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第753話 ある意味世界で一番有名な煉瓦vol⑩『原爆ドーム』 [廃村さーくる(古煉瓦)]

『夏雲が遠くに薫る、その晴天の広島に炎落ちゆく』

 

 第753話、ある意味世界で一番有名な煉瓦編『原爆ドーム』

 静かにスタートです(菅原琴音視点)

第753話・原爆ドーム・煉瓦の天使・琴音2.jpg 

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『うーん・・・はわわです・・・』

 私の隣のベッドでは、朝起きの蹴伸びをしつつも夕実っちが起きだしていた。

『おはようっす^^』と声を掛けると、

『むにゃむにゃです。おはよう・・・ZZz・・・』と頭をたれる彼女。

 おーい。今起きたんじゃねーのかー^^;

 まったく子供のような1個上のおねーさんだよ^^;

 でもまあそこがいい。

 なんでこんな良い子を兄者は彼女にしないのかさっぱりワカラン。

 私が男の子だったらとっととゴニョゴニョするのにな~w

 

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 私達は朝食をラウンジで取った後、さっそく身支度して平和大通りへと出た。

 旅行最終日。今日の目的の場所はこの道の先にあったから^^

 

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 通りは川へと突き当たる。

 ここは元安川。

 前日に降り積もった雪が町並みをすっかり白く染めていた。

 川べりと言うことも有ってか、川面を掬う冷たい風が肌身に沁みる。

 私達は川沿いの遊歩道を北へと歩き出す。

 

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『わきゃ? ピンクのお花が咲いてるですよ?』

 彼女がこの季節に異質な桃色の低木を歩道に見つける。

『これは良く見ると模造だねえ^^』

 お兄ちゃんが花弁をつまんで確かめた。

 私と夕実っちは『ほら見てご覧^^』というお兄ちゃんの言葉に覗き込んだ。

 ぷらすてぃっく。

 本物じゃなかったみたい。

 私達は周りの景色を楽しみつつ先へと歩く。

 

 ---ふと、

 古い写真付きの碑が散策道沿いにいくつかあることに気づく私達。

 そのひとつに寄ってみた。

 

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『わきゃ・・・広島瓦斯株式会社跡。爆心地から約210メートル・・・』

 そこに写っていたのは勿論原爆投下後の瓦礫の世界。

 彼女はそれを見て言葉をどこかにやってしまった。

 

 今回、最終日にここを訪れること。

 そして原爆にまつわる物を見に行くんだよ!とは皆に確認していた。

 だからこそ覚悟はしていたはずだと思う。

 夕実っちも納得していたはずなんだけれども・・・

 やっぱり写真を見る目はつらそうだった。

 

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『原爆で吹き飛ばされた瓦や陶器片を拾ってる写真か・・・』

 お兄ちゃんが別の碑の写真を見つめつつ、何ともいえないため息を漏らす。

 これは“原爆犠牲・ヒロシマの碑”

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 この碑は、広島の学生の呼びかけで全国の小中学校・一般市民の寄付によって建立された碑だそうです。

 

『原爆瓦』と言う、原爆の熱線(1600~4000℃もしくは最高値6000℃とも)で瞬時に焼け爛れた屋根瓦は、

 爆風に吹き飛ばされ数多く元安川の川底に沈むことになる。

 それは昭和の50年代まで川泥に飲まれるままだった。

 後年、広島市の元安川の美化計画が始まろうとした矢先、

 学生たちの原爆瓦保存の運動が起こる。

『原爆瓦からあの戦争の悲惨さを知って欲しい』

 その運動は幼稚園児から高校生。訪れる修学旅行生までを集めて広がることにーーー

 

 素敵な運動じゃないですか!

