第862話 煉瓦研究ネットワーク東京入会・旧ヤマジュウ田村家住宅編☆『福生市のマルサの女?』旧ヤマジュウ田村家住宅母屋・東西土蔵、〇さの煉瓦刻印 [廃村さーくる2(煉瓦研究ネットワーク東京)]
『わきゃ・・・いつも思うですが皆さん歩くの全然へっちゃらですう^^;』
石川酒造さんから次の巡見地はバスでのショートカットだったんすが、
バス時間が切迫していてバス停まで早歩き。
その最中に夕実っちがぼそりとこう呟いたのです。
『目的があるなら多分この人たちはどこまでも歩くと思うっすよ^^』とだけ返す私。
『えー・・・^^;』って彼女は言うけれど
お宝が見れるのなら苦労何て厭わないのが趣味を追求した人たちなんですよね^^
言わば趣味の世界の冒険家です。
私もそうでありたいっすね(*´д`*)
---さて、バスに揺られることほんのちょっと。
私たちは福生市の長沢バス停に降り立った。
教授さん曰く『ある古い住宅の蔵に謎の煉瓦が眠ってるようだね^^ アッハッハ☆』だそう。
謎とか煉瓦とか言われたらワクワクするしかないじゃーーーん(*´д`*)
第862話。煉瓦研究ネットワーク東京入会編ファイナル!
私こと菅原琴音視点で締めくくりたいと思うっす^^
バス停を降り、事務局長さんを先頭に歩む私達(彼こそがこの会の巡見地の場所や日程を組み、関連書類をまとめ上げるスペシャリストさんです^^)
ふと目の前の建物を前にして皆、立ち止まった。
パッと見ふつーのイマドキ建物に見えますが、
ここは、あの夕実っちさえピクリ!とセンサーが反応するくらい、
よく見れば普通じゃない建物だったのです^^
『わきゃ!? 十字架が屋根に建ってるです。・・・教会???』
彼女が指摘するように真っ先に目についたのがこの真っ赤なクルス。
でも煉研メンバーが見てたのはそっちじゃない!
彼、彼女らの指さす方向は、どうも違う。
その視線の先をなぞるとーーー
ん?鬼瓦に〒マーク???
教会なの? 郵便局なの!?
どっちなんだよココはw
答えは事務局長さんが教えてくれましたっす^^
ココは明治44年に開設された旧福生郵便局の建物なんだそうです。
今は純福音福生教会さんが建物自体を受け継いで使っているようっすね^^
そして事務局長さんはこの元福生郵便局の対面を指さして言う。
『ご覧ください^^ 道路を挟んで真向かいにあるこの立派な住宅が今日最後の巡見地です^^
ちなみに目の前の元郵便局を開設したのはこの田村さんだったりします^^
まあ~詳しい話は中で待っておられる福生市教育委員会の方に聞きましょう。
さあ~あんまり待たせてもいけないので早速まいりましょう☆』
・・・え?きょういくいいんかいの人が待ってるの?
えっと・・・えとえと・・・郵便局つくっちゃう田村さんってどんな人なんよw
---やっぱり個人の趣味探索とは別物だ^^;
まさか最後の巡見が福生市の教育委員会の方の立ち合いの元の見学会だとは思わなんだw
と言うことで、さっそくドキドキしながらも立派な門をくぐる私と夕実っち^^
『旧ヤマジュウ田村家住宅』
平成26年12月に国の登録有形文化財に指定された出来立てホヤホヤの文化財っす^^
(出来立てホヤホヤってのもおかしい表現だけれど、一般公開されたのは数週間前だったのでw)
『お待ちしてました^^』とにこやかに応対していただいたのは福生市の教育委員会のオジサマです(*´д`*)
『せっかくなので是非どうぞ^^』と
パンフレットを頂戴いたしました^^
---っつーことで、
ここで教育委員会のダンデーなオジサマから、このヤマジュウ田村家住宅の概要・歴史などを聞くことになったっす^^
『えーと、まずは敷地内の建物の説明からでしょうか^^
主屋が一棟。そして裏手側には土蔵が東西に二棟建っています^^
建築されたのは明治35年(1902年)でして、大正期に一度改築されています(大正5年、1916年)
西の土蔵は明治37年建造。
東の土蔵は明治44年建造となっております^^
さて、そもそもこのヤマジュウ田村家とは何なのか?を簡単に説明したいと思います。
このヤマジュウ田村家は田村酒造の分家でありました。
(※ ヤマジュウってのは屋号です)
先ほど皆さんは石川酒造さんにお邪魔してきたと聞いております。
実はこの田村家、田村酒造は石川酒造さんの遠戚でもございます^^
田村家もまた石川酒造さんと同じく田村分水と言う水路を引き福生村に貢献した名主だったんです。
さて、田村家分家として明治35年にこの地に建てられたのが皆様の目の前の建物です^^
本家と分家とではありますが、やはり有力な名主さんであります。
住宅向かいに郵便局開設など福生市、旧福生村に大きく尽力された家人でした。
それが近年、独身者であった住宅の所有者様が亡くなられたのですが(平成24年)
歴史的にも建造物的にも非常に文化的価値があると言うことで、
福生市が土地を購入し一般公開向けに改修工事を行い今に至るということなんです^^(建物自体は寄贈なんです)』
なるほどー!
つまりは分家と言えどもココも町や市を支えてきた名主さんの家屋であり、そして
この拝島や福生の多摩川上流地域が、多くの造り酒屋さんと共に発展してきた土地でもあるんだと納得。
お酒好きな私にとって最高の地域やんけw
ーーーさて、
一通り説明を受けた後、さっそく見学に!って歩み始めた頃合いに夕実っちが私の服の裾をクイッと引っ張るのだ。
『ん?どったのよ?夕実っち^^』
『いやあの・・・だってさっき家の人が最近亡くなったから文化財になったって言ってたですう^^; そう言われると気が引けちゃうですう^^;』
なんだよ、そんなことでビクビクしてたのかい^^;
『亡くなられたのは4年も前っすよ? 昨日今日じゃないんだからw』って笑って私は彼女に返すのだが、
そこに事務局長さんがボソリと私たちに言ってきたのだ。
『実はですね。この旧ヤマジュウ田村家住宅には煉瓦が使われている部分がありまして、
我々はそこを特に見学し、意見交換するわけなんですが・・・
家人さまが亡くなられた場所が煉瓦のある場所でもあるのですよ。ウシシw』と嫌らしく笑うの!
ちょ!そんなこと言われちゃうとやっぱ怖えーよ!w
さて、この後は福生市教育委員会のオジサマの案内により主屋の見学に進みます。
写真撮りたかったのだけれどオジサマの熱心な説明を聞いていたら撮影する前に主屋見学終わっちゃったw
でも『時間はまだたっぷりありますよ^^』との事で、主屋撮影は後程に。
やってきたのは裏手に東西2棟立ち並ぶ土蔵前です^^
見上げれば屋号を記した鬼瓦に、段々段になってる観音開きの土戸の真ん中にドーーン!とこれまた屋号っす☆
こんな意匠を持ち合わせる建築です。
分家たってさ~、やっぱりお金持ちだよねーw
さてここからが煉瓦研究ネットワーク東京の見せどころっす!
