第725話 日本最古の耐火煉瓦工場編☆vol②『韮山反射炉亀甲縛り』韮山反射炉&萌え萌えお土産&パン祖のパン! [廃村さーくる(古煉瓦)]
『正直、伊豆には古煉瓦なんて大して無いもんだと思ってた』
それが違かった。
しかも歴史的なものだった。
そして、この韮山反射炉の後に見に行くところは
『日本の古煉瓦に纏わる最古の物』だったんす。
なんとなく調べていて驚愕し、お兄ちゃんに『こ、こんなとこあったのォッ?』って聞いたら、
『あるらしいな^^ 聞いてはいたけどボクもそこまで興味なかったしなあ~』だって。
・・・知ってたんかw
うーん・・・なんか悔しい^^;
まあでもいいや。今日、そこに行く。出会える☆
超楽しみい~♪
第725話、最古の耐火煉瓦工場と思い出里帰り編ぱーと2、スタートっす^^
うひょー!やってきました韮山反射炉☆ くう~!下腹部の辺りがキュンとするっす^^
ではではもっともっと間近で見て見ますかね!
正面なんてあるのか分からないけれど、とりあえず表っぽい方の袂へと近づく私。そしてお兄ちゃん。
『焚き所風入口?灰穴???』
『どうやら説明書きを見る感じだと、燃料を燃やす空気の穴みたいだな^^ 酸素が無いと高温に出来ないしね。
そこからこぼれる灰も処理する場を兼ねていた、ま、そんな感じなのかな^^』
ふむふむなるほどさっぱりワカラン。
ま、そんなとこよりもっとマクロです。
所謂、使われてる煉瓦ちゃんを私は見たいのよ!w
ほほ~
ははあ~
これが耐火煉瓦ですか!
・・・
・・・ってあれ?
よくよく見ると入り口手前は妙に小奇麗。でも奥のほうは実に味のある煉瓦に見えた。
思わずお兄ちゃんに聞いてみる。
『もしかして補修とかされてる?』
『そうだね^^ 当然のごとく補修されてるし、されまくってるよ^^
だって150年をこえる物件だもの。
起工から本来の役目を終えるまでだいたい50年弱くらいかな?
明治に入った頃には江川邸から陸軍に移管され、ここで補修工事が行われたそうだ。
そして大正11年に史跡に指定。
昭和に入ってからは保存の為に幾度と無く保存修理が行われてるんだ^^
煉瓦の寿命は長命で100年は持つだろうとは言われているけれど、
やっぱり人の手を何度も加えなければ風化には耐えられないんだろうね~^^』
確かコンクリートは5~60年とか言われていた気がするっす。
やっぱ150年ともなると厳しいんだね^^;
『琴音、この反射炉って鉄骨で囲まれてるだろ? あれは地震で崩れない為の耐震補強なんだ。
今となっては鉄骨もひっくるめて味のある建物だけれども、
あの鉄骨ですら風化に耐えられないから何回も差し替えてるんだぜ^^
耐久年数を考えると、鉄やコンクリートよりも立派なもんだよ煉瓦ってさ^^』
---なんだろう、
別に私が褒められたわけではないのだけれど、
私が好きな煉瓦が褒められたようで何か私も嬉しくなってしまった^^
『ま、風化に関してってだけだけどね^^ 強度自体はコンクリや鉄にだいぶ劣るわけだけど^^』
最期に余計なこと言いましたね兄者。
まあいいです。私、大人ですから。
私はそっと、お兄ちゃんのお尻に浣腸をしようと思った指先を引っ込めたのであるーーー
さてこの後は連双二基四炉(二連の塔を二基、溶解炉が4つ)の韮山反射炉をぐるりとまわる私達^^
色々説明があるんだけれど、あんまし深く考えない私はひとつの疑問に辿り着く。
『えっとォ・・・お兄ちゃん? 反射炉ってどーゆー意味よ???』
そうです、そうだよソースですよ。
反射炉って何さ!
なんかこの溶解炉の中に鏡とか入ってんの?
太陽の光でも反射させて、昔、理科の実験でやったルーペで光を集めて黒い紙でも燃やすとかそんな感じ???
『う~ん・・・超簡単に説明すると、石油ストーブとか思い浮かべてご覧^^』
『石油ストーブ?』
『真ん中に燃える部分あるっしょ? んで、その後ろに鏡のような反射板があるじゃん^^
あれのおかげで熱は効率よく前方方向に集中して送られるわけだよ。
この反射炉の場合、その鏡の役割は耐火煉瓦なんだ。
そして主に耐火煉瓦の天井に熱を反射させて集中させ、効率よく鉄を熔解するってのが仕組みかなあ』
なるほど、さっぱ・・・いや、まあ・・なんとなくだけどわかったような^^;
要するに熱を効率よく集めるための構造が反射炉ってことなんすね^^
まあ~でもお兄ちゃんは人に説明すんの好きだし得意だね。
そこんとこだけはちょっと感心する私^^
『でもあれだよな?』
『ん?何?』
お兄ちゃんはこの韮山反射炉をまじまじと見上げてボソリと呟いた。
『この鉄骨に囲まれた反射炉を見てると、なんか亀甲縛りを思い出しちゃうよな。うん、芸術だ^^』
さっき少しでもお兄ちゃんを尊敬したのは全力で帳消しでお願いします
実の兄の口から『亀甲縛り』とか聞いたらマジドン引きですよw
---さて、
ここで私はちょこっとばかり考えたっす。
外面はもう飽きたっすw
どちらかというと、中の煉瓦を見てみたい!
だって間違いなく150年近く昔のスーパー古煉瓦ちゃんなんだから^^
とは言っても内部が見れそうな所は鉄柵で囲まれていて中々見えない^^;
グルリと何週かして、カメラを伸ばせば一番見えそう?な所へと頑張ってみたんだけど・・・
全然見れなかったなあ^^;
お兄ちゃんは、がっくししていた私を見てかポンポンと肩を叩いてフォローの言葉をかけてきた。
『今度は高枝バサミの先にカメラでも括りつけるか、ラジコンヘリにカメラ搭載して来ようかw
空中なら立ち入り禁止もギリOK!なんじゃないかなw』
なんだその子供のような発想は^^;
まあ・・・いつかこういうとこでもグレーゾーンで上手く写真が撮れそうなシステムを考えようかなあ~とは思っちゃったけど。
いっときますけどあくまでもグレーゾーンですけどねw
さあ名残惜しいですが、充分と韮山反射炉を満喫した私達は、出口へと向いました。
『うは!出口からの小道はきっちりお土産屋さんの前に出るようになってるなんて商魂たくましいなw』
お兄ちゃんが言うように、うーん・・・。どう考えてもお土産屋さんの玄関へとまっしぐら。猫まっしぐらなんすけど^^;
本当はこのままスルーしようかな?って思ってたんですが(少なくとも私はね)
どうやら『お土産屋さん兼、反射炉の資料館』らしい。
思わずお兄ちゃんは『蔵出しお宝展だってよ!時間もあるし冷やかして(観覧して)行こうぜ^^』とノリノリになっちゃった。
まあ反対する理由も特に無いし~、一緒に行くことにした。
---ちなみに資料館っぽいのは極々少量w
なんだかんだで暇つぶしにお土産コーナーをぐるぐるまわる私達。
観光客は私達兄妹のみ。
従業員さんのほうが多かった^^;
ま、悪天候ってのもあるだろうしね。
とはいえ・・・
私よりちょっぴり若い女子高生かな?
もしかして中学生女子?
茶っきり娘の格好をして『お茶はいかがでしょうか☆』と、私達に一生懸命にお仕事する女の子2人組みを見ていたらついついーーー
何か買ってあげないとこっちが悪人みたいな罪悪感に悩まされまして^^;
結局お土産を買うことになりましたとさ(お兄ちゃんの支払いです☆)
じゃじゃーん☆ まずはご当地ビールですかね^^
『反射炉ビア』なるものが売ってたんです。
それぞれーーー
『太郎左衛門』(ペールエール・淡色ビール)
『頼朝』(ポーター・黒ビール)
『大吟醸・政子』(静岡大吟醸酵母ビール)の3種があったのですが、
1個1個はやはりそれなりのご当地値段。
1つくらいならあ・・・って考えていた私はどれにしようか迷ってたんす。
---すると、
『やっぱり政子だろ!』というお兄ちゃんの一声で政子になりました^^;
後は、この後のバス旅の道中に飲むチューハイもセットで購入。
ラベルに『無糖』って書いてあるけど普通じゃないの!?
甘いお茶割りの缶チューハイとかヤダよw
あとこれだけじゃなかった。
レジで出迎えてくれたのが、かなりお年を召した感じのおばあちゃんで・・・(ちょっとプルプルしてる・・・)
普段はあんまりお土産なんて買わない私達菅原兄妹もついつい追加でお土産を買ってしまった。
それがこの『歴麺』という
なんか萌え萌えパッケージと美少年系キャラのうどんとソーメンっす^^;
ちなみにお兄ちゃんが『萌え萌えの方』
私が『美少年な方』
なんとなく勢いで買った私達だけどお・・・
いや、普通の人なら気の迷いかネタで買うくらいしかないでしょうね^^;
それか本当にこの手のパッケージが好きか。
最近は萌え萌えしたパッケージのお土産やお菓子等々が結構多いですよね^^;
別にダメとは言ってませんぜ?
