第911話 会津喜多方リベンジ編☆山都駅油庫・喜多方市の煉瓦構造物『あなたはどの煉瓦蔵が好き?』磐越西線の煉瓦たちほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『皆さんに見てもらいたい煉瓦がたくさんあるんですよぉ~^^』
Kさんからの願っても無いお誘いに、私たちは意気揚々と車に乗り込んだのですう(お姉さまからはお水を何本かいただいた)
先輩に聞けば取り立てて今日の予定は無かったみたい。
琴音っちに至っては『三津谷の登り窯見学が今日のメインイベントでこれ一本だったから他は何にも考えて無かったっすw』だってー^^;
でもこんな機会滅多にないですよね?
そこまで煉瓦に興味ない煉瓦サークル部長の私でもワクワクする出来事でしたですよ^^
さてこの後はたくさんの煉瓦さんを見せてくださったのですがーーー
前半と後半でガラリと変わりますう。
ではでは第911話スタートするですよー(*´д`*)
『まずは喜多方市内の煉瓦蔵達を見てください^^ あ、一応ちょいのりさん(琴音)が前回訪れてないとこを周りますから☆』
キャー!抱いてー!
こらこらこら^^;
すみません・・・Kさん^^;
さてここからは喜多方の未だ見ぬ煉瓦蔵さん達をたくさん見せて頂くことに。
すると琴音っちがーーー
どうせなら『どの煉瓦蔵が一番いいか(欲しいか)決めようぜ!』
って言いやがりましたです。でもまあそれも面白いかもね^^
---車に揺られて数分で
最初のお宅にやってきましたよ^^
うおー!蔵と言うか素敵な・・・煉瓦の長屋門???
長屋門?
お屋敷を囲う長屋に門を付けたものだよ夕実ちゃん。ここは~母屋と繋がってそうだし、ちょっとそれとは違うかもだが^^
ん?よく見ると元々屋根だったようなラインが見えるっす。
出っ張りの玄関でもあったのかな?
とは言えお洒落なとこですね^^
『このお宅はですね、門の向こう側にも煉瓦があるんですよ、ホラ^^』
そう言うKさんの指先をなぞるとーーー
ふおおおおお!素敵な煉瓦の小屋ちゃーん(*´д`*)
しかも軒下の煉瓦が鋸の歯みたいな雁木積みかあー(洒落てる!ってか、お金掛かってるよね絶対w)
私的にここが今日一番の煉瓦蔵っすね(*´д`*)
早いなアンタw
『まあまあまだまだありますからね^^ 次に行きますよ☆』
---と言うことで次の物件へと向かいましたです。
わきゃー!ここも素敵です☆
赤瓦に赤煉瓦!腰回りは釉薬煉瓦のコントラスト。ここもいいなあ~(*´д`*)
でもさっきのがいいもん!
『はいはい・・・^^; では次に行きましょうね』
おお・・・ここはシンプルだけどいいねえ~!
窓枠の煉瓦アーチにプチ要石が入ってるだなんて凝ってるなあ(*´д`*)
しかもさっき先輩が言っていた雁木積みですよ^^
オレ的にはどれも甲乙付け難しってところかな^^
でもやっぱり最初のがいいもん!
差をつけるにはどれもこれもが魅力的で決まらない感じですね^^
どれ一つとっても同じ煉瓦蔵が無いのが特徴です。
なんせ会津の男たちは40代までに蔵を建てられなきゃ一人前じゃないとまで言われていたそうです。
蔵一つとっても、そこに個性とプライドがあるのではないでしょうか?ですう^^
さてさて次に出向いたのは立派な煉瓦煙突がある大きなお屋敷の裏手です。
煙突があるってことは・・・煉瓦工場・・・いや、酒蔵かな?
『半分正解~かな^^ ここは甲斐本家蔵座敷と言いまして味噌醤油・製糸業で財を成した喜多方でも特に有名な観光スポットなんですよ。
元々は酒造業が出発点でした^^
おや?
時間があったら中の見学も出来たのですが・・・』
時計を見やるKさんを見て、皆ふと我に返るのです
え?あれ??もう4時過ぎじゃん!
ほんとだ。こんな時間になってるだなんてまったく気づかなかったよW
それだけ夢中になってたってことなんでしょうね^^ 私だってお腹がすくのを忘れてたくらいでしたし(ランチ食べてないねそう言えばw)
さてと甲斐本家蔵座敷の内観はいつの日かまたお邪魔することにして外から見ることになりました。
そこにはやっぱり煉瓦さんがたくさんあったのですう^^
わきゃ!?棟瓦の下がラーメンの丼のマークっぽいですう^^
千葉県印西市の大森鳥見神社の玉垣の煉瓦ちゃんを思い出しちゃうね~⇒第859話
鬼瓦も立派なもんだ^^
『さて皆さん^^ ここは特に裏手側が煉瓦塀となっているのでそこにも注目ですよ☆』とKさん。
そこには立派な煉瓦塀が座敷蔵をコの字に覆ってたのですう^^
『さて次の場所への時間もあるのでここで一端、喜多方市の煉瓦蔵は終わりですがいかがでした?^^』
やっぱりここが一番かな!
なんでだよ!一番最初に見たやつじゃねーのかよ^^;
やっぱり村一番のお金持ちの煉瓦ちゃんは別格だもの(*´д`*)
現金な奴め・・・^^;^^;
私的には甲乙つけ難しなんだけどお、明るい感じの②番目の煉瓦蔵が素敵でしたよ^^
さてここからは喜多方市中心から離れ郊外へとKさんの車は走り出します。
周りを見やれば田園風景。
ふと道中ポツリと先輩が呟いた。
(この先にあるのは・・・恐らく磐越西線絡みの煉瓦構造物・・・)
ん?何か言ったお兄ちゃん。
あ?あ~なんでもないぞ。どこに連れてってくださるか楽しみだな^^
先輩は琴音っちに何でもないよと返したけれど、どうやら先輩的に気になっていたとこみたい。
---やがてKさんの車は、
なだらかな平坦地と山の境目、つまりは会津盆地のきわへとたどり着いたのですうーーー
『ここです^^ ここに磐越西線の煉瓦があるのですよ』とKさんが車を止めたその先にはーーー
うひょー!煉瓦のカルバートっすね(*´д`*)
キターーー(*´д`*)
あのー・・・早くしないとKさんがどんどん先に行っちゃいますよw
(カルバートの向こう側にはもうKさんが居ます)
三重の巻き煉瓦ちゃんに~
イギリス積みの腰巻☆
隅石もカックイイね!
わきゃー!車一台がやっとですう^^
ん?中の煉瓦はーーー
ところどころ白華してるね。
白華???
煉瓦なんかは気候や年月によって白むことがあるんだよ^^
煉瓦内部のカルシウムやアルカリ成分が水に溶けだして煉瓦表面を結晶化したりするんだ。
それは白華現象って言うんだよ夕実ちゃん^^
特に寒かったり湿気が多いとこんな感じになったりするんだよ。
へえ~、会津地方の真冬の厳しさとかも関係してくるんですかね。
さてこの後はKさんと一緒に煉瓦を直に触って色々と談義しましたです。
KさんKさん!ここの煉瓦も樋口窯業さんのなんですか?
『うーん・・・うちの製品にも似てる部分もあるのですがどうでしょうか^^;
磐越西線に使われた煉瓦たちが全てうちの製品かと言われれば・・・そうではないようですし。
実際、かつて喜多方には4つほど製造所や工場があったそうですしね^^』
勉強になります!^^
う~んそうだよな。実は樋口さんだけでは無いような気もしてたんですボクは。
樋口さんの生産高と磐越西線建築に必要な煉瓦数はイコールでは無いと思ってたので。
例えばーーー年代は違えど会津も含め福島県ってのは大正8年頃にはなんと大小36戸の煉瓦工場があったそうだ(従業員は全体で320人ほど)
福島県って意外と煉瓦工場や製造所が多かったんですね(多かった。また耐火煉瓦も多かったりする)
っつーことは刻印見っければいいんじゃね?
確かに刻印があれば・・・どこの製品だか一発で分かるのですが・・・
基本、この手の鉄道系煉瓦構造物は煉瓦の刻印が見えそうな平面など絶対見せない鉄壁な造りなのを散々学びましたよね^^;
この後、菅原兄妹は煉瓦刻印探しーーー
やっぱみつからねー
時間もあまりないし、やっぱり鉄壁と言うことで刻印は見つからなかったようですう^^;
(※関東東北は特に鉄壁。関西とか九州地方は煉瓦の小口面に刻印を打つことが多々あるので見える部分にあったりするのですが)
さてっと、Kさんに言わせると『この先にも見せたいものがあるんですよ~^^』とのこと。
と言うことで再びKさんのお車に飛び乗って先へと行くことになったですう^^
わきゃー!線路沿いの道をグングン進むですう^^
お!これはもしかして・・・
もしかして???
もしかしたらば・・・廃線区間を今走ってるんですよね^^
『そうです^^ ここは磐越西線の旧線跡を走ってるんです。
もうすぐ見えてきますよ☆
その証拠が^^』
廃線区間?って最初は驚きましたです。しかも現役の磐越西線と並走してるかのような今走ってる何でもない脇道が???って。
でもその答えはすぐに出たのですう^^
先ほどの煉瓦のカルバートからちょっと先で、磐越西線と並行していた脇道が微妙にズレだしたところ、
なんと目の前の山肌にポッカリとお口を開けてる空間が見えてきたのですよ!
うはー!マジっすか!