と言うか福生市教育委員会さんのお心使いの賜物でありますぜ!
この西に東に二つの土蔵。
東土蔵は旧福生郵便局に関わっていたと言うことで、元々はその郵便局の道具や書類が収納されていました。
でも今は一般公開の為に改修整備されて市の風景画家さんのギャラリーとなっております(この画家さんすげーんだぜ。昔見た記憶だけで景色を思い出して絵に描いちゃうんだよ?
目の前にモデル無いんだぜ?しかも詳細で昔の風景と忠実なんだ^^)
そして私たちが用事があるのはコチラ
『旧田村家住宅西土蔵』
でありやす(*´д`*)
こちらの西土蔵は主にお祝い道具や日用生活品が収納されていたんすがーーー
この蔵には古い瓦や煉瓦ちゃんが残されていたんですよ(*´д`*)
ちなみに一般公開は一階部のみ(東西の土蔵共々)
福生市教育委員会の方々ありがとうございます(*´д`*)
(※ もうひとつちなみに言うと、もしかしたら・・・整備の際に処分検討されていた瓦や煉瓦なのかも?)
残念ながら二階部位は私達でも覗けませんでしたが、
靴を脱いでいそいそと中へと進むとーーー
壁際の棚下に瓦や煉瓦がごっそり(*´д‘*)
これは恐らく建築時の余材だったのかも。
あらかじめリサーチされていた事務局長さんが許可を得て、煉瓦ちゃんを床の間に引っ張り出して皆で観察するんだけど、
写真を撮るには暗すぎりゅ^^;
『えっと、軒先に運び出してよろしいでしょうか^^;』と事務局長さんが教育委員会のオジサマに尋ねると、
『ええ、どうぞどうぞ^^』と許可をいただきました☆
そこからが早いし手際いい。
さすがプロの煉瓦マニアの軍団でありやすw
ベルトコンベアーのように明るい軒先へと皆で運び出したんすw
そして早速、ここからがメインイベントでしょうか。
煉瓦をひっくり返したり、煉瓦を巻き尺で寸法測ったりです^^
その中でもやっぱり注目はこれでしょう。
煉瓦の刻印です(*´д‘*)
『わきゃ? 〇に漢数字の九?ですかねー^^
他には瓢箪に小さなカタカナのサ?ですか???
こっちは〇にカタカナのサですう☆』と、
夕実っちが指さすように数種の煉瓦刻印があったのです。
もう私はうひょー!ですぜw
さてと、ここからはこの刻印を前にして意見交換会がスタートするっす。
それこそが今回この旧ヤマジュウ田村家住宅に来た目的でもあるのですから^^
ーーー煉研ネットワーク東京は、主に日野市にかつて存在した日野煉瓦工場並びに、
近隣の八王子に存在した煉瓦工場(関東煉瓦株式会社・長沼工場。後にそこを大阪窯業が併合し大阪窯業八王子工場)を研究するところから始まっています^^
と言うことで多摩地域にかつて存在した煉瓦工場の製品と思える(可能性のある)煉瓦には思い入れも熱もあるんす^^
だからその意見が私の頭ごなしに飛び交う飛び交うw(私は多摩地域の煉瓦にそこまで知識が無かったのもあるからw)
一通り意見交換を聞いていると、
『日野れんがでも八王子煉瓦でも見たことない刻印』らしい。
そしてここの煉瓦で一番多い刻印は『〇に漢数字の九』と言う共通見解だったのです。
答えはそうそう出ないもの。
だからこそ面白い☆
でもここで私は『どこかで似たような刻印を見かけたような?』気もしてました。
だけれども思い出せないので夕実っち共々、他をグルグルと廻ってみることに。
土蔵の奥ではこれ以外にも刻印煉瓦が無いのか?と、他の煉研メンバーさんがライトを照らして探し込んでたっす(追求心すごいよね!)
私も混じって他に何か無いのかなあ~と探すんだけど特に無いようだし、夕実っちがちょっと飽き始めて来たから、
気分転換に先ほどじっくり撮影できなかった旧ヤマジュウ田村家住宅の主屋を回ることにしたんす^^
(※ 写真の羅列が続きます)
『わきゃー! ちょっと琴音っちの家にも似てますです^^』と夕実っちは言うけれど、
ここまで立派じゃねーよw
私っちは確かに土間もあり石組みの釜もあり長座敷も奥の部屋もある旧家屋っすけれど、
どちらかというと蜜柑栽培で財を成した、ちょっと大きな農家の家なだけだよん^^;
(※ ちょいのりの実家の話じゃないからね。あくまでも伊豆稲取にある本家の話をモチーフに書いておりますのであしからずーw)
一通り主屋を再見学していたらーーー
何やら、ある一角に監査さんと会計さんが居てマジマジと見学されていたので、
私と夕実っちは気になってそこに行くことにしたっす^^
そこを覗くと、どうやら浴室っぽい。
あ、でも煉瓦がみえりゅ(*´д‘*)
意気揚々と『煉瓦の壁の浴室なんですね☆』とお邪魔すると、
『お~君たちか^^ そう。ここが家主さんが最後に亡くなられたって言う浴室らしいぞい^^』と監査さん。
そんなことわざわざ聞かさないでーw
・・・まあ~気を取り直して煉瓦ちゃんです!
見れば立派な覆輪目地の煉瓦積み☆
煉瓦と煉瓦の間を埋めるモルタルがプックリと蒲鉾形状に浮き出てるのは職人さんのこだわり。
それゆえお金も技術もかかりやす。分家とは言えお金持ちだったわけですぜ^^
で、あらかた浴室の煉瓦も見たことだしメンバーのいる西土蔵へと戻ることにした。
すると今では事務所として使用している炊事場跡で何かゴソゴソしてるメンバーさんを発見。
『どうしたんですか?』と聞くと、
『ボイラーかな?釜のとこにも煉瓦があったんだよ~^^』だってさw
実を言うとここは事務所なんで見学ルートじゃないんだけれどねw(許可を頂いています)
とは言えその煉瓦の嗅覚に脱帽です!^^
ーーーさて西土蔵に戻ってくると・・・
相変わらず熱心に煉瓦刻印の研究をされていましたw
『これご覧よ^^』と見せて頂いたのは、先ほどまで見られなかった『〇に漢数字の八?』の煉瓦刻印。
でも出どころ掴めずって感じでした。
すると事務局長さんが先ほどの〇に漢数字の九だと思っていた刻印を私と夕実っちに見せてこう言うのです。
『さっきまでは漢数字の九だと思ってたんだけれどね? 向きを変えてよーく見てごらんよ^^』と煉瓦を見せてきたのです。
さっきも見たよ!って思ったけれど、
あれ?