でも買いづらい(選択肢から外す)人も世の中には結構いるとも思ってくださいね~^^;
ーーー雨もしとしとそぼ降る中、
私達はお土産屋さんの入り口横の休憩所で暫しまったり。
ふと、そこに今後の雨模様を気にしたのか、お土産屋さんのおばちゃんが店の玄関まで出てきて屋根下から手を伸ばし、
手の平に雨粒を当てて空を見上げていた。
その顔は憂い顔だった。
この天候じゃ観光客も少ないだろうなあ・・・っと、その姿を見て心の中で同情したわたし。
・・・ん?
そのおばちゃんの向こうの看板にちょっとばかり気をとられたっす。
見るとそこには日本で最初のパン『パン祖のパン』が、この店限定で売られているというものだった。
私は思わず憂いだ感じのおばちゃんの気を紛らすかのように声を掛けちゃったっす。
『このパンってどういうパンなんですか^^ エヘへ』
嬉しそうに受け答えしてくれるおばちゃん^^
なんでも日本で最初にパンを焼いた江川太郎左衛門・英龍せんせーのパンを再現したものとの事。
結局買っちゃった☆
しかもおばちゃんに、
『そのパンはすごく固くて・・・食べるには結構大変よ^^;
だからコッチの方がまだ食べやすいわよ?』ってすすめられたもんだからーーー
スティックタイプの『カノンパン』というのも買っちゃったw
せっかくなので、その場でスティックタイプから食べてみることにしたっす^^
・・・
・・・
めっちゃ固いい~^^;
しかも味はめっちゃ素朴。素朴過ぎw
駅まで帰る中、2人してモグモグしたんだけど、
『これは田舎のジジババのお土産には不向きだなw』とお兄ちゃん。
はい。私もそう思いました^^;
試しに『パン祖のパン』の方を興味本位で一枚だけ取り出して、お兄ちゃんと私で試し食いしてみた。
兄貴と間接キッスなんてオエオエなので、
『半分に割ってくれる?』と頼んだんすよ。
そしたら・・・
割れないw
『ぐは!これとてもじゃないけど手で割れねーよw』とお兄ちゃん。
しょーがないのでもう一枚取り出して2人で食べて見ることにした。
・・・
・・・
・・・
歯が折れるわ!このやろーw
生まれて初めてこんな固いものをかじった。
そう思った私。20歳の秋だったっすーーー
(※ 保存用・軍用乾パンのはじまりの品だと思っていただければいいと思います。こりゃ確かに保存効くだろうね。
でも石のような硬さですがw)
伊豆長岡駅まで戻ってきた私達。
ここから『いずっぱこ(伊豆箱根鉄道)』で終点の修善寺駅を目指します。
そこからバスで天城越え。
地元を目指す途中に『今回の最大の目的地』があるわけっす^^
でも丁度修善寺行きの電車が行ってしまったようです・・・
しょうがないので駅の構内で暇つぶしして待つことに。
『こっちの方がまだ田舎のじいちゃんばあちゃんに食ってもらえたよな・・・』
どうか嘆かないでお兄ちゃん。私はアナタを讃えます。
『こっちのほうが姪っ子に喜ばれたよな・・・』
どうか嘆かないでお兄ちゃん。私はアナタを享受します。
『やきとりポテチとか、じゃがりこ手羽先とか自分用に最高じゃん。ビールのつまみに^^;』
どうか嘆かないでお兄ちゃん。
というかむしろ買えよ!買ってくれよw
お兄ちゃんの中でお土産はいくらまでという、なんか遠足のお菓子ルールが存在しているのかわかりませんが、
結局何一つ買ってもらえませんでした(T_T)
(自分で買えばいいんだけどそれは嫌なの♪)
思えば時刻は正午を越えた頃。
そういえば今日ってまともにご飯食べてナイジャン・・・。
腕時計の12の数字を見ただけで、あれ? なんかお腹が空いてきたーー。
『ねえねえお兄ちゃん。蕎麦くいたいっす』という私の提案に、お兄ちゃんもお腹が空いてたらしくて『そうだな^^』と乗っかってくれた☆
2人とも同じく頼んだのは『伊豆の椎茸たっぷり椎茸蕎麦』っす^^
肉厚スライスの椎茸がオイチイ♪
曇天・ヒンヤリな気候ですっかり冷えた体に、イノシン酸の旨味が出た汁が体の中からポカポカと温める!
『『ごちそうさまでした^^』』
2人でハモってごちそうさま☆
さあいよいよ電車の時間。お兄ちゃんから切符を受け取って
いざ終点、修善寺へと向います^^
そこからバスで天城越え。
そして韮山反射炉とは切っても切れない場所。
でも半分忘れられた場所へーーー
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
次回は暗闇の山中での物語でファイナルってとこかなあ。
(もしかしたら分割であと二話かもしれませんが)
第724話 日本最古の耐火煉瓦工場編☆vol①『英龍さんマジぱねーっす☆』江川太郎左衛門(江川英龍)&韮山反射炉跡 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『いくら兄妹だからって・・・それはダメだよ・・・お兄ちゃん』
『いいじゃないか・・・少しくらい。なあ?ほんの少しだけだからさあ』
『ううう・・・少しでもダメなのォ』
わたしこと琴音はお兄ちゃんの部屋で悶々としていた。
悶々と言っても別にえっちな事とかそーいうんじゃない(あしからず)
実は私達の親戚のお姉さんに赤ちゃんが誕生したということで、
お祝いしに久しぶりに実家に里帰りをすることになったんす。
んで、
『そんなに急ぐ帰省じゃないしい~、寄り道しながら実家に帰りたいんすけど^^』って、お兄ちゃんに提案したのだ。
お兄ちゃんは『ああ、それもいいな^^』と快諾。
・・・快諾のようにみえたのだけど、
『伊豆の東海岸ルートで帰って、途中下車して廃墟が見たい^^』と言い出したんすよ!
私は『伊豆の真ん中を通るルートで帰って、途中下車しつつ煉瓦が見たいっす☆』と反抗。
っつーことでしばらく押し問答になったわけっす^^;
中々譲歩しないお互い。
そこで私はお兄様の中学校時代の『とてもハズカシイ出来事』をうわごとのように呟いて、勝利を勝ち得たのだった^^
え?とてもハズカシイ出来事って何かって?
それはお兄ちゃんの名誉のために言えないかもw
しいて言うなら近所のお姉さんにお兄ちゃんがエッチっぽいちょっかいだしてたのを目撃してたんだよってことっすかねえw
(お兄ちゃんが好きな夕実っちが聞いたら泣いちゃうだろうなあ^^; 彼女の為にも絶対言わないっすけどね^^;)
ま、そんなこんなでお兄ちゃんも黙らせました(ほぼ脅迫)
第724話、伊豆里帰りと煉瓦編☆スタートでっす^^
『まさか雨とはねえ・・・^^;』
天気予報で大体予想はついていたけれど、やっぱり雨模様だったっす^^;
まあしょうがない。別に雨だからってこれから出会う煉瓦ちゃんは溶けて無くなるわけでもないしね^^
最寄り駅まで向う道中、お兄ちゃんが話しかけてきた。
『今回はお前の提案に乗るよ^^;
まあでも琴音が言うようにさあ~、地元のアソコも煉瓦なんだよな。
琴音に言われるまであんまり気にしたことなかったよ^^;
しかも日本屈指の古煉瓦なんだよなw』
そう、
実を言うと私も地元のご近所の『あの史跡』が『古煉瓦ちゃん』だったと言うことに今更ながらに気づいたのであるっす。
しかも日本屈指の。
灯台元暗しと言うか、興味を持つことで視線がまるで変わったと言うとこですね^^
---電車を乗り継ぐこと30分ほど
私達はいつもの東京駅の新幹線のホームに到着。
実家に帰るときはいつも新幹線だったりする。
だって~早いじゃんw(お値段は高いけど)
『ぐおおおおおおお!お兄ちゃん!お兄ちゃん!妖怪ウォッチのお土産売ってるよ!お土産で買って帰ろうよ~♪』
私はキオスクで見かけた妖怪ウォッチの妖怪クッキーをお兄ちゃんにおねだりしまくったのだが、
『実家のジジババにこれ買って帰っても意味わかんないだろ・・・^^;』と、あえなく却下っす^^;
まあどちらかというと、お土産と言うより自分用に欲しかっただけですがw
さて、新幹線に乗り込んだ私達は早速、漫画にお酒をテーブルに広げるw
兄妹同士で回し読み。
お兄ちゃんの影響でいつの間にか私も少年サンデーの愛読者になっていた^^
今回、お兄ちゃんを脅迫してリッチに指定席☆
後ろの方で何かガヤガヤと騒がしいなあ~と席から顔を伸ばして伺っていると、
どうやら社会科見学か何かでしょうか?
