす。
『ねえねえ夕実っち。もう一度注意深く原爆ドームを見てもらえないかな?』と彼女へ。
『原爆ドームがどうかしたですかあ^^; ・・・えっ!? えーと・・・えとえと・・・
え?煉瓦!?』
『そうっす^^ 実はこの原爆ドームは
煉瓦の建物なんすよ^^』
夕実っちは泣いた赤子がすぐ笑うかのように、
『ほえほえほえ~!へえ~!煉瓦建築だったですか。うわあ・・・うわー!』と驚きの表情。
『実際来ないと分からなかったでしょ?夕実っち^^
教科書の写真見たって、この原爆ドームが煉瓦建築だったなんてちゅうがっこーの頃はまったく思わなかったもんね』
---実際、ほんとに煉瓦建築だとは思ってなかった。
教科書の白黒写真に崩れたドーム。
てっきりコンクリートの建築物だとばかり思っていたから。
それからはぐるりと舐めるように原爆ドームを見て周る私達。
『わきゃ・・・ほんとにほんとに煉瓦なんですね^^』
コンクリ・モルタルが剥がれた部分は煉瓦そのもの。
とゆーかコンクリが邪魔なくらい、立派な煉瓦建築物だったっす。
『わきゃ? 琴音っちい? なんでまた元安川の方なんて見てるですか???』
私がふと川べりを見つめていた私を疑問に思ったようです。
私はここでネタ晴らしを彼女にすることになった。
『うん、実はね? 夕実っちがお兄ちゃんの学生生活最後の思い出にって旅行計画を立てたとき、
私は“ある記事”を読んでいたの。
それがこの元安川から原爆ドームの煉瓦の刻印付きの煉瓦が発見されたって記事だったんだ。
刻印っすよ? 私が食いつかないわけ無いじゃないw
で、そこから私は色々調べたんす。
原爆ドーム自体が煉瓦だったこと、
広島には煉瓦建築が数多くあること、
そして広島の原爆と煉瓦の歴史に辿り着いちゃったってわけ^^
広島行きたいなあ・・・
広島を実際の目で見てみたいなあ・・・
そう思って、ついつい広島旅行にしようって言ったんだよ^^;
だからここであやまるっす。
ゴメンなさい・・・
私の願望ばっかり押し付けてしまった今回の旅行を・・・』
私はお兄ちゃんと夕実っちの中途半端な男女関係を近づけようと画策したわけじゃ無いっす。
完全に自分の欲望の為にこの地を選択したんす・・・。
あわよくば、元安川で煉瓦拾い・・・とか考えていたくらいっす^^;
(割と本気)
正直、申しわけないと顔も見れなく俯いてしまった私に
『わきゃ? 何あやまってるですか琴音っちい^^
私は何も文句が無いですよお!
むしろ色々教えてもらった旅だったと思ってるくらいですう☆
知ってたようで知らなかったことをどんなに教えられたかですー^^』
・・・そう言ってもらえると嬉しい^^
むしろお兄ちゃんの嫁さんにじゃなく私がもらってやってもいいくらいだと思ったっす。
こんなやりとりがあったなんてつゆ知らずのお兄ちゃん。
じっくりじっくりと原爆ドームを柵越しに観察していた。
私達もお兄ちゃんのとこへ戻ることに。
『どこからどー見ても補修工事の足場が邪魔っす^^;』と嘆く私に、
お兄ちゃんが、まあまあまあ^^;という感じで声を掛けてくる。
『まあそう言うなよ琴音。
日本でも屈指の戦争遺構だ。またこれ以上、戦争を物語る建物は他に無いとも思うぜ?
写真一枚よりリアルな建物だよ。
また今度見にくればいいじゃんか^^』と。
現在時刻午前9時過ぎ。
ふと周りを見渡すと、お正月でもあり、朝早い時間帯であるにもかかわらず、
白人さんの旅行客などが写真をパチパチと撮っていたり、
碑文を見ては神妙な顔をして頷いていた。
(※ アジアの人も居たよ^^ でも、白人さんほど真剣じゃなかったように見えたなあ。あくまでもボクの主観ですが)
一通り柵越しに見て周ってからお兄ちゃんが私達に語り出した。
『ここは元々“広島県物産陳列館”と言う広島県の物産アピールの場所だったのは先日知ったよね?』
『似島のバウムクーヘンの話しだよねお兄ちゃん^^』
『そう。似島の捕虜収容所に幽閉された菓子職人のユーハイムが、この原爆ドームの前身である広島物産陳列館でバウムクーヘンをアピールしたことによって全国に広まったんだ。
たまたまだろうけれど、
琴音が最初に似島を選び、最後にこの原爆ドームを訪れたのは良かったんじゃないかとボクは思う^^』
そう言われると照れるっすw
ほんとたまたまだった。
でも、原爆ドームとはそもそも何なのか?を先に知ることが出来て私も良かったと思ったっす。
『時代は流れ、原爆投下時には“広島県産業奨励館”と呼ばれていたこの原爆ドーム。
煉瓦建築としては大正時代竣工でそこまで物珍しいものじゃないかもしれない。
もっと古い明治期の煉瓦建築なんてたくさんあるしね。
しかも煉瓦建築だとは広くイメージされてもいないと思う。
でもさ?
欧米人もアジアの人たちもヒロシマ・ナガサキ。原爆ドームは多くの人たちに知られているんだぜ?
だったらこれがある意味世界で一番有名な煉瓦建築なんじゃないかなあ~ってボクは思うんだよ^^』
世界で一番有名な煉瓦建築ってなんですか?と問われた時、
私は世界中の煉瓦建築物を全然知らないっす。
だから正直すごーく答えに窮すると思うんだあ。
でも今、この原爆ドームが煉瓦建築だったと知った私は答えてみたい。
原爆ドームってね^^
---私達は今一度手を合わせ、この場を後にした。
『わきゃ!? す、滑るですう・・・^^;』
『うは^^; やばいくらいにスケーティング!w』
私達はこの後に訪れようとする場所に向って新元安川橋を渡るのだが・・・
路面が凍結していてツルッツル!
