第789話 群馬県・前橋編☆vol②『前橋の幻の煉瓦工場を追え!』前橋煉瓦製造所跡&増田煉瓦㈱さんほか [廃村さーくる2(煉瓦工場探索)]
『ええっと先輩^^; その幻の煉瓦工場跡ってのはココから近いんでしょうか???』
『たぶん・・・歩いて14~15分くらいだと思うっす。地図見た感じw』
私の返しに『ほんとですか?^^;』っと随分な疑いの目を投げかけるルカちゃん。
だってほんとに何となくしかわかんないんだもんゴメンなさいw
まあでも行かなきゃ分からない。
行かなきゃここまで来た意味も無くなる。
---そんな訳で少ない情報頼りに前へ前へと突き進むのです。
第789話。前橋にかつて存在していたらしい煉瓦工場求めてレッツゴー!
わたしこと、菅原琴音視点で物語りは始まります^^
『先輩!この道は通り抜けできませんって書いてあるんですけどハイ^^;』
『それは車とかの話じゃね?』
ルカちゃんの心配を他所に私は目的地までまっすぐ伸びてる感じの道を突き進んだ。
私は途中、電信柱の『街区表示板』を指差してルカちゃんに告げる。
『今回の目的地は、この前橋市の紅雲町(こううんちょう)にかつて存在していただろう煉瓦工場を探しに行くんすよ^^』
『なるほどわかりましたですハイ。・・・とは言っても範囲広そうじゃないですか?丁目とか番地って』
『いや、目星と言うか~煉瓦工場跡地らしいって情報は掴んでるっす^^ だからお付き合いしてくんろw』
『また“らしい”ってやつですか^^; まあ・・・付き合いますけどネン^^;』
前橋刑務所から真っ直ぐ進むと県道109号線を跨ぐことになった。
私の目的地はこの先の『ある建物』が目安でもある。
途中、気になるお寺さんがあったけれどここじゃない。
そこからちょっと進んだ所が今回の目的地じゃないかな?ってとこだったのです^^
そこはーーー
『先輩!大きな病院がありますがーーー、もしかしてココとかですかね?』
『ルカちゃん察しがいいっすねマジでw うん。この群馬中央病院の敷地が、かつて煉瓦工場があった場所なんじゃないかって話しでここまで来ちゃった訳っす^^』
私はここで何枚かの資料をルカちゃんに手渡して説明を始めた。
『コレは↑明治40年の前橋市の側図なんすけれど、“文”って言う学校の記号があるでしょ?』
『ありますねハイ^^』
『今では同じ場所に群馬中央病院が建っているけれど、
実は昔、ここは学校だったんす^^
そして、この学校の前にはここらへんに煉瓦工場が存在したらしいんすよ^^
一説によると前橋市に点在する煉瓦倉庫や前橋刑務所なんかもお世話になっていただろう煉瓦工場がね☆』
私は割りと分かりやすい感じで説明したと思ったんだけど、ルカちゃんはどうも腑に落ちない様子。
そして彼女から質問を受ける。
『先輩。何となくは分かりましたよハイ^^ ですが、もうちょっと詳しく時系列的な感じで教えてくれませんか?
ひょっとしたら前橋刑務所とその幻の煉瓦工場との関連性があるのか無いのか見えてくると思うんですよハイ』
う・・・結構鋭いとこついてくるのねルカちゃん^^;
適当にここまで来ちゃった私はもう一度資料を見比べて年代別に精査することにしたっす。
『分かってる事を一応、時系列順にしてみたっす^^; 分かる範囲でね。ええっと~ルカちゃんこんな感じっすかね^^』
- 煉瓦工場の年代は特定できない。噂だと明治20年代?
- 明治20年。紅雲町に群馬県立前橋高等学校が新築移転
- 昭和8年。高等学校が別の地へ移転。
- 昭和25年。群馬中央病院がこの地へ創立。
あれ?
・・・彼女に時系列を説明しているそばから矛盾していることに気づいた。
『あれ?病院の前身であるはずの学校の創立と、幻の煉瓦工場があった時代が被りすぎてておかしいっすね^^;
学校の前に存在していたはずの煉瓦工場なのに、ほぼ同時期か工場のほうが後じゃん^^;』
『先輩、そこもおかしいし、何より前橋刑務所が出来たのが明治21年って言ってましたよね?