大人が子供達に新幹線の施設を色々と説明してたっす^^
なんとなく微笑ましいなあ~なんて思いながらも自分の席にゆったり腰を戻す私。
するとーーー
『うはー!おい見てみろよ琴音^^ 座席にライトついてんぞw』とお兄ちゃんがシートの一部分に指を差す。
どうやら読書灯みたいっす。
普段、滅多に新幹線のグリーン車とか指定席に座らないから、ちょっとしたことでおおはしゃぎな私達っすw
『ねえねえお兄ちゃん!これ何かな?何かな?』
私は座席に付いていたボタンをワクワクしながら押してみる。
お兄ちゃんも『なんだろな?このボタン♪』ってワクワク状態。
・・・
・・・
・・・あれ?
しばらく経っても特にどこがどうなるという変化がなかったんですけど!^^;
(このボタンはなんすか? ヒーター?)
まあそんなこんなで静岡県は東部である三島駅へと到着です^^
今回の目的地はここからローカル線に乗り換えて実家を目指すわけですぜ。
乗り換え線までの道中、
なんてことない構内のエスカレーターを指差してお兄ちゃんが私に声を掛けてきた。
『この三島駅のエスカレーターの“ある一部分”は日本初のとこでもあるんだぜ^^』と。
正直、どう見てもただのエスカレーターやん!って思ってたんですが、
そうじゃなかった。
画像は無いっすけど(往来の多いエスカレーターや階段でカメラを構えるのは色々と怪しまれるし)
ここ三島駅の新幹線と東海道線の連絡通路内にあるエスカレーターの一部分は、
日本で初めての『動く歩道』だそうっす^^
エスカレーターの『踊り場的部分』が短い歩く歩道になっていて、
エスカレーターと動く(歩く)歩道の連結式の構造としたならば、日本で初めてなのだそうです^^
さあここからは『伊豆箱根鉄道・駿豆線』
通称『いずっぱこ』に乗り換えっす^^
(三島駅から終点修善寺駅まで伊豆のど真ん中を通る路線です)
私とお兄ちゃんは地元が伊豆の東海岸にある稲取なので、滅多にこの電車に乗ることはないのですが(伊東線や伊豆急だし)
なんか懐かしさを覚える路線っすな^^
『はいお兄ちゃん^^』
『ほっほっほ。いつもすまないのお~^^』
私達はさっそくボックス席に腰をおろし、プシュッとお酒を仰いだ。
お昼手前だったからか天気が悪かったからか、学生も乗客もまばら。
気兼ねなくグビグビいっといたよ!w
『ぐお!なんだあれ?』
車窓を眺めていたお兄ちゃんが突然声をあげた。
『どうしたん?』
『ん?いや~田んぼと民家の間に廃バスみたいなのが埋まってる?のが見えたから思わずなw 今度機会があったら探しにいってみようw』
なるほどね^^; いかにもお兄ちゃんらしいですな。
電車に揺られること数十分。
私達は『伊豆長岡駅』へとやってきた。
ここから本日の最初の目的地へと向います^^
と、その前に・・・
駅の構内の無料パンフを数点ゲット。クリアファイルに挟み込む私。
それを見たお兄ちゃん『ん?律儀にファイルに入れてるのかお前^^』
『最近はね^^ 昔はパンフを手に入れても折りたたんでバッグやポッケに突っ込んでたし、用が無くなったら捨てちゃってたけど、
後々大事な資料になると思い始めてからなるべくファイルに入れることにしたんだよお兄ちゃん^^
移動時間に溜まったパンフを眺めるのも暇つぶしになるしね♪』
『へえ~。それも一理あるなあ^^ でも昔のお前と大違いで笑っちまうねw』
そう言って兄は笑う。殴りたいその笑顔。
さて、伊豆長岡駅から国道136号線へと一旦出て『反射炉はコチラ』の看板で左折っす。
ちゃっかりデザインマンホールもゲット。
地名に『韮山(にらやま)』って描いてあるけれど、これは元々ここいらへんが韮山町だった名残りかな^^
合併で伊豆の国市という市名に変わってはしまいましたが、
特産・史跡のイチゴと反射炉の絵柄が、かつてここが韮山町だったことを思い出させたっす。
しとしとそぼ降る雨の中を約20分くらい歩いた頃ーーー
ようやく目的地に到着です^^
私達が見たかったのは、
そう。この向こうに見える『韮山反射炉跡』っす^^
安政4年・・・安政ってええっと・・・ええっと・・・あ、1857年w
黒船来航とかあった頃に建てられた建物。
反射炉の説明は後に回すとして、ここからでも見えるその大きさに、わたしは震えた。
(※1 実は韮山町と言うのは実家の隣町なのですが、一度もここに訪れたことが無かったのです。
作中の琴音じゃないですが、存在はさんざ知っていたけれどこんな立派なものがあっただなんて!と感激した^^)
早く間近で見てみたい!と、逸る気持ちを抑えつつもお土産どころを抜け
韮山反射炉事務所へと向いました^^
え?お兄ちゃんはどんな反応だったかって?
実はお兄ちゃんも『知ってはいたけど行ったことが無かった灯台下暗し物件』に『うはー・・・うはー・・・すげーなすげーな』と、ひできかんげきしてましたっす☆
大人100円の入館料を払って、いざ推して参ります!
頂いたパンフを持ってさっさと反射炉へ向おうと思ったのですが・・・
『コラコラ琴音。この事務所内にも結構貴重な資料がいっぱいあるんだぞ^^; 反射炉は逃げないからもっとじっくり見て行こうぜ^^』と、お兄ちゃんに後ろ裾をつかまれた^^;
はいはいそうですよね~^^;
事務所内の資料展示スペースはとてもこじんまり。
その片隅には、私達兄妹2人の為に用意されてるんじゃないかってくらいに、二つのパイプ椅子と観賞用モニターがありました。
せっかくだしと、兄者が私に閲覧を強要っす^^;
ああ~ん・・・早く反射炉見たいんだけどw
ものの2~3分で韮山反射炉の成り立ちをお勉強いたしましたっすよ^^
ではではここからちょっと受け売りで『この韮山の反射炉とは何ぞ?』ってのを説明ですねw
この韮山反射炉。
簡単に説明すると昔の溶鉱炉っす^^
鉄を溶かして大砲の砲身とか造ってたんす。
江戸末期は欧米列強の国々が次々と鉄の塊で日本へとやってきたわけですが、
その技術力の圧倒的な差に国が揺るぎます。
『やべえ・・・このままじゃいつか簡単に侵略されちゃうかも・・・』とね^^;
そこで軍事力に力をいれることにしたのですが・・・
どうも刀や鉄砲だけにこだわる昔かたぎの藩ばかり。
そこで西洋文化に理解がある人や藩に江戸幕府は協力を求めたわけっす。
その中に蘭学に通じた36代・江川太郎左衛門さんがいました。
小学校の頃には太郎左衛門さんって習った記憶があるんですが、江川太郎左衛門と言うのは代々受け継ぐ名であって、
本名は江川英龍さんなんすね^^
その英龍さん。これまた凄い人。
今ある東京湾のお台場(砲台場)を手がけたのもこの人であり、
日本ではじめてパン(軍用)を焼いた人物でもありました。
昔の東京湾要塞化の祖は突き詰めると全部この人の尽力だったんすね。知らなかった・・・^^;
まあその軍事に長けた英龍さん。
自分ちの庭に研究兼ねて溶鉱炉を造っちゃいます☆
ううう、この人のファンになりそうっすw
で、実はこの反射炉に使われている『煉瓦』に興味を持ったからここへとやってきたってのが、今回の目的なのです^^
その当時の煉瓦技術は明治以降の日本の洋式建築にも多大な影響を与えるわけなんす。
『古煉瓦好きな私』と『近代煉瓦』の間が英龍さんのおかげで繋がった。そういうことです^^
私にとっては英龍さんは『古煉瓦の祖』と言えるべき人物なんじゃないでしょうか☆
ええっと・・・まだまだ英龍先生の話は尽きませんが長くなるので割愛。
ビデオを見終わったお兄ちゃんが私の肩をトントンと叩いてこっちを見てみろと言って来た。
そこにはーーー
韮山反射炉の耐火煉瓦がディスプレーに展示されていたっす。
『耐火煉瓦!赤い煉瓦好きなわたしだけど、耐火煉瓦もたまらないっす♪』と、私はジュルリと唾を飲み込みつつゴックンした。
『耐火煉瓦は赤煉瓦より派手じゃないし素朴だけれど、オレ的には結構好きかな^^
千何百度にも耐えうるこの煉瓦のおかげで昔は鉄を溶かし、砲身を造り、そして赤煉瓦の焼成もしたわけだし、
これこそ縁の下の力持ち。日本の近代化を支えたものだもんなあ^^』
私とお兄ちゃんはしばらくマジマジとその耐火煉瓦を見つめた。
耐火煉瓦に歴史ありですぜ^^
長岡幼稚園の園児さんが塗った韮山反射炉のPRキャラクター『てつざえもん』なんかも展示してありました^^
さ、いよいよ会いに行こう。会いに行ってみよォ~♪
事務所を出ると直ぐ目の前。
ーーー私達兄妹2人は、韮山反射炉へとやってきた。
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
次回は反射炉見学~お土産~ループ橋の電車・バス旅。
そして最終回はいよいよ日本最古の耐火煉瓦工場跡へと潜入です!