おっかなびっくり、腰をガクガクさせながら対岸へと渡ったんす・・・^^;
橋の袂にあったのは『広島市レストハウス』
実はここも被爆建築。
元々は『大正屋呉服店』と言う昭和4年竣工の、専らモダンな洋建築だったそうっす^^
でも、太平洋戦争勃発の際に閉店の憂き目に。
その後、国の統制会社として建物が取得され『燃料会館』と呼ばれたそうです。
原爆時には30余名が勤務していたそうですが、たまたま書類を地下室に取りに行った方だけが生存したとのこと・・・。
現在は観光案内の場所になってましたっす(朝から元気よくいらっしゃいませ♪ってお姉さん2人がご挨拶してくれました^^)
『わきゃ。ここは知ってるです。広島平和記念資料館ですね』
私達は平和記念公園ど真ん中の資料館前までやってきた。
近づいてみると右に左にすごく大きな建物。
私はぜひとも広島に訪れたならば行きたい!と思っていた場所でもあったっす。
ただ、一応お兄ちゃんと夕実っちの意向も聞いてみることに。
そしたらばーーー
『あ? 入ってみたいに決まってんだろ妹様よw オレはてっきり小中高校のうちどれかの修学旅行で絶対広島に行くと思ってたのに行かなかったからな^^;』
『わきゃ・・・そうですそうですう!^^; 小学校は東京だったっし~、中学校は奈良京都、高校は会津だったです~』
そういやそうだったっすねうちら^^;
ま、当時はどこに行くかより、
友達達と遠くに遊びに行くならどこでも楽しかったんですけどねw
全会一致で決まりです。
いざ、広島平和記念資料館へ!
受付で入館料50円を払い、いざ展示物のある二階へとのぼる。
(※ 消費税上がっても50円♪ 良心的ですぜ^^)
2階の展示室に入り込むとそこは煉瓦をモチーフした世界だったのです。
入り口すぐそばの壁面に描かれた『みずをください』の言葉に、のっけから当時の有様をガツンとイメージさせられる私達。
『みずをください』と言う言葉は原爆下の当時を物語る言葉そのもの。
本当にツライ言葉・・・。
---さてと。
ここからは実際に行ってもらって体感してもらいたいので画像は控えます。
写真じゃワカランのです。
実際に目で見て思うこそが本物。
ですが、
私の『ある煉瓦少女の物語』の一部をとくとご覧あれっす☆
『ぐおおおおおおおおお! なんか資料館の道順に所狭しと煉瓦がいっぱい並んでるんだけどお兄ちゃん!』
『あ、ほんとだな^^ でもレプリカだろどうせ・・・って、あれ? 入り口付近の足元にあったのはレプリカっぽかったけど、
先へ行くほどガチの煉瓦だな^^;』
そう。
入り口付近の道順の両脇にあった煉瓦は模造っぽかったのだけれども、
先へ進むにつれ?
どうやら本物っぽい煉瓦だということに気づく私とお兄ちゃん(夕実っちは展示物を見て半べそかいていてそれどころではない^^;)
そしてその展示物の下で決して誰も見向きもし無い、展示の演出用の煉瓦たちが本物だと知るーーー
『え?なにこれお兄ちゃん! 刻印っぽいのあるけど日本語っぽくなくなくね?マジで』
『韓国語っぽくも見えるな。韓国の煉瓦かな???』
『お兄ちゃんコレ!耐火煉瓦じゃね?♪』
『ああ~そうだな^^ 削れてるけれどもSK32って言う耐火煉瓦の番手の刻印が見えるし^^』
(※ 耐火煉瓦の番手とは? SK+数字で、その煉瓦の耐火温度を知る数字だと思ってもらって結構です^^
大きいほど熱に対して強いってとこかな)
さんざん観光客の人の流れから逸脱し、ディスプレイの下の煉瓦を漁る私達兄妹^^;
まるで煉瓦の餌という罠に一歩一歩摘んでは先へと行く動物のようw
ふと、煉瓦に混じってこんなものがーーー
『あれ?ねえねえお兄ちゃん? ここに瓦の破片もあるけど刻印ポイの打ってあるよっ!』
『あ、ほんとだなあ^^ ・・・ってあれ? ちょ、ちょっとよく見ろ琴音!
この煉瓦と瓦の破片が置いてあるところを』
お兄ちゃんに言われて顔を上げて周りを見渡す私。
すると、このブースはなんと、
『原爆時当初の煉瓦や瓦片を展示している場所』だったみたい^^;
夢中になりすぎてわからなかった。
でも、ここに展示されている煉瓦。そして刻印は当時のものなんだなあと身を振るわせた。
その他にもれっきとした煉瓦の展示物がお目見え(私達が夢中になっていたのはほんと装飾用みたいな煉瓦。
中には原爆の熱線で瓶などのガラスが瞬時に溶け、煉瓦や屋根瓦と共に塊となってしまった展示物も・・・。
こんなの人間がどうやってまともに生きていられるだろうか・・・
恐怖と言うよりも、ただひたすらに憤ることしかできませんでしたっすよ・・・。
私達は一通り見て周り、資料館に別れを告げた。
---再び元安川のほとりを歩き、
私達は対岸に見える原爆ドームを見つめる。
昔と今の原爆ドームがなぜか私達の頭に過ぎる。
あなたには何が見えますか?
さてと、記念公園もぐるりと一周としたところでお兄ちゃんが聞いてくる。
『そう言えば今日は帰りのフライトまでどうするんだ?琴音^^』と。
夕実っちも『そうですそうですう~。確か帰りのフライトは夜7時くらいだったですよね?』と、この後の日程を急かしてくる。
現在時刻、まだまだ10時を過ぎた頃。夕方までたっぷりの時間が残っていた。
私は『とりあえず広島空港に戻るっすよ^^』と彼らに告げる(戻るって・・・そもそも空港で寝過ごして行ってもいないんだけどねw)
『『く、空港???』』
驚くお兄ちゃんち。
『まあまあ。この後はガイドさんの私っちにまかせてまかせてw』
そう言って広島駅の北口へと移動開始っす(広電で☆)
空港行きのリムジンバスのチケットをゲット。
さて、この後の旅路は実は思いつきだったということを
今のお兄ちゃんと夕実っちは知らないーーー
《あとがき退助》
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
感の良い方は、ボクが世界で一番有名な煉瓦見に広島へ行くんだって言った時点でお分かりだったと思います。
そう。原爆ドームが答えだったのです^^
異論は勿論あるかとも思いますが、少なくとも誰もが知ってる世界文化遺産です。
まさか煉瓦にハマッてここに到るとは思っても居なかったのが正直な所です。
でも、感謝したい。
だって勉強とか嫌いなオイラだったけれど一杯調べたし教わったんだもの。
原爆・戦争。
島旅・煉瓦と言う別視点からではありましたが、前よりももっと当時の悲惨さを知ることが出来たのでは?と思ってます。
さて、次回が恐らく・・・広島旅行編ファイナルだと思います。
正直、おまけ話ではありますが
ボクにとって懐かしい風景と新しい発見があった最終日です^^
ではではまた次回、お会いいたしましょうず!