 私は今一度この石碑をマジマジとなぞり、声にして読んだのだった。

 

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 そこから少し歩いた所の川べりのお洒落なカフェの前に、

『旧元安橋』と言う、原爆爆心地にもっとも近かった橋の名残りがあった。

(新しい付け替えられた橋はすぐ隣・写真では右手奥の橋)

 爆心地特定の手がかりともなった橋。

 こここそ、原爆投下の際にもっとも多くの犠牲者が亡くなったところだそうです。

 ---さてここでお兄ちゃんが

『ココまで来たならば少しだけ寄り道をしよう^^ 知っておいたほうがいい。絶対だ』と、

 遊歩道を降りて直ぐ傍の小さな三叉路へと私達を連れ出した。

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 そこからすぐ左に折れ、

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 病院の前にやってきたっす。

 その袂にはーーー

 

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『広島原爆爆心地のモニュメント』があった。

 ここが・・・そうなのか。

 もうそれしか言えないや・・・。

 

『あんまり言いたくないけれど、米軍のエノラ・ゲイことB-29は原爆を落として帰投したあと、

 夕方から夜遅くまで祝賀パーティーをしたそうだよ』

 ・・・また余計なことをお兄ちゃんが言っちまった^^;

 おかげで夕実っちはここからワンワン泣き通しだったじゃないっすか・・・^^;

 本当は知ったほうがいいとは思うよ?史実はね。

 現実はリアルで残酷なのは承知だ。

 でもデリカシーに欠けるのがお兄ちゃんの困った所だ^^;

 しばらく2人で彼女を慰めて次へ。

 そして今日。いや、この旅路のメインの場所へと赴いた。

 

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 ビル影からもう見える。

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 元安川のほとりに現れたそれは

『原爆ドーム』

 日本人の誰もが知るそのシルエット・・・・って

 あれ?

『お兄ちゃん!なんか教科書の写真と違う!』

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『うん・・・。実はここに来る前から知ってたんだが、お前が最後に絶対見たい!見たい!って熱く言うから言い出せなかったんだ^^;

 この原爆ドームは1992年から経年劣化の状況把握や調査、補修の為に原則3年のスパンで

 建物の健康診断をしてるんだよ。

 で、今年は丁度第4回健全度調査期間であって、かつ、

 第3回目の保存工事中なんだ(平成14年9月~平成15年3月)』

 ああ~ん・・・

 骨組みだらけでイメージとまったく違う~ん^^;

 さっきまでべそをかいていた夕実っちも『うう・・・なんかこうじゃないですう^^;』と苦笑い。

 

 お兄ちゃんはコホンと空の咳をしつつも続ける。 

『まあまあ。だってしょうがないだろ?

 なにせこの原爆ドームは大正4年建築の建物。

 そしてみんなも分かるように原爆に被災した被爆建築物だ。

 約3000度の熱線を浴び、秒速440㍍の爆風にさらされたんだよ。

 完全破壊されなかったのが不思議なくらいの建物だったんだよ?

(ドームの部分と一部を除いてほぼ全壊)

 平成の世、ましてやこの先保存をするとなると補修に補修を重ねないととても建物として生きていけないんだよ^^;』

 理屈じゃ分かってるっす。

 でもやっぱり鉄骨の足場に囲まれたものじゃなく、原爆ドームそのものを見たかったのが本音っす・・・。

 

 ーーー私はここで原爆ドームを指差した。

 半べそをかく夕実っちに今一度知ってもらいたかったからっす。

『ねえねえ夕実っち。もう一度注意深く原爆ドームを見てもらえないかな?』と彼女へ。

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『原爆ドームがどうかしたですかあ^^; ・・・えっ!? えーと・・・えとえと・・・

 え?煉瓦!?

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『そうっす^^ 実はこの原爆ドームは

 煉瓦の建物なんすよ^^』

 

 夕実っちは泣いた赤子がすぐ笑うかのように、

『ほえほえほえ~!へえ~!煉瓦建築だったですか。うわあ・・・うわー!』と驚きの表情。

『実際来ないと分からなかったでしょ?夕実っち^^

 教科書の写真見たって、この原爆ドームが煉瓦建築だったなんてちゅうがっこーの頃はまったく思わなかったもんね』

 ---実際、ほんとに煉瓦建築だとは思ってなかった。

 教科書の白黒写真に崩れたドーム。

 てっきりコンクリートの建築物だとばかり思っていたから。

 

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 それからはぐるりと舐めるように原爆ドームを見て周る私達。

 

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『わきゃ・・・ほんとにほんとに煉瓦なんですね^^』

 コンクリ・モルタルが剥がれた部分は煉瓦そのもの。

 とゆーかコンクリが邪魔なくらい、立派な煉瓦建築物だったっす。

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『わきゃ? 琴音っちい? なんでまた元安川の方なんて見てるですか???』

