第722話埼玉県・草加市の煉瓦事情編☆『昔、大きな煉瓦工場があったのに煉瓦とか全然無いんですけど!』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『前々から気になっていたことがあるっす』
わたしこと琴音は、お兄ちゃんや夕実っちを追いかけるように静岡県・稲取を飛び出して、
埼玉県は草加市に住んでるわけなんすが・・・
古煉瓦好きになってからどうもしっくりこない案件があったんすよ。
ええ。何がってこの『草加市』にね!
第722話、琴音の疑問・発見?物語すたーとです^^
『大阪窯業(ようぎょう)東京(草加)工場』
かつて草加市を流れる日本一汚い河川『綾瀬川』のほとりに佇んでいた
関東屈指の煉瓦の大工場。
・・・あ、一応名誉の為に言っておきますが、当時の綾瀬川は今みたいにバスクリンみたいじゃないっすw
子供達も泳げる清流だったんですよ^^
---まあ~そんな大きな煉瓦工場だったわけですが、
当時の面影まるで無し。
跡地は公園になってはいますが、
わたしが言いたいのはそこじゃない。
深谷市の日本煉瓦、横須賀や横浜の煉瓦たち、
工場が残ってるところもあるけれど、
工場が更地になっていても周りには煉瓦ちゃんの遺構がたくさん残ってたりするわけです。
もしくは復元・再現とかね^^
でも草加市には煉瓦らしい煉瓦遺構が何一つ無いっすw
ふつーあるでしょうよ!
地元の煉瓦工場の煉瓦ちゃんで造った蔵や橋や堤防の痕跡くらい、どっかに残っててもいいと思うんだけど、
いまんとこ見たことない^^;
ちなみに工場が操業を止めることになった時、当時の草加市長さんが工場側に
『市の為に何かモニュメント的なものを残したいのですが・・・』と提案したらしいのですが、結局何も残らなかったというのをどっかで聞いた^^;
うわあ・・・それがほんとなら実にもったいないっす^^;
もしかしたら草加せんべえ以外に地域アピールのネタになったかもしんないのにさw
っつーわけで、
わたしは大学と煉瓦旅以外の空いた時間は、ちょくちょく草加市の煉瓦の痕跡を調べにブラブラお散歩してたりするわけなんです^^
出来れば大阪窯業・草加工場の『煉瓦と刻印』求めてねw
(※ 市内で発見。これが重要^^ それ以外の場所ならば草加工場産の煉瓦は何件か見ているので☆)
そんな中、
わたしは『それっぽいかな?』ってのを半年前に見つけていた。
それは草加駅から歩いて5~6分のとこにあるーーー
『草加市立高砂小学校』の
正門前から伸びる道の両脇の煉瓦ちゃんだ^^
創立十周年記念とかいうプレート付いてるけど、お兄ちゃんの話だと『え?あの煉瓦?もっと前からあるって聞いてるよ^^』とのこと。
よくよく見ると『昭和59年・・・』とも書いてある?
見れば小口と長手が交互に積み重なったフランス積みっぽい仕様っす。
半年前に気づいた時は『これって古煉瓦じゃね?マジで♪』なんて小躍りしましたよそりゃ。
で、色々と学校の沿革とか歴史とか調べてみたのですぜ。
---そしたら、
『昭和27年9月に創立』だったっす。
・・・少なくともそれ以降のものだから、古煉瓦と言うには良くて若い部類ってことっすよね・・・^^;
でもでもでもですよ?
大阪窯業草加工場というのも実は『比較的新しい年代の工場』でもあったりするのですぜ。
創業は大正5年。
明治期に日本全国に煉瓦工場が出来たことを考えるとかなり後発組とも言えるっす。
だからここで頭を切り替えたんです。年代は若かろうがどうでもいい。
むしろ、この煉瓦が地元の大阪窯業草加工場の煉瓦ちゃんだったならいいなあーとね^^
それからちょこちょこここに来ては『刻印とかないかなあ~』とか散歩がてら見てまわったものです^^
小学生に怪しまれないようにねw
とはいえ結局それもよく分からずじまいで、
いつのまにかここに出向くことも無くなっていました。
ーーー記憶の片隅から遠のきかけた、
ある秋の日。
スーパー台風?とか言ってる凄そうな台風が来ていたから雨がまだ強くならないうちに、
わたしは部屋に引きこもる為に食料の買出しに出向いたの。
駅前のいとーよーかどーでも良かったんだけど、少し離れたせーゆーの方に自分の欲しいブツがあったので、
久しぶりに例の煉瓦ちゃん前を通ったのだ^^
ここでわたしは驚く。
あれ?煉瓦壁の裏側が見えてる!?と。
それぐらいでなぜ驚くと思われるでしょうが、いや思ってください!