ちなみにサブブログもよろしく!→ψ(☆ω☆)ψフヒヒ・・・
第752話 ある意味世界で一番有名な煉瓦☆vol⑨雪の広島城編『ご注文は石垣刻印探しですか?』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『超遅めのランチ食べたあとどうすんのお?琴音っち^^』
スマフォの時計を見やればまだまだ3時くらい。
ホテルに帰るにはちょっと早いかもです。
私は宇品港に帰ってくるなり彼女に聞いてみたのです。
するとーーー
『それは飯食べながら考えるっすw』だってー・・・^^;
要するに似島を冒険するまではスケジュールにあったけれど、その後はこの旅のプランナーである彼女は何も考えていなかったみたいですうー^^;
この後どうなることやら・・・
第752話。引き続き石廊崎夕実(いろうざきゆみ)視点でお話は進みますです~☆
『わきゃ?このカード何?琴音っち』
『え?イコカっすよ?』
『そんなのは分かりますです^^; なんでコレを買ったのかってこと!』
『ええ~だって、広電(路面電車)に乗車するたびに160円用意すんのめんどくさいじゃんw
だからさっき広島駅の改札で買っちったw
これならピッ!っすよピッ♪』
私達はランチを求めて結局はJR広島駅まで来ちゃいました^^;
だってお店全然やってないんだもの^^;
結局、正月三が日でもやってる駅ビル内のレストランに落ち着くことになったのですが、
席に着くなり彼女がJR西日本のICカード乗車券を見せびらかしたのであります。
そこに菅原先輩が嘆きの顔をしつつ琴音っちにツッコミをいれる。
『えっと・・・琴音? 広電に乗るにはイコカはひじょーに便利だとは思うぞ?
でもな?
今日明日で広電に乗ることあるのか?』
『えっと・・・多分・・・1回くらいかな!エヘへ♪』
・・・どうせなら広島旅行初日に買えば良かったのにい^^;
そうすれば広電内で小銭をこぼすこと無かったのにですよー(※ 私・・・こぼしましたw)
『まあ、今は全国でもエリア越えて使えるようになったから損ではないけど^^;
そういえば琴音。お前はICカード何枚持ってるんだ???』
『スイカとパスモと・・・クレカのスイカとこのイコカで4枚目w』
そんなにあってどーすんの^^;
その後は、なぜかJR系ICカード談義に花を咲かせる私達。
静岡県民だったのにトイカは誰も持ってない・・・とか、
東京駅開業100周年記念スイカが欲しい・・・とか。
込み合っていて中々頼んだものが来なかったのですが、
お喋りしてたら気にならなかったですう^^
そして登場。
まずはビールで乾杯ですう☆
くう~ん☆ 結構歩いた三日目だったから冷えたビールおいしいですう^^
・・・まあさんざん缶チューハイ飲んでましたですけどね☆
昨日の夜に引き続き『酢牡蠣』をオーダー。
だって、メインの料理は時間が掛かりそうだったんですものお^^;
それまでのアテと言うことで、菅原先輩のリクエストでした^^
そしてその時間が掛かりそうなやつが登場です~☆
牡蠣入り味噌煮込みうどんwith牡蠣の炊き込みご飯☆
『うは!ちょーあったまるっすマジで^^』
『広島に来たなら全てにおいて牡蠣入って無いと気がスマンからなw』
まあ先輩や琴音っちが言うそれはどうかと思いますが美味しかったですよ♪^^
---さて、このあとどうするのか?
広島市内のパンフレットの地図を広げて先進国首脳会談がはじまります!
『広島城でいいんじゃないっすか?』
何気ない琴音っちの一言。
でも~『~ないっすか?』は何か失礼っぽい^^;
広島城にとても失礼っぽいんですけどー^^;
とは言えあんまし遠出も出来ないし、夜ご飯がこのあと控えてるのにご飯食べに行くのもなんだし、
結局あても無いので『広島城ツアー』に決定です。
えっと・・・何かスイマセンですう^^;
ランチも食べ終り、目的も一応決まったことですしお勘定です。
いざ広島城へ!
えっと・・・何か吹雪いてるんですけどw
おかしいなあ・・・似島から広島駅までは晴れ間が覗くほどだったのになあ~^^;
『城の天気は変わりやすい!ってことっすね^^;』と琴音っち。
いいえ違います☆
琴音っちのイコカが可哀想なので広電で紙屋町東へと行くことに。
ここから15分程度で着くらしいのですが、凄まじい雪^^;
『お!地下道から雪に濡れずに行けそうだね^^ さあ皆コッチコッチ♪』と、菅原先輩が地下道入り口を発見。
服についた雪を払いつつ逃げ込みましたですう^^;
なんでもこのアストラムラインと言う電車の県庁前駅までの地下道をまっすぐ辿れば広島城に近づけるらしい・・・と先輩は言う。
地下街はとっても煌びやか♪
しかも寒くないしチョーありがたいですう~^^
(※ アストラムラインは正確に言うと電車じゃない?のかな。
架線も無いし車輪はタイヤ。
地下も通るし高架も走る。
日本全国見渡しても一風変わった新交通システムですね^^)
地下道の終点を抜けると広島城前の公園でした(真っ白^^;)
そしてーーー
いよいよ到着ですう☆
と言ってもまだまだ二の丸手前。
天守閣はココから見ても遠かったですう^^;
---さてここで
お城には興味あるの?って話しになったんですよ。
『え?わたしっち? 無い無いw だって私ってば煉瓦命っすもんw』と琴音っち。
『オレ?ああ~嫌いじゃないけど、廃城とか城址のほうがワクワクするかなあ~^^』と先輩^^;
実は私もそこまで城!って感じじゃないのですう~・・・^^;
でもこの人たちに付き合ってたらいつまでたってもまともな観光名所にすら行けない気がしていたので、
今回、たまたまですがここに来れて良かったなあ~なんて思っちゃったり☆
ではせっかくなので色々覗いていきましょうですう^^
御門橋と言う二の丸に続く橋を渡るといよいよお城の中に入ってきたと実感する私。
ここからもう一度橋を渡って、天守閣陣取る本丸へと行くわけなのですが・・・
彼ら(先輩と琴音っち)は違いました
観光客さんたちがゾロゾロと本丸への道へと並んで歩く中、
先輩たちは道を外れてフラフラと二の丸の石垣へと近づくのです。
『え!? せ、せせせせ先輩? 一体なんで石垣の方に???』と慌てて追いかけると、
私を見ずに石垣を見たまま2人から返って来た言葉は
『『いや~石垣刻印あるかなあ~って思って☆』』・・・だって。
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
広島城まで来てまた刻印探しかよおおおおおおおお!ですう^^;
・・・と言うか石垣刻印ってなんですか???