れ、煉瓦ちゃんのトンネルやんっ!!!(*´д`*)
『では早速、行きましょうか^^』
アハハ・・・凄い藪ですう・・・^^;
Kさんや先輩に熊笹を踏み抜いてもらってなんとかトンネル前まで到着。
するとそこは煉瓦の立派なトンネルだったのですう^^
一応・・・中には入れないようにコンクリで塞いであるのか(ただし、恐ろしいほど壁は低い)
5重巻き建てのアーチが重厚っすね(*´д`*)
煉瓦の風合い的に樋口さんとこのじゃないのでしょうか?
『どうなんでしょうね^^ うちのだったら嬉しいですが。
では中も見ます?』
はいはい!行きたいです☆
と言うことでちょっとだけ(?)中を見ることになったですがーーー
えっと・・・
凄いドロドロですねKさん。向こう側まで^^;
『・・・やめておきましょうね^^;』
はーい^^;^^;
どこからか水が浸入してるのかトンネル内は結構な深さの泥濘。流石に装備もしてないし(サンダルです)諦めることになったとですう^^;
さて次へと向かう際にこのトンネルの脇道を通ったのですが。
ドロドロの原因が分かったのです(ただし写真なし)
あれ?なんか池みたいになってる。
『そうなんです。あのトンネルの続きであろう場所が点々と沼地みたいになっているでしょ?
恐らく崩落や陥没したトンネル内に水が入り込んであんなドロドロになったんだと思います^^』とKさん。
さてこれは帰ってから調べたことなのですがーーー
旧岩越線つまりは磐越西線のこの区間が開通したのは明治43年(1910年)
それが8年後の大正6年(1917年)に地すべりによってトンネルが崩落する事故が発生したのです。
『松野隧道(トンネル)崩壊事故』
喜多方~山都区間はこの事故によって約一年間も不通になったそうです。
当時、東京から新潟へ抜けるルートは信越本線しかなく期待されていた(と言うか大活躍)磐越西線の一年もの不通は経済や流通に非常に深刻なダメージを与えたそう。
最初は松野隧道の復旧に奮起したものの、御覧のとおり地質の悪さに復帰は断念、すぐ脇に迂回ルートを急ピッチで作ることになります。
こちらは現役線の慶徳隧道。
元々は松野隧道の出口と対になっていたトンネルなのですが、
松野隧道廃止と共に旧慶徳隧道の東口200メートルほども破棄。
え?何を言ってるかよく分からないって???
つまり簡単に言うと『付け替え線の為に慶徳隧道の入り口から200メートル部分を新たに新設』したってことです。
復旧は一年後の大正7年(1918年)
工期がとても短いのに立派な煉瓦造りです!昔の人は恐ろしい(賞賛)
ちなみに現役の慶徳隧道の坑口200m付近(?)には、今もなお旧時代の慶徳隧道と繋がる部分が残存してるそうですよ^^
(真っすぐだった慶徳隧道はその旧線とぶつかる辺りでかなりのカーブを描いてます)
説明ありがと夕実っち。
どういたしましてですう^^;
さてこの後はKさんが時計を見ながらも最後の場所へと連れて行ってくれましたですよ^^
やって来たのは磐越西線の駅『山都駅(やまと)』
そこにはこんな素敵な煉瓦さんがいらっしゃいました^^
『磐越西線の煉瓦と言ったらここもご披露しないとと思いましてね^^』とKさん。
実は来たかった場所でしたw
これってもしかして・・・ランプ小屋とかいうやつですか?
お、夕実ちゃんもだいぶ分かって来たね^^
そう、ランプ小屋とか危険品庫とか油庫とか言う保線の油などを保管しておく倉庫だね^^
『ここは山都駅油庫と言います^^』
では早速刻印探しに行きやすよ!
と言うことでやっぱりいつものですうw
今回はKさん共々刻印探しをすることになりましたよ^^
(Kさんは小型のライト持参でやる気満々)
うは!軒下煉瓦ちゃん一杯で良いね(*´д`*)
小さい建物ですけど小窓がお洒落に感じますう^^
中はどうなってるのかな?
今でも倉庫代わりに使われてるっぽいね。
積み方はイギリス積みですう^^
うーん・・・でもそれっぽいのもないなあ・・・^^;
どうやら油庫の外壁3面は刻印らしいものは無いみたいです。
残りは駅のホームからしか見えませんね^^;
あれ?そういえばKさん今何時ですか?
『もうすぐ6時ですね^^ ・・・ってあれ? 皆さん今日の宿泊はどこでしたっけ?』
そう言えばオレらは会津若松のホテル予約してたんだった^^;
『それでしたらこの山都駅でお別れと言うことにいたしましょうか^^ ここから乗れば電車一本ですし』
なんと何だかんだで5時間近くもKさんにお世話になっていたようです。ありがたいことですね^^
と言うことでここでKさんとお別れすることになったのですが、
Kさんと一緒に最後にホーム側の煉瓦の刻印探しをすることにしましたよ^^
するとKさんがーーー
『これ、ちょっと怪しくないですか?ここここ!^^』とライトの光を当てるのです。
どこですどこです?お!
刻印のような刻印じゃないようなw
なんかの窪みかな?
『そうですね~、もしかしたら焼成時に付いた煉瓦を支えた部分の跡とかもしれませんね^^』
と言ってもちょっとした変化が最後に見られて良かったような気がしてます^^
さて電車もやってきました。
ここでKさんからの嬉しいお誘いがもう一個。
『これ私の名刺です。もし明日予定が無ければ引き続き色々とご紹介しますよ^^
行きたいところがありましたら言ってくださいね^^
では☆』
何から何まですみませんKさーん(T_T)
ありがとうございました☆
まさかこんな喜多方旅行になるとは思ってもいませんでしたね^^
んじゃー若松についたらパーッといこうかパーッと(*´д`*)
そう言えばランチも食わずに夢中だったっすw
飯くわせー!
さあ~若松駅に着くなりホテルに駆け込みちゃちゃっと身支度整えて夕ご飯を食べに出かけましたよ^^
かんぱーい(*´д`*)(*´д`*(*´д`*)
かあああああああああああああー!
空きっ腹にキンキンのビアーで胃が燃えるようにあつい!
でもさいこーです!!(*´д`*)
その後は次々に思い思いの物を注文。
中でも美味しかったのが馬レバー刺しでしょうか(*´д`*)
馬はレバ刺しOKなんすね。
いいじゃないか。オレは牛豚のレバ刺しが禁止になっちゃったからどんなに感動してるかお前らには分からんだろw
先輩、レバ刺し大好きでしたもんね^^;
この後は、ランチの分も取り返す勢いで大酔っ払いの皆でしたですw
さてーーー
明日はどんな旅になるのか?
まさかあんなことになるなんて・・・(次回会津喜多方リベンジ編ファイナルです!)
第910話 会津喜多方リベンジ編☆三津谷の登り窯!『町を作った煉瓦たち』花嫁学校ほか [廃村さーくる2(煉瓦工場探索)]
『喜多方の煉瓦ってそもそもどんな感じでしたっけ?ですぅー^^』
・・・なんだよ夕実っち、もう忘れちったのかいw
『オレもお前らほど詳しく知んないんだが^^』
・・・お兄ちゃんあんたもか!^^;
っつーことでおさらいしておきやしょうず。
『喜多方煉瓦とは?』
特徴としては何と言っても『釉薬』
釉を塗り(むしろ漬ける)焼き上げることで煉瓦の表面をより高質化(ガラス化)させ、
風雪害にも負けない撥水性を兼ね備えた煉瓦ちゃんなのだ(*´д`*)
雪も多く降る会津地方ならではの特徴でありやすね^^
その煉瓦ちゃんは会津地域のインフラに大きく貢献したんだよ?
現存3000とも4000棟とも言われる日本屈指の蔵の町でもある喜多方にはその煉瓦が使われた蔵もたくさんあるし、
また近郊の鉱山にも寄与し、磐越西線の煉瓦隧道にも使われたわけ。
つまりは『町を作った煉瓦』なんす。
かつてはその煉瓦を焼く工場や窯場もいくつかあったとですが・・・
関東大震災による煉瓦への悪評風評、コンクリートの台頭、機械式電気式などの大量煉瓦生産時代に飲まれて次々と閉窯していきやした。
そして今日訪れるのがーーー
昭和45年まで踏ん張った『樋口窯業さんの窯場』
つまりは『三津谷の登り窯』っす^^
明治23年創業のその窯場は一端火が途絶えたのですが・・・
そこには小さいけれど僅かな火が残ってました^^
その火を大事に大切に。
そこに集った有志の皆さんの頑張り物語、みんなで見に行きやしょう!
第910話、会津喜多方リベンジ編、スタートっす^^
『ようこそちょいのりさん^^では早速、窯場の方へ☆』
煉瓦館を訪れるとお姉さまが私たちに気づき、隣の登り窯へと案内してくれました。
ちょいのりさんて?
私の『日本全国煉瓦探訪』のホームページのハンドルネームっすよ!(物語上、そういうことにしておいてくださいw)
お前、見学予約したときに本名と一緒にハンドルネームも告げたんだよなw
だって昔、会津喜多方の煉瓦記事を書いた際に、ここの関係者さんらしき方からコメント頂いたから『もしかしたら・・・』ってな感じで告げたんすもん。
そんなこんなで煉瓦窯に到着する私たち。
そこには作業着を着たお兄さんがいらっしゃったのです。
みんなで会釈しながらも近づくとーーー
『どうもちょいのりさん初めまして^^ あなたの記事見てますよ☆』
えええっ(;゚Д゚)(;゚Д゚)!!??