 私がふと川べりを見つめていた私を疑問に思ったようです。

 私はここでネタ晴らしを彼女にすることになった。

『うん、実はね? 夕実っちがお兄ちゃんの学生生活最後の思い出にって旅行計画を立てたとき、

 私は“ある記事”を読んでいたの。

 それがこの元安川から原爆ドームの煉瓦の刻印付きの煉瓦が発見されたって記事だったんだ。

 刻印っすよ? 私が食いつかないわけ無いじゃないw

 で、そこから私は色々調べたんす。

 原爆ドーム自体が煉瓦だったこと、

 広島には煉瓦建築が数多くあること、

 そして広島の原爆と煉瓦の歴史に辿り着いちゃったってわけ^^

 広島行きたいなあ・・・

 広島を実際の目で見てみたいなあ・・・

 そう思って、ついつい広島旅行にしようって言ったんだよ^^;

 だからここであやまるっす。

 ゴメンなさい・・・

 私の願望ばっかり押し付けてしまった今回の旅行を・・・』

 私はお兄ちゃんと夕実っちの中途半端な男女関係を近づけようと画策したわけじゃ無いっす。

 完全に自分の欲望の為にこの地を選択したんす・・・。

 あわよくば、元安川で煉瓦拾い・・・とか考えていたくらいっす^^;

(割と本気)

 正直、申しわけないと顔も見れなく俯いてしまった私に

『わきゃ? 何あやまってるですか琴音っちい^^

 私は何も文句が無いですよお!

 むしろ色々教えてもらった旅だったと思ってるくらいですう☆

 知ってたようで知らなかったことをどんなに教えられたかですー^^』

 

 ・・・そう言ってもらえると嬉しい^^

 むしろお兄ちゃんの嫁さんにじゃなく私がもらってやってもいいくらいだと思ったっす。

 

 こんなやりとりがあったなんてつゆ知らずのお兄ちゃん。

 じっくりじっくりと原爆ドームを柵越しに観察していた。

 私達もお兄ちゃんのとこへ戻ることに。

 

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『どこからどー見ても補修工事の足場が邪魔っす^^;』と嘆く私に、

 お兄ちゃんが、まあまあまあ^^;という感じで声を掛けてくる。

『まあそう言うなよ琴音。

 日本でも屈指の戦争遺構だ。またこれ以上、戦争を物語る建物は他に無いとも思うぜ?

 写真一枚よりリアルな建物だよ。

 また今度見にくればいいじゃんか^^』と。

 

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 現在時刻午前9時過ぎ。

 ふと周りを見渡すと、お正月でもあり、朝早い時間帯であるにもかかわらず、

 白人さんの旅行客などが写真をパチパチと撮っていたり、

 碑文を見ては神妙な顔をして頷いていた。

(※ アジアの人も居たよ^^ でも、白人さんほど真剣じゃなかったように見えたなあ。あくまでもボクの主観ですが)

 

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 一通り柵越しに見て周ってからお兄ちゃんが私達に語り出した。

『ここは元々“広島県物産陳列館”と言う広島県の物産アピールの場所だったのは先日知ったよね?』

『似島のバウムクーヘンの話しだよねお兄ちゃん^^』

『そう。似島の捕虜収容所に幽閉された菓子職人のユーハイムが、この原爆ドームの前身である広島物産陳列館でバウムクーヘンをアピールしたことによって全国に広まったんだ。

 たまたまだろうけれど、

 琴音が最初に似島を選び、最後にこの原爆ドームを訪れたのは良かったんじゃないかとボクは思う^^』

 そう言われると照れるっすw

 ほんとたまたまだった。

 でも、原爆ドームとはそもそも何なのか?を先に知ることが出来て私も良かったと思ったっす。

 

『時代は流れ、原爆投下時には“広島県産業奨励館”と呼ばれていたこの原爆ドーム。

 煉瓦建築としては大正時代竣工でそこまで物珍しいものじゃないかもしれない。

 もっと古い明治期の煉瓦建築なんてたくさんあるしね。

 しかも煉瓦建築だとは広くイメージされてもいないと思う。

 でもさ?