あれれ?
漢数字の九じゃないじゃん!
ひらがなの『さ』じゃん!w
向きを変えてじっくり見るとこうも違うのかー^^;
と言うことで皆さんの見解は『〇にさ』となった。
すると他の刻印も『カタカナのサ』が多く、
『さ』が何か煉瓦工場名を差すものでは?となったっす^^
ん?
ここで私はようやく思い出すのだ。
そう言えば・・・私、この刻印と似たようなのをアソコで見たじゃん!と。
ーーーそれは私の住む草加市のお隣さんの川口市にある、
『旧永瀬邸・煉瓦外壁』っす^^
そこには何箇所か刻印があってーーー
あの時は〇に九だと思ってたけれど、もしかしたら『さ』だったんじゃないかな?
一応、事務局長さんにもスマフォの画像を見せたら『似ているね!』と議論になる^^
さてそこで問題が。
似てるだけで同じでは無いかもだし、可能性があるとしか言えない。
しかも福生市から川口市まで3~40キロは離れてるしなあ・・・となったわけ^^;
すると誰かが『玉川上水に架かる橋は水運で運ばれてきた伊豆石も使われてるんだよ^^
トラックも無い時代に静岡県の石を運ぶことを考えたら川口市なんて近い近いよw』だってえw
まあ確かにそうっすよねw
≪ここからは私なりの考察≫
永瀬邸のある埼玉県川口市は明治初頭~中期は煉瓦工場が結構ありやした^^
その中には旧碓氷峠の煉瓦トンネル群の煉瓦を焼いた煉瓦工場や、
赤羽~川口を渡る高崎線の初代荒川橋梁の煉瓦を焼いた工場もあったんです^^
このヤマジュウ田村家住宅に残る煉瓦は建物が建てられたのが明治35年だから、恐らく明治35年前後のもの。
永瀬邸は土蔵が明治33年。外壁もそれに付随するならその年代前後(建てる前に煉瓦を造るんだからそれより前かw しかも外壁は明治初頭に流行した貴重なフランドル積み)
どちらも同じような時期です^^
福生・拝島には小規模な煉瓦工場(こうば)があったかもしれないけれど調べた限りじゃ見当たらない。
多摩地域に明治からあったとされるのは『日野』『八王子』の煉瓦工場。
でもメンバーさんはそのどれもじゃないと言っていた。
と言うことは、田村家さんの財力も充分だし、
少なくとも遠方から持ち込まれた煉瓦ちゃんを使用してたんじゃないかなあ~って思うんすよね^^
関東の煉瓦工場は明治中期に分かっているだけで45~50位の工場が存在していたし、
川口市にも10~とか存在していたと言われてる。
似たような刻印見っけたからって、それが川口市なのかは分からない。
でも同じ可能性あるなら嬉しい発見っすよねマジで^^
これは隣町だし、今後自分的にも調べ上げて報告出来たらいいなと思うっす。
せっかく煉瓦研究ネットワーク東京さんへの入会の儀式を済ませたんだもの。
微力でもお力添えしたいっすよね(*´д`*)
---さて、
一通り見学を終えた煉研メンバーはヤマジュウ田村家住宅にバイバイすることに^^
本日最後の巡見地、本家である『田村酒造』さんへと向かいましたっす(すぐ近くですw)
本日は休業日と言うことで外観のみの巡見。
休みじゃなければ多数の国登録有形文化財建築の見学ができたんだけど、まあしょうがないよね^^
その中でもひと際目立つ酒造蔵の煙突に皆さん興味深々っすw
当然私も(*´д`*)
っつーことで光学50倍ズームの威力を試すのだ!
『わきゃ? 煉瓦さんが鉄で亀甲縛りです^^』と、お兄ちゃんが聞いたら喜んじゃいそうな発言しちゃった夕実っちだけれど、確かに鉄で雁字搦めな煉瓦煙突っす。
これは『帯鉄補強』と言う補強っすね。
古い煉瓦煙突や反射炉塔の補強によく使われるっす(世界文化遺産の韮山反射炉なんかもこうでしたよね)
本来ならコンクリで塗り固めたりして補強すれば耐震的にも御の字だけれども、
そんな昔の煉瓦や石積みが見えないような補強じゃ
『見に来た人が文化的価値を知るなんてさっぱり分からないし納得しねーよw』って言う苦肉の策と言うか今ありうる最善の手法っす。と言うかこれが一番安価な補強なんすよね^^;
ちなみにここもまた関東大震災で上部が崩落し、上っかわはその後に付け加えてます。
昔の建築を後年まで形を残すことって非常に難しいものなんですよね・・・
この後は外観から見れるものは全部見つつーーー
『わきゃ(*´д`*) ココは煉瓦抜きでじっくり再訪したいですう~☆』と、
煉研メンバーさんに怒られちゃいそうな発言をする夕実っちに、
『それもいいなw 酒造巡りも研究会の一環に入れるかw』と笑って返す監査さん(実質煉研役員さんトップ)
『それはまた議題と言うことでw』と、それにおどける事務局長さん。
皆、アッハッハってにこやかな感じでこの日の最後の巡見地『田村酒造』を後にしたっす(*´д`*)
(監査さん筆頭にみんな良い人たちであります♪)
その後は福生駅近くの居酒屋での懇親会っす(*´д`*)
私と夕実っちは帰宅まで遠いってことで途中抜けすることにはなったけど、楽しかったなあ(*´д`*)
その道のプロさんがいる集まりだしおこがましいことだけれども言うよ?言っちゃうよ?
『共通の趣味を追いかける集いってやっぱり楽しいっすよね(*´д`*)』
次回の巡見も待ち遠しいと思った、
夏本番前の、私のある煉瓦刻印物語でしたーーー
お久しぶりです^^ まあいつものことですがw
さて今回は煉瓦研究ネットワーク東京入会編の最後の物語でしたがいかがだったでしょうか。
今回、おおげさですが自分の武器って言うものを再確認と言いますか少し感じたっす^^
割と自由人なおかげか、色々なところに出かけて色々な物を見つけてくる事が何かしらの貢献になるのではないのかな?ってね^^
それが煉瓦の歴史を探る上で今現在は正誤ある事かは分からないけれども、
少なくともどこかで発見したことが煉研ネット東京の助力となるのなら、なれるのなら幸いですね^^
さて次回は煉瓦研究ネットワーク東京に入ったっつーーーのに東京じゃありませんw
舞台は『茨城県』
キーワードは『電気ブランと煉瓦』そして『茨城と神谷バー?』ってことになるかな^^
気になる方はぜひどうぞ^^
ではではまた次回お会いいたしましょうず(*´д`*)
第861話 煉瓦研究ネットワーク東京入会 石川酒造編☆『煉瓦とお酒の発起総会☆』石川酒造ほか [廃村さーくる2(煉瓦研究ネットワーク東京)]
『わきゃ? 何でまた酒蔵さんで総会立ち上げですか?』
今回の二番目の巡見地『石川酒造』さんの門前を見上げたところで夕実っちが聞いてきた。
私的には今までの経験上から『古い酒蔵さんの建物には煉瓦が使われている可能性アリ』って感じなので、そこまで疑問にも思わなかった。
多分、この石川酒造さんちにも煉瓦ちゃんがあるんだろうと思ってたし、それならば煉瓦研究会の発起総会の場にふさわしいんじゃないかと思ったんす。
だから夕実っちにソレを伝えようとしたところ、教授さんが先に彼女に答えたのです。
『石廊崎君^^(夕実っちの苗字です) 実は先ほど見てきた日光橋。そしてこの後に向かう場所と言うのは、
この石川酒造さんと、とても深い繋がりがあるのだよ^^
煉瓦と酒蔵がどうして繋がるのか? それを確かめる巡見なのだよ、アッハッハ^^』
わお!