ぐおおおおおおおおお!超絶感動です!ありがとうございます!こんな煉瓦をちょこっと齧った程度の記事見ていただいて寧ろすみませんごめんなさい^^;
ここでご挨拶と共にいくつかお話させていただきました。
ブログを見てますよとか、色んなとこに行ってるんですねとか。
こんな一介の下手の横好き煉瓦好きの記事でも見てくれて頂けたなんて・・・
何より分かりやすいって言っていただけたのが一番嬉しかったかも。
私的には『煉瓦の魅力をただの絵面や字面で堅苦しく説明するよりも、漫画的・会話的に読みやすく。かつ、万人にも伝えられたらいいなあ~』と思いながら綴っていたからこそ余計に嬉しかったんだよ(*´д`*)
ブログ書いてて良かった・・・と思っちゃった(感涙)
さてこのお兄さんは三津谷煉瓦窯再生プロジェクトの現場責任者さんであり事業統括責任者さんのKさんっす^^
『では早速、この三津谷の煉瓦窯を皆さんに見ていただきましょうね^^』
Kさんに案内され、私たちは窯場の見学へとレッツゴーっす☆
わきゃー!煉瓦の窯がたくさんあるですう☆
琴音?ちょっといいか??
何さ?
オレ、超絶感動してるんだけどw
実は私もっすよおお。だって日本で唯一煉瓦を焼ける現役の登り窯なんて初めて見るんだもん( ノД`)生きててよかった・・・
(現役の煉瓦焼成窯として古来の登り窯式は日本どころか世界でも数少ない。ぶっちゃけたぶんここだけ)
『ここは大正時代に10連の登り窯になったんですよ^^』とKさん。
するとここで嬉しい申し出が!
『中に入ってみてくださいよ^^』
い、いいんですか!?
・・・と言うことでお邪魔させていただくことになったっす☆
もう言葉にならねー
中はイギリス積みですう(*´д`*)
お!東濃さんの耐火煉瓦☆
お前こんな時でも目ざといな^^;
焚口(点火口)かな。
こっちは狭間口(火道)だっけ?廃熱を上段の房に推進させる小口。
わきゃ?ここは入り口埋められてるですよ?
窯詰したら一旦出入り口塞ぐって常滑や下野ホフマン輪窯で習ったっしょ?夕実っち^^;
そもそも塞がないと焼けないじゃんかw
そでしたねエヘヘ^^;
---さて私たちはKさんに案内され登り窯をぐるりと一周。
ここが焚口の表側ですう(バーナーがありますね)
登り窯を半周廻ったとこで、私たちは入り口付近の休憩所に戻ることになったのですがーーー
Kさんが『これを見てください^^』と、登り窯の脇に積み上げられた煉瓦を幾つか見せてくれたのでした。
『これが見たかったのでは?^^』とKさん。
こ、これってもしかして!
樋口窯業の煉瓦ちゃんの刻印ですかあ!?
『そうですよ^^ 前回、皆さんは三津谷の登り窯。つまりは樋口窯業の刻印を探しておられたでしょ?
実はちゃんとこうして刻印打たれてるものもあるんですよ^^』
私は刻印とか無いものと思ってましたですう^^;
やっぱりあったのかあ!超絶感動っすマジで。
ここではKさんに『煉瓦窯も当然火入れの繰り返しや経年劣化で傷みますし、修復の際に当時の刻印付き煉瓦も出てくるわけなんですよ^^』と。
(一個欲しい・・・)
何か欲望の声が微かに聞こえてくるような・・・^^;
積み上げられた煉瓦さんの中にはこんなものも。
耐火煉瓦も含めて貴重なお宝の山っすう(*´д`*)
---さて、
休憩所までたどり着いた私たちはお姉さまも含めてここで色々とお話をすることに^^
『色々なところに行かれてますね☆』
『門司港はいかがでしたか?』
『あそこの煉瓦はねえ・・・』
『私たちもたくさん巡りましたよ^^』
『あそこはどう。あれはどうetc』
更に古写真を見せて頂きつつ磐越西線と、ここ樋口窯業と、栃木県は下野煉瓦(シモレン)との関わりなども教えていただきました。
これは驚いた・・・。だって近県とは言え栃木のシモレンと福島県会津喜多方じゃめちゃくちゃ遠いよな?
磐越西線の隧道(トンネル)工事の写真に下野煉瓦の法被を着た人たちがたくさん映ってるですう^^
シモレンも樋口さんも創業はほぼ同じ(樋口窯業・明治23年。下野煉化製造会社は明治21年)
何らかの技術供与があったんじゃないっすかね(*´д`*)
(※その写真は今回あえて撮影してません)
そしてKさんの奥様?(お姉さん)もめっちゃ煉瓦に詳しいのだ。
お話聞いてても伺っても、その博学さに恐縮しっぱなしw
と言うかついて行けるのだろうか私たちって感じでしたぞい^^;
(そりゃそうだ。この古来の登り窯を再生しようとKさん共々日本全国駆け巡って学び、尽力したプロジェクトチームの一員さんなんだからね☆)
『いやあ~煉瓦の話が分かる人とお喋り出来てボクは嬉しいよ^^』とわたし達に振り返るKさん。
と、とんでもない!とってもとっても恐縮です^^;
---でもチョコっとそう言っていただけて滅茶苦茶嬉しかったのはここだけのお話と言うことでw
(ここだけのお話、喜多方観光のパンフにも載ってるし有名物件だし~、なんとなーく見学される観光客の方も、まあ居ますしねw)
ふとここで夕実っちが背にしていた登り窯のある部分を指さして話題をふったのだ。
わきゃ!? あそこに手書きの刻印が飾ってあるです^^
ほんとだ。2009年・2010年・2016年って意味かな?
Kさんアレは何???
『あれですか?アレはーーー火入れした時に記念した煉瓦ですよ^^
それぞれ随分と違うと思いませんか?』
わきゃー、確かに違うです。
『喜多方煉瓦の特徴としては施釉、そしてその焼き上がりの独特の風合いなんですが、窯を復活させてからは試行錯誤の連続でした^^
ではこれを見てください』
そうおっしゃりKさんは幾つかの煉瓦を見せてくれる。
色々な表面をしていますね。
『はい。これは窯変煉瓦(煉瓦の窯変)っていいまして、釉薬に含まれる成分が様々に反応して色々な風合いを醸し出すのです^^
(銀化や灰かぶりなど)
気泡が出来たり、火入れによる煉瓦の縮み・割れにも苦労させられました^^;』
煉瓦の世界でありながら陶磁器の世界だなあ~^^
さてこの後はーーー、煉瓦館を見学させていただくことになったっすが、その前に☆
うおお!すごーい!
煙突を屋内から見れて感動っす(*´д`*)
『いま私たちの立っている煙突前の地面の中には煙道が幾つも通って煙突と繋がってるんですよ^^』とkさん。
ここで焼かれた復活煉瓦さんはどういったところに使われてるのですか?
『そうですね^^ 主に喜多方市の施設に使っていただいてますよ。もしくは既存煉瓦建築物の修復用など。
需要があればもっと生産したいですよw
なんせ登り窯は、火入れでも確かに傷みますが、火を入れないと(使われないと)もっと傷んじゃうんです^^』
家と同じなんですね。人がいなくなった家は朽ちるのも早い・・・(廃墟マニア談)
『煉瓦のご入用がありましたら是非どうぞ^^』とkさん。
あははは
宝くじ当たったらぜひお願いします(*´д`*)
さてやって来たのはコチラも前回入館叶わなかった喜多方市煉瓦館の内部ですう^^
中には色々な展示物があったのですが、琴音っちは真っ先に『ある写真』に飛びついたのです。
うおおおおおおおおおおおおおおおおお!
こ、これは・・・煉瓦の学校!?
これは驚いた・・・今は現存しないのかな?
もし現存してたら絶対重文(重要文化財)指定でしょ!
『私もそう思いますよ^^ この学校が残っていたならば、きっと重要文化財だったでしょうし、多くの観光客も来てくれたのでは?と思ってます^^』
(※現・岩月尋常小学校跡。2代目かな?施設として利用されています。
その上に掲載した初代岩月尋常小学校煉瓦校舎の写真は、実際には白黒写真ですが、今回謎の技術を使ってカラー化させていただきましたのでご了承を^^)
さて煉瓦館へとやってきたので簡単にですが三津谷の登り窯、つまりは樋口窯業さんのあらましをKさんから(※ここはボクが付け加えた部分です。
『元々は樋口窯業も瓦を焼いていましたが、岩越線・磐越東線西線での煉瓦需要が高まり煉瓦も焼くことになったのが煉瓦との関わりの始まりです^^
これを祖である樋口と田中は喜多方の建築物にも使えるのでは?と試みたのが明治35年創立の初代岩月小学校。
先ほどの煉瓦の校舎なんです^^
見てください立派でしょ?
そのあまりの綺麗な佇まいに町の人たちはこう言ったそうです。『花嫁学校』と^^
残ってたら・・・現存していたら・・・
さてこの学校の成果もあって喜多方には土蔵蔵だけではなく数多くの煉瓦の蔵も広まったそうなのです^^』
煉瓦が街に広まったのも学校のおかげもあるんですね。すごーい^^
さてさてここで更にサプライズなことが。
ディンプル付きの木版を見させていただいた後に(要するに判子みたいな型。成型時にこれで模様を煉瓦に着ける)
Kさんは一つの煉瓦をとって私たちに見せてくれたのです。
『ちょいのりさん(琴音さん)これって何だか分かります?^^』と。
え!? うーん・・・この白っぽい煉瓦がどう・・・
ん!?琴音、これってもしかして・・・
『実はこれ、樋口窯業の耐火煉瓦なんですよ^^』
マジっすか!私はてっきり樋口さんって施釉煉瓦や赤煉瓦だけだと思ってましたっす!