前橋刑務所の煉瓦外壁の創建と煉瓦工場との関連も矛盾してくるように思いますですハイ。
学校が明治20年創立。刑務所外壁が21年。
煉瓦工場が明治10年代とかそれ以前なら普通に辻褄あいますが、
煉瓦工場創建が、噂である明治20年代ってなってくると・・・学校があるのに煉瓦工場も同じ敷地にあるって矛盾しますヨン。しかも学校創立より後かもだし』
ああ・・・そうだ。
学校の前に煉瓦工場があったって聞いていたのに、調べていくとおかしい。
前橋刑務所との関連性も非常に薄くなってきた気がするっす^^;
全然情報を精査せずに無鉄砲にここまで来ちゃった自分を嘆いた。
---そこにルカちゃんが
『結局、煉瓦工場の本当の年代が分からないと話は進まないようですねハイ(学校とその後の病院の年代・そして前橋刑務所の年代は確定している)
そこはちょっと後で調べることにして、煉瓦工場の痕跡を調べてみましょうよ先輩^^
何か手がかりがあるかもしれませんよハイ^^
なんか探偵物の小説読んでるみたいで楽しくなってきましたヨン☆』
ふう・・・そう言って気遣ってくれるのはありがたいっすね^^;
ここは気を取り直して先へ進むべしですな。
せっかくなので跡地の跡地であろう?群馬中央病院の敷地を許される限り痕跡巡りをすることになったっす^^
(※ 記事の最後に本当の答えが待っています☆)
病院内の植木とか植え込みなんかを探索。
でも特に何も無い感じ。
明治時代から学校を経て記憶が何度も上書きされた土地だけあって、痕跡というものはそうそう無かった。
ーーー敷地内をぐるぐる巡っていた私達は
ふと病院の別棟?の事務所脇に『ある物』を見付けたのです。
かつてこの地に存在した前橋高等学校の同窓会碑です^^
(※今現在は前橋市沖町に移転して存続しています^^)
『ここに学校があったのは・・・間違いないっすよね^^;』
『私達が知りたいのは学校の前に煉瓦工場があったのか後なのかなんですよね。。。^^;』
碑から何か読み取れないか?と必死に探っているとーーー
『おや?学校跡地の関係者か何かで?』と、
植木職人さんでしょうか?病院の植え込みを整えていらっしゃったオジサマが声を掛けてきたのでありますっす^^(ここは本当のお話)
これはチャンス☆と色々お話を聞くことにしたっす^^
かつてここに煉瓦工場があったのか?とか色々聞いたのですが、
『煉瓦工場があったってのはオジサンわからないなあ~^^; でも昔ここが学校だったのは知ってるぞ?
この病院の奥の方に行くと学校があった当時の木だけは今も残ってるけどねえ~^^』って教えていただいたっす。
正直、煉瓦工場の手がかりとはあまり関係ないけれど、
せっかくなので見に行くことにしましたっす^^
『貴重なお話、アリガトウございます^^』とお辞儀して、そこへ向おうとした私達の背中に向ってオジサマが声を張る。
『そこにある木はね~、本当は伐採したいところなんだがー
学校のOBさん達の意向(反対で)でさあー
切らせてもらえないんだよこれがーw』だって。
私達はもう一度オジサマにペコリと会釈して、その昔からあると言う木へと向ったのです。
病院の裏手には大きく聳える巨木がありました。
明治の頃からある学校の記憶を残す唯一の木。
それは昭和の後から建てられた病院の事務所と高さは変わらない立派な木。
『これは先輩。とてもじゃないけど切ったらバチが当たりますよねハイ^^』
『だよね^^ むしろずっと残していてもらいたいっす^^』
煉瓦工場の痕跡探しじゃなく学校の痕跡探しだったなら、こんなに良いもの紹介していただいてありがたかったのかも^^
でも私達の目的はこの巨木の更に向こう側だった。
病院の敷地内を粗方巡った私達は結局、学校がかつて存在した痕跡しか探すことは出来なかった(それでも明治20年と言うだいぶ昔の痕跡なんだけどねw)
ここで資料の古い地図をマジマジと見つめる私達。
ふと私は閃く。
『かつてこの地に煉瓦工場があったのなら、煉瓦の運搬に直ぐ近くの利根川河川敷に何か痕跡があるんじゃなかろうか!』とルカちゃんに提案する。
---そう。
かつて明治期の煉瓦工場は船運に頼っていたはずなのです。