 欧米人もアジアの人たちもヒロシマ・ナガサキ。原爆ドームは多くの人たちに知られているんだぜ?

 だったらこれがある意味世界で一番有名な煉瓦建築なんじゃないかなあ~ってボクは思うんだよ^^』

 

 世界で一番有名な煉瓦建築ってなんですか?と問われた時、

 私は世界中の煉瓦建築物を全然知らないっす。

 だから正直すごーく答えに窮すると思うんだあ。

 

 でも今、この原爆ドームが煉瓦建築だったと知った私は答えてみたい。

 原爆ドームってね^^

 

 ---私達は今一度手を合わせ、この場を後にした。

 

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『わきゃ!? す、滑るですう・・・^^;』

『うは^^; やばいくらいにスケーティング!w』

 私達はこの後に訪れようとする場所に向って新元安川橋を渡るのだが・・・

 路面が凍結していてツルッツル!

 おっかなびっくり、腰をガクガクさせながら対岸へと渡ったんす・・・^^;

 

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 橋の袂にあったのは『広島市レストハウス』

 実はここも被爆建築。

 

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 元々は『大正屋呉服店』と言う昭和4年竣工の、専らモダンな洋建築だったそうっす^^

 でも、太平洋戦争勃発の際に閉店の憂き目に。

 その後、国の統制会社として建物が取得され『燃料会館』と呼ばれたそうです。

 原爆時には30余名が勤務していたそうですが、たまたま書類を地下室に取りに行った方だけが生存したとのこと・・・。

 現在は観光案内の場所になってましたっす(朝から元気よくいらっしゃいませ♪ってお姉さん2人がご挨拶してくれました^^)

 

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『わきゃ。ここは知ってるです。広島平和記念資料館ですね』

 私達は平和記念公園ど真ん中の資料館前までやってきた。

 

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 近づいてみると右に左にすごく大きな建物。

 私はぜひとも広島に訪れたならば行きたい!と思っていた場所でもあったっす。

 ただ、一応お兄ちゃんと夕実っちの意向も聞いてみることに。

 そしたらばーーー

『あ? 入ってみたいに決まってんだろ妹様よw オレはてっきり小中高校のうちどれかの修学旅行で絶対広島に行くと思ってたのに行かなかったからな^^;』

『わきゃ・・・そうですそうですう!^^; 小学校は東京だったっし~、中学校は奈良京都、高校は会津だったです~』

 そういやそうだったっすねうちら^^;

 ま、当時はどこに行くかより、

 友達達と遠くに遊びに行くならどこでも楽しかったんですけどねw

 

 全会一致で決まりです。

 いざ、広島平和記念資料館へ!

 

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 受付で入館料50円を払い、いざ展示物のある二階へとのぼる。

(※ 消費税上がっても50円♪ 良心的ですぜ^^)

 

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 2階の展示室に入り込むとそこは煉瓦をモチーフした世界だったのです。

 

 入り口すぐそばの壁面に描かれた『みずをください』の言葉に、のっけから当時の有様をガツンとイメージさせられる私達。

『みずをください』と言う言葉は原爆下の当時を物語る言葉そのもの。

 本当にツライ言葉・・・。

 

 

 ---さてと。

 ここからは実際に行ってもらって体感してもらいたいので画像は控えます。

 写真じゃワカランのです。

 実際に目で見て思うこそが本物。

 

 ですが、

 私の『ある煉瓦少女の物語』の一部をとくとご覧あれっす☆

 

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『ぐおおおおおおおおお! なんか資料館の道順に所狭しと煉瓦がいっぱい並んでるんだけどお兄ちゃん!』

『あ、ほんとだな^^ でもレプリカだろどうせ・・・って、あれ? 入り口付近の足元にあったのはレプリカっぽかったけど、

 先へ行くほどガチの煉瓦だな^^;』

 そう。

 入り口付近の道順の両脇にあった煉瓦は模造っぽかったのだけれども、

 先へ進むにつれ?