更新・訪問がだいぶ滞ってますが、気長に待てる人は待っててくだしゃいw
ではではごきげんよう^^
第722話埼玉県・草加市の煉瓦事情編☆『昔、大きな煉瓦工場があったのに煉瓦とか全然無いんですけど!』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『前々から気になっていたことがあるっす』
わたしこと琴音は、お兄ちゃんや夕実っちを追いかけるように静岡県・稲取を飛び出して、
埼玉県は草加市に住んでるわけなんすが・・・
古煉瓦好きになってからどうもしっくりこない案件があったんすよ。
ええ。何がってこの『草加市』にね!
第722話、琴音の疑問・発見?物語すたーとです^^
『大阪窯業(ようぎょう)東京(草加)工場』
かつて草加市を流れる日本一汚い河川『綾瀬川』のほとりに佇んでいた
関東屈指の煉瓦の大工場。
・・・あ、一応名誉の為に言っておきますが、当時の綾瀬川は今みたいにバスクリンみたいじゃないっすw
子供達も泳げる清流だったんですよ^^
---まあ~そんな大きな煉瓦工場だったわけですが、
当時の面影まるで無し。
跡地は公園になってはいますが、
わたしが言いたいのはそこじゃない。
深谷市の日本煉瓦、横須賀や横浜の煉瓦たち、
工場が残ってるところもあるけれど、
工場が更地になっていても周りには煉瓦ちゃんの遺構がたくさん残ってたりするわけです。
もしくは復元・再現とかね^^
でも草加市には煉瓦らしい煉瓦遺構が何一つ無いっすw
ふつーあるでしょうよ!
地元の煉瓦工場の煉瓦ちゃんで造った蔵や橋や堤防の痕跡くらい、どっかに残っててもいいと思うんだけど、
いまんとこ見たことない^^;
ちなみに工場が操業を止めることになった時、当時の草加市長さんが工場側に
『市の為に何かモニュメント的なものを残したいのですが・・・』と提案したらしいのですが、結局何も残らなかったというのをどっかで聞いた^^;
うわあ・・・それがほんとなら実にもったいないっす^^;
もしかしたら草加せんべえ以外に地域アピールのネタになったかもしんないのにさw
っつーわけで、
わたしは大学と煉瓦旅以外の空いた時間は、ちょくちょく草加市の煉瓦の痕跡を調べにブラブラお散歩してたりするわけなんです^^
出来れば大阪窯業・草加工場の『煉瓦と刻印』求めてねw
(※ 市内で発見。これが重要^^ それ以外の場所ならば草加工場産の煉瓦は何件か見ているので☆)
そんな中、
わたしは『それっぽいかな?』ってのを半年前に見つけていた。
それは草加駅から歩いて5~6分のとこにあるーーー
『草加市立高砂小学校』の
正門前から伸びる道の両脇の煉瓦ちゃんだ^^
創立十周年記念とかいうプレート付いてるけど、お兄ちゃんの話だと『え?あの煉瓦?もっと前からあるって聞いてるよ^^』とのこと。
よくよく見ると『昭和59年・・・』とも書いてある?
見れば小口と長手が交互に積み重なったフランス積みっぽい仕様っす。
半年前に気づいた時は『これって古煉瓦じゃね?マジで♪』なんて小躍りしましたよそりゃ。
で、色々と学校の沿革とか歴史とか調べてみたのですぜ。
---そしたら、
『昭和27年9月に創立』だったっす。
・・・少なくともそれ以降のものだから、古煉瓦と言うには良くて若い部類ってことっすよね・・・^^;
でもでもでもですよ?
大阪窯業草加工場というのも実は『比較的新しい年代の工場』でもあったりするのですぜ。
創業は大正5年。
明治期に日本全国に煉瓦工場が出来たことを考えるとかなり後発組とも言えるっす。
だからここで頭を切り替えたんです。年代は若かろうがどうでもいい。
むしろ、この煉瓦が地元の大阪窯業草加工場の煉瓦ちゃんだったならいいなあーとね^^
それからちょこちょこここに来ては『刻印とかないかなあ~』とか散歩がてら見てまわったものです^^
小学生に怪しまれないようにねw
とはいえ結局それもよく分からずじまいで、
いつのまにかここに出向くことも無くなっていました。
ーーー記憶の片隅から遠のきかけた、
ある秋の日。
スーパー台風?とか言ってる凄そうな台風が来ていたから雨がまだ強くならないうちに、
わたしは部屋に引きこもる為に食料の買出しに出向いたの。
駅前のいとーよーかどーでも良かったんだけど、少し離れたせーゆーの方に自分の欲しいブツがあったので、
久しぶりに例の煉瓦ちゃん前を通ったのだ^^
ここでわたしは驚く。
あれ?煉瓦壁の裏側が見えてる!?と。
それぐらいでなぜ驚くと思われるでしょうが、いや思ってください!
実はいつも見ていた学校の通学路の煉瓦壁の裏手は、
『草加市役所第二庁舎』が隣接していて、
裏側が見れることは決して無かったんです。
それがまさか更地になってるとは!
しかも裏側も煉瓦あったんだw
(草加市役所第二庁舎・本社ともども50年を超える庁舎で、耐震性に問題があったそうです。
一気に補修や建て直しは出来ないので、まずは第二庁舎から造り替えていく計画とのこと^^)
買い物忘れて思わず見に行ってしまった。
足が濡れようがもうそんなの知らない。
サンダルと足の隙間に土や枯れ葉をくわえ込んで壁の裏側に近づいた。
こちら側は小学生の通る側と違って、一番上の煉瓦には化粧の石やモルタルが何も無いっす!
煉瓦の平面むき出しだ(わたし大歓喜☆)
積み方は表側と同じくフランス積みっぽい。
煉瓦の表面もシワシワがあって、昔の機械成型っぽい煉瓦ちゅわああ~んじゃないですか!^^
これはちょっと期待していいかな?なんて、内心ワクワクしながら、
ひとつひとつ煉瓦を観察していったんですわたし^^
するとーーー
・・・
・・・
・・・え?
わたしは、ある煉瓦のてっぺんに指を這わせて
それをなぞって
なんどもなぞって
そして震えた。
煉瓦の・・・こく・・・いんだよね!?
わたしはもっと良く見たいと、手で水を払って払って確認する。
『に・・・日本・・・だよね?』
周りに誰もいないのに思わず聞いてしまう。むしろ自分に言い聞かせかも。
そして『うっしゃあっ!』と小さくガッツポーズしたっす☆
だってー、だってだってだってだって、
草加市内で生の煉瓦の刻印に出会えるなんて思ってなかったんだもんっ!
今日は、せーゆーでお肉買って焼き肉パーティーしかないよね!って思ったっすw
その後はずっとずーーーっと観察してたっすw
あれ?よくよく見ると『日本』って文字の下にもうっすらと何か文字か記号が彫ってあるような♪
ーーー興奮もいくらか収まった時、もう一度じっくり考察してみた。
煉瓦の刻印には間違い無い気がするっす。
でもこれは『大阪窯業東京(草加)工場』の刻印じゃないなあ^^
『日本』と言えば思いつくのはーーー埼玉県深谷市のブランド煉瓦、日本煉瓦工場株式会社っす^^
しかも日本煉瓦㈱の煉瓦は明治の頃の刻印は『上敷免』とかだったはず。
大正~昭和~近代に造られたやつは確か『日本』だったと思う。
これで年代が合致した。
この『日本』と言う刻印は昭和以降に創立した高砂小学校の歴史と年代にぴったんこ。
ズバリ『日本煉瓦㈱』の煉瓦ちゃんだね^^
でもわたしは地元の工場の製品じゃないんだ~と嘆くことは無かった。
むしろこの偶然の発見に、雨空めがけて喜びを唄った。
後日、何回か訪れてるはずの草加市立歴史民族資料館へ向いました。
実は大阪窯業の煉瓦が常時展示されてるのを見落としていたらしいのでw
(ぐう・・・不覚っす^^;)
大阪窯業東京(草加)工場の展示スペースは、小学校の机程度のスペースでした(もともとこの資料館は学校だったりします)
そこにはーーー
大阪窯業でつくられた耐火煉瓦や赤煉瓦が積み上げられていたんです(わたし大歓喜☆)
ちなみに『〇に三つの線』が大阪窯業の代表的な刻印っす↑
机の下には当時の写真や工場に携わった方達のお話が掲載されてる本があったっす^^
他の草加の展示物もあったのに、わたしはずっとここで本読みしてましたぜ!(他は興味ないのじゃw)
ちなみにあんまり草加と関係ない煉瓦が玄関口に展示されてましたが、もちろん
食い入るように見てました☆
(すごく・・・欲しい・・・w)
探せば意外とあるんだね。
まだまだこの街は捨てがたいぜと思ったわたしでした^^
------琴音の煉瓦日記より抜粋
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
今回は、煉瓦に興味ない人には厳しい記事だったわよねw
いいのだよ。自己満足ですしw
でも雨中での刻印発見にはマジ震えたっす☆
さて次回はーーー煉瓦が出てこない煉瓦旅ってとこでしょうか。
どゆこと???