トラックや鉄道網が整備されていなかった明治の時代は船で煉瓦を運んでいたわけだしね^^
と言うことで私達は利根川河川敷へと下りてみることにしたっす^^
病院の裏手に降りれる階段を発見したのでさっそくそっちへ。
降り立ったそこは、だだっ広い更地でした。河川敷はその更に向こうみたい^^;
一応、更地にも注目しつつも先へ向う。
川まで降りれると踏んで進んではみたものの藪に阻まれUターンすることに^^;
それならばと橋の袂までやってきた。
橋の脇からはあっさりと抜けることに成功^^
どうやら若い人たちの青春の集いの場所でもあるみたいっすね。
さて煉瓦の痕跡探しっす^^
れっつ河川敷い~♪
『たぶん~丁度この辺りが利根川と病院の平行した場所らしいですね先輩^^;』
『うん。何も無いし帰ろうかルカちゃん☆』
『ですよね~☆』
見渡す限りのごろたの丸い石ばかり。煉瓦のれの字も何も無いw
『で、どうします先輩^^; この後どこか行きます?』
すっかり手詰まり状態に陥った。
ここは気を取り直して別のことを考えることにした。
『ブラブラ前橋市の煉瓦建築でも見ながら帰ろうかw』
『それもいいですねハイ^^』
私はここでひとつ拙い記憶の中から思い出した。
せっかくなのでまずはそこに行ってみることにしましたっす^^
利根川を渡って少し北上した所に現役の煉瓦工場さんがあるのを思い出したのである。
そこはーーー
『増田煉瓦㈱』さんっす^^
大正6年創業の100年近くの実績を誇る煉瓦工場さんっす☆
かつては建材用煉瓦を作ってらっしゃいましたが、今やピザ窯用煉瓦(煉化石窯)でも有名な会社ですぜ^^
アポイントすれば見学もさせていただけそうでしたが、突発的に来ちゃったので外観だけの見学っすw
自社製品の煉瓦ちゃんでしょうか。工場の外壁がそのまま色々な種類の煉瓦ちゃんで埋め尽くされ、広告的な感じっす^^
外周その他もぜんぶぜ~んぶ煉瓦商品と一体となってる建物でしたっす☆
土台部分は結構古そうな煉瓦ちゃんでしたよ♪(思わず刻印探ししたのはナイショw)
ご近所のお宅も洒落た煉瓦ちゃんの建物でした☆
将来、家を建てるなら煉瓦造りかなw
そん時は増田さんにお願いしようかしら^^
---さて、
この後は前橋市内に散在する煉瓦倉庫巡りにでも行こうとルカちゃんを誘ってブラつくことにしましたっす^^
と言ってもほとんど下調べしてこなかったのでスマフォでいくつか最寄の煉瓦倉庫をピックアップしてそこへと向う。
再び利根川を渡り市内へ。
『先輩!先輩!何かあそこに凄くながーい土塁?石垣?石積みの物体があるんですけどアレはなんでしょうか???』
『え?なんだろね^^; 私もちょっと気になったんすよね~。前橋城も目の前の前橋公園だと思うし、お城になんか関係あるんじゃね?
ちょっと今調べるから待ってチョ^^;』
そう言って検索を開始する私。
なんせお城とかにはすこぶる疎いのでw
その結果。なんとなーくだけどアレが何なのか分かったっす^^
『アレはねルカちゃん。岩神の石堤って言うんだってさ^^
利根川の氾濫に常に悩まされる土地柄でもあったから、土塁を築いて防いでいたらしいよ。
今現在の岩神の石堤は明治30年頃に造られたそうっす^^』
時間があれば公園や城址巡りも良かったんじゃないかと思ったけれど、
やはり私達はあくまでも煉瓦ちゃん命w
名残惜しくも先へと進む。
『うはっw 赤字ラーメンって何か凄い屋号っすねマジで^^;』
『ちょっと、勇気が居る屋号だと私も思いますヨン^^;』
なんだかんだでまともにご飯も食べずに歩いてきたので飛び込みたい衝動に駆られたけれど(あとネタ的にもねw)
私達は先へと急ぐ。
そしてやっとこさ最初の煉瓦倉庫へと到着っす^^
上毛倉庫㈱さんの『表町、2号・3号煉瓦倉庫』っす^^
『ここは明治28年(1895年)創建の煉瓦倉庫ちゃんなんすよ~^^』
『私達、前橋刑務所に向う為にJR前橋駅南口に降りちゃったけれど、北口からここまで目と鼻の先だったんですね^^;』
ルカちゃんが仰るとおり・・・
ここは前橋駅の北口からスグ近物件っす^^;
そう考えると私達って随分と遠回りしてここに来たんすねw
ま、そんなのはいいのです!