私はてっきり、ふるーい酒蔵だから煉瓦建築もありだろうと踏んでたけれどそれはうわべの事だったみたい。
どうやらこの多摩地区に残る煉瓦建築に深く深くこの石川酒造さんが関わってるみたいね^^
ああ~ん気になる(*´д‘*)
そして酒蔵とか私にとっても素敵な総会立ち上げ会場☆
第861話。煉瓦研究ネットワーク東京入会編Vol②
引き続き私こと菅原琴音視点で、飲んだり食べたり煉瓦するよw
(※ちなみに煉瓦はほとんどありませんw)
『さあ皆さん!もう見学会始まっていますよ!』と、門をくぐるなり目の前の本蔵へと急かされる私達。
どうやら定時でガイド付きの酒蔵見学があるらしい(要予約)
入ってみると中は薄暗くヒンヤリとしていたっす(カメラだと明るいけれど)
そこでは私たちを含め他のお客さんもガイドさんを囲むように解説が始まりました^^
これが身振り手振りでギャグを交えてとっても面白いのですw
この手の見学会ではすぐ眠そうな顔をする夕実っちすら『面白いですうー(*´д‘*)』と惹き込まれていたっすよ^^
ここでは主に日本酒の醸造のお話しだったのですが、
『私達蔵人はいつも法被を着ていますよね?これは不意の事故でお湯をかぶったり蒸気を浴びてもすぐに脱げるようにってことなんです^^』
『前掛けにも別の使い道がありましてね?お酒の樽の栓が不意に取れた場合、この前掛けをぎゅっと丸めて栓にしてお酒の流入を防ぐアイテムだったとも言います^^ なんせお酒は税金掛かってます。予定の醸造量より少ないと何かとうるさいんですw』と、
お酒の出来るまでよりも、そのサブエピソードが面白かったと言うかなるほど!だったっす^^
一通り解説が終わったところで本蔵を出た私達。
すると『ご覧ください、あの軒下にあるもじゃもじゃを^^ どなたかアレが何て呼ばれているかご存知でしょうか?』とガイドさんが逆質問です^^
煉研メンバーや私は知っていたのだけれど敢えて挙手をせず、他の観光客さんたちに答えてもらう。
つもりだったけれど、誰も答えを分からないようなので
結局うちの監査さんが答えていましたw
『杉玉』
簡単に言えば杉の葉を編み込んだもので、酒蔵などの軒下に吊るして酒の神様に感謝をささげるものっす^^
今じゃ居酒屋とかの軒下にも縁起物ってことで設置されてたりするっすね(そう言えば、オイラの店先にも吊るしてあるなあ~^^)
『これは勿論わが社のスタッフの手作りなんですが、今では楽天などの通販でも杉玉が手に入れることが出来ますので、みなさんもいかがでしょうかw』
オンラインショップで杉玉が手に入る世の中なんすか(;゚Д゚)
私はそっちの方に驚いたっす^^;
敷地を跨ぐように小さな小川が流れていたっす。
これは玉川上水の分水『熊川分水』っす(ガイドさんの受け売り)
分水ってのは各家庭や田畑への水の供給の為に造られた水路っすね^^
そしてこの熊川分水はかつて石川酒造さんの酒造りにも使われていました(現在は使われてません^^;)
『いやあ~でもこれがですね?結構色々な物が悪天候の後に流れてくるのです^^; 靴や靴下が流れてきて一人分揃ったときはドキッとしましたが、
一番びっくりしたのは厚揚げでしょうか?調理すれば美味しく食べれそうな厚揚げでしたよ^^』
厚揚げ!?Σ(ll゚д゚(ll゚д゚ll)゚д゚ll)
誰か雨の日にスーパーで買った厚揚げでも落っことしちゃったのかなあ・・・^^;
そして熊川分水の横にはひときわ目立つ2本の欅『夫婦欅』が。
『みなさん?どちらが旦那さんでどちらが奥さんか分かりますか^^ じゃあ~そこの可愛いお嬢さん^^』
『わきゃ?え?私ですかあー(*´д‘*)カワイイナンテテレチャイマス』
夕実っちがご指名された夫婦の判別。
彼女は右手の樹皮が立派な方を指さした。
『正解です!飴玉あったらあげたいくらいです。無いけれどw
そうなんです。右手は樹の表面がゴツゴツしていますでしょ?アレは木が健康な証拠。
片や左手は樹皮も元気が無くて現在治療中なんです^^
つまり元気で立派な右手側が奥さんの欅なんですね~』
ええーなんで元気な方が奥さんなのー!そこを教えてよw
後はご想像にっ♪ て残すのも話術なんでしょうね。すっかり私たちはガイドさんの術中にはまっていった訳ですw
さて次にやってきたのは長屋門。
『わきゃ?石川・・・〇八郎さんて書いてあるです^^;』
読めずに誤魔化したね夕実っちw
正確には石川彌八郎(やはちろう)さん。彌は弥の旧字体っす^^
代々石川家当主はこの名前を受け継いでるんだけど、
14代目当主の石川彌八郎・千代蔵さんこそが日光橋などの煉瓦建造に大きく関わってる人物っす^^
ここからはガイドさんと煉研ネット東京のメンバーの話をざっくりと簡単にまとめて私なりに解説することにいたしやす^^
そもそもの石川酒造さんのハジマリの地はここでは無く多摩川を挟んで対岸のあきる野市にありました。
かつては鮎をお殿様に献上することで繁栄した地元の名主さんであり、それを取りまとめる名主総代だったんすね^^
村をまとめる石川家。その中には地元の治水工事や悪水対策にも大きく関わっていきます。ぶっちゃけほとんど村長さんですよ^^
1863年、豊富な水源と多摩川の肥沃な大地であったことから古来から稲作や酒造が栄えたこの地。
その一つの酒蔵が廃業をしたのです。
その蔵を借り受けて酒造業も営むことになります^^
そしてーーー
1881年明治初頭に今現在の場所へ蔵を開設して移動することになりました。
その当時の当主が石川弥八郎・千代蔵さんであるっす^^
彼は玉川上水から水を引っ張る熊川分水の整備にも携わり、玉川上水の往来を助ける日光橋にも出資した人なんです。
このことで村はもっともっと拓けていく訳っす。
根っからの地域住民思いですよね!^^
めっちゃ簡単に解説しちゃったけれど、つまりは村の土木・治水・灌漑・農業にことさら貢献したのがこの石川酒造さんってことっす。
さて千代蔵さん(14代目石川家当主)は、これだけじゃなかったーーー
私たちはガイドさんに促されるように次の解説ポイントへと移動。
その脇には『福生のビール小屋』と言うレストランがあり無性に目についた。
『ねえねえ琴音っち。酒蔵なのにビールのレストランあるですよ?』と夕実っちが聞いてくる。
確かに酒蔵なのにビール?