まあ~それは気になった人は見てくださいってことで^^
ではではまた今度!
第720話 蔵の街へようこそ!宇都宮・旧東北本線跡編☆本当のファイナル!『頑張れ!諦めの悪い女の子☆』森の中の煉瓦の橋台跡 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『まさか藪に突貫するとは思いませんでしたですう・・・^^;』
デング熱が世間を騒がせていたのはテレビを見てなんとなくは知っていた私。
折りしも時は同じくして丁度その頃の冒険だったのですう。
ええ。一杯いい~っぱい!蚊に刺されてきましたですよお^^;
なんでそうなっちゃったのかは、続きで分かると思いますですう。
ではでは本当の宇都宮・旧東北本線編☆ファイナルですうーーー!
(※ めっきり涼しくなって来て、今やデング熱もどこへやらって話ですがw 終わってみれば羅患された方は平年と変わらない人数だったとか)
思わぬ廃墟発見に大喜びの先輩と琴音っち。
てっきりもうこれで冒険も終了して宇都宮駅まで帰るのかと思いきや・・・
『煉瓦成分が足りないっすね・・・』という琴音っちの呟きに先輩が呼応するかのように、
『じゃあ~もうちっと歩いて東北本線旧線の煉瓦を見物してから帰る事にしようか^^』とのたまったのですう^^;
ということで、
東北本線旧線ルートを辿りながら煉瓦ちゃんを見に行くツアーがスタートしちゃったのですう^^;
『あれ?お兄ちゃん?この道であってるかニャ???』
『う~ん・・・多分、見失ったきがする^^;』
おーい!
どうやら私達はいつのまにやら旧線跡を見失って歩いていたみたいですう^^;
先輩曰く『氏家大橋のようなはっきりした痕跡はそこまで残ってない^^;』そうなのですう^^;
なんでも道に埋もれたりして、見た目はっきり分かるようなとこは極少量だとのこと。
『でもまあ・・・アソコならはっきりと残ってるからそこまで頑張ろうね^^』と、私達を鼓舞する先輩だった。
私はそこまで興味が無かったのだけれども(廃墟兼煉瓦さーくる部長としては失格ですがあーw)
煉瓦愛満載な琴音っちは、その言葉だけで『うっし!頑張るッす☆』とノリノリでした^^;
多分、彼女をナンパするなら『ねえ君。一緒に煉瓦見に行かない?』って言えば、ホイホイついて行っちゃうんじゃないかなあ~と思いましたですよハイw
・・・途中、小雨に降られました^^;
向こうを見やるといつの間にか東北新幹線に近づいていたみたいですう。
ま、今回は琴音っちが持って来たPADで地図をナビゲーションしながら進んでいたので、大きく迷うってことはありませんでしたが。
(むしろ今まで何故それをしなかったのか!と疑問に思う私です^^; そしてそれでも道を見失う菅原兄妹にあらためてビックリw)
ふと、バス停のある幹線道に到達ぅ^^
うまくバス時間が合えば、その先輩が言ってる煉瓦さんに会った後にバスに乗ってスムーズに帰ることが出来そうだと思って私はバス停の時刻表を覗き込んだのですう。
・・・
・・・
えっと・・・それは儚い夢みたいですね^^;
わきゃー。地方のバス事情恐るべし!(苦笑
そして氏家大橋たもとの廃墟さんから歩く事、小一時間。
私達は幹線道路から少し逸れて、集落内にある
『八龍神社』と言う神社さんの前にやってきたのですう^^
なんか石蔵とかあって厳かな感じですう^^
ここで先輩が
『実はここいらへんを かつては短い期間だけれども列車が走ってたらしいんだよ^^
情報だとこの斜向かいに煉瓦物件があるそうなので、皆で探してみようね^^』と神社入り口から向こうを指差した。
神社の前はT字路。
今来た道と小高い丘に登る道と再び幹線道路へと歪曲するポイントだったですう^^
少し辺りを見渡す私達。
『ん?なんすかあれ?』と、琴音っちが道端の“何か”に向って走り寄ったのです。
ついつい追いかける私と先輩。
そこにはーーー
『右しらさわ 中うじいえ 左小くらの刻字がある。』という、
なんかRPGゲームのヒントっぽい看板が立っていたですう。
ううー!ほんとにゲームっぽい冒険ですう^^
私は『これがもしかしたら東北本線旧線の煉瓦ちゃんの、ヒ・・・ヒントとかですか?わきゃー!』と先輩に尋ねると、
それは案外そっけないものでした・・・OTL
『ここいらへんは昔ね? 奥州街道という江戸時代の5街道と呼ばれたひとつだったんだ。
今で言えば・・・なんだろ?
主要高速道路かな? 東名とか中央道とかかも^^
その道の途中には今で言ったらサービスエリアかな、
宿場町って言う旅人を受け入れることを主体とした町が栄えたんだよ^^
しらさわってのは白沢宿。中うじいえってのは氏家宿って事だと思う。
だから多分ーー、ここは昔、街道の分岐の場所だったって意味合いなんじゃないかな^^
明治期の東北本線旧線発見のヒントにはあんまりならないかも^^;』だってえ^^;
ーーーとは言っても、
昔ここは『何々だったんだよ?』って聞くのは面白いですね^^
普段ならただなんとなく歩いて終わりだけれど、
聞かされてから見渡すと、ここに歴史あり!ですう^^
江戸時代の人がここいらへんをどういった感じで利用してたのか歩いていたのかその時の皆の格好はとか、
脳内イメージしてそれと見比べる。
空想妄想広がって案外楽しいかな?なんか思っちゃったりですね^^
私が脳内イメージで『江戸時代の人はフフフ』ってな感じでニヤニヤ妄想していたところ、
『アレ?なんかアソコ怪しくね?マジで』と、琴音っちが道外れの藪を指差したのです。
パッと見・・・
道下の藪ですう・・・^^;
でも琴音っちは首にぶら下げてる廃村サークル備品のカメラでパチリと写真を撮ってから、私と先輩に
『ねえねえコレ見てよマジで!』と、
撮影した画像を私達に見せたのです。
それはカメラギリギリの望遠の画像。
そこに見えたのは竹薮の中にうっすら見える煉瓦らしき建造物でしたですう^^
『お、琴音!たぶんそこが正解だ^^ よく発見したなあ。褒めて使わす。ご褒美に宇都宮餃子2皿だな☆』
『ありがたきお言葉です兄上様☆ できれば・・・ビールもオプションでーーー』
『うむ。それはあそこに近づけたのなら考えなくも無いな^^』
『ううう・・・でも兄者。あそこまでは藪藪藪の険しい道っすニャぁ^^;
函谷関(かんこくかん)も、ものならずっすよマジでw』
・・・相変わらずノリノリの菅原兄妹のワケワカメな会話でしたが、
少なくとも今居る道からアソコの煉瓦?に辿り着くには容易じゃないのは分かりましたですう^^;
だって草ボーボー過ぎるんだもんw
ここで先輩が察したのか、
『流石にこの藪を下って近づくのは・・・厳しいよなあ^^; とりあえず別ルートで近づけないか、
周りをグルっとしてみよう^^』と提案したのですう。
っと、言うことで~
私達は“藪の中に佇む煉瓦ちゃん”の周辺を巡って、
いかに無傷でそこへと近づけるルートを探せるか?と、歩き出したのですう^^
ここで私達はびっくりすることになる。
氏家駅を出てだいぶ歩いてきた私達。
薄々は『蔵』が多いなあ~とか周りを見て思ってたのです。
でもここは特に
渡る世間は蔵ばかり
・・・って言わんばかりに、そこかしこに蔵!蔵!蔵!