せっかくここに来たのだから、いつものヤツをやりましょう☆
『まさか先輩・・・カメラを上に向けてるってことは・・・アレですかw』
『餅っすよ(勿論っすよ)^^』
っつーことでいつものやつ開始です!
『レッツ!軒下煉瓦刻印探し』っす^^
で、意気揚々と探しまくったのですが・・・
残念ながらそれらしいものは見つからず^^;
その後に向ったのは、そこから歩いて20分くらいでしょうか?
『旧・大竹家煉瓦蔵』っす^^
『ここは大正12年(1923年)竣工の酒造家さんの煉瓦倉庫っす^^
その後は紆余曲折を経て今現在、前橋市の物件っす^^』
『先輩。その紆余曲折の部分が妙に気になりますハイ^^;』
『こまけーことは気にしちゃいけないっす☆』
っつーことでここもレッツ軒下煉瓦狩りへ!
でも何故か立ち入り禁止^^;
なんでだあーw
しょうがないので遠くから望遠で指を咥えて写真を収めて見送ることになったっす・・・^^;
この後は帰宅時間と天候を加味して、これ以上の煉瓦倉庫巡りも断念することに。
なんだか随分とモヤモヤした気分で前橋駅へと戻ることになったとです^^;
ーーー帰りの道すがら
『前橋市立女子高等学校・発祥の地』と言う石碑を見つけることに。
今現在は別の場所にあるのですが、明治43年設立の名門ですね^^
通称『前女』と呼ばれたこの学校の発祥の地。
そこに煉瓦ちゃん発見☆
『えっと、琴音先輩が今言ったことを考えると、この煉瓦もまた明治期の古い煉瓦である可能性バリバリじゃないでしょうかネン^^』
『だ・よ・ね・☆ ルカちゃんもそう思うっしょ? じゃあここもさっそく探して見るっす♪』
またもやここでもレッツ刻印探しが始まりましたw
でも結局ここにも煉瓦刻印ぽいのは見つけられなかったのです^^;
煉瓦自体は古い部類の煉瓦なのは間違いが無いのですが、
見える部分には残念ながら煉瓦刻印は無かったです。
(そもそも刻印自体が存在するのか・・・ですけどねw)
さってっと。
前橋駅に着いてから近所の居酒屋さんで今日の反省会となりましたっす^^
『おつかれっす~^^』『お疲れ様でした~ハイ^^』
くわあー!煉瓦探しの後のビールは美味いっ!w
そして朝からほとんど食べてないからと、次々に注文開始っす^^
二杯目のドリンクがテーブルに来た頃合、ルカちゃんが聞いてきた。
『それにしても残念でしたね今日は^^; 幻の煉瓦工場の年代すら分かれば全てのパズルが解けるって感じなのに~ハイ^^;』
『うーん・・・私ももうちょっと考えて行動すればよかったかなあ~って思うの。反省っす^^;』
『先輩!なんかちょっと悔しいから私もスマフォで調べてみますね^^』
『でもルカちゃん?マジで煉瓦工場の情報少ないよ?』
『えーっとどれどれ~・・・ああ、ほんとですネン^^;中々煉瓦工場に繋がる情報少ないですねコレ^^;』
そこからはーーー
飲み食いしながらも、反省会というよりも幻の煉瓦工場の情報収集会と化した。
私だけでなくルカちゃんも悔しかったってことっすね^^
このままオメオメ帰れるか!って言うその根性は好きっす☆
---そんな折
『せ、先輩!先輩!これ見てくださいコレ!』とルカちゃんが私にスマフォの画面を見せてきた。
ある資料の一部をスワイプして彼女は指を指し示す。
そこにはーーー
『前橋煉瓦製造所』について書き記してあったんす!