そんなのあるですか?
先輩に聞いてみたです。
『う~ん、城の大小によって意味合いは様々だし諸説あるけれど、簡単に言うと一種のアピールかな?』
『アピール?』
『うん。この石垣はオレ様が調達してきたんだぞ!とか、この刻印を打った石垣から向こうまではオレ様が積み上げたんだぜ!とか上司(お殿さま)への貢献・自己アピールかなw』
要するに仕事の証明みたいなものですか?
ついでに琴音っちにもちょっと聞いてみた。
『えっと・・・石垣の刻印も好きなの???』と^^;
そしたら
『別にお城に興味は無かったんだけど、石垣にも刻印があるよ!ってお兄ちゃんに聞かされて今、石垣刻印探しに萌えてるんだから邪魔しないでっ!』って、
邪険にされたんですけど^^;
あんた刻印なら何でもいいのかよ!w
二の丸から本丸へ辿り着くとそこは、出店が延々と続いていたのですう☆
『うは!なんか食いたくなってきたっす!^^』と言う琴音っちだったけど、
この後夜ご飯も控えてるし~
そもそもあんたほんの30分前にご飯食べたばっかっしょっ!^^;
---と言うことで出店には寄らず、
本丸の奥へ奥へと、恨めしそうに出店を眺める彼女を引っ張りつつ進みましたです。
(ほんとは、私も食べたかったんだけどね!)
本丸内の広島護国神社でトイレ休憩し(お参りしないのか!)
やってきたのは本丸上段の敷地にあるーーー
『広島大本営跡』ですう。
・・・というか大本営ってなんですかあ???
琴音っちに聞いてみるも、
『え?わたしっちもよくわかってないかもっすw』とおちゃらける^^;
そこに先輩が助け舟。
私達に分かりやすい感じで噛み砕いて教えてくれた。
『うーん、難しく言うと、天皇陛下直属の陸海軍統帥最高機関なんだけれど、
簡単に言うと戦時下の指令本部みたいなものかな^^
更にぶっちゃけると学校の運動会とかあるだろ?
その校長先生とか先生が居る本部のテントと思ってもいいかな。
ぶっちゃけすぎるけどw』
分かりやすいような分かりにくいような・・・^^;
でもなんとなく分かりましたです。
『と言う事はですよ? この広島城は昔、戦争でも使われていたってことですかぁ?』
私は思った疑問を素直に吐いてみる。
『そうだね^^ 広島城の本丸上段の敷地内に、皇居から明治天皇が移って日清戦争の指揮を執ってたんだよ^^
軍港としても立地が良い広島(呉・宇品)
西方の軍事の拠点として広島城なら文句もないってことだったんじゃないかな?
ちなみに今は目の前に広がる石の土台ばっかりで何もないところだけれど、
かつては洋風建築木造二階建ての華やかな洋館が建っていたんだよ^^』
ここに洋館が建っていたですか。
お城に洋館。
なんだか不思議なコラボですね^^;
さて、本丸の木々の向こうに天守閣が見えるですう。
てっきりこのまま天守閣に行くのかと思いきや、
彼ら(先輩・琴音っち)は中々まっすぐ進まない^^;
天守閣が昭和33年に再建された当初に、地中から引っ張り出された柱の礎石の移設場所を眺めたり
(と言う事は今の天守閣の柱の土台石は模造? 中国人カップルが礎石の上をケンケンパして遊んでたけど・・・・^^;)
中国軍管区司令部跡に寄り道したりと、まあ~ほんと進まないですう^^;
そしてそして、よーやく広島城天守閣に到着ですぅ♪
見上げた様は雪もあってかとても素敵なお姿!
『せっかくだし、天守閣登ってみようぜ!^^』と言う先輩に賛同し、いざ入り口?へ!
せっかくお正月でも開放してたのに入館時間が終ってたですうw
(※ 午後4時まで☆)
入れないんじゃ仕方がナイデスヨネ^^;
ここまで充分楽しめましたしそろそろ時間も頃合だと思いました。
『じゃ~東横インに一旦帰ってから晩御飯食べに行きましょうです!わきゃー☆』と、先輩・琴音っちに話し掛けたんです^^
そしたら琴音っちはーーー
『天守閣なんて飾りっす☆ レッツ石垣刻印探しィ~ん♪』
・・・だって!^^;
結局この後は刻印マニアの彼女に振り回されることになったです。
その結果、
それっぽいの発見です^^;
琴音っち発狂w
先輩が言うには『毛利輝元が築城し、福島正則氏が改築。主に石垣刻印として残ってるのは福島氏のもの』だそうですう。
続けて先輩が言う。
『元々あった江戸期までのお城や本丸二の丸の建物も、
明治7年の大火や陸軍施設設置によって解体されたり失ったりしたそうだよ。
そして太平洋戦争時下、
広島城は更に戦争の憂き目にあうことに。
・・・そりゃそうだよね。だって軍事施設がたくさんあったからさ^^;
広島原爆投下の際には施設も大部分が消失、人も樹木も石垣も爆風で吹き飛ばされ、生き残ったものも火に巻かれることになる・・・
天守台は原爆の熱線で焼かれたわけじゃなく、爆風による土台を失った自壊だったそうだ。簡単に言うとダルマ落とし状態・・・。
支えの部分から崩れて行き、最後には堀の中に埋没。
しばらくは廃城そのものだったみたいだね^^;』
ううう・・・もしかして軍都じゃなければ原爆もここには落ちなかったのかなあ?