『私も最初に見たときは驚きましたよ^^ 耐火煉瓦も作っていたなんてね。
ですがいつ頃造られたのか、どのくらい生産されたのかは分からないのが現状です^^;』
(※これは・・・煉瓦好きにしか伝わらない話なんだけれど、煉瓦を知ってる人からするとかなりのサプライズなんですぜ)
さあ~ドキドキの洗礼を受けた後は館内を周ることになりました。
わきゃ?郵便局のマークがついた鬼瓦さんですう^^
こっちは何か色付けしてあるのかな?
『昔は煉瓦と瓦を同時に焼いていたんですよ^^ 今も近隣の学校の作品なんかを一緒に焼いたりもしますが☆』
へえ~☆
館内を一通り見て回ったと、Kさんが『まだまだ見ていただきたいところがあるんですよ^^』と、一端外へと出ることになりました。
登り窯の裏手に広がる畑を指さして『ここは煉瓦用の土をとるとこなんです^^(土取場) もっとも今は新潟の瓦屋さんから土を頂いているのですけどね^^』
てっきり農作物の田畑だと思ってましたですう^^;
周りは水田ばかりだしね^^;
次に向かったのはーーー
登り窯の裏手にある錆びついた機械たち。
これはやはり、れんがの成型の為の機械たちってことなんでしょうか?
『そうです^^ ここにあるのはかつて使用していた機械たちなんですよ。本当は屋根のある母屋でしたが』
さてさてさて『まだまだありますよ!^^』と、Kさん。
一同その後を追っていくとーーー
えっと・・・ここはもう樋口窯業さんの自宅の敷地内じゃ・・・
前回来たときはピンポン押してお話伺おうかと思ってたけどやめちゃったんでしたよね。
登り窯施設とは違ってここからは完全にプライベートだしな^^
するとひょいっと樋口さん宅からお母さんが登場。
『ちょっと見せて頂きますよ^^』とKさんがお声がけして、私たちは何と樋口家の中を堂々と歩くことになっちゃったw
そしてそこに見えたものはーーー
うおおおおおおおお! 超絶立派な煉瓦蔵だああ(*´д`*)(*´д`*)
『ネットでは皆さん色々なとこから何とか頑張って写真撮られているようですがw 是非とも間近に見ていってください^^』
来てよかったぁ・・・
妹様についてきて良かった(万感)
でも樋口さん家が煉瓦蔵でよかった!
確かに喜多方市の大元の煉瓦工場さんが土蔵蔵だったらビックリですね^^;
刻印は・・・無いのかな?
お前はホントにどこでも探すんだな^^;
裏手側は風化が進んだ部位も。
亀裂などもありました。
Kさん曰く『東日本大震災とそれに続く群発地震の影響』とのこと。
そして窯場も被害を受けたこと。
そこに集った町の有志たちの手で修復作業が行われたことも。
だからこそ今があるんですね。
三津谷の登り窯で焼いた復活煉瓦ちゃん以外の煉瓦ちゃんでの修復じゃしっくりこないっす。
だから煉瓦蔵もきっと復活を待ってたんじゃないかなあ。
やっぱり地元産の煉瓦だよな^^
町を作った煉瓦の伝統技術の復活・継承、陰ながら応援したいよな^^
さてさてさて・・・×5
最後に寄ったのは煉瓦蔵の裏手、登り窯の裏手に挟まれた小さな敷地。
そこには昔の煉瓦が草木の中に野積みされていたのです。
『私もですね、この中から煉瓦の刻印が見つかるのでは?と思い、よく拾い上げてたりするんですよ(*´д`*)』
とニッコリするKさん。
うは!私もそれやりてー(*´д`*)
煉瓦職人さんでもやっぱりそういうとこは変わらないんですねw
さあこれで煉瓦館も三津谷の登り窯(プラスα)の見学も無事に終えることに。
するとKさんは、
『この後予定ありますか?無ければ私の車で市内の煉瓦を幾つかご紹介したいのですがーーー』
ほ、ほんとですか!?
ーーーと言うことで、
なんと次回は!
Kさんと行く喜多方市内、煉瓦探訪の物語っす(*´д`*)
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
また喜多方煉瓦會のKさん奥様樋口家のお母さま、ご協力ありがとうございます☆
少し日が空いたせいか聞き取った説明もうる覚えの部分が多々あります。
いえ・・・かなりあります^^;
またKさんのセリフではない部位もあります。脚色もところどころ。
物語の流れとしてご理解いただけたらばと思います。
間違いも当然あるかと思いますのでご指摘があれば修正等したい次第です。
もし少しでも喜多方煉瓦の歴史や魅力が伝えられたのなら幸いですね^^
第909話 会津喜多方リベンジ編!その1『電車内の充電には三股コンセントとかお薦め☆』東武スカイ新型特急リバティーほか [廃村さーくる2(煉瓦工場探索)]
『せーんろは続く~よお~ど~こまでも~!た~のしい旅のぉ~歌ぁ~歌おうよ~♪ っすマジで(*´д`*)』
『んじゃ~それに乗っかるぜ妹よ!ランラランララ~ンラ、ランラランララ~ンラーーー(*´д`*)』
わきゃ・・・
随分と菅原兄妹は上機嫌。
・・・それをポカンと聞いてる私は他の乗客に迷惑かけてないだろうかとアワアワしちゃう^^;
さて何でこんなにも菅原先輩と琴音っちがワクワクしちゃってるのかと言うとーーー
『新車(車両)の匂い』と『煉瓦のリベンジ』と言うキーワードでしょうか?
第909話、会津喜多方リベンジ編。はじまりはじまりですう~^^;
ぐわああああぁ!超絶かっけー!
東武スカイツリーラインの新型特急リバティのフロントマジかっけーっす(*´д`*)
かっこいいですけど・・・二人とも白線の内側に身を引いてくださいですう・・・^^;
乗車する前に轢かれちゃうですよ?ほんとにもー
さて、菅原兄妹が何でまたこんなにもウキウキしてるかと言うと?
この程、自分たちの通学にしょっちゅう利用する東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)に、
新型の特急『リバティ』がお披露目をしたのが始まり。
しかもそれはーーー
なんと、浅草から福島県会津地方までの約200キロの直通運転!
私鉄としてはかなりのロングラン。
途中駅には日光やら鬼怒川やらの観光地も^^
新車に乗れて会津地方まで行くのならーーー
せっかくだし会津の煉瓦を見に行こうぜ!
ってな具合に、新車の試乗ぷらす煉瓦探訪が彼彼女らのハートをグイグイ突き動かしたって感じなのですよ^^;
しかも以前会津地方を訪れた際に休館日で見ることが叶わなかった煉瓦関連施設にもアポイントメントが出来たとのことなんですう^^
煉瓦好きの二人が浮かれてしまうのは分かるけどお控えなすって!^^;
クレヨンしんちゃんで有名な(?)春日部駅でリバティの雄姿をお出迎えした私たちは早速、突撃開始ですう~^^
おー!この4つのロゴマークだけでも新しさが違うね?
どゆこと?
うちらが今まで利用していた『特急スペーシア』とか『りょうもう』『きぬ』とか超絶古臭かったじゃん?
お兄ちゃんあんまり大きな声で言わないでw
ああ~御免ごめんw
でもなんつっても『きぬ』とか『けごん』ってのは歴史はあるけど地味・・・だったしな(ロマンスカーのはしり。昭和4年から車両を更新しつつもでも古臭い)
でもでもでもー、スペーシアとかカッコいいじゃないですかあ。
特急スペーシアですら1990年からだし、他の私鉄の特急車両に比べると・・・結構なオジサンなんすよ(2011年から新車両・カラーバリエーション違うの出てますが・・・)
ま、とりあえず動き出すまで時間あるし中をたっぷり見ていこうっす(*´д`*)
わきゃ?AED(自動体外式除細動器)が堂々と目につくとこにありますです。
他の特急にはあまり無かったよね^^(駅やホーム、新幹線とかにはあるけど)
ん~でも車椅子ロゴついてるけどちょっとデッキの幅が狭いのが気になるっす。
お前、手厳しいな^^;
まあ~早速席に行ってみようぜ☆
そう急かされて自動ドアの前に立つ私たち。
ウイ~ンーーー
開かれたその向こう側はーーー
ぬほ!
うっは!
わきゃー!なんだろ?なんだろ?この匂い。
あ、新車の匂いがプンプンですう~(*´д`*)
リバティが就航してからまだ一週間も経ってないから味わえる、この新型車の匂い!
たまりませんなあ~(*´д`*)
確かにスペーシアとかりょうもうでは味わえないけど、そこまで良いかなあ~^^;
座席間もゆったりしてていいね!
スペーシアもりょうもうも2014年頃から座席のリニューアル始めたけど、窮屈過ぎない座席幅は良いな^^
(天井)
(前座席後部の車内案内)
わたし、このフックみたいなとこに服を掛けたことないですう。
ボクも無いなあ~そういや。
確かにね。コートとかに付いてる襟吊り(襟のタグ)とか、ここに掛けたら服の重さで傷んじゃいそうっすもんね^^(ぶっちゃけ、切れて落っこちそう)
(あの服の襟そでに付いてるタグの輪っかってそんな名前だったのか・・・^^;)
ブラインドとか電車旅する時には使ったことねーっすw
まあ~そりゃ車窓から風景見てこそ旅客旅だしな^^
さて出発時間となり各席に着いた私たち。
何だかいきなりゴソゴソし始める琴音っちが隣にいたです。
やっぱこれっすよ!