『前橋繁昌記』と言う資料(近代デジタルライブラリーから)
それによるとご丁寧に創建年代・規模・場所まで書いてあったw
『先輩、尋常中学校の南に~って書いてありますがこれってーー』
『尋常中学校ってのはズバリ!群馬県立前橋高等学校のことっすよ!^^
尋常中学校、つまりは群馬中央病院の南側部分あたりに存在していたっぽいねこれ。
くわー!どこらへんだろ見に行ってもう一度確かめたいw』
『さすがに今からじゃ暗いし厳しいですヨン先輩w あ、でもこれでほぼ全てのパズルが解けましたね!
前橋煉瓦製造所の開業は明治22年4月1日。
つまり学校が移築してきたのは明治20年だし、前橋刑務所外壁が出来たのが明治21年ってことで、
少なくとも工場の方が後に出来たので前橋刑務所の外壁煉瓦との繋がりはほぼゼロなんじゃないでしょうかハイ^^』
『ああー!関連なさそうかあ~^^; 繋がりあったほうが面白かったけどしょうがないっすねw
それにしても3000坪ってことは、えーっと・・・約9900平米くらい???300×300くらいの広さかなあ?
結構大きい工場っすねマジで^^』
『煉瓦製造数もかなりじゃないですか先輩? 年間で百万個くらいって記述ありますしハイ^^』
『やっと存在が明確になって嬉しいんすけど、こんな大きな工場だったのに、
なんで痕跡少ないのかね^^;
そりゃ100年以上前だししょうがないのかもだけど、ここで造られた煉瓦ちゃんは一体どこに行き、どこに消えたのか?』
『いい機会になったんじゃないでしょうかハイ^^ 次に前橋市を訪れる切っ掛けが出来たってことで☆』
『よーし!次回は前橋煉瓦製造所の煉瓦が使われた建物を探す旅にしようっす^^』
『次は部長と一緒に再訪したいですねハイ^^』
『だね☆』
ルカちゃんの検索によりすっかりモヤモヤの取れた私達。
結構長居をしてたことに気づき、居酒屋を後にして帰る事にした。
駅に着くと雷鳴轟く超絶土砂降りw
遅れが生じていたけれど何とか電車は動き出してくれました。
いやあ~でも最後の最後に少しだけでも情報を得られて良かったっす。
その安堵感と疲れからウトウトし始めたのだがーーー
『ねえ先輩。ひとつだけいいでしょうか?』
『うん?どったのよルカちゃん^^』
『先輩の着てる服、一緒に歩いていて超絶ハズカシイんですけどw』
『分かりやすくていいじゃなーいw』
そんなこんなで次の道も開けた、ある梅雨時の前橋煉瓦物語でした。チャンチャン☆
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
物語上、居酒屋で情報をゲットしたことになってますが、自宅に帰ってからえらい調べまくったってのが本当のところです^^;
まあでも助かりましたよ。素敵な情報ありがとう!前橋繁昌記☆
さて、今回の前橋と煉瓦のお話いかがだったでしょうか?
実は今回の件は前橋と煉瓦のほんの触りの部分でしかございません^^
前橋といったら繭と煉瓦倉庫ってところを全然紹介できてませんしねw
そのお話はまたいづれいたしましょう^^
さあ~次回は『浅草』です。この街にも煉瓦との関わりが埋もれているのでそれを紐解いてみたいと思いますヨン☆
ではではまた。ごきげんよー^^
北関東は仕事以外で行ったことが殆ど無いので
遊びにというかブラブラしてみたい(^m^)♬
しかし「煉瓦刻印命」の服は・・・・(大汗)
素敵です♬(^_^)
by 獏 (2015-07-12 18:04)
赤字ラーメンは内容が値段に対してものすごいパフォーマンスなんでしょうね。またお刺身も美味しそうです。^^;
by ソニックマイヅル (2015-07-12 18:13)
「煉瓦刻印命」って(笑)。
もちろん自作ですよね^^;
by ワンモア (2015-07-12 18:42)
来月、毎年恒例の18切符一人鉄旅に出かけます。
福井県の舞鶴市に寄る予定ですが、
この町はかなり煉瓦が濃いようですよ(^▽^)/
by johncomeback (2015-07-12 18:56)
新しいユニフォーム^^
例のマスクと一緒に着用したら(笑)絶対に...