先輩は、やっきになって刻印探しをする琴音っちの頭をぐりぐり撫でる。
イテテテテと彼女。
『刻印探しもいいけれど、手を合わせて帰ろうぜ琴音^^』
『・・・はあ~い^^;』
まさか広島城に来て手を合わせてくるとは思ってもいませんでしたです。
この城そのものが『戦争遺構』だったのですね。
私達は頭を下げてから、広島城を後にしたのですう。
(※ 今ある広島城天守台は三代目。終戦から6年後に仮設の木造天守が築かれ、
更にその7年後の昭和33年、
広島の博覧会に合わせて復元されたそうです^^)
広島城からは歩いて東横インへ(意外と近かった:ただし歩くのが好きな人の感覚です☆)
各部屋で身支度・小休憩を挟みつつ、
私達は夕ご飯を食べに行きましたです♪
前日の1月2日よりは飲食店が多く店を開けていたこともあって、今回はそれほど彷徨い歩く事は無かったです^^
入ったのは『ひろしま藩』と言う居酒屋さんですう~♪
ビールに
お造り!
れんこんのギョーザ?
(※ レンコン料理ならうちの店のれんこんの海老挟みのほうが美味いぞ!w)
そして最後に焼き牡蠣ですう^^
(※ えっと・・・なんで焼き牡蠣なのに氷鉢に乗っけてくるんだろう・・・)
皆、ワイワイと今日の旅路を思い起こして語り合い、楽しいお酒の締めくくりでしたですよ~☆
さていよいよ明日でこの旅路も終り。
終り・・・なんですね。
寂しいけれども最後の最後まで楽しみたい!
先輩と琴音っちと目一杯思い出作るんだ!
私は眠る前にパチン!と頬を叩き、ウンと自分に頷いてから部屋の明かりを消したーーー
《あとがき退助》
ここまで読んでくださりありがとー^^
今回は雪の広島城。文中にもあるように、当初は訪れる予定はありませんでした^^
似島にご飯食べれるとこがなくって、早めに本土に帰ってきちゃったのが原因ですけど何か?(半ギレ)
とはいえ行って大正解☆
色々と知ることができましたよ^^
石垣刻印探しは飯くってる最中に思いついたんですが、刻印にはまっていなかったらーーー
ボクはさっさとホテルに帰ってまったりしてたかもしれませんね(煉瓦も石垣も刻印バンザイw)
たまたま刻印探しから知った歴史。へんてこりんなアプローチでは御座いますが、つくづく面白いものだと思った自分でありますです^^
---さて、
次回記事がこの旅路のタイトルでもあるようにメインのお話です。
煉瓦から知る広島の歴史・原爆の話。
目を瞑らず見ていただけたら幸いです^^
第751話 ある意味世界で一番有名な煉瓦☆vol⑧似島編ファイナル『冷たい炎の鎮魂歌』馬匹検疫所焼却炉ほか [廃村さーくる(古煉瓦)]
『ああ・・・もう明日で楽しい旅行も終りなんだ』
煉瓦に島歩きに楽しい3日間でしたですう。
出来ればこのままずっとずっとずーーーーーーっと先輩と琴音っちと旅していたい。
なんか小学校の時の日曜日の夜症候群に似たものを覚えるのです私。
『楽しいこの時が止まればいいのになあ』と揶揄する人もいるけれど、
でも止まっちゃったらつまらないよね。
動いてるからこそ楽しいの^^
さてさて戦跡巡りに満足の先輩、煉瓦刻印にご満悦の琴音っち。
てっきり時間も時間だし、このまま引き返すのかと思ったら違ったみたいですうー。
第751話。わたしこと石廊崎夕実(ゆみ)の視点で似島編ファイナルをお送りしますです~^^
『このまま似島学園の周辺巡りつつ、戦跡と煉瓦ちゃんを見に行くッす☆』と、琴音っちが学園をぐるりと囲む海岸線の道へと歩き出した。
私と先輩も彼女に続く。
『わきゃ!? 琴音っち~。道端に煉瓦落ちてるですよ?琴音っちの大好きな煉瓦ちゃんがw』
私はちょっとばかし嫌味っぽく彼女に言ってみる。
『ふふふん。こんなの遠めから見ても古煉瓦ちゃんじゃないと分かるっすよ!
こんな新しそうな煉瓦なんて・・・煉瓦なんて・・・えっとどれどれ?』
なんだかんだ言って道端の煉瓦に吸い寄せられていく彼女w
『うがー!こんな紛らわしいもん置いて置くなボケー!w』
どうやらお眼鏡に叶うものじゃなかったようですね^^
彼女の煉瓦愛もここまで来ると面白い☆
学園の校舎の辺りに来たところで、先輩が『おや?』と首をひねり、
『おい琴音。アソコをちょっと見てみろよ』と琴音っちにその場所を促がした。
私も一緒に見てみると・・・なんでしょうか?
まあ~るい円筒状のコンクリート?