全座席コンセント付き&Wifi完備につきるよな☆ これでこそ今の時代に無くちゃならない新型車両だぜ!^^
今のご時世、PCやタブレット、スマフォの充電は長距離移動には欠かせませんよね^^
このリバティは全座席コンセント完備。とってもありがたいですう(*´д`*)
あーん・・・でも、予備バッテリーも充電したかったけど、コンセント口(プラグ口)が一個しか無えー!
だから夕実っちコンセント貸してw
嫌ですよー!私だってスマフォの充電したいんだから!
なんだよお前ら。二股コンセントとか三股コンセント常備してないのか?
コレがあればコンセント口が一つでもPCだってなんだって複数充電出来るのに^^;
そっかー^^;^^;そうだよねw
当たり前だけれども、ちょっとした電車内の充電テクニックを先輩に教わった私たち。
ふと私の隣の琴音っちを覗き込むとーーー
いつのまにやらポケモンGOから鞍替えした位置ゲー『レキシトコネクト』と言うアプリゲームを起動させてましたですぅ^^;
色々なとこへ行けば行くほどポイント稼げるゲームだっけか?
そうっす! だから今回は移動距離200キロの旅だしい~
ゲームのレベルとか滅茶苦茶稼げるんだぜ(*´д`*)
どうやら今回の旅路、彼女にとっては煉瓦や新型特急どころかゲームのレベル上げさえ出来ちゃう『一石三鳥の旅路』のようですねえ^^;
---さて、
リバティはゆっくりと動き出しましたです。
揺れもあまり感じなく快適☆
これから3時間の旅路、満喫しましょうね^^
サイドテーブルも付いてるが、やっぱり飯を食うにはフロントテーブルやね^^
まずは乾杯といきやしょう(*´д`*)
ーーーってアレ? 琴音っち何買ってきたの???
実は朝寝坊しちゃってさー、地元のコンビニでおつまみ物色する予定だったんだけどお、
さっき春日部駅の周りの松屋さんで急いでテイクアウトしてきたっす。
そなんだ^^;
と言うことは牛丼とか???
酒飲みに飯粒は要らないっすよ☆
っつーことでーーー
焼肉とお新香をゲットしてきたよ(*´д`*)
朝っぱらから肉かよ^^;^^;
気にしない気にしない!はい乾杯ぁ~い☆
か、乾杯^^;^^;
そんなこんなでお肉とお新香をつまみつつも車内酒宴モード突入ですう~
順調に行けば11時頃には今日の目的地『喜多方』へと着く予定。
ですがリバティの終点『会津田島駅』にて皆、駅員さんに『着きましたよ^^』と起こされる始末w
ここから急いで田島駅から会津若松駅まで出ている『リレー号』に乗り換えですう^^;
(※リレー号ってのは乗り継ぎの為の列車)
やってきました!会津若松お久しぶりー(*´д`*)
なあ琴音。
何さ?
ここから喜多方駅方面の電車・・・かなり待たされるぞ?
え???
先輩の時計を覗き込めばまだまだ11時。このままじゃ約2時間待ちのロスタイムですね^^;
なんでそーいうの事前に調べてこなかったんだよバカ兄貴い!
お前がスケジュール管理してたんだろ?おバカ妹様よ^^;
そもそもオレは琴音や夕実ちゃんとは違って会津地方は初だしな。
まさかの足止め。
『だったら歩こうっす^^』『いいね~^^』と言いかねない菅原兄妹に私はサッサとくぎを刺すことにしたのです。
バスとかあるんじゃないでしょうか?
ああ~なる!バスあるかもね^^
と言うことで、
無事に駅前のバスターミナルから喜多方駅方面へのバスをゲットできたとです(よかったー^^;)
じゃないと前回の会津シリーズみたく『電車を待つなら一駅歩いちゃおう作戦』の大失敗をやる羽目になりそうですしねw
(前回は・・・結局、二回も電車に間に合わずに磐梯熱海駅から猪苗代湖まで延々山道10何キロ歩かされましたからね^^;)
お久あー!喜多方駅(*´д`*)
おおー!ここがラーメンや会津地方の煉瓦に出逢える喜多方市かあ(*´д`*)
でもどうします? 今日アポイントメントを頂けた喜多方煉瓦會さん(つまりは三津谷の煉瓦窯)がある喜多方市岩月までのバスは途中までしかないですう。
前回、お前らはここから歩いたんだっけかw
流石に歩いてたらお願いした時間に遅れちゃうっすよ^^;
---っつーことで、
お・ね・が・い♪
そう来ると思ってたよ^^; んじゃ~タクシーで向かうとするか。
でも、身銭を切るわけだからそれなりのご奉仕を要求するぞ?
えっちな奉仕は禁止ですよ?(威圧)
そんな要求しないよおー(チッ・・・)
まあそんかわり、夜飯はお前らのゴチな?
OK!
(夕ご飯代のほうが損なんじゃないのかな?^^;)
・・・とまあ、
そんなこんなでーーー
タクシーさんをゲットですう^^
無事に三津谷の煉瓦窯へと行けそうですね☆
さてタクシーのおじ様に行き先を告げて乗り込んだタクシーはグングンと喜多方市の郊外へと滑らせます。
懐かしい景色に私たちは窓先の景色に指を這わせ、こんなことやあんなのがあったんだよ~と菅原先輩に思い出話をしつつも目的の地へと近づいたのです^^
ーーー乗車すること数十分
ようやく三津谷の煉瓦窯の前に着いた私たち。
先輩がタクシー料金を渡す所で、運転手のおじ様が私たちに話しかけてきたのです。
おじ様『昔ね、実はこの煉瓦窯で一週間だけだが煉瓦を焼くお手伝いしたことあるんですよね^^』と。
マジっすか!
そこからはお代を払った後しばらくおじ様と煉瓦談義。
とは言えお時間も差し迫ってると言うことで泣く泣く見送ることになっちゃったですう。
・・・てかさあ?
タクシーのオジサン、ボクたちが行き先を告げたときにソレ言ってほしかったねw
もっと貴重なお話聞けたかもしんないのにい^^;
まあまあ落ち着いてですう。少しの時間ですが有益情報頂けたじゃないですか^^;
さあ~やってきたぞー!
前回、休館日で外からしか見れなかった資料館の内部へ(*´д`*)
もしかしたらば煉瓦を焼いた登り窯も見せてくれるかも!?
ワクワクですね!
資料館となっている建物のすぐ向こうには三津谷の登り窯の煙突が。
そこに至るまでの小さな坂道の途中には『三津谷の登り窯』の解説案内板も(これは次回じっくり説明しますのでここでは詳細を省きます)
ぐは!超絶感動!
いよいよ来ましたですね!前回見られなかった煉瓦館(三津谷の登り窯併設資料館)
こ、こんにちは~・・・本日見学をお願いしたものなんですが・・・
先輩が先陣を切って中へと踏み込むと、そこにお姉さまが。
そしてーーー
『あらあ、ようこそ☆ちょいのりさん^^』
次回へ続く、なのですう☆
お久しぶりですちょいのりです^^
いよいよくそ忙しい日常の合い間を掻い潜って更新出来た会津喜多方リベンジ編ですw
・・・ほんとに忙しいんだよ?(居酒屋人員まったく足りてねーし、新店舗と行ったり来たり・・・^^;)
家に帰ってきたらぐったりしつつもお酒飲んで寝ちゃってる日々ってな感じですw
さて今回からは五月初旬に出かけた会津喜多方リベンジ編がスタートです^^
前回叶わなかった会津地方の煉瓦のあらましについて触れていく物語となってます。
そもそも会津の煉瓦とは?
喜多方ラーメンだけじゃねーんだぞ?喜多方は!ってのを少しでも伝えられたらいいなあ~と思いつつコツコツ書いていくよ!
恥ずかしながら時間を置きすぎて曖昧な記憶を辿ることもあるのだけれど、頑張って書き上げたいと思ってます。
そこにあるのは『かつて存在した煉瓦窯を復活させた人たちの心意気』
気になる方はぜひとも見てください^^
ではではまた今度お会いいたしましょうず☆
第908話 加賀の都の煉瓦奇譚編☆ファイナル『すごいぜ!手取川さん☆』七ヶ用水給水口・金名線跡・福岡第一発電所ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『ガタンゴトン・・・ガタンゴトン・・・ふわわわァ・・・』
北陸鉄道石川線のワンマン列車が奏でる枕木を打つリズムに誘われ、
早起きした私たち三人は幾度となく大あくびをするのだ。
『なんで電車のガタンゴトンって心地よいんですかね?』と私は琴音先輩になんとなーくふってみた。
私は科学的なと言うか、せめてウィキペディアくらいな答えを待ったのだ。
すると彼女は眼をゴシゴシしつつもこう答えるのだった。
『マジでさ、うつらうつらしちゃうよねこのリズム☆ 正直、私たちと一緒に乗り合わせてる学生さんたちが寝過ごさないか心配っすw』
・・・なんだかとっても答えになってない返事が返ってきた^^;
でも、周りを見やればいつの間にか大勢の通学の学生さんたちに囲まれていた。
旅人には窮屈なくらいw
正直、朝早くならローカルもローカルな路線でがらんがらんだと思っていたからちょっとドギマギ居心地悪いかもですよんw
ーーー彼、彼女らの会話が否応なしに私たちに聞こえてくるんだけれど、
アニメ・ゲーム・昨日のテレビの話、ニュース・先生の話、恋愛話etc
かつて私たちが通学の電車内で友達たちと交わしたたわいもないコミュニケーションと何も変わってないんだなあ~って少しばかりニンマリしちゃうのだった^^
彼女たちの手には携帯やらスマフォやらもあるのだけれど、
話すことはやっぱ変わんない。
アイテムは変われど会話ネタって変わんないんだよね^^
ふと、夕実ぶちょーが車窓を指でなぞりつつ『わきゃー!なんか金沢市とは別世界ですう☆』と外の世界を指さすのだ。
・・・わあ。
昨日までいた金沢市とはほんとに別物。
雪の演出も相まってかその景色に私は思わずホッペを冷たいガラスに寄せて向こうの世界に引き込まれてしまった。
第908話、最後の舞台は金沢市の隣『白山市』
雪と煉瓦と命の水の物語、スタートですよん^^
さてやって来たのは終点『鶴来駅(つるぎえき)』ですよん。
渋い駅舎ですう^^
先輩、この後はどちらへ?