っすよね^^;
性格的に前調べ(事前調べ)しないので全く情報不足。
実はこれも石川弥八郎・千代蔵さんが大きく関わってくる事を
今の私と夕実っちは知らないし、後々分かるのである。
やってきたのは大きな大きな鉄製の何かの釜の前。
『わきゃ?この大きな物体はなんですかね^^;』と夕実っちが訝る。
するとそこにガイドさんの解説がスタートです
(※ ここはガイドさんの説明を踏まえて私なりの解釈。本来のガイドさんの言葉とは違いますのでご了承を^^)
『はい。皆さんが目の前にする大きな大きな釜。これは何だと思いますでしょうか?
・・・はい。誰も意見が無いようなのでサクサク説明させていただきますよw
実はこれ、1887年。明治20年に我が社が手掛けたビール工場で使用されていたビールの釜なんです^^
14代目当主石川弥八郎・千代蔵には千里眼とでも言いましょうか先見の明があったんですね~これが。
当時、すなわち明治初頭は外国人などの居留などが増え、
それと共に先進文化も日本に数多く流入してきた時代でもありました^^
そこに目を付けたのがこの千代蔵です。
元々鮎の徳川献上から始まり、米や酒などを営んできた大庄屋の家系でもございます。
商魂たくましいわけです☆
彼は『外国人が好きなビヤーとか造れば売れるんじゃね?マジで!』と、東京・横浜への居留地向けにビール工場をつくって出荷したわけです^^
・・・ですが残念ながら
ビヤーを詰めるボトルやボトルキャップ製造に不具合が生じてうまくいかず・・・
2年余りの少ない期間で挫折することとなったのです^^;
皆様の目の前にあるこの大きな鉄がまは結果として短い期間ではあるけれども、
千代蔵の挑戦を伝える物でもあります^^
ちなみに付け加えておきますが、
本来ならだいぶ後の昭和期の太平洋戦争時に、この手の鉄製の物は軍用として接収される運命だったそうです。
ところがこれが運命の悪戯なのか偶然か?
たまたま地面に埋まっていて、まるで水を蓄えた小さな小さな池と思われたようで接収から免れて、
そして今現在にいたるーーーなんてことらしいですよ^^』
14代目当主は村への貢献や煉瓦造りの日光橋どころか、当時としては革新的なビールまで携わっていたんですか!
挫折をしたとは言えどもその才に、ちっぽけな脳みその私だけれどもすんごく驚いた。
絶えず考える人、突き詰める人、追求する人ってのはやっぱすげーっす^^;
のんべんだらりと生きている私には、もはや尊敬しかないよね~千代蔵さん☆
ここは屋根瓦や鬼瓦が足元に埋め込まれていて、そのアートも楽しめます^^
その後はビール工場の館やテラス・昔の井戸を回って一通りのガイドさんの解説は一段落。
だけれど『スズメバチが多いんですよね^^;』と言うガイドさんの言葉に気が気じゃなくって、あんまし解説を聞き取れなかったっす^^;
だってホントに蜂が飛んでたもんw
さて、この石川酒造さんの見学の最後のメインディッシュっす(*´д`*)
最後は本蔵前での日本酒の試飲会ですから~ん(*´д`*)
ガイドさんが小さな試飲用プラコップを皆に配り始めます(ドキドキ)
普段は『お酒なんて・・・』と遠慮しつつも結局飲んじゃう夕実っちすら、
『わきゃー♪ コップくださいですう(*´д`*)』と、率先して受け取ってやしたw
当然私もがっついてプラコップをいただく(*´д`*)
そこへ『トポトポトポ・・・』と注がれる小さな一杯。
くいっ!と、一気に喉へと煽ったその瞬間!
うっは!めっちゃ美味ま(*´д`*)
普段は日本酒を滅多に飲まないけれど(理由があります)
これは試飲として極悪ですね!
買って帰りたくなる至極の美味さでしたっす(*´д`*)
さて試飲で『もっとお酒が飲みたくなっちゃう~ん(*´д`*)』と言う気持ちにさせられた後は、
残酷ですが石川酒造さん敷地内の
和食レストラン『雑蔵』の上にある資料館でみんなでお勉強ですw
(もはや勉強よりお酒を・・・と思っちゃったよん^^;)
ここには石川酒造さんの歴史と地域への関わり、そしてかつて酒蔵や工場で手掛けた製品の展示なんかがあったっすよ^^
(日本麦酒ってのは石川酒造さんが手掛けたビヤー)
その中でも明治中期~に日本各地で始まったビール工場製品の貴重なラベルたちに魅了されました^^
こうやってまじまじ見ると昔の瓶ビールのラベルってめちゃめちゃ凝ってるよね!
絵も細かいし配色も構図も素敵(*´д`*)
こちらは石川酒造さんが酒造を始めるキッカケとなった森田酒造の『八重菊』のラベル。
先述したように、石川酒造さんは近隣で廃業した酒蔵を受け継いで酒造りをスタートしました。
それがこの森田酒造であり、
そして『八重の冠号』を引き継いで『たまの八重桜』と言う銘柄を今も石川酒造さんは造っています^^
粋ですよねー^^
『わきゃ? なんか大きなお釜を倒してる写真があるですよ!』
勝手にフラフラと見学しまくってる夕実っちが大きな声で展示写真に指を差す(私は煉研メンバーさんの話をじっくり聞いてたっつーのに^^;)
なんだよー、って感じで彼女の元へ渋々近づいた。
あらやだ!確かにすんごい大きな釜をなぎ倒してる???