 どうやら本物っぽい煉瓦だということに気づく私とお兄ちゃん(夕実っちは展示物を見て半べそかいていてそれどころではない^^;)

 そしてその展示物の下で決して誰も見向きもし無い、展示の演出用の煉瓦たちが本物だと知るーーー

 

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『え?なにこれお兄ちゃん! 刻印っぽいのあるけど日本語っぽくなくなくね?マジで』

『韓国語っぽくも見えるな。韓国の煉瓦かな???』

 

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『お兄ちゃんコレ!耐火煉瓦じゃね?♪』

『ああ~そうだな^^ 削れてるけれどもSK32って言う耐火煉瓦の番手の刻印が見えるし^^』

(※ 耐火煉瓦の番手とは? SK+数字で、その煉瓦の耐火温度を知る数字だと思ってもらって結構です^^

 大きいほど熱に対して強いってとこかな)

 

 さんざん観光客の人の流れから逸脱し、ディスプレイの下の煉瓦を漁る私達兄妹^^;

 まるで煉瓦の餌という罠に一歩一歩摘んでは先へと行く動物のようw

 ふと、煉瓦に混じってこんなものがーーー

 

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『あれ?ねえねえお兄ちゃん? ここに瓦の破片もあるけど刻印ポイの打ってあるよっ!』

『あ、ほんとだなあ^^ ・・・ってあれ? ちょ、ちょっとよく見ろ琴音!

 この煉瓦と瓦の破片が置いてあるところを』

 お兄ちゃんに言われて顔を上げて周りを見渡す私。

 すると、このブースはなんと、

『原爆時当初の煉瓦や瓦片を展示している場所』だったみたい^^;

 夢中になりすぎてわからなかった。

 でも、ここに展示されている煉瓦。そして刻印は当時のものなんだなあと身を振るわせた。

 

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 その他にもれっきとした煉瓦の展示物がお目見え(私達が夢中になっていたのはほんと装飾用みたいな煉瓦。

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 中には原爆の熱線で瓶などのガラスが瞬時に溶け、煉瓦や屋根瓦と共に塊となってしまった展示物も・・・。

 こんなの人間がどうやってまともに生きていられるだろうか・・・

 恐怖と言うよりも、ただひたすらに憤ることしかできませんでしたっすよ・・・。

 

 私達は一通り見て周り、資料館に別れを告げた。

 

 ---再び元安川のほとりを歩き、

 私達は対岸に見える原爆ドームを見つめる。

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 昔と今の原爆ドームがなぜか私達の頭に過ぎる。

 あなたには何が見えますか?

 

 

 

 さてと、記念公園もぐるりと一周としたところでお兄ちゃんが聞いてくる。

『そう言えば今日は帰りのフライトまでどうするんだ?琴音^^』と。

 夕実っちも『そうですそうですう~。確か帰りのフライトは夜7時くらいだったですよね?』と、この後の日程を急かしてくる。

 現在時刻、まだまだ10時を過ぎた頃。夕方までたっぷりの時間が残っていた。

 

 私は『とりあえず広島空港に戻るっすよ^^』と彼らに告げる(戻るって・・・そもそも空港で寝過ごして行ってもいないんだけどねw)

『『く、空港???』』

 驚くお兄ちゃんち。

『まあまあ。この後はガイドさんの私っちにまかせてまかせてw』

 そう言って広島駅の北口へと移動開始っす(広電で☆)

 

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 空港行きのリムジンバスのチケットをゲット。

 さて、この後の旅路は実は思いつきだったということを

 今のお兄ちゃんと夕実っちは知らないーーー

 

《あとがき退助》

ちょいのり・フィーバー・サザエさん.jpgここまで読んでくださりありがとうございました^^

 感の良い方は、ボクが世界で一番有名な煉瓦見に広島へ行くんだって言った時点でお分かりだったと思います。

 そう。原爆ドームが答えだったのです^^

 異論は勿論あるかとも思いますが、少なくとも誰もが知ってる世界文化遺産です。

 まさか煉瓦にハマッてここに到るとは思っても居なかったのが正直な所です。

 でも、感謝したい。

 だって勉強とか嫌いなオイラだったけれど一杯調べたし教わったんだもの。

 原爆・戦争。

 島旅・煉瓦と言う別視点からではありましたが、前よりももっと当時の悲惨さを知ることが出来たのでは?と思ってます。

ちょいのり・フィーバー・サザエさん.jpgさて、次回が恐らく・・・広島旅行編ファイナルだと思います。

 正直、おまけ話ではありますが

 ボクにとって懐かしい風景と新しい発見があった最終日です^^

 ではではまた次回、お会いいたしましょうず!