そうっすね。じゃ~この地図を見てくんしゃい。
これは今乗ってきた北陸鉄道石川線ですよね?
実はこの鶴来駅の先に用事があるのだ(*´д`*)
それって結構遠い?
地図で言ったらこんな感じかな?
えっと・・・
勿論バスかタクシーですよね?
バスもあるっちゃあるんすが・・・
今は橋の工事とかで途中で迂回しちゃうんすよ(当時の話)
ええー・・・あるきー・・・^^;
いいじゃない!
しかもこの鶴来駅ってかつては終点じゃなかったんすよ?
もしかして・・・廃線?
そう、ここからは能美線と金名線ってのが続いてたんす^^
(※能美線・のみせん:1925年開業1980年廃止)
(※金名線・きんめいせん:1926年開業1987年廃止)
今回は金名線跡を見ながらも目的の煉瓦ちゃんまで雪中行軍っす(*´д`*)
なんともはや・・・
まさか廃線跡を拝まされるとはですよん^^;
先輩が言うには金名線跡を辿れば自ずと目的地へとたどり着くとのこと。
では行きますかねw
こうやって見ると、この先もレールがありますですね。
じゃあこの先はーーー
あらー、ほんとに廃線だ。
私っち的には、ここを歩きたいんだけど(最短距離だしねw)
モラル的にやめておきやす(*´д`*)
当然ですう^^;
さて、線路を見ながら進んでいく私たち。ふとここで整備された河川にぶち当たりました。
これが有名な手取川ですか?
有名? あ、お酒ねw(夕実ちゃんは日本酒好き)
手取川はもうちょっと先かな(並行して流れてる)
ここは・・・なんだろね?運河とか用水っぽいけど・・・
結局、琴音先輩もよく分からないこの河川。
あとあと分かることになるのでしたーーー
あ、いっけね!雪山って幻想的だなーって見てたら、廃線跡から離れてあるいてたよマジでw
ええっ^^;
私たちは運河のへりを歩き続けていたのですが、どうやら廃線跡はその対岸側みたい^^;
とは言え向こうへと渡る手段も無く、結局歩き続けることになったよん。
わきゃ? 大きな川が段々見えてきましたですよ。もしかしてこの運河さんと合流するのかな?
ちょっと待って!
うごおおおお!何あれ!何あれ!!!
先輩が指さしたその先にはーーー
煉瓦だ!
えっと・・・扁額には『七個用水給水口』って書いてあるですう。
むひょー!こんなのあるなんて知りませんでしたよマジで(*´д`*)
4連アーチの煉瓦の取水口かあ!
3個の大き目な取水口とちょっと小さめの取水口がひとつ(写真右手側)
三重巻きの煉瓦ちゃんに迫り石がカックイイ☆
でもでもですよ?
七個用水って書いてある割に取水口は4つですう。
これはちょっと調べないとね。
ちょっと待っててっす。
---少女スマフォで検索中ーーー
なんとなくわかったよ☆
ココは『しちかようすいきゅうすいぐち』って言うんだって^^
『ななこ』だと思ってたwww
七ヶ用水とも書くそうっす。
明治36年建造。金沢平野への灌漑用水を束ねる大元なんだって^^
ちなみに夕実っち、これを見てみそ。
何々???
わきゃ!? 七つの用水があるですよ(納得)
元々は手取川の支流などを線形改良し造られた疎水なんだってさ。
なんせ手取川ってのは日本屈指の急流河川。
洪水なんかに散々悩まされたんだって(勾配差がかなりあるので短時間で増水。鉄砲水状態)
工事も当時は大変だったろうなあ~。
でもそのおかげで石川県の美味しいお酒や農作物が取れたわけですよね。
この煉瓦さんが銘酒・手取川や天狗舞をつくってくれたですか!
今までで一番好きな煉瓦構造物になっちゃいそうですー(*´д`*)
(日本酒基準かよ・・・)
さてっと、手取川と用水が合流した辺りにやってきましたよん。
前と後ろを振り返る感じ、金名線とも合流したみたいっすね^^(給水口の辺りで用水を跨いで合流します)
ここに枝権兵衛さんがどうのこうのって看板ありますですう。
私財を投入してまで七ヶ用水を作ったのが権兵衛さんなんだってさ。すごいよね。
さてこの後は金名線跡を再び追うことに。
するとーーー
わきゃ!? 何か駅舎みたいなのが見えますですよ???
あれが『加賀一の宮駅舎跡』
石川線の終点っす。
え? ここ金名線じゃないの???
もちろん金名線なんだけど、2009年までは石川線の延長線として加賀一の宮駅までは使われてたんすよ。
最近なんですね。
この先へと続く金名線の終着駅でもあったんす。
かつてはここからほど近い白山神社の総本山にして加賀一宮『白山比咩神社』への参拝客に利用されてたんだって。
1927年竣工。廃線になったあとは壊される予定だったけれど、
周辺住民の方々の反対で今も残ってるっす。
屋根に被されたブルーシートが切ないですね・・・
だよね。それでも町のかつての功労者へのささやかだけれども惜しみない気持ちがそこにはあると私は思うっすよ。
ちゃんと保存整備してくれる時は来るのでしょうか。
・・・分からないかな。残念だけど。
さて、駅舎の裏手側を歩っていた私たちの目の前にこんな煉瓦が目に飛び込んできました。
あの人が放っておくわけないですよね☆
うひょー!煉瓦ちゃんの蔵か何かかな?
行ってみたいー(*´д`*)
わきゃ? ここから廃線跡を跨いで向こう側に行けるみたいですう^^
ならば行くしかないのでアリマス(*´Д`)
了解です(*´д`*)(*´д`*)
まだレールは残ってるんですね^^
こういう蔵、一戸欲しいなあ~(*´д`*)
そんなこんなで、ここから再び歩き出します。
地図の上ではまだ半分も来ていないw
しかもここからが結構大変な道のりでしたーーー
わきゃー、なんか如何にもって感じがしますですよ。
お、夕実っちもだんだん目が肥えてきたんじゃない?
多分あれは鉄道の築堤なんだと思うよ^^
ん?藪でもなく綺麗な道になってきましたね廃線跡。
手取キャニオンロードって言う自転車歩行者専用道路っす。
廃線の再利用っすね^^
やっと歩きやすそうな道で嬉しいですう(;´д`)
ぐは!めっちゃ降ってきた^^;
寒い!寒いのですう^^;
ところがどっこい!・・・ってやつですかね。
ここから殴りつけるような吹雪^^;
足元はグショグショ・・・。
こんな日にサイクリングもお散歩もする人もいないようで(当たり前か)
途中から真っ新な深い雪のキャニオンロードをあるくことになったよんw
とりあえず一端休憩しようっす。ここなら雪も降らないし!
なぜ缶チューハイ^^;
とは言えこの休憩でだいぶ落ち着きました。
この後は、この道程最難関に出くわすことにーーー
ぐは!歩道も何もないスノーシェッドかい^^;
意外とダンプや車が行き交ってて怖いですう・・・^^;
どうします?
この法面との狭い間を歩くのが一番無難かな^^
と言うことで・・・結局この道でもなんでもないとこをひたすらに歩くことに^^;
ーーーそこを恐々抜けると視界が開けてきましたよん。
温泉あるです!
しかも250円ですよ?
行かないよw
ここまで来たならもうすぐそこなんだから!
ほら行った!行った!
ええー・・・
帰りは絶対ダダこねて温泉に行こうと胸に秘め、渋々先輩に押されてあるきだしました^^;
すると下り坂となったところでーーー
わきゃ!なんか如何にもな物件が見えてきたですう(*´д`*)
そう。あそこがゴールだから頑張って!
歩道の雪をワッシワッシと踏み抜いて近づいてくるそれは、
特に煉瓦好きでもない私の心をときめかせました。
雪景色も相まってすごーい!
雪に赤煉瓦って映えるっすね~マジで(*´д`*)
そしてようやくそれを目の当たりにした私たちです^^
わきゃー!なんか苦労したからか(勝手に苦労しただけ)とっても立派な煉瓦の建物に見えるですう☆
私もですよ^^ で、先輩、この建物は???
ここは『福岡第一発電所』って言うっす。
発電所跡じゃなくて現役なの???
1911年(明治44年)竣工の水力発電所なんすよ。しかもバリバリ現役にして国の登録有形文化財さ(*´д`*)
石川県なのに福岡???
それは白山市河内町福岡に建ってるからっすよ^^
ここもまた七ヶ用水同様、手取川と言う母なる河川から恩恵を授かった場所と言えるかもしんないっすね。
手取川さん素敵です☆
私的にはこう言う素敵な明治の煉瓦構造物を造り変えずに有効利用してるってのが大好きだお(*´д`*)
ですよね。もっと現代的に出来るだろうし、簡素化して建物の維持費を抑えることもできると思いますしね。
前にも言ったけど、しっかり作った煉瓦構造物って強いんだよ^^
コンクリより耐用年数長いんだから☆
んじゃーーー
せっかくここまで来たので福岡第一発電所を舐めまわしたいと思いやす!