蔵ばっかりでクラクラ・・・いえなんでもありませんごめんなさいですうー!^^;
でもほんとにほんとに蔵ばっかりでしたですう^^
特に『石蔵』ですね☆
『かつて宇都宮は幾つかの川を基点に船運の流通で栄えたとこなんだよ^^』とか、
『琴音には皮肉になっちゃうけど、関東大震災で近代煉瓦の脆さに気づくことになり、
煉瓦よりも堅固な石材回顧に一時期戻ることになる。
ここ宇都宮と言うか栃木には大谷石(おおやいし)と言う加工も安易な石が産出されるとあって、
煉瓦に変わって震災後の一時期に需要が爆発したそうだ^^』
~なんて話を蔵と蔵の間の道すがらに菅原先輩に聞かされましたですう^^
『ふ~んだ。それもコンクリに取って代わられるけどね^^;』っと、
煉瓦マニアの琴音っちは強がって見せるけれど。
でもそれはアナタの好きな煉瓦も敗北(現代建築の波に飲まれる)したのには変わりないような気がしますよ~^^;
ーーー石蔵のトンネルを潜る間に私は、なんとなくではありますが、
煉瓦や石材、そして宇都宮とその歴史を垣間見れたような、
なんかそんな気がしましたですう^^
(※ ここは一風変わったノスタルジーなとことでも申しましょうか。
機会がありましたら是非とも歩いてもらいたいかも^^
観光地では決して無い。
でも、何の興味も無い人でも『うはー!』って思うかもよ^^)
石蔵の間に、先ほどの煉瓦物件への小道(近道)があるんじゃないかと歩いていた私達だったんですが、
いつのまにかだいぶ離れていたようですw
でも、でもでも、
雨上がりの鏡の様な田園風景にしばし私はうっとり見惚れてましたですう^^
『えっと・・・お兄様? なんだかんだで一周して戻ってきちゃいましたですニャ^^;』
『そ・・・そうだねえ・・・^^;』
はい。私達は結局、
安易に煉瓦物件へと近づくルートも発見できずに一周してきたようですw
眼下に見下ろすはーーー
どう考えてもどう進んでも『THE・藪☆』
私的には『もう帰りましょ?』って思いましたですよ。
でも。でも菅原兄妹はそうじゃなかったようですう~^^;
怪しい草が入り乱れてる斜面をガンガン駆け下りる先輩と琴音っち。
ふわわ~と、あんまり見かけない虫たちが彼彼女らの一歩一歩ごとに中空に舞い上がる・・・
思えば雨上がりのぬかるんだ雑草織り成す斜面ですう^^;
『ぐは!足がヤバイなコレw』と、藪間にドボンと沈みつつ、でも笑いながら下まで降りていった先輩と琴音っち。
・・・正直二人とも廃墟探索の時みたいに長袖長ズボンじゃない^^;
よくもまあ、こんな藪藪藪に突っ込むもんだ^^;
『おーい!夕実っちィ^^ なにしてるの~そ~こ~でえ~^^』と、
藪下に到達した琴音っちが私に呼びかける・・・。
なにしてるもなにもないし!
あんたらがおかしいんですう^^;
普通の人はそんなとこ行かないからw
・・・まあ、結局は私も
置いてけ堀効果というものでしょうか?
置いていかれると不安になって、渋々でも仲間の元へ!なんてな行動に^^;
『あうう・・・蛾みたいなのが一杯飛んでるですうっ!』『蜘蛛の巣が・・・蜘蛛の巣があ・・・・!』
『わきゃー!? トゲトゲしててイタタタですう!』と、
大わめきしつつも、なんとか合流しましたです(ひとりぼっちにさせるのはズルイですよね・・・^^; 嫌でも無理矢理頑張っちゃいますよおお・・・^^;)
降り立ったその先は雑草生い茂る小さな水路でした。
カメラの望遠で見た景色までは、まだ先のようですう^^;
私達は藪草が少ない場所を探しながらもそこへそこへと近づくことに。
藪草を踏み分け、そして蹴っ飛ばしつつ進んだその先にはーーー
ありました!その容貌は薄ら苔むし、素人の私ですら何かカッコいいと思わせるものでしたですう^^
・・・ん?
でもこれって何の煉瓦さんなんでしょうか???
先輩が察してくれたようで私に『アレを見てご覧^^』と、今見ている煉瓦の対面にある方を促がすのでした。
するとそこには同じような煉瓦の物件。
・・・
・・・?
・・・と、それに背中を預ける・・・
え!?観光名所とかの説明板?!
---ここで琴音っちが私の肩をツンツンとした。
そして『あなたの言いたいことはよくわかる。だから私に言わせて』と言わんばかりにウンウンと頷いてみせる。
琴音っちは大きく息を吸い込んでから
『こんな藪の中で誰がこの看板見るんじゃあああああああああw』と、煉瓦と看板にツッコミをいれたのですw
いや・・・ほんとそーですよお^^;
誰も絶対見ないし見れないよーw
『まあまあまあお二人さん^^; 確かにこんなとこに説明版あるのは不親切かもだよな。
でも恐らく昔はこれほどの藪でもなく、なんなく歩いてこれたんだと思うよココは^^
この煉瓦は先ほどから言ってるように“旧東北本線”の遺構だ。
廃止されるまでの約10年間、この集落の中を鉄道が走ってたんだ^^』
看板にはびっくりしましたが、こんな集落ど真ん中を鉄道が走っていたなんてそれも驚きですう。
昔はもっと開けた場所だったんでしょうね^^
『そしてこの煉瓦ちゃんは橋台跡だね。当時のまま残されてる^^』
ここであんまり建築物に疎い私は先輩に質問をしましたです。
『えっと・・・えとえと、橋台とか橋脚や橋梁ってちんぷんかんぷんですう^^;どれも同じじゃないんですか?』と。
『うん、簡単に言うと橋台は橋の向こうとコチラを支える土台。
橋脚は橋を支える支柱とかかな。
橋梁ってのはズバリ橋そのもの。もしくは全部ひっくるめたものって覚えておけば~まあだいたいあってると思うよw』
・・・ようやく分かった気がしますです^^;
と言う事は、かつてこの煉瓦の橋台と橋台の上を橋が渡ってたんですねーーー
ここからは琴音っちの煉瓦の刻印探しがスタートですう^^;
煉瓦の綻びた場所(欠けたりしたところ)なんかを念入りに探しては『う~ん・・・無いにゃー^^;』と嘆くw
というか、そもそも見た感じとても保存状態がいいと私でも思いましたです^^
余り人が来ないことと、この橋台を包み込むような竹林や植物が長年の風化から守ってくれてるんでしょうか^^
足元は水路や藪草で頼りないですが、改めて見回してみると素敵な煉瓦さんですう^^
・・・が、
ここに諦めの悪い女の子が一人。
『きょ・・橋台の裏手に上ってみたいっす!もしかしたら刻印が・・・』という琴音っちが(-_-;)
さすがの菅原先輩も
『ええ!?この裏手に行くの?^^;けっこう厳しそうだけど・・・』と渋り気味(そりゃそうだ^^;)
でも、
『じゃ!先行くね♪ 待ってろ刻印んんっ!』と、彼女は勝手に行きやがりましたですう^^;
宇都宮側?の橋台裏手に回りこんだ私達(結局みんなで行く羽目に^^;)
藪の中に建物を見つけた。
でもなんか鉄道とはあんまり関係なさそう。
あるのは打ち捨てられた農機具が詰まった廃屋みたいですね。
---すると琴音っちが声を上げた。
『マジあったっす☆橋台裏!というか上w』
あ、ほんとだ。
といいますかもうこの時点で藪蚊と格闘していたので喜んでいたのは琴音っち一人限定です!
『うひょー!コッチのほうは煉瓦の表面がところどころ露出してるから・・・ゴクリ。刻印ちゃん発見できるかもっす。いやニャ☆』
琴音っちは小躍りして煉瓦上部へと上がって行って調べ始める。
なんでも煉瓦の刻印は煉瓦と煉瓦の接着面の大きなとこにあるために、基本的には隠れてしまって見えないそうです。
ただし、煉瓦が崩れたところや積みあがった上部のところは露出していることもあるので見つけることも可能なんだって(ただし、化粧を施されていたら見えない)
・・・でも結局何も見つからなかったようですう^^;
私たちが得たものは、いくつかのプックリと赤く膨れた蚊のさされだけだったようです・・・^^;
藪を出た私達の足はドロだらけ。
『少しもったいないけど・・・^^』と先輩が自販機でお水を何本か買ってくれて、それで手足を洗った私達でした^^;
この後はてっきり今来た道を引き返すのかと思いきや、
このまま宇都宮駅まであるくことに^^;
琴音っちが『まだきっと煉瓦ちゃんが居る!』とか言い出したからです!
途中、先輩のゴチで水分補給をしつつ?
約15キロ・・・。しかもゴール手前で土砂降りにあうというおまけつきで宇都宮駅まで帰還ですう^^;
土砂降りでお店を選ぶ余裕も無く、
私達は駅に近い餃子屋さんにお世話になることになりましたw
『子猫ちゃんたち。今日はお疲れです。さあ~これは私からのご褒美だ^^ 呑みたまえ。あっはっは』
『『ありがとうございますニャ☆』』
いつまで『~ニャ☆』って言えばいいのでしょうかねえ・・・^^;
とはいえお疲れ様のお酒は胃から体の隅々にジュワア~と広がってとても美味しかったですう^^
海老餃子にニンニク餃子などと次々にテーブルに運ばれてきましたが、
一番美味しかったのは、どんこ椎茸入り餃子の水餃子でしたですう☆
雨に濡れた私には、温かいスープが癒しでしたよおう^^
帰りは新幹線☆ ええ、勿論先輩のゴチですw
おねだり上手の妹猫さんがニャアニャアと先輩におねだりしまくってくれたおかげです☆
(さすがに先輩も財布を覗き込んで考えていましたがw)
先輩の癒しになったのかな?