『あのコンクリが何だよお兄ちゃん・・・って煉瓦?』
『ああ。多分あのコンクリの内側に突き出てるのは煉瓦じゃね?^^』
ああ確かに、煉瓦さんに見えなくもないですね^^;
『ちょっと近づいて見てくりゅ!』と、彼女は速攻ズザザザーーと芝生を滑り降り見に行っちゃった^^;
私達も渋々合流し、間近で見てみた。
『わきゃ!? ・・・煉瓦っぽいですがあ、ちょっと赤煉瓦ちゃんより一回り大きい気がしますです^^;』
『『いいとこ気づいたね!』』
なぜか先輩と彼女に褒められる私。
『多分これは~耐火煉瓦じゃないかな^^』
『わきゃ?耐火煉瓦ですか?』
『高熱に耐えられる煉瓦のことだよ^^ 高炉とかピザ釜とかそういったところで特に使われる煉瓦だね^^
そして耐火煉瓦ってのは実際、建築用赤煉瓦とは寸法も若干違うんだよ^^
夕実ちゃんが気づいたように赤煉瓦より一回り大きいんだ^^』
へえ~そうだったんですか。
耐火煉瓦には琴音っちと去年出向いた群馬の小坂鉄山で見た記憶があるのですが、そこまで気にしてなかったですう^^;
『っちゅーことはだよお兄ちゃん。もしかしたらコレって焼却炉の跡とか、はたまた軍関連の焼却施設の名残り・・・だったらうれしいっすw』
実に嬉しそうに琴音っちはこのコンクリの煉瓦さんを撫でながら先輩に言うのだけれどーーー
『うーん・・・。耐火煉瓦ってのは見た目で古い新しいを見分けにくいしなあ・・・^^;
何度も火が入って通常の煉瓦より劣化を繰り返すものだしね。
まあでもここ似島学園そのものが元陸軍施設の第一検疫所跡だし、何かしらの当時の名残りであっても不思議じゃないかもな^^』
え?この学校そのものが元々陸軍の施設だったのですかあ。
(※ 前記事の弾薬庫跡も、ここ似島学園自体もこの周囲一体が似島検疫所・第一検疫所なのです。
ちなみに第二もあるのですが、それは前々記事に出てきた宇品駅プラットホーム敷石モニュメントのある場所(平和養老館)なんです^^)
すかさずここの歴史などをスマフォで検索する琴音っちだったけど、ここの遺構の詳細は分からず仕舞いでしたです。
かつてネット検索の『女王』とか『ハンズオブグローリー』とか呼ばれていた彼女でも無理みたい^^;
やっぱりこういうことは図書館やらで本を読み調べてみないと見つからないことですよね。
私達はここを後にし、先へと進むことにした。
再びまたもや道端に煉瓦さん登場。
『うがー!なんだよコレマジ陰謀じゃね?w 私を足止めするために誰かワザと道端に煉瓦放置プレーしてんじゃね?^^;』
似島学園周囲の道には、ところどころにこうして煉瓦さんが放置プレーでしたです^^;
よせばいいのに一々気にする琴音っちが居るもんだから、中々先に進めませ~んw
『わきゃ!? あの学園の敷地内に建ってる銅像はなんでしょうか?』
私は学生寮?の裏っぽいところにひっそりと佇む銅像を見つけ、先輩に聞いてみた。
『この像は後藤新平と言う似島に検疫所を設けようと進言した明治の官僚・政治家さんってパンフレットに書いてあるね^^』
先輩、パンフレット読んでるんですねw
(※ 日本の近代の検疫事業の尽力者とも呼ばれている人です^^
戦火と言うのは何かと疫病をもたらすものなのです。コレラとか。
明治期の西南戦争の折、当時の事務次官として検疫事業に邁進した彼の功績を讃え、検疫縁の地である似島に彼の銅像が後年建てられたと、そんな経緯です)
ーーー私達は銅像にバイバイをし、道なりに進んでいるといつの間にか海へと出ていた。
そこにはーーー
『ん?ちゅーごく財務局?立ち入ってはいけませんって書いてあるけどなんでやねん?』
琴音っちは海辺に突き立つ立ち入り禁止のフェンスをガシっと揺らして向こうの景色を恨めしそうに覗き込む。
すかさず先輩の注釈が入った。
『実はここ、第一検疫所桟橋跡なんだよ妹よ^^ ここから明治~昭和と長きに渡り、弾薬や物資が搬入、送り出されたとこなんだ。
何分劣化も侵食も大きいしなあ・・・。お上がお金をここに落とせない以上、保護も修復も出来ないんじゃね?
そういったところは危険だし封鎖しておくのも仕方が無いんじゃないかな?
国の財産だけどお金掛けない手っ取り早い簡易な保護がバリケードだw』
同じようなものがこの先にもあったです。
でもそこは先ほどの桟橋跡とはちょっと違ってました。
『わきゃ? 桟橋の先っちょに何かコンクリの土台っぽいのがあるですが、あれは何ですか先輩^^』
『あれは荷揚げ用のクレーンの土台跡なんじゃないかな^^
あそこで大きな物資なんかをクレーンで吊り上げて荷降ろししてたんだと思うよ^^』
こちらもやっぱりフェンス越し。桟橋の先に近づくことは叶いませんでしたですう^^;
さて、桟橋二棟。学園の関連施設脇を抜けたところで琴音っちが『たぶんもうすぐ煉瓦ちゃんのはずうー!』と、
先行して歩く彼女は私達に振り返って満面の笑みを見せ付ける。
ええっとお・・・
この先にすごーい煉瓦さんでも待ち受けてるですかね!?
そこまで煉瓦党じゃない私でも彼女のアノはしゃぎように、ちょっとワクワクドキドキさせられる。
果たしてどんな煉瓦さんが待ち受けてるのでしょうか^^
もうここは学園敷地内とは関係無さそーと思えるくらいの小道に差し掛かった時、
道の向こうに私でもはっきりそれと分かる物件が見えてきたですう。
ガードレール下の崖からニョキっと伸びてる煉瓦の煙突・・・でしょうか???
『えっとお・・・琴音っち? これって煉瓦の煙突さんですか?^^』
『うんそだよー^^ これは火葬場の煙突跡なんすよ~ん☆』
ええっ!? か、火葬場ぁ^^;
まさか正月早々から火葬場跡の煉瓦さんを見せ付けられるとは思いも寄らなかった私は、たぶん何とも言えない顔をしていたと思いますですう^^;
---ここで琴音っちから引き継いで先輩が簡単にここを解説してくれた。
『ここはね、日露戦争で捕虜として似島に収容された人たちの中で、
再び母国ロシアの地を踏むことなく病死したロシア兵などを火葬した場所の名残りだそうだ。
もしくは戦地で疾病を患い似島で息を引き取った日本兵などの火葬などもあったらしい。
正直・・・怖いと言うか、悲しい場所でもあるね』
ううう・・・ぶっちゃけ怖いですう。
でも、切ないです・・・ね、ここ。
戦争とは?
捕虜とは?