実はいつも見ていた学校の通学路の煉瓦壁の裏手は、
『草加市役所第二庁舎』が隣接していて、
裏側が見れることは決して無かったんです。
それがまさか更地になってるとは!
しかも裏側も煉瓦あったんだw
(草加市役所第二庁舎・本社ともども50年を超える庁舎で、耐震性に問題があったそうです。
一気に補修や建て直しは出来ないので、まずは第二庁舎から造り替えていく計画とのこと^^)
買い物忘れて思わず見に行ってしまった。
足が濡れようがもうそんなの知らない。
サンダルと足の隙間に土や枯れ葉をくわえ込んで壁の裏側に近づいた。
こちら側は小学生の通る側と違って、一番上の煉瓦には化粧の石やモルタルが何も無いっす!
煉瓦の平面むき出しだ(わたし大歓喜☆)
積み方は表側と同じくフランス積みっぽい。
煉瓦の表面もシワシワがあって、昔の機械成型っぽい煉瓦ちゅわああ~んじゃないですか!^^
これはちょっと期待していいかな?なんて、内心ワクワクしながら、
ひとつひとつ煉瓦を観察していったんですわたし^^
するとーーー
・・・
・・・
・・・え?
わたしは、ある煉瓦のてっぺんに指を這わせて
それをなぞって
なんどもなぞって
そして震えた。
煉瓦の・・・こく・・・いんだよね!?
わたしはもっと良く見たいと、手で水を払って払って確認する。
『に・・・日本・・・だよね?』
周りに誰もいないのに思わず聞いてしまう。むしろ自分に言い聞かせかも。
そして『うっしゃあっ!』と小さくガッツポーズしたっす☆
だってー、だってだってだってだって、
草加市内で生の煉瓦の刻印に出会えるなんて思ってなかったんだもんっ!
今日は、せーゆーでお肉買って焼き肉パーティーしかないよね!って思ったっすw
その後はずっとずーーーっと観察してたっすw
あれ?よくよく見ると『日本』って文字の下にもうっすらと何か文字か記号が彫ってあるような♪
ーーー興奮もいくらか収まった時、もう一度じっくり考察してみた。
煉瓦の刻印には間違い無い気がするっす。
でもこれは『大阪窯業東京(草加)工場』の刻印じゃないなあ^^
『日本』と言えば思いつくのはーーー埼玉県深谷市のブランド煉瓦、日本煉瓦工場株式会社っす^^
しかも日本煉瓦㈱の煉瓦は明治の頃の刻印は『上敷免』とかだったはず。
大正~昭和~近代に造られたやつは確か『日本』だったと思う。
これで年代が合致した。
この『日本』と言う刻印は昭和以降に創立した高砂小学校の歴史と年代にぴったんこ。
ズバリ『日本煉瓦㈱』の煉瓦ちゃんだね^^
でもわたしは地元の工場の製品じゃないんだ~と嘆くことは無かった。
むしろこの偶然の発見に、雨空めがけて喜びを唄った。
後日、何回か訪れてるはずの草加市立歴史民族資料館へ向いました。
実は大阪窯業の煉瓦が常時展示されてるのを見落としていたらしいのでw
(ぐう・・・不覚っす^^;)
大阪窯業東京(草加)工場の展示スペースは、小学校の机程度のスペースでした(もともとこの資料館は学校だったりします)
そこにはーーー
大阪窯業でつくられた耐火煉瓦や赤煉瓦が積み上げられていたんです(わたし大歓喜☆)
ちなみに『〇に三つの線』が大阪窯業の代表的な刻印っす↑
机の下には当時の写真や工場に携わった方達のお話が掲載されてる本があったっす^^
他の草加の展示物もあったのに、わたしはずっとここで本読みしてましたぜ!(他は興味ないのじゃw)
ちなみにあんまり草加と関係ない煉瓦が玄関口に展示されてましたが、もちろん
食い入るように見てました☆
(すごく・・・欲しい・・・w)
探せば意外とあるんだね。
まだまだこの街は捨てがたいぜと思ったわたしでした^^
------琴音の煉瓦日記より抜粋
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
今回は、煉瓦に興味ない人には厳しい記事だったわよねw
いいのだよ。自己満足ですしw
でも雨中での刻印発見にはマジ震えたっす☆
さて次回はーーー煉瓦が出てこない煉瓦旅ってとこでしょうか。
どゆこと???