琴音っちは満足だったのかな?
私はどうだったろう?
雨や藪や廃墟とかあったけれど、子供の頃から変わらない私達三人のお散歩は、
やっぱり楽しかったです^^
ここまで読んでいただきありがとうございました^^
居酒屋の方は強力な助っ人が来てくれたので一先ずホッとしています^^
強力な助っ人さんについては次回触れますです☆
さて次回はーーー
おばあちゃんと三ツ矢サイダー!の巻です。
第719話 蔵の街へようこそ!宇都宮・東北本線旧線編☆ファイナル?『朽ちたストーブ列車とダルマストーブさん』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『兄上様!アレはプンプン臭いますニャ!』
『おお!妹よ。やはりそうであるか^^ 私もどうもアソコは臭いと踏んでいるのだよ。
廃な匂いがプンプンしまくってるよな^^』
菅原先輩と琴音っちが、橋の向こう側に広がる
『いかにも寂れた感じの施設』を指差し、相変わらずの小芝居。
・・・でもパッと見、
私の目から見ても、ただの『廃墟っぽい倉庫』くらいにしか見えないんだけどなぁ・・・^^;
『とりあえず行こうぞよ!皆のもの^^』
『『ハイ!ですニャ☆』』
私達はその怪しい物件へと向うことになったのですぅ^^
第719話、東北本線旧線編ファイナル?スタートですう☆
『あの怪しい敷地の片隅にポツンとあるコンクリはなんでしょうかニャ?お兄様^^』
『なんだろな?一応、東北本線旧線跡に沿って歩いてる感じなんだけど、
アレが旧線跡に関連するのかは分かんないなあ^^;
この施設の何かの残骸とかじゃないかな』
基本、菅原先輩は鉄道関係にはそこまで明るくないですう。
・・・廃鉄大好きな相楽先輩でもここに居れば直ぐに分かるんでしょうけれど^^;
怪しい施設に段々と近づく私達。
よく見ると、向こうの施設は牛舎とか飼育施設の建物にも見えましたです^^
ですがーーー
『お兄様!“日晃スポーツランド”って看板ありますニャ!』
『そうだなあ。“モトクロス上河内コース”とも書いてあるな^^
ここはどうやらモトクロスサーキットだったのかな^^』
モトクロス?
私はパッともう一度敷地内を見渡してみるのですう。
モトクロスって言うくらいだしー、起伏のあるようなコースで飛んだり跳ねたりをイメージしたのですがー
・・・見渡す限りどこまでも平坦のような気がしたですう^^;
私達は、あーでもないこーでもないと施設全体を見渡していたところ、
入り口付近の受付らしき建物の影から突如ひとが出てきてびっくりすることに!
こんにちは☆と声を掛けようとしたのですがーーー
私達を見ても何の反応も無く、思わず口ごもってしまいましたですう・・・(一同みんな^^;)
その人は私達を全く意に介せず、入り口付近にしゃがみ込んで何かを呼び寄せていましたですう。
それはーーー
『猫ちゃんたち』でしたです^^
どうやら野良猫ちゃん達に餌を与えている人だったようです。
ここで先輩がそっと私達に小声で
『どうやらお邪魔しちゃったようだね^^; 本当はここから探検としゃれ込もうと思ってたが・・・
一旦ここを離れて餌やりが終るのを遠目に待つか、別ルートで散策してみることにしよう^^』
私達は軽く会釈をしつつ、一旦この場所から離れることになったのですう^^;
氏家大橋から先に伸びる国道293号線までちょっと戻った私達。
そこからまるでスパイのように施設全体を観察。
入り口付近に居た餌やりのおじさんが居なくなるのを待っていたらーーー
また別のオバサマがふらっとジョギングの休憩場所に選んじゃったようで、
余計に人が増えちゃったですうw
ここで先輩が私達を見ること無く施設を見渡しながら私達ふたりに声をかける。
『う~ん。でもあの2人はこの施設に関係がある人でもなさそうだな^^
このまま2人が居なくなるのを待つよりも、別ルートで接近することにしよう^^
・・・というか、琴音?
この施設の奥の一画の建物に気づいたか?』
『勿論ですニャ☆ 明らかにフツーじゃないですニャ♪』
菅原兄妹は、お互いにすんごくニンマリと笑顔をしてみせる。
え?
ええ??
私には茶色に錆び付いた長細い倉庫みたいなのにしか見えないんだけどなあ・・・^^;
(※ 分かる人には上の画像を見て一発でどんな建物か分かると思います^^)
ここからは先輩を先頭にウロウロと施設周囲を歩く事に。
国道のガードレールの切れ目に、かつてその施設へと続いていたであろう『道』を先輩は見つけたんだけど・・・
『流石にこの藪を突っ切るのはキッツイよねw 別のルート探そう^^;』と、却下になりました(というかー絶対行きたくないですう^^;)
施設を見ながらその周囲を探る私たち。
すると先輩がーーー
『施設裏手の農道から接近できそうだね^^』と、
私達に何の断りも無くズザザーッ!っと国道から田んぼの畦道へと降りていったですう・・・^^;
ううう・・・こんなとこ降りてくのやだよおう・・・^^;
取り残された私と琴音っち。
さすがの琴音っちも躊躇してるように見えた。
2人で先輩の結果報告を待とうね♪って声をかけようと思った
矢先!
『待って~ん☆お兄様ぁ~ん・・・ニャ!』と、
琴音っちはガードレールを飛び越えて行ったですう(マジですか!?)
ええ・・・。行きましたついていきましたですよ^^;
どこが道なんだかワケワカメな感じでついて行きましたですよ結局^^;
畦道から草むら掻き分けて這い上がったところ、
ようやく先ほどの施設の裏手側に降り立つことが出来たみたいですう。
長草の根元を踏み倒しつつ先頭を行く菅原先輩。
おかげで後ろに居る私と琴音っち藪で肌を摩ることもあまり無いまま安心して進めたのですう^^
藪を書き分けつつもようやく『ある建物』の目の前にきました。
ここで鈍いと自覚する私でも、はっきりとその姿が何なのかを知ることになる。
『わきゃー!えっと、えとえとお・・・電車です・・・か?』
『そうみたいだね^^ 見るからに古そうではあるけれど^^』
先輩が言うように、確かにイマドキの電車・・・の形じゃないですう。
呆然唖然とただただ見つめていると、
『せっかくここまで来たんだ^^ 気をつけて中も覗いてみようよ^^』
先輩はそう言って、錆び錆びの手すりを掴んで電車というか列車でしょうか?
ヨイショとその後部に上ってから、私達ふたりに手を差し伸べたのですう。
『お嬢様二名、ご案な~い^^』
先輩はおどけた風に私達を引き上げ
『お嬢様方。ここからは危険が伴いますので、私の注意事項によ~く耳を傾けてくださいね^^
私の後にゆっくりじっくりついてきてくださいな^^』と、
まるで駅員さんのように丁寧にエスコートをしてくれたのですう^^
・・・!?
え!?
何・・・ココ?
先輩にエスコートされつつ中に入ってみた私達はビックリした。
・・・と言うか先輩が一番驚いていたですう~。
『ストーブ・・・列車?なのか??? ここ^^;
うはー!これは思わぬ発見だったかも!』
『お、お兄ちゃん!この廃列車って本物なのか・・・ニャ?』
『う~ん・・・ボクも詳しくないからなあ~^^; でもココまで来たんだ。せっかくだし1個1個見て検証してみようぜ!^^』
---っと言うことで、私達はこの廃棄された列車を探検することになったのですう~・・・ニャ☆
『ここはなんすかニャ? なんかデスクとかあるよ?マジで』
『駅員さんの詰める車輌・・・とかかな?』
琴音っちと先輩はぐるぐると室内を見回す。
室内には剥げた塗装?の塵が多く散らばっていたですう。
『隣の車輌にも行ってみよう^^ 横並びにいくつも設置してあるところを考えると・・・
スポーツランドの見世物的存在か倉庫代わりだったのかなあ・・・』
私達は隣の車輌に移ったです。そこは先ほどの部屋となんらかわらないように見えたのですが・・・
『お兄ちゃん!これダルマストーブじゃね?・・・いや!ニャか!w』
『そうだなあ^^ダルマだと思う☆ この車輌・・・レプリカにしては立派過ぎるし、
恐らく東北本線かそれよりもっと北の廃棄されたストーブ列車を引き取ってスポーツランドの“売り”にでもしてたんじゃないかな^^
ま、それも今や廃墟同然だけれども・・』
雪国の皆を温めて、時代と共に去って行きかけたところに差し伸べられた再利用だったのかもですね。
でも再就職先がコレじゃ・・・ストーブ列車さんがあまりにも可哀想ですう・・・。
ここで一旦外に出て車輌を見つめる私達。
なぜか皆先ほどのテンションとはうって変わり、静かに見据える。そんな感じでした。
その後はもう一車輌にお邪魔したですう^^
そこのストーブにはーーー
汐留区とか59年9月1日。
56年・4月。日本交通機械株式会社。とプレートが。
『お兄ちゃん。59年って昭和かな?西暦かな?』
『どっちなんだろな?たぶん元号表記だと思うんだけど・・・。とりあえず琴音?