 

 ちなみにサブブログもよろしく!→ψ(☆ω☆)ψフヒヒ・・・

 


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コメント 31

isoshijimi

広島行ったことがないので、記事を拝見させていただいてとてもよかったです。
原爆ドーム、レンガだったのですね。知りませんでした。
by isoshijimi (2015-02-09 04:32) 

youzi

熱狂的なカープファンだった私は何度も原爆ドームを
見に行きましたが、レンガだった事に気づきませんでした。
韓国語みたいな刻印、ハングル文字です。
平和公園から少し離れた場所に韓国人の原爆碑があるのですが、
ご覧になりましたか?
資料館も数回入ってますが、銀行で順番待ちしていた方が、
被曝して影になってうつっている石段があるんです。
人が一瞬にして、楕円の影になってしまっています。

by youzi (2015-02-09 06:51) 

YUTAじい

おはようございます。
云われれば・・・原爆ドーム煉瓦なんですよ、知ってて思いもよりませんでした、流石です。
何十回も観てるのに。
by YUTAじい (2015-02-09 07:10) 

獏

広島出身 魂は今も広島在住の獏は
訪れていただいたこと 感じていただいたことに
只々深くお礼を申し上げます(^^)☆

by 獏 (2015-02-09 07:16) 

下総弾正くま

長崎の爆心地は行きましたが…原爆の日の翌日だったせいか、真新しい千羽鶴がいくつも…時間が遅かったせいか、誰もいませんでしたが…。
by 下総弾正くま (2015-02-09 07:42) 

johncomeback

原爆ドーム&平和資料記念館には2度行きました。
最初は息子、2度目は妻とでしたが、2度共に
無言になってしまいました。平和の有難さに感謝すると同時に、
平和を守る努力・行動と思いながら何もしていない現実。
なんか最近ヤバそうだから、ホントになんかしないとなぁ。

by johncomeback (2015-02-09 08:48) 

ソニックマイヅル

原爆ドームは中学の修学旅行で行きました。3年に一度で健康診断が行われているのですね。^^;
by ソニックマイヅル (2015-02-09 08:59) 

サンダーソニア

子供を連れていきたいと思っています。
by サンダーソニア (2015-02-09 09:26) 

Falcon

広島には3回ほど行きましたが、原爆ドームを観てなかったなぁ。
広島空港? また、寝ちゃうのかなぁ・・・
by Falcon (2015-02-09 10:30) 

みぃにゃん

広島は仕事で数日行ったことがあるぐらいでじっくり観光はしたことないんですよね。長崎は観光で何度かいきましたが、原爆ドームや爆心地などあらゆるところに戦争の傷跡が今でも残っていますね。ずっと語り継いでいってもほしいものです。
by みぃにゃん (2015-02-09 11:42) 

まめ

まだまだ原爆も初期だった故、原爆ドームが形として
残ってたんですよね。
煉瓦だったことは近くまで行ってみたけど覚えてません。
(小学生だったし)
もしも今、核兵器が落とされたら・・・
人は人を殺すことを何とも思わない種族なんですねぇ。
先日のISに関連してもつくづくそう思います。
by まめ (2015-02-09 12:51) 

orange

殺す側の理論、殺される側の理論。
一瞬にして、実際に殺された人々には何も非が無くても、その人々が住む国が殺す側に立ったことで命を奪われた。
やはり戦争というものは。と思ってしまいます。
No more Hiroshima, no more Nagasaki!
by orange (2015-02-09 14:22) 

ニッキー

広島、かみさんに連れられて原爆ドームと資料館に行きました。
資料館の展示物を見た瞬間、固まってしまいました。
あの悲劇を二度と繰り返したらイケナイ。
by ニッキー (2015-02-09 16:44) 

馬爺

福島の原発ももし爆発していれば今回の被害の10倍ぐらいの被害になっていたでしょうね。
その章子にチェルノブイルも同じでしたよね、果たして今後原発はと考えさせられますね。
by 馬爺 (2015-02-09 17:27) 

suzuran6

正直言って怖くて行っていない広島。
いや、一度仕事でドームの直ぐ近くまで行った物の寄りませんでした。
ちゃんと行っておかなければ行けませんね。
by suzuran6 (2015-02-09 18:35) 