色々考えてしまいましたです・・・。
---さて、
相変わらず煉瓦刻印でも探してるんでしょうか。
琴音っちは舐め回すようにガードレールから身を乗り出して、くまなく煉瓦を観察しているのです^^;
そんな彼女が振り返って言った。
『この煙突の下の部分が気になるっす!っつーことで浜辺に下りて見に行きましょうず^^』と・・・^^;
私は・・・怖いからお化けとか幽霊とかを信じていないだけで、
実際には居るんじゃないかなあ・・・とか思ってる女の子なんですう^^;
だから火葬場跡とか無闇に探るってのは・・・ここで眠ってしまった人たちに失礼(無礼)なんじゃないかと彼女の提案に躊躇した。
そんな私を見たのか先輩が優しく声を掛けてくれた。
『琴音はあんな感じだけど、ボク達は先人達に手を合わせて弔らおうね^^
そしてちょっと覗かせてくださいってお願いしようぜ^^
しょうがないな~って先人達も許してくれるかもだ。
アイツは・・・まあ・・・罰当たりだからほっとこうw』
---私と先輩は、彼女の後を申しわけない感じでついて行くことにしたーーー
少しUターンして海岸線へと降り立つ私達。
踏みしめる浜辺はなんと、
貝殻が延々と連なる浜辺だったのです。
そして先ほどのガードレール下までやってきた。
『うは!・・・当時の火葬場の灰出し口がそのまんま残ってるんすね・・・^^;
これ以上見るのはイケナイって感じがするっす。
撤退!撤退』
そう言って琴音っちは手を合わせて目を閉じた。
・・・彼女なりにも礼儀はあったんですね。
なぜかホッとする私。
隣の先輩を見るとウンウンと頷いていた。
火葬場跡の帰りの浜辺道。
砂浜のいたるところに貝殻に混じって煉瓦片を見つけたのですう。
『たぶん、火葬場の本体の煉瓦片なんだろうね^^』と菅原先輩。
波に洗われ風化に散り行く戦争遺構。
この島の歴史を知らなければただの煉瓦片だったのだけれど、
知った今はなぜかとても物悲しいと思いましたです。
『誰っすかコレ^^;』
『ボク達より先に今日、ここを訪れた人が居たんだろうな^^; それにしても参上!とかヤンキーかw』
浜辺に見つけた悪戯書きに一同憤る^^;
『こんなのを書く人の顔を見てみたいです!><』と激怒(げきおこ)な私に皆賛同。
ほんとプンプン!ですよ~!
濡れた海岸線。
どうやら潮が引いたおかげでたまたま浜辺に下りて火葬場の下に寄る事ができたみたいですね^^;
ここで海辺間近に怪しいものを見つけたのですう。
私はふと気づく。
『ねえねえ先輩? あの海に突き出てる漁業関係っぽいの、なんか見たことある気がしますですうー^^』
『うん。夕実ちゃんの見たことある気がするってのは正解だよ^^
海辺の防波堤にホタテの殻が何百と連なって置かれてたじゃん?↓
実はアレって、ここ似島の牡蠣の養殖で使われてるものなんだ^^
牡蠣の稚貝を育てる為のものなんだよ^^』
そうだったのですか!わきゃー☆
なんとなく見つけた風景だったけれど気になってたのですう。
胸の痞えが取れたようでスッキリですう^^
さあ~もう似島のフェリー乗り場へ直行ですう~!と帰り道を歩いていたところ、
『似島臨海少年自然の家(似島臨海公園)』
ってとこに差し掛かった。
そこで琴音っちが『ここに寄り道してくっす!』と私と先輩を呼び止めたのです。
見れば傍らに『安芸小富士登山道』は、
コチラ!って案内板が・・・。
えっと・・・まさかココからプチ登山!?
私は思わず彼女に『まさか・・・山に登ろうとか思ってるのお?琴音っち^^;』と露骨に嫌そうな顔をしてしまったのです。
だって・・・ええ!? 結構ここまで歩いたしい、くたくたですよ?^^;
そしたらさすがに違かったみたい。
『いやいや別に私だってもう山とか行きたくないっすよw この公園の敷地内に用事があるってだけだから安心して夕実っちw』
ホッ・・・良かった^^;
だってもーそんなに歩きたくないですもんw
とは言えどこに行くんだろ?
---私と先輩は琴音っちに先導されついていった(先輩はなんとなく分かってる顔つきでしたけどお)
『あ!多分アソコだと思うっす^^』
彼女が指差した場所は、この公園のほんと片隅にある小さなフェンスに囲まれた場所だった。
『馬匹検疫所焼却炉跡』
えっと・・・彼女に案内され、私はそのフェンス脇にポツンと佇む銘盤の文字を指で辿って行くうちに這わせた指も止まり、声も出なくなったです・・・。
そんな私の肩をポンポンと優しく叩き、
菅原先輩が先を読んでくれる。
『この馬匹検疫所焼却炉跡は、ズバリ火葬場跡だ。
と言っても元々は病気になって使役できなくなった軍馬などを焼却したところだったみたいだね。
だけども・・・
1945年。広島原爆投下後、この似島に数多くの被災者が運び込まれた。
残念ながら命を救えなかった人たちの亡き骸をやむなくこの軍馬の焼却炉で火葬したそうだ・・・。
それだけ・・・馬の火葬場に頼らなければいけないほど・・・
あまりにも犠牲者が多かったとしか言わざるを得ないよね・・・』
ううう・・・うう・・・
なんて悲しい場所なんでしょうか。
お馬さんに失礼。生き物の命に差はないですが、
でも酷すぎるですよ!