これは『甑倒し』って言って、酒米を蒸していた釜を酒造作業終了時に行う行事なんだそうです^^
所謂お疲れ様会。慰労的イベントっすね^^
この日こそが蔵人たちの年契約のお給金日。
つまりは年棒制だったってことが分かります。
(※ 農業と同じ。育てて収穫して売れてからこそ銭が入ってくるわけです^^
当然働いている間にも蔵元からお金はでるけれども、
まとまったお金が頂けるのは新酒が出来る秋初旬から年末~にかけてのこと。
当時は杜氏さんも蔵人(要するにスタッフさん)も田舎に家族を残して酒蔵への出稼ぎ(出張)が多かったわけです。
だからこの甑倒しの日がどんなに彼らが楽しみか、ですよね^^
だってこの後、家族にやっと会えるんだから☆)
そんな甑倒しのエピに感動していた私と夕実っちをよそに、
煉研ネット東京の皆さんは、昔の石川酒造さんの写真に煉瓦を見つけて大賑わいw
---ああでも、石川酒造さんも昔は煉瓦煙突や煉瓦窯があったんだね(*´д`*)
今では私がパッと見渡したところ煉瓦の痕跡はまるで無かったような気がした。
昼も頃良い正午過ぎ。
『は~い皆さん、ではですね、これからいよいよ食事がてら発起総会を執り行おうと思いますのでレストランの方へ^^』と、事務局長さんがパンパンと手を叩く。
私たちは会場となる福生のビール小屋さんへと向かいましたっす^^
『おい、これだと他のお客さんに迷惑にならないか?』と監査さんが指摘。
確かに入店してみたものの満席だしお洒落すぎだし発起総会って感じしねえええーーw
『え~やっぱりそうですよねw ではお食事だけして、発起総会は別の場所ってことにしましょう^^』と事務局長さん。
結局ここでは普通にランチすることになったっす^^;
さて、ここは堅苦しいこともなく皆さんでビヤーを注文です^^
なんだかんだ煉研ネット東京のメンバーさんたちも土日休みの資料館や歴史館勤めですしね☆
休みの日くらい飲もう!ってやつですぜ(*´д`*)
『わきゃ~♪ このビールすうーーーっとお腹に入ってきますですう(*´д`*)』
みんなと同じ銘柄をチョイスした私と夕実っち(教授さんは違うの頼んでた)
飲み口良すぎておかわりしたかったけれど自重w
だってこの後は真面目な発起総会だもんね!
こちらはなんだったっけかな?
本日のパスタ・しらすとトマトのペペロンチーノだったようなw(そこそこ前の話なので忘れちゃったよw)
これがまた美味しかったー(*´д`*)
そしてとりわけ何が美味い!と感じたかと言いますとコレです↓
レストランのお水(*´д`*)
お酒の仕込みに使用する水と同じで地下120メートルから汲み上げているものだそうです☆
『わきゃ!? お、お、お水が美味しいです(*´д`*)』
『くそー!実家の伊豆の水だって負けてないけど、これで造った石川酒造さんのお酒が美味いのも納得っす! だってうまいじゃないw』
またこれが洒落たものでして
『おかわりいかがでしょうか^^』と店員さんがアンティーク調の青色のガラスボトルからとくとくとグラスに注いでくれるのです!
お金を取れる水ですね(*´д`*)ニハイノンダヨ~
皆さんのお食事がすんだところでいよいよ発起総会です!
どこが良いのか思案した挙句、
スズメバチが飛んでる先ほどの休憩所になりましたw
みんなでテーブルを寄せ
即席の煉瓦研究ネットワーク東京の立ち上げ会場ができました^^
さてちょっとドキドキしてきた私。
だって真面目な席に着くなんて今まで無かった経験だったから。
---かと思えば
『は~い皆さんの分購入してきましたよ~☆』と、
会計さんと事務局長さんが売店で地ビールの『多摩の恵』を抱えてやってきましたっす(;゚Д゚)
何も畏まることなんて無かったのです。
この会は、つまりはそういうこと。
煉瓦と言う名のもとに集ったけれども固い事は無いよ?って会合だったわけです^^
『わきゃー、実は私が一番ドキドキしてましたですよ^^;』と夕実っちにふと打ち明けられた。
なんでも彼女的に『プロ集団の中に参加も表明してないのにこの場に来るのがドキドキだった』んだって。
・・・やっぱり彼女は優しいね^^
だってそれなのに私を心配してここまで付き合ってくれたんだから。
普段は歳の差関係なく彼女に接してる私だけれど
やっぱり夕実っちは私にとって良きおねーちゃんです^^
さてまずは立ち上げを祝して乾杯です☆
紙コップに注がれるビヤーは味が一段劣るとは思うけどそんなの関係ない。
この時のビールの美味さと味はずっと忘れないと思います^^
『おつまみも買ってきたんですよ^^ どうぞ!』と頂いた燻製チーズ。
それは多摩の恵の王冠を小皿にしたものでした。
感じ方は人それぞれでしょう。
でも私にはこの王冠を小皿代わりに配るこの総会こそ、とても親近感の沸く素敵な会合だと思いましたっす☆
その後は真面目に事が始まります(さすがにねw)
正式に議長選出。役員の選任。会則についての議事・議論。
そして今後の活動計画などです^^
その中には書籍の刊行を目的にともありました。
『わきゃー!本とか出すですか! それに役立てればいいですね琴音っち^^』と、私の小脇をツンツン突きながら小さな声でニヤニヤ言ってくる夕実っち。
本かあ。
今まで本や雑誌や文献を読んだり漁ったりする立場だったのに、
出す方へ回ると言うかちょっとでも助力できるだなんて素敵な事だよね?
ただただ会員となっただけじゃなく、
どうせなら書籍の巻末に名前がちょこんとでも載るように、私も頑張ってみようってなったっす^^
私の中ではもう決めている。
広報担当理事となった教授さんのサポートを含め、自分の身軽な部分を活かして煉瓦求めてガンガン日本中を特派員として探しまくることをね^^
さてドキドキの煉瓦研究ネットワーク東京の発起総会も無事に終了。
とは言え、今日はまだ『巡見』が残っているのです^^
次はバス移動。時間も押し迫っていると言うことで足早に石川酒造さんの門をくぐる煉研ネット東京のメンバー。
ーーーふと、私は一番最初の本蔵前が気になった。
そこには煉瓦が埋もれていたんす。
もしかしたらかつて石川酒造さんにあった煉瓦の名残なのかもね^^
『琴音っちー!早くしないと遅れちゃうですよー^^;』と夕実っちが門の前で私を呼ぶ。
私は『ごめんごめんw』と言いつつ煉瓦研究ネットワーク東京のメンバーさんの後を追ったーーー
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
さていよいよ正式入会です^^
正直ドキドキしてたけど、案外フランクな総会でホッとしました(*´д‘*)
会の活動方針の目標として書籍を刊行と謳われ、
こりゃ微力でも自分なりに助力出来たらいいなあ~って思いましたよ^^
だって!子供の頃は漫画家とか憧れた自分です。
下手でもノートの片隅に絵を描いて、中学の頃にはこっそりわら半紙にストーリー漫画書いて弟に見つかってニヤニヤ含み笑いされたオイラw
時には静岡県の夕方5分番組のイラストコーナーにせっせせっせとはがきに絵を描いて、ローカルだろうがテレビに自分の絵が映った時は悶絶(HOT655だったかな?)