島酔潜人

原爆ドームって、煉瓦造りだったんですね。
中学校の修学旅行で見ただけなので、修復が終わったら、もう一度観に行きたいと思います。
by 島酔潜人 (2015-02-09 21:09) 

みずき

一度は言っておかなければと思いながらも
毎年夏にNHKの特集を見るだけです。
今の政権だと70年前のようになりそうで
フアンになります・・・
by みずき (2015-02-09 22:10) 

しきみ

怖がりでビビりなので、正直原爆資料館とかホント駄目です。
長崎の原爆資料館ですら、速足で抜けてしまったぐらい。
でも、それでもチョロット見たんです・・・。
グンニャリしてる一升瓶とかさ・・・。
未だに「行かないと」という思いと、「怖いから行きたくない」という思いがせめぎあってます。
もう30代なのにね^^;
by しきみ (2015-02-09 22:42) 

くまら

広島には15年程・・・いや20年前かな
に行って以来です、また行きたいです
by くまら (2015-02-09 23:46) 

唐津っ子

最後まで一気に読ませてもらいました(嬉) 戦争って、正常な感覚を奪ってしまうんでしょうね。広島、いつか行きたい…
by 唐津っ子 (2015-02-10 00:12) 

さる1号

原爆ドームって煉瓦造りだったんだ @@)
まったく知らなかったです --;)
by さる1号 (2015-02-10 03:33) 

コンブ

ドームの自分で撮った写真を見たらしっかり煉瓦が写っていました。
爆心地も平和資料記念館も行きました。
皆さんが書いてるようにここはいろいろ考えさせられます。
by コンブ (2015-02-10 10:25) 

ワンモア

あらためて思い出したしました。
そう、原爆ドームって煉瓦の建築物でした。
戦争と平和って大事なテーマですよね。
「平和を守る」とは何か・・・。
日本の置かれている現実はしっかり把握しておきたいですね。


by ワンモア (2015-02-10 14:59) 

美美

恥ずかしながら原爆ドームが煉瓦造りだったとは
知りませんでした^^;
サブブログではコメントが入れられなかったので・・・
望遠レンズ役に立ったようですね。
見難いくらい小さくても拡大すると意外と写っていたりするので良い仕事をしてくれるかと思います^^
by 美美 (2015-02-10 20:34) 

katakiyo

戦争という悲惨な出来事を美化しそうな現在の風潮に
心を病んでいる方も多いはず、平和のあり方を改めて
考えねばならないときかも知れません。
by katakiyo (2015-02-11 05:59) 

YUTAじい

おはようございます。
明日は宜しくお願いします・・・人数多い様ですが。
by YUTAじい (2015-02-11 06:56) 

さといも野郎

何年か前に広島に行ったときに原爆ドームなども見学したのですが、爆心地は時間切れで訪問できずでした。
そういうプレートがあったんですね。
戦争の怖さを忘れてはなりませんね。
by さといも野郎 (2015-02-11 07:02) 

なかせ

原爆ドームには行ったことがありますが
外観をみただけで、実はちゃんと見ていなかった
んだと・・反省しました。
by なかせ (2015-02-11 14:41) 

駅員3

考古学ジャーナルに論文書いたとき、原稿の時点では広島の原爆ドームの話しも書いていたんだけど・・・無残にも削られてしまいました(^^;
by 駅員3 (2015-02-12 07:50) 

sakamono

広島で、ある意味世界で一番有名な煉瓦建築...
全然ピンときていませんでした。
by sakamono (2015-02-14 01:20) 

DEBDYLAN

平和がイイなって思います。
僕の好きなミュージシャンが言ってたんだけど、
「自分は好戦的だから平和を望んでいるのかもしれない」
僕もそうかもしれない。
でも平和がいいな・・・
広島は行ったコトないんですよ。
せっかくだから、mini meが大きくなって、
少し戦争のコト、平和のコト理解できるようになったら、
一緒に行きたいなぁ。

by DEBDYLAN (2015-02-16 23:03) 

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