次回お会いする時は、ぜひこのいでたちで!
by orange (2015-07-13 00:05)
おはようございます!
いつも、ちょいのりさんには感謝です!
ありがとうございました、最近「赤字デザイン?」
続きでしたので、ちょいと休ませて頂きます。
3Qでした。><!
by Hide (2015-07-13 02:56)
おはようございます。
新しいグッズ・・・色と良い似合いますね。
これから暫くお出掛け暑くて大変です。
by YUTAじい (2015-07-13 06:56)
煉瓦刻印命、ストレートさがいいなぁ^^
赤字ラーメン、それでも一年続いたのですねぇ^^;
by さる1号 (2015-07-13 06:59)
推理小説読んでいるみたいで面白かったです。
煉瓦刻印命って作られたお洋服ですよね。
市販はさすがにしていませんよね(笑)
赤字ラーメン気になります。
by isoshijimi (2015-07-13 07:16)
煉瓦刻印命・・・分かりやすくっていいですね。そしてかなりのインパクトありますね!
by みぃにゃん (2015-07-13 07:24)
詳しい状況がちょっとでもわかって良かったですねぇ(^.^)
「煉瓦刻印命」これを着て歩いてれば、きっと地元のオジサマ・オバサマが貴重な情報を教えてくれるんじゃないかと!(^^)!
by ニッキー (2015-07-13 08:37)
中央病院で僕は産声を上げました(笑)
by 38kicks (2015-07-13 10:12)
煉瓦愛好会のユニフォームに生るんですかね、しかし執着心は相当なもんですね。
根性を見習わなくてはね。
by 馬爺 (2015-07-13 19:41)
煉瓦刻印命のTシャツ、しかも煉瓦色(笑)
考えるといろんなパターンが作れそうですね。
「イギリス積み」とか「フランス積み」とか(爆)
プロキオンステークス的中、おめでとうございます。
三連複とはいえ、万馬券じゃないですか。
これで18日は豪勢な旅が出来そうですね!
by 唐津っ子 (2015-07-13 20:26)
美味そう!!
”煉瓦刻印命”
なんか色が早稲田のサークルっぽいw
煉瓦色なのは解かってるけど。
by DEBDYLAN (2015-07-13 22:53)
イロイロ珍百景な感じの写真がありますが
ビニール袋がたくさんついてる木がすごく
気になりました^^;
by みずき (2015-07-13 23:57)
おはようございます。
今日も暑く・・・気を付けてお出掛け下さい。
by YUTAじい (2015-07-14 06:40)
すっかり煉瓦旅行ブログ、旅先の情報をもう少し下さい。よろしくお願いします。
間も無くテレビが配達されます。
by コンブ (2015-07-14 12:05)
このブログはまとめて読めないからさかのぼって少しずつ読むことにします(^_^;)
by 太陽の玉子 (2015-07-14 12:08)
煉瓦でお家を建てたら是非ご招待してね(∩.∩)
新しいTシャツができたのかな~♪
なんか良いですよ~
by 美美 (2015-07-14 17:29)
今日の前橋は30度以上、こんな日ではなく良かったですね
私は死んだふりをしていました(笑)
by koh925 (2015-07-14 21:26)
『煉瓦刻印命』Tシャツいいねぇ~... すごくいいねぇ~
やっぱり、タモリ倶楽部出ないと!
by 島酔潜人 (2015-07-15 13:53)
おはようございます。
昨夜からどしゃ降りです・・・被害無ければ良いのですが。
by YUTAじい (2015-07-16 06:48)
赤字ラーメン
経営も赤字なのか?(^^;
by Aちゃん (2015-07-16 09:23)
おはようございます。
最近ベテラン組み・・・引いてる様で、引きたくなって来ました。
by YUTAじい (2015-07-17 06:49)
スゴイ!これぞフィールドワーク。ワクワクしますねー。
そして「はなの舞」は、結構いいです^^;。
by sakamono (2015-07-18 20:28)
そうだったんですか!
まったく存じ上げずに住んでおりました。
次回前橋に行かれるときは道案内させて
くださいませ。
http://no14ruggerman.blog.so-net.ne.jp/2014-02-02
↑ 僭越ながら貼り付けさせて頂きました。
by NO14Ruggerman (2015-07-18 21:57)