引っ込み思案だけれど、自分が創作したりしたものをいつかは見てもらいたい!評価してもらいたい!笑ってもらいたい!って思ってた。
自分で自分を表するならば、
恥ずかしがりやの目立ちたがり☆
それがオイラの性格なんだからねえw
漫画でも書籍でも絵でも字面でも、こっそりとでも自分の名前が本と言うアピールの媒体のどっかに載るならばがんばっちゃうよーって今回思ったわけであります(欲だね。でもそれは行動力の源だ)
さて次回はこのシリーズの最後のお話しです^^
キーワード的に『古民家・風呂場跡・ホラー・煉瓦・石川酒造の遠戚・煉瓦の刻印・ボクの今までの経験が役に立つ?』ってお話しでしょうか^^
気になる方は是非次回記事にもお越しください。
ではではいつになるのかわかんないけどまた今度。
ごきげんよー(*´д‘*)
※ 記事の一部を訂正しました(教授さんから連絡あり)
今現在も熊川分水の水を使用していると書いちゃったけれども、今は地下水のくみ上げ水でした^^;
ご指摘ありがとうございます!
第860話 煉瓦研究ネットワーク東京入会 日光橋編☆『琴音、もっと煉瓦研究の高みへ!』玉川上水日光橋・インド料理ビラシほか [廃村さーくる2(煉瓦研究ネットワーク東京)]
『煉瓦研究ネットワーク東京の会としての正式な立ち上げがあるんだが琴音君もどうかね?アッハッハ^^』
ーーーそれは教授さんから届いた一通のメール。
煉瓦研究ネットワーク東京と言うのは、東京並びに周辺の煉瓦遺構・構造物などを 実際の目で探索し、情報を収集・意見交換などをして情報の蓄積、
そして記録に残していく集まりなんです(勿論教授さんは所属)
それがこのほど『会として正式に立ち上げを行う』こととなったそうなんす!
煉瓦研究ネットワーク東京(長いので以後、煉研ネット東京としやす)は、
今まで幾つかの巡見 をし、教授さんのご厚意もあって私も途中から参加してた。
ぶっちゃけ一般人枠ですw
周りを見ればいつも誰でも学芸員さんや資料館勤めのプロばかり。
それなのに素人の私に『入会どうかね?アッハッハ^^』とお誘い受けたのです受けちゃったのですよ!マジで☆
正直・・・流石に躊躇しましたよ^^;
だってねえ・・・ただの趣味人がプロの集まりに飛び込むわけですよ^^;
そこにひょいとお兄ちゃんが私のメールを覗き込んだ。
『なんだお前!教授さんの煉研ネット東京の正式会員に誘われたんか^^ いいじゃねーか是非はいっちゃえよ☆ むしろオレも入りたいぞw』
それを聞いてか夕実っちまでもが、
『わきゃー!すごいですう! これでもうちょっと上の世界に行けるね琴音っち(*´д`*)』と背中を押す。
かつて普通では見れない中々覗けない場所も煉研ネット東京さんのおかげで見ることが出来た。
その繋がりで神奈川・横須賀の煉研さんとも出会えた。
正直、大学卒業後の進路はもう決めている。
当然煉瓦ちゃんに関われるような仕事をするつもりでいた。
これは私にとって願っても無い大チャンスなんじゃないでしょうか?
行きますか!本格的煉瓦の世界へ!
私はドキドキしながらも教授さんへと返信をしたのだったーーー
第860話、煉瓦研究ネットワーク東京正式入会編。
私こと菅原琴音視点でスタートっす!^^
『わきゃー、拝島駅とか初めて来ましたですう^^ 』
やってきたのは拝島駅。
一緒にわきゃーって言う人が横に居るのはご愛敬w
煉瓦研究のサークルの部長である夕実っちも 後学の為にってことで一緒に参加することになったっす(会員にはならないらしい^^;)
さてなぜ拝島かと言うと、
この拝島、そして福生市 にある煉瓦遺構の巡見(見学会)を兼ねて『発起総会(会の正式な立ち上げ)』がこの地で執り行われるからなんす^^
『プロ相手に遅刻はやべーっす^^;』と前日に呪文のように呟いていたら、
『任せるです。私が起こしてあげるから^^』と、夕実っちが無い胸をドンと叩いてくれたおかげで(失礼だけど夕実っちおっぱい小さい)
集合時間1時間前に到着できましたw
(※ 作者は基本、遅刻魔でありやすw 無事に起きれてホッとしたよ^^;)
・・・とは言えやっぱり緊張っす^^;
『やばいっす・・・私なんか場違いじゃ無いっすかね・・・』と落ち着かない私を見て、夕実っちは『任せるです!』と再び無い胸をドン!と叩き、
駅前のコンビニに走り出した。
そして帰ってくるなり手渡されたのがこれ。
酒かよ!
『これを飲めばたぶん落ち着くはずですう(*´д`*)』って彼女は言うけど
落ち着くと言うか真面目な会合の前に酒飲んでどうするよ!w
『大丈夫です!桃のフレーバーだからバレないですう^^』
そうなのかなあ!(*´д`*)
じゃあーせっかくの彼女の気遣いなので飲むことにしましたよ^^
おかげで落ち着きましたw
煉研の皆には内緒っす☆
---とは言え
早く着いちゃったし暇を持て余す感じ^^;
駅のコンコースにあるケンタッキーでブレックファーストして時間をつぶすのも一考したけれど、
せっかくなので拝島駅周辺をグルリとお散歩することにしたっす^^
その中で気になったのは『インド料理ビラシ』さんってお店。
では無く、
その軒先の花壇の煉瓦ちゃんでした^^
『わきゃ? まさか煉瓦刻印探しですか^^; ぶっちゃけ煉瓦のど素人の私でもイマドキ煉瓦さんな気がするけど・・・^^;』
確かに夕実っちが指摘するように、いかにもイマドキ煉瓦ちゃん。
でもイマドキ煉瓦ちゃんだって刻印あったりするものっす^^
むしろここで刻印とかあったらもっと『落ち着ける』ような気がしたのだ。
するとーーー
『ん? これって刻印じゃね?』
『えー!あるのw あっちゃうですかw』
縦棒2本の刻印。
傷にしちゃおかしい。傷ならばこんなに均等に彫られているのはあり得ないっす。
縦棒2本に見えるのはもしかしたら製造番号的打刻『数字の11』なのかもっす(*´д`*)
イマドキであろうが嬉しかったし、これで本当に心が落ち着いたっす☆
待ち合わせ時間まで時間もまだまだあるってことで夕実っちと駅前のベンチに腰を下ろし、
インド料理ビラシさんの創業年とか口コミを検索して暇つぶししてました。
残念ながらお店の創業はよくわかんなかったっす(2000年後半?やっぱり新しそうな感じかな?)