そう言うことなら頑張ります(*´д`*(*´д`*)
七ヶ用水と共に金沢を石川県を裏で支え続けてきた福岡第一発電所の調査開始ですよん☆
くうーーーっ!あの丸窓は最高やね!
雪の白と赤煉瓦の赤のコントラストもこの時期ならではですう^^
そこに続く山肌を見やれば、超絶太い水圧鉄管に驚かされます!
先輩、これってかなり保存状態よさげじゃないですか?
だよね!こんな綺麗な煉瓦の水力発電所はそうそう無いよ(*´д`*)
イギリス積みってやつですよね?
・・・
って聞いてる?私の話。
ああ御免ごめん! ちょっと刻印も探そうかな~ってねw
そう言いつつ先輩は双眼鏡で道路下になる福岡第一発電所の腰回りの煉瓦に視線を向けていたのですよん。
で、どーなの?
煉瓦の平面もたくさんあるんすけど、なんせ遠すぎてよく分かんないかなw
ここって、もっと近づいて見れたり出来ないんでしょうか???
現役の発電所って、そうそう近づくの難しいんじゃないですか?(敷地内立ち入り禁止が当然のごとく多い)
ふっふっふ。実はここ、ある程度までなら行けるのだ!
っつーことで、真正面から堂々と行くよ!
どうせ行けるのなら行ってみたいかもw
かくして琴音先輩について行く私たち。
どうせフェンス越しとかそういうのだろうと思ってたのですがーーー
はい、ここから行くよ!
真ん前から行けるんだw
入り口には福岡第一発電所の説明版。
そこには今の時期と正反対の福岡第一発電所の雄姿なんかも掲載されてましたよん^^
うはー!マジ威風堂々、超絶立派ぁん(*´д`*)
むしろここまで来てもいいなんて、サービス精神が最高ですう~☆
丸窓の煉瓦ちゃん最高!
換気扇が見えますが・・・
そこは気にしちゃダメw
ここは入り口?
搬入口でしょうか。流石に現在仕様に造り変えてますよん。
並行する道路から見ていると高さを感じないけれど、こうやって見上げるとかなり高いですね(ちょうど建物の真ん中くらいの高さに道路があるので)
流石にグルッと全部は見せてくんないっすねw
まあ・・・生活の要ですし悪戯されたらヤバいでしょー^^;(危険だしね)
とってもサービス精神豊富な福岡第一発電所。
私はこういうの見るの初めてだったのでちょっと感動でしたよん(先輩たちはたくさん見てるでしょうが)
刻印無かったねー・・・無いねー^^;
いつものことじゃないですかー
さて、福岡第一発電所を満喫した私たちは鶴来駅までのバスが出るバス停まで戻ってきました。
・・・ですがーーー
わきゃー・・超絶雪が吹雪いてきましたですう^^;
でもあと30分はバスこないですよん^^;
屋根がある待合所ですけど・・・めっちゃ吹き込んできますです^^;
(むしろまったく雪など防げない!寒いw)
ねえねえ皆、お腹減ってない?
さっきスーパーで食べ物買っておいたからバスを待つまで腹ごしらえしようず^^
こんな環境で!?
はい、みんなの分あるからどうぞ(*´д`*)
わきゃ!? あー、これならちょっと食べやすいかもですね^^
寒風吹きすさぶバスの待合所でごはんなんか!って思ってたのですが、
笹に包まれた鯖に鯛に鮭寿しが、とっても美味しかったのですよん(*´д`*)
これも買ったから食べてみそ(*´д`*)
そう言われて先輩に差し出されたものはーーー
えっと・・・ごめんなさい先輩。
殴っていいですか?
バス停の待合所でお刺身食べるなんて聞いたことないですよっ!
じゃあーいいよ!
だってブリの炙りポン酢なんて中々都内のスーパーじゃ見なくね?マジで。
独り占めしちゃうからそこで指を咥えて見てるが良いのだ!((ノェ`*)っ))
とは言え、ごくり・・・やっぱいただきますよん。
ああー裏切者ですう^^;
どうよ?
モラルとか色々考えたけれど・・・
めっちゃ美味しいです!格別ですw
まさかこんなところでランチするとは想いもよりませんでしたが、やっぱり北陸のお魚は美味しいですね^^
さて、この後はただバスを待つだけなのですがーーー
わきゃ? なんか道の対岸にありますですよ?
どれどれ?カメラの望遠で見ちゃるぞい^^
ちょっと望遠でおおちゃくしちゃいましたが、どうやら立派な史跡があったですよん^^
(※うたうらのたき。説明は省略します)
そんなこんなでバスに乗り込んだ私たちは鶴来駅へと駆け込みます。
そこには次の電車を待つ学生さんたちや観光で訪れた方たちがストーブの周りで大勢賑わってました^^
駅舎のこのアットホーム感、たまりませんね^^
いいよね~。みんなで駅舎のストーブで暖を取って談笑する姿。
せくせくする都内とは別物っすよ^^;
一泊二日の短そうでとっても長く感じた金沢旅行も、このはくたか号に乗ることでいよいよ終焉です。
帰りの車中ではそれぞれのお土産の見せ合いっこ合戦でしたよんw
ゴーゴーカレーは菅原先輩にお土産(*´д`*)
私はおと・・・お父様(駅員3さん)に無難にクッキーとかですよん^^;
ですが琴音先輩ったらば・・・
デパ地下の総菜最高!
ってな具合で、金沢駅の最寄りのデパ地下にわざわざ出向いて新幹線アフターおつまみを物色して既に酔っぱらってましたよんw
なんでも、JRの売店・キオスクやベルマートやニューデイズ、駅舎内のお土産屋さんでおつまみ買うより、その駅周りのデパートやスーパーで総菜買った方が断然良いのだそうです。
まあ~・・・そりゃそうかもですよんw
とは言え先輩たちとの久しぶりの遠征(ルカちゃん的には会津若松シリーズ以来)
なぜ金沢が栄えたか。
煉瓦と言う視点で少しでも知ることが出来てよかったかなあ~なんて思います^^
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
季節は夏を迎えようとしている梅雨の時期。
3月の金沢旅行記をここまで引っ張ってしまったことをお詫び申し上げますw
さていかがだったでしょうか?
煉瓦から見る『金沢』は^^
煉瓦ひとつとっても色々な歴史や土地の記憶が見えてくるものなんだなあ~って、改めて思い知らされた旅でしたよ☆
さて次回は会津地方の物語。
ボクとしては数年前に訪れた物語のリベンジ編と言うか解答編でしょうか?
気になる方は是非どうぞなのだー
ではではまた今度お会いいたしましょうず☆
第907話 加賀の都の煉瓦奇譚編☆旧専売公社煙草工場・玉川図書館別館ほか『偶然たどり着いた思い出の場所』 [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『あんなとこに木があるなんてエッチいですう(*´д`*)』
そうなんです。
琴音先輩に『石垣の中に煉瓦があるから見つけてみそ(*´д`*)フヒヒ』と促され、必死に探した私と夕実ぶちょー。
するとまるでその存在をワザと隠すかのように煉瓦トンネルの前だけに木が覆いかぶさってたんですよん^^;
金沢城址の石垣をこっそり穿った煉瓦のトンネル。
あれって何?
第907話、すたーとですよん^^
てっきり説明書きも何もないレアな煉瓦トンネルと思いきや・・・しっかりとここの由縁が書いてあるじゃないですか琴音先輩w
ふつーに金沢城址に来れば煉瓦があるって誰でも分かる仕様なんですね^^;
まあ~そう言わないでよw
そう。ここは訪れたなら誰でもが気づく金沢城址の煉瓦ちゃんってことっす^^
ここだけ覆い隠すように木が立っているんすが、それは後年に植えられたらしいっす。
なぜ?
わかりやせんw
分かんないのね^^;
こんな戦争遺構の説明書きも近年までは無かったみたいだしね。
説明看板に書いてあるように、
ここは『弾薬庫へと通ずる煉瓦トンネル』だった場所っす。
この戌亥櫓石垣をぶち抜いた煉瓦ちゃんのその先は本丸跡!
だからこの向こう側に行ってみようっす(*´д`*)
と言うことで、ぐるっと回って裏手側。つまりは戌亥櫓があった高台までやってきたよん^^
裏側は石垣じゃないんですねぇ^^
くうー!もっと近くで見たい!
見た感じイギリス積みっぽいですが。
そうだね。でも多分、天井部(欠円アーチ部)は煉瓦トンネルのお約束で長手積みだと思うっすよ^^
さて・・・これじゃ遠すぎて埒が明かないですよん。どうせならここから降りちゃいます?
怒られちゃうですよ^^;
でももしかしたら・・・
この更に先の本丸からあそこにコッソリ降りる場所があるかもしれないし行ってみようっす(*´д`*)
あいあいさー
画して立ち入り禁止の看板も無いような小道でも見つけようと本丸跡へと向かう私たちですがーーー
先に言っていいですか?
どうぞ。
絶対こんな藪を抜けてまであそこに行きたくないですw
だよねw
本丸や戌亥櫓と石垣の間を見渡せる格好の場所まで来ましたが、結局ご覧のように立ち入り禁止☆
この窪んだとこに弾薬庫があったんですかね。
そうだと思うっす。ううう・・・行きたかったにゃー^^;
こんな分厚く積み上げた石垣をいったいどうやって後から煉瓦トンネル仕様にしたんですかね?