まあ~それは気になった人は見てくださいってことで^^
ではではまた今度!
勉強になりました!
by テンポイント (2014-10-15 01:21)
おはようございます。
大発見ですか?・・・煉瓦好きにはたまらないですね。
今日もお天気不安定の様ですね。
by YUTAじい (2014-10-15 07:23)
なるほど、地元にレンガが残ってないのですね。
跡地の土を掘り返せば出てくるかも?
自分の関連では、埋蔵文化財地域で建築がストップすることがあるけど、教育委員会の埋蔵文化財課に聞いてみるのも、ひとつの手掛かりがあるかも?
by Falcon (2014-10-15 08:26)
ちょいのりさん、
うーん、とても面白かったですよ。
ただ、早く地元で煉瓦が見つかると良いですね。
by kiyo (2014-10-15 08:51)
草加のレンガ工場と聞いて煎餅焼くのに使ったのじゃないかと連想したけど。
by gen (2014-10-15 09:45)
おはようございます。れんがにも色々とあるんですね。舞鶴のれんがも調べてみます。^^;
by ソニックマイヅル (2014-10-15 09:47)
前に 草加祭りかなんかに展示したいんで
草加の写真を撮ってくれって市長さんに頼まれ
綾瀬川沿い撮ったけど あそこの堰のところの
煉瓦は違うんだ? ちょっと前に載せてたよね?
by (。・_・。)2k (2014-10-15 11:34)
残念ながら、綾瀬川沿いの『甚左衛門堰の煉瓦ちゃん』は、
明治20年代に煉瓦に造り替えられたので(元々木製だったのです)
大阪窯業の煉瓦ちゃんでは無いのです^^;
でも中小の煉瓦や瓦工場は明治期にもあったので、
もしかしたら・・・地元産の煉瓦かもです☆
by ちょいのり (2014-10-15 11:43)
中之島公会堂も煉瓦ですが、あれはどれくらいの古さの
ものなんでしょうかねぇ・・・
確かに煉瓦だと趣があっていいですよねぇ。
三匹の子豚のお話でも煉瓦が最強ですし。
by まめ (2014-10-15 12:02)
面白い。
ノリとは裏腹に本格派ですね。
by desidesi (2014-10-15 13:08)
拙ブログへのコメントありがとうございます。
成田山の次に犬吠埼灯台に行きましたが、
この灯台は初の日本製(千葉県香取郡高岡村、現在の千葉県成田市高岡)煉瓦の灯台で、その数はおよそ19万3000枚って知ってました? まだ行かれてなければ是非一度行ってみてはいかがでしょう、銚子は関東の東の端っこだし(^^)ニコ
by johncomeback (2014-10-15 13:09)
レンガにも耐火煉瓦なるものがあるんですね。レンガって燃えないイメージがあるんですがそうでもないんですね。
by みぃにゃん (2014-10-15 14:39)
レンガ模様・・・何かあった気がするんだけど忘れちゃったw
by サンダーソニア (2014-10-15 15:59)
すごい発見ですね^^
お好きな方は発見したら
興奮しちゃいますね(o^^o)ふふっ♪
次回が楽しみ!
by 美美 (2014-10-15 16:33)
まさか裏側が見られて刻印も発見できるなんてスゴイです(^O^)
草加工場の煉瓦、どこかでひっそりとちょいのりさんに発見されるのを待ってるかも(^-^)
by ニッキー (2014-10-15 17:37)
日本。確かに読めますね!!