『わきゃー♪ ビラシさんて人気のお店らしいですう(*´д`*)』
そう。結構良いお店らしいんす☆
今度は是非ともランチやディナーで訪れてみたいっすね♪(煉瓦のことも聞きたいねw)
さてお時間も迫ってまいりました。
10分前行動!ってことで集合場所(西武鉄道側の拝島駅改札付近)へ行くと、
ほぼ既に皆さん集まっていたw
遅れてないけど『すいませーん、おはようございまーす^^;』と合流w
何度かご一緒させていただいて見知ってはいるけれどもちょっと緊張しちゃった。
でも教授さん居るから安心(*´д`*)
(夕実っちは山梨県の八ツ沢発電所の煉瓦水路橋シリーズでメンバーさんたちと顔見知り)
まだ来てなかったメンバーを迎えつつ、今日の総会に参加する人たちが出そろったところで事務局長さんから大きな茶封筒をみんな手渡されたのです^^
これは今日巡見する(訪問する)場所へのスケジュールと資料っす^^
くううーーーーー!
やっぱり紙に資料を書き起こして手にするって本格的っすよね!
自分じゃ・・・ある程度は調べるけれど、行った後に調べに入るからなあ・・・^^;
ざっと目を通すと『ほとんど論文集の抜粋』
昔の自分じゃ字が細かくて見た目だけで投げだしてしまいそうだけれども、今は興味あるおかげで脳内にガツガツ入ってくる。
なんかそんな自分が嬉しかった。
(夕実っちは『うう・・・目がシパシパするです^^;』と、そっと資料を茶封筒にしまいこんでいましたがw)
---さて、
まずは最初の場所へと移動することになったっす。
そこは拝島駅からほど近い(歩いて数分)
『玉川上水に架かる日光橋』でした^^
ここはかつて教授さんと羽村山口軽便鉄道編で訪れた場所☆
(第762話 羽村山口軽便鉄道編☆ 歴代屈指の長編ブログ記事ですw)
明治24年に煉瓦橋にかけ替えられた、国内現存最古の道路煉瓦アーチ橋と言われているっす^^
玉川上水の成り立ちとかそういう詳しそうな話は過去記事へどうぞ。
やっぱり今回は煉研ネットの巡見です。
当然『煉瓦縛り』の話がさっそくメンバーの皆さんで議論されることになるーーー。
パッと見、上部は石橋の欄干だし橋脚部位はコンクリートに見える。---つーかコンクリート橋そのものなんですが(昭和25年、今現在の姿に改修されました)
よーーーく橋の下の中央部分を見ると分かるんす。
『わきゃ? 橋の中身が煉瓦さんなんですか!この日光橋^^』
そう。実はコンクリートの中詰めは当時そのものの煉瓦が使われているんす^^
昭和初期の架け替えの際に取り壊すよりもコンクリートで覆って再利用したわけなんですよね(*´д`*)
福生市教育委員会さんの立て看板にもざっとこの日光橋の概要が記されています^^
記されていますがーーー
煉瓦研究陣が知りたいのは概要じゃない!
どこで作られた煉瓦ちゃんが使われてるのか?が主題目なんですよねw
もーそこからは資料を酌み交わし意見交換会です☆
まだ(仮)の会長・副会長、研究担当・事務局長、会計さんに統括監査役が矢継ぎ早に議論疑問を呈しては答えを模索ですぜ!
『わきゃ・・・さっぱりイミフな言葉が飛び交ってるですうw』と夕実っちは嘆く。
私も正直半分も付いていけないのだけれど、
煉瓦の製造工場の件で『東京は葛飾・金町で焼かれた煉瓦が使われている』って話題になったところでピクリとしたのです。
元々この煉瓦のアーチ橋である日光橋。
ここから近隣の『日野れんが』で焼かれたものが85パーセントほど使用されているそうなんす。
でも残りの15パーセントは、私と夕実っちの住む草加市から遠くない金町にあった和田製作所と言う煉瓦工場で焼かれた物なんだそうっす。
残念ながらその和田製作所の歴史と場所はよくわかってないらしい。
でもそこは恐らく電車で20分くらいの私のテリトリー(領域)っす(*´д`*)
この時は発言できなかったけれども、ご近所だし、調べて煉研ネットに貢献したいと思った次第っす(*´д`*)
(これは多摩のあゆみと言う東京多摩地区に年4回季刊されて公共機関や銀行等に置かれている無料の冊子の一ページです。
その中で多摩の煉瓦と言う、多摩地域と煉瓦の関わりの特集の回がありました。
こちらには今回の煉研ネット東京さんのメンバーさんが多くの情報を寄稿されてます^^
そしてここには金町の和田製作所の煉瓦刻印の写真も掲載されてたりするんですよね~(*´д`*)
会員の末席ではあるけれど、コレをヒントに会に貢献してみたいと思うっす!)
さて、白熱した議論も今後のスケジュールには敵いません。
事務局長さんが『はい。時間も押してますし次へと行きますよ!』と促します。
じゃないと研究家の人たちってその場で議論しまくって先に全然進まないからねw
こだわりと言うのは時さえも止めてしまうようです(ザ・ワールド)
さて、日光橋から歩いて20分くらいでしょうか?
次の巡見場所にやってきましたっす^^
『わきゃ!? もしかして・・・ここは酒蔵さんですか???』
夕実っちが目をパチクリさせるのも仕方がない。
煉瓦の巡見なのに何故か酒蔵です^^
でも今回、ここに来ることが重要だったのは後で分かること。
先ほどの煉瓦のアーチ橋『日光橋』と深い関わりのある酒蔵見学。
私にとって、これほどお酒と煉瓦と総会立ち上げがマッチするなんてね(*´д`*)
っつーことで次回は多摩地区の酒蔵と煉瓦の関わり。
そしていよいよ私こと菅原琴音のほろ酔い入会物語っす☆
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
駅員3さんからの一通のメールからの物語はズバリ!
『本格的な煉瓦研究への一歩のメール』だったんですよね^^
ボクの素人趣味は趣味のままでいいとは思ったけれど、
やっぱり好きなものならもっと追求したいと言う欲望に駆られました^^
駅員3さんは本当ヒドイよねー
だってこんな煉瓦の歴史の深まりにどっぷりオイラを漬け込むんですからw
ほんと罪な人だよw
---とは言え、
その探求心と人柄と、そして人脈。やっぱりすげー尊敬するお兄さんです^^
ブログやってなかったら決して出会えなかった方なんじゃないかと思ってます。感謝しかないよね☆
さて次回はズバリ!入信の儀式です。
と言っても畏まったものでは全くなかった^^
酒蔵の敷地の片隅の、緑の木陰でテーブルをみんなで寄せ集めて行われる小さな小さな始まりストーリー。
気になる方は是非どうぞ^^
ではではまた今度。それまで御機嫌よう☆