掘ったら石垣崩れてきちゃいそうですう。
不思議に思うかもだけど、自然の岩盤だって岩や石の積み重なりだよ?案外掘れちゃうもんなんすよw
さてここでタイムリミットです。
今日予約したホテルへと向かうことになったのですがーーー
コリコリしてていいっすね(*´д`*)
なにしてるの・・・
この出っ張りがたまらんとです(*´д`*)
ただのオジサンじゃん・・・^^;
・・・とまあ、琴音先輩が金沢城の石川門の出っ張りでエロおやじ化してたのはご愛敬・・・なんですかね^^;
ちなみに石川門は重要文化財です。先輩のように摩ったりなでなでしたりともてあそばないでくださいね☆(このおっぱいみたいなのは“乳鋲”と言いますよん)
さて、無事にホテルに到着した後は身支度整えてお食事へと向かいましたよん。
やっぱり金沢に来たなら蟹が食べたいですう(*´д`*)
と言う夕実ぶちょーのリクエストに皆賛同。
ならば近江市場にリターンするっす!
そんなわけで近江市場に戻ってみたらばーーー
店やってねーし!
そもそもお買い物するとこでしょここ^^;今・・夜の8時だよ?市場もやってないでしょ^^;
だよね☆
先輩たちの適当な行動にはいつも呆れることばかりw
スマフォでお店とか検索すればいいのにね┐(´д`)┌ヤレヤレ
でもここから歩いてお店を探すのはもうめんどくさってことになりーーー
近江市場でこの時間でもやってるお店へと突撃することにしたんだよん^^
カンパーイ(*´д`*(*´д`*)*´д`*)
くうー! 五臓六腑どころか爪の先までビールが染み渡るねえ~(*´д`*)
お通しのお魚さんも美味しいですう☆
ホタルイカの沖漬け大好きですよん☆
私も☆
そして皆でメニュー見ながら頼んだのはこちら↓
くっふー!
のどぐろちゃんのお刺身旨い!
脂も味も濃厚ですう!
白子ポン酢もたまんないね!
お酒が進む進む。お姉さん御代わり!(*´д`*)
わたしから見ると料理のラインナップが超絶オッサンなんですが・・・(美味しいけど)
ごめんねルカちゃん。
やっぱり海の近くで育った私たちだから、こういう美味しい海の幸がやっぱりステイタスなの☆
ピザ・から揚げ・お洒落な創作料理より、やっぱこういうの選んじゃうんだよ、えへへ☆
シーフード最高(*´д`*)
やはり生まれとか土地柄とかが食の嗜好にかかわってくるんだと思っちゃいましたよん。
私はオールマイティー。
色々なものを食卓で食べさせてくれたパパやママに感謝かな^^
さ~て、
ここで念願の物が到着だよん☆
ああ~ん蟹最高(*´д`*)
私なんて子供の頃はお正月とかしか食べれませんでしたですよお^^;
お父さんが胡坐書いたところに乗っかってね?
お父さんが剥いてくれた蟹の身を頬張るんだよ☆
幸せ時間だったなあ~(*´д`*)
幸せ談義は終わりですか?
じゃあ~さっそくいただきましょうですよん☆
私の思い出あっけなくスルーなのね^^;
さてさて、目の前にやってきたズワイガニを目にしてここで琴音先輩と夕実ぶちょーの『かにかに戦争勃発』です。
そのまま食べるのがいいんじゃないですか!
いいや!ここは混ぜ混ぜが至高!
普段はとっても仲の良い二人がなぜか揉めてるのです。
その理由はーーー
丸々一杯の蟹を頼んだと言うことで、
身肉だけでなく『カニみそ』が付いてきた訳なんです。
琴音先輩の言い分はーーー
せっかくカニみそあるんだから身をほぐして身肉と混ぜて、ちびちびとつまんでお酒を楽しもー!
夕実ぶちょーの言い分はーーー
みそと身肉は別々に味わうのがいいのですう。
だって、全部カニみそ味になっちゃうじゃん!ムキー(-_-;)
むむむ・・・両者の言い分、どちらも捨てがたしですよん^^
で、結局
今度、お兄ちゃんと夕実っちのデートをセッティングすっからここは譲ってちょんまげ!
やっぱカニみそ混ぜ混ぜだよね(*´д`*)
・・・と、夕実ぶちょーが確約も何もない口約束で見事に騙され(篭絡)
みんなで、せっせせっせと蟹身をほぐして混ぜ混ぜしたんだよん☆
くっはー!超絶、お酒が進みゅー(*´д`*)
カニみそ混ぜ混ぜをチョコっとつまんでか~ら~の~、日本酒最高ですう~(*´д`*)
お酒もだいぶ進んだところで琴音先輩?
明日はどこを見に行くのでしょうか???
ノープランです☆
(;゚Д゚(;゚Д゚)エエエッ!!??
いくつかピックアップはしてあるんだけどさ、明日も天気が悪そうだしこれから考えるとこっす^^
でもまあー期待してちょ(*´д`*)
明日はどうなることやら。
まさかあんなことになるなんて、今の私たちは知る由もないのですーーー
---少女たち爆睡中ーーー
『東横インの朝飯食べたらさっさと行くよ(*´д`*)』と言う琴音先輩に連れられてやってきたのは金沢駅から徒歩15分ほどの玉川公園というとこでした。
わきゃ!?煉瓦さん居ますです^^
先輩ここは?
今は金沢市の図書館『玉川図書館・別館』って名前だけど、
元々は明治44年に造られた旧専売公社C-1号工場跡なんすよ^^
せ、専売公社ってなんですか??^^;
簡単に言えば、国営の塩とか煙草を作ったり売ってたとこですよね?
そうっすね^^ 今はJTって言う会社名になったけど旧大蔵省から分離した外局の特殊法人だったわけ。
昔は煙草も塩も国が管轄してたっつーことっす。
(※塩は更に塩事業センターへと独立)
ここは煙草工場跡の再利用なんだけど、建築には妻木頼黄先生が関わってるそうっすよ^^
妻木・・・さん?
横浜赤レンガ倉庫や半田赤れんがとか門司港レトロの煉瓦さんに関わってる人ですね^^
お、煉瓦サークルの部長っぽくなってきたね。関心関心w
じゃーなんとなく説明したっつーことでいつもの行きますかw
やっぱりやるのね刻印探し^^;
雪がちらついてて軒下煉瓦を見上げるのマジきっつい^^;
この日も朝から雪や霙の悪天候。撮影にはかなり四苦八苦しましたです。
腰回りの煉瓦さんは色が違うですね。
焼過煉瓦ってやつでしょうか?
ねえねえ下ばっかり見てないで一緒に軒下周り探してよ!
でもここに刻印ぽいのあるですよ?
え?
ほら。
ぐわああああああ!まじかw
形てきに例えるなら・・・『漢字の部首のがんだれに〇』でしょうか?
『屋号の山に〇』にも感じるかなあ。とは言えお手柄っす夕実っち(*´д`*)
褒められちった(*´д`*)
あれ?ここに説明書きがありますけど・・・
大正二年創建って書いてありますよ?
ここが私もよくわかんないんだよね。
明治44年とも大正2年とも言われてるんだよ。
私的には明治44年押しかな^^
(※明治44年着工。大正2年竣工でした。昭和47年煙草工場移転後に図書館別館として保存だそうです)
さてと別棟も見に行こうっす^^
わきゃー!超絶お洒落さんな図書館ですね^^
赤煉瓦の特色はそのままに近代的に造られた本館っす^^
こういう設計士さんの心遣い素敵ですよね^^
さてこの後は『金沢の街をプラプラしつつ北鉄石川線の玄関口まで行くっす』と言う琴音先輩について行くことになったですよん^^
雨かと思いきやーーー
晴れたりw
・・・って思ってたらまた雨^^;
そんな折、琴音先輩がある場所で立ち止まったのです。
どうしたですか?
九谷光仙窯???
うん。いや・・・なんでもないよ。先に行こうか。
もうすぐ駅だよ^^
変なの。
やってきたのは北陸鉄道の野町駅。先輩が言うにはここから終点へ。そして更に先へと向かうとのこと。
いったい何がまってるのやら。
次回へと続きますよん☆
お久しぶりです^^ それしか言葉がないかな。
最近は新店舗が出来たりと仕事面の変化や生活面で忙しくてブログを書くよりも横になることが多いのでお許しを。
だって疲れてたらやる気マックスファイヤーで楽しい記事とか中々書けないしね☆
さてまだまだ雪が降ってる金沢シリーズで申し訳ございませんw
何だかんだで戦火を免れた煉瓦建築がいくつも残る金沢市。食事もさることながら新旧選り取り見取りの街並みも人を引き付けてやみませんね^^
刻印も見つけたし大満足(今回のシリーズではこれが最後の発見だけど)
次回は金沢市のお隣に出向くことになる訳ですがーーー
その際に偶然『見たことあるような建物』に遭遇しました。
それがこの九谷光仙窯。明治3年からある九谷焼の製陶の老舗です。
ここを偶然見かけたときは思わず立ち止まってしまいました。
ここはかつて生前の彼女と一緒にマグカップに絵付けをした場所だったのです。
忘れてた自分もヒドイのだけれど思い出の渦が急速にフラッシュバックして思わず泣いてしまった。
彼女と一緒に絵付けしたマグカップは今でも重宝してるし大切な宝物。
・・・お酒飲みすぎだよ?って怒られちゃうかもだけどね^^
さていつ更新できるか分からないけれども次回は金澤煉瓦奇譚編ファイナル。
雪の辛さを味わった、でも、行った甲斐のある場所をご紹介します。
ではではまた今度お会いいたしましょう!
タグ:彼女との思い出の場所