分かります^^"焼肉パーティ"の気持ち。
でも雨に濡れて風邪、またひかないでくださいね!
by orange (2014-10-15 20:52)
今回もドラマチックな展開でしたね。
思わず引き込まれてしまいました!
拝読いたしましてワタシも刻印中毒に
かかりつつあります。
by NO14Ruggerman (2014-10-15 21:05)
…煉瓦の原料を巡る旅とか…(・_・;)
煉瓦抱き枕は…寝心地悪そう…^^;
by 下総弾正くま (2014-10-15 22:21)
月曜日の夜に濡れ濡れぬなった色男w
風邪ひいてない?
by DEBDYLAN (2014-10-15 22:36)
こういう発見をみると、次から古そうな
煉瓦を見た時に刻印を探してしまい
そうです。個人的は、ドックに使われた
煉瓦が欲しいかもです^^
by みずき (2014-10-15 23:11)
身近なところにもあるものなんですね!!
もう完全に煉瓦の虜ですね
by 唐津っ子 (2014-10-16 00:26)
思いがけない発見は興奮しますね^^
草加で作られた煉瓦の遺構、市内の何処かにあるといいですね
by さる1号 (2014-10-16 01:28)
う〜んマニアック!
でもこういう記事大好きです。
鉄腕ダッシュの番組で、城島が煉瓦を見つけて
「積み方が日本の積み方とちゃうな……これはイギリス式か」と
煉瓦の積み方までTVで解説していた時には、
思わず唸ってしまいました(笑)
by ワンモア (2014-10-16 02:14)
ドキュメンタリーのような流れですね、ドキドキして読ませてもらいました。
最近は山の途中にレンガを探してます、見つけたら載せますね。
ヤマノススメ来年また富士にチャレンジするのかな?
by ゆうくん (2014-10-16 11:30)
あっははは、煉瓦工場の跡に廃煉瓦ありですな!
八王子煉瓦(後の大阪窯業長沼工場)跡地を歩くと、畑の脇などにザクザク積み上がっていたり、民家の庭の敷石に使われておりますぞ?
先日は一緒に歩けなくて、真に残念無念(*^_^*)
by 駅員3 (2014-10-16 14:24)
こんにちは。
煉瓦のことは門外漢でも、自分が凝っている対象物を掘り当てたうれしさは多分共通。その高揚した気分はしっかり伝わってきました。
by sig (2014-10-16 16:21)
地元に煉瓦の刻印入りを発見しては興奮しまくらちよこですね。
by 馬爺 (2014-10-16 20:22)
まさに灯台もと暗しでしたね♬
ちょいのりさんの嬉しさが伝わってきましたよ(⌒▽⌒)
地元だから気になるけど品川レンガって?
品川にも古い煉瓦の塀や建物多いんですよ(^_^)v
来てね♬
by まこ (2014-10-17 10:52)
おはようございます。
弱音はいてません(笑)。
by YUTAじい (2014-10-18 07:24)
素晴らしい!地元を探索して発見するなんて。
で、その晩は焼き肉パーティーだったんでしょうけ^^;?
by sakamono (2014-10-24 23:35)
草加小の資料館行って他には興味ない、とか
日本一汚い川、とか
地元民としては悲しかったです。。
さて、レンガ工場があった頃、草加は田んぼだけの所でした。
まだ松原団地駅も無かったのです。
広大な土地があったから、あの巨大団地が誕生できたわけです。
まだ街も無かったので、レンガ工場のレンガで造った建造物はあるはずもありません。
あったのは農家だけです。
農家は今も痕跡が残ってて、草加にはまだあちこちに蔵が残ってますよ(^^)地主さんです。
私は蔵を見付けるとテンション上がるので、現存してる今のうちに写真を撮っておこうと思います。
さて、レンガ工場に話を戻しますと、レンガ工場からトロッコで、伊勢崎線へと作ったレンガを運んでいたので、レンガ工場近くにトロッコ橋が残ってますよ。もうご存知かもですが。
長々と失礼しました(^^)
by 草加市民 (2019-12-28 10:24)