こんなのあんまりです・・・。
『みんな。手を合わせよう。目を瞑ろうね。
こここそ、この広島で何があったのかを伝えてくれる場所は無いと思うよ?』
先輩の言葉に皆、合掌。
私達はしばらく瞑った目頭の奥に色々と思いを馳せるのでしたーーー
さて・・・琴音っちが何でここに行こうと言ったのかフェンス越しに直ぐ答えが見つかりましたです。
ああ・・・煉瓦だからですね^^;
ちょっと不謹慎な気がするんですけど・・・
(※ でも、もし煉瓦に興味が無かったら、ボクはこの島に。この馬匹検疫所跡に訪れることも、
そもそも歴史も名前も何もかも知らなかったのかもしれない。
下手をしたら、広島にすら行かなかったのかもしれない。
だから気を悪くする人も居るでしょうが、この出会いは非常にボクにとって貴重なことだったと思います)
目の前の煉瓦造りの火葬場をフェンス越しにただただ見つめる私。
先輩の話しですと、元々はこの場所では無かったみたいです。
なんでもこの場所から600メートルほど離れた住宅用地の掘り起こしの際に偶然発掘され、一部を似島臨海公園に移設したそうです。
なんだかんだで神妙な顔をしていた琴音っちだったのですが、
急に『ぐおー!品川の耐火煉瓦の刻印が見えるううううううう!』と火葬場の煉瓦を指差したのです。
彼女があっちこっちと指差す方向に、思わず私も目を細めて注意深く覗き込む。
あ、ほんとだ。
なんか『SHINAGAWA』って煉瓦刻印がいくつも見えるですう。
---ここで
菅原先輩が、妹である琴音っちとの色々なやりとりを語ってくれました。
その会話に私は聞き耳を立てる。
『お兄ちゃん!お兄ちゃん!品川の耐火煉瓦って、こんな関西以西の広島県にも存在するもんなん???』
『明治8年創業の品川白煉瓦㈱は、日本の耐火煉瓦の祖と言ってもおかしくないのは知ってるよな?^^
元々は官営。
明治期のお国の管轄煉瓦工場だった。
それが民営となり全国へと工場を広げるわけだ。
北は北海道。南は九州^^
当然この似島(広島県)にも耐火煉瓦のブランドである品川白煉瓦も使われたんだろうね^^』
SHINAGAWAって煉瓦刻印を打つ耐火煉瓦。
どうやら煉瓦は煉瓦でも日本の『耐火煉瓦の老舗』さんのようですね^^
さて、私達は分かれ道に到着。
真っ直ぐ行くと、前回とんでもなく寄り道してしまった道(普通に歩けば1時間ちょっとですが廃道?を歩いちゃったので2時間半のロス^^;)
左手に曲がると、どうやら似島桟橋(フェリー乗り場)みたいです^^
でも・・・登山口って書いてあるデスヨ?
要するに山に登らずとも峠を越えないと島の反対側に行けないみたいです。
はあーん・・・まだ登るのね・・・^^;
と思ったらあっという間に島の反対側へ!
『えっと・・・菅原先輩? 15分くらいしか掛らなかったんですが・・・これはどーゆーことですかね(半切れ気味に。顔は笑顔)』
『まさかこんなに桟橋と似島学園が近いとはおもわなんだw メンゴメンゴw』
先輩はあっはっはと照れ隠しに笑うけど、
私達の時間を返せええええw
集落にようやく返って来た私達。
するとここで琴音っちが『なにあれ?』と建物を指差した。
え?何があるのお???
『わきゃ? 似島・・・説教場?』
よく見ると入り口らしきところに、島の人たちの靴がズララーーーと並んでいた。
中で何か行われてるのですかね???
は!? ・・・まさかお説教(おしおき)?
『あはは^^ その顔はなんだか勘違いしてるっぽいね夕実ちゃんw
説教場って言っても別にお父さんお母さんや先生に叱られるとかそういうんじゃないからw
ここは“お寺”だよ^^
寺院ほど大きくないから名乗ってないだけで立派なこの島のお寺さんだ^^
今日はまだまだ三が日だし、多分この中で島の人たちの祭事が行われてるんじゃないかな^^
とはいえここも戦時には色々あったそうだ。
多大な被災者を抱えきれなくなった検疫所に変わって、臨時の救護所となったこともあるみたいだね^^;』
『お寺も大変です・・・お葬式だけじゃないんですね^^;』
『おっと夕実ちゃん。ちょっと勘違いしてるな^^
お寺ってのは別にお葬式とかお墓だけじゃないんだぞ?
今でこそ薄れているけれど、
元々お寺ってのは“地域住民の教育や文化の拠点”でもあったんだからね^^
話し長くなっちゃうから割愛するけどねw』
そう言えば子供の頃、よくお寺で遊んだ(あんまり関係ないか)
寺子屋とかもやっぱそうなのかな。
と言うか、
なんだかんだで先輩に説教された気がしますですハイ^^;
まあでも~為になったのでいいのですけれど^^;
古き良き街並みを下りつつ(でも迷路みたい^^)
私達はフェリー乗り場まで返って来たですう^^
到着した時には気づきませんでしたが、待合所付近には猫ちゃんいっぱい☆
『うう・・・さぶいっす。早く待合所に入るっす^^;』と言う琴音っち。
中に入ると暖かかった。
『わきゃ・・・。猪注意って書いてあるです^^;』
『あ・・・ほんとだねえ^^;今はほんと反省してるよ^^;』
『頼みますよ先輩!プンプンです!』
先輩にお説教返ししてやりましたですよ☆エヘン!(逆恨み)
その後フェリーまでの待ち時間は猫ちゃんとじゃれ合ったり~(一匹だけタヌキさんみたいな子が居て可愛かったですう☆)
いつのまにか桟橋近くの自販機までビール買いに行ってた琴音っちにお酒奢ってもらったりして時間つぶしですう(まだ飲むのか!)
さあ乗船ですう☆
長かった似島の旅路。
でも今思うととても楽しかったですう^^
そしてとてもとても勉強させられ、考えさせられた島だったと思います。
『うはー・・・そういえばランチしてねー^^;』
・・・せっかく遠ざかる似島を見つめて色々と思いを馳せていたのに琴音っちの言葉でちょーだいなしだよー^^;
あれ?でもそーいえば私達ご飯食べてない^^;
『じゃあ本土に着いたら温かいもんでも食おうね皆^^』
『『はーい☆』』
----実は広島三日目まだまだ続きますです☆
《あとがき退助》
ここまで読んでくださりありがとー☆
今回は火葬場話しばかりですみませんねw
とは言え一番『人の死』と近い建築物であり、広島原爆・戦争を語る、知る上では重要な話しだったのでは?と、今は思っています。
さて、いよいよ夕実ちゃんたちも三日目の島旅を終えて本土へ帰ってきます。
次回の景色はガラリ一変。
気になる方は覗いてみてくださいね^^
ではではまた今度!