日本交通機械株式会社の沿革とか発足とかネットで調べてくれよ^^』
『あいあいニャー☆』
琴音っちはPADをザックから取り出して、舐めるように調べ始めたのですう^^
『ざっと見た感じ~、今はJR東日本メカトロニクス株式会社って会社みたい^^
JR東日本の電子マネーからホームドア・券売機・エスカレーターなんかを扱ってるJRグループの会社っす。
でも・・・1967年会社発足。
もしかしたらこの日本交通機械株式会社の前身に当たる会社があったのかもだけど、
少なくとも西暦表記じゃなさそうだね。いや・・・ニャかw』
『そもそもストーブの表記がそうであって、この車輌自体はもっと前かもしれないしな^^
家に帰ったらちょっと調べてみようか^^』
相楽先輩が居ればすぐ分かったのにい~と思うんですが、
私的には、あんまり先輩と相楽先輩にいちゃいちゃして欲しくないので居なくていいと思いますw(軽い嫉妬心)
・・・一車輌だけ、なんか・・・生活臭のある車輌があったのですが、みんなスルーしていましたです^^;
廃墟廃屋には色々な方がいらっしゃいますよね☆
一通り見てまわったのですが、遠目には赤茶けた倉庫くらいにしか思ってなかったけれど、
全部廃車輌か廃貨物車輌だったのですう。
先輩と琴音っちの変な嗅覚恐るべしです^^;
(※ ちなみにここは知りませんでした。また、ネット上でも恐らく情報は少ないかと思います。
東北本線旧線の煉瓦探しのついでに見つけてしまったのですが、思わぬ収穫ですね^^)
この後、雲行きも再び怪しくなってきたし、
もう煉瓦も廃墟も充分堪能しましたよね!帰りましょう!
帰るんですよね?って
思ったら、
まだまだ続きがあるようです^^;
タイトルにファイナルとは書きましたが・・・
東北本線旧線編ファイナル、パート②があるのを許してください・・・。
全部書ききりたかったけれど・・・時間はあったとしても
ぐったりです。
最近歴代最高売り上げを樹立したってのに、我が居酒屋のキッチンの信頼おける主要人物が会社を辞めることになり・・・
正直てんてこ舞いです。日常が^^;
ということで・・・更にブログの更新頻度は低下すると思ってくださいw
ではではまたいつの日か^^;
第718話 蔵の街へようこそ!宇都宮・東北本線旧線跡編☆vol①『私のスーパードライが居ないんですけど!?』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『今日は語尾に“~ニャ”って付けるのが約束だからな!』
ーーー夏も終わりかけた9月末日の夕下がり。
とは言っても私達の大学は一応9月末まで夏休み。
レポート課題もまだ残ってはいたけれど、
のんびりダララーンと私は琴音っちの部屋でポテチをついばんでテレビを見ていたですぅー^^
こんだけ暇ある学生なら『どこか行って青春とかしてきたら?』と思われでしょうが、
『先立つもの(マネー)が無い!』
私はえっと・・・えとえと・・・仕送りに甘え・・・
方や琴音っちは『短期バイトを見つけては即ヤメ』の繰り返し^^;
実のなることはなにもなく、そしてお金もなく、ただのほほんと夏を過ごしてしまいましたです・・・^^;
(※ 琴音はともかく、夕実ちゃんもそこまで出来た子では無い設定です)
ふと、ジュルリとヨダレを吸い込みつつ琴音っちがだらしない感じで私に振り返る。
『このまま今年の夏終る女子大生ってありえなくね?夕実っちいい~^^;』と本音を漏らす。
・・・そうだよねえ・・・
普通・・・そうだよね・・・^^;
男の子とどっか行ったりムフフな事とかまったく無いのも寂しい女子大生ですう^^;
『ピンポーン』
琴音っちの部屋の呼び鈴が鳴る。
『あれ?今日ネット通販の到着日だったっけ?』と、琴音っちが玄関まで向うと、そこに居たのは菅原先輩でした☆
・・・あれ?
でもなんだかとっても疲れてる感じ^^;
部屋に迎え入れ、一息つくなり菅原先輩が愚痴をこぼす。
『息抜きしてー・・・。じゃないとパンクしちゃうぜ、ハァ・・・^^;』
なんでもそのままお世話になっちゃおうかなあーと思ってるらしい出版関係のバイトで、こきつかわれまくってるみたいですう^^;
先輩の夢だろうけど大変みたいですね。
そこに『じゃあお兄ちゃん。息抜きにどっか行こうゾヨ!勿論、軍資金はお兄ちゃん持ちで♪』と琴音っちが持ちかける。
悩む兄。
攻める貧乏女子大生の妹。
バイト代はたんまりあるらしくてそこらへんは大丈夫そうなのですが(夕実ちゃんの勝手な憶測です!)
菅原先輩は私達の旅費持ちに
『ある条件をつけてきた』
第718話、久しぶりの廃村さーくるスタートですニャ☆ですうー^^
ある初秋の日。私達3人組は最寄の伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に乗って埼玉県は久喜市までやってきましたです^^
どうやらここからJR線に乗り換えて、目的地へと向うみたい。
今回、菅原先輩の息抜きと、琴音っちの煉瓦探しが合致して、
私はそのお付き合いですう(いやえーっと・・・一応煉瓦さーくるの部長だし他人事じゃないけれど^^;)
てっきり普通座席のロングシートに座るかと思いきや、
なななんと!
グリーン席ですう☆
勿論、貧乏女子大生の私と琴音っちにはもったいない環境。
グリーン席の御代は・・・当然『菅原先輩』です^^
ただし奢る代わりに条件がついたのです。
その条件と言うのは・・・
『お、お兄ちゃん^^; 缶チューハイとお食事を買ってきた・・・ニャ・・・』
『おお、これはご苦労ご苦労。よきにはからえ妹よw』
菅原先輩が見えない死角でワナワナと拳を震わせながらも引きつった笑顔で菅原先輩に御奉仕している琴音っちがそこにいた。
そう。そうなんです。
今回は菅原先輩に旅費の面倒を見てもらえる代わりに
『語尾にニャをつけて先輩に尽くす御奉仕メイドになる』
というのが条件と言いますか代償ですう^^;
・・・勿論、私も・・・です^^;
『ガタンゴトン』とは聞こえないけれども、私達の乗っている東北線の車窓からは、
まだ夏の色が残る青空と、緑の中を進んでいくのでした^^
時間にして2~30分過ぎた頃でしょうか
『次の古河駅で乗り換えだから降りる準備したまえ子猫ちゃんたち☆』と先輩・・・^^;
『『ハイですニャ・・・』』と、これ以上無いくらいの作り笑顔で身支度を整えますです^^;
(というか他のお客さんの手前、めっちゃハズカシイですう!^^;)
ーーーふとここで琴音っちがご主人様に向って
『ハイハイ!ハイニャ!ご主人様!こんちくしょー』と、手を挙げて先輩に質問を投げたのです。
『ねえねえお兄ちゃん。目的地の宇都宮駅までグリーン席券“記録”をスイカに記録させてるけど、
乗り換えの時はどうすんのさ?』
『どうすんのさじゃないだろ?ニャをつけなさい語尾に!しつけのなって無い妹猫だ!』
『え・・・あ、ハイ・・・ニャ^^;こんちくしょー。』
・・・菅原先輩めっちゃ殺意が沸くくらいノリノリですね・・・^^;
改めて菅原先輩がグリーン車内の天井を指差して答える。
『目的地までのグリーン席料金記録をスイカにインプットしたなら、
紙のグリーン券と同じだよ^^
少し違うのはーーー
座席上にあるグリーン券読み取り部にタッチすれば赤色ランプが空席。
緑ランプなら着席だ^^
乗り換えの時はもう一度スイカをタッチして空席にして、
乗り換えた車輌でまたタッチして着席すればいいだけだ^^
分かったかな?子猫ちゃん達^^』
『『ハイ・・・ニャ^^;』』
・・・たまに
『なんでこんな先輩を好きになってしまったんだろう・・・』とか思うときがあります^^;
でもやっぱり好きなんだよ~・・・私。よくわかんないよねw
『古河かあ~^^ 懐かしいね夕実っち。ご近所の野木駅にはお世話になったよね☆』
琴音っちが懐かしそうに乗換駅の古河駅で私に声を掛けてくるのだけれど、しばらく意味不でしたです^^;
『そういえば子猫ちゃん達は野木の“シモレンの煉瓦”に行ったんだよね^^』と先輩が言うまで忘れてました。
ああそうでした。
まだ夏が始まるか始まらない頃に、私と琴音っちとでシモレンの煉瓦や熊野神社の煉瓦の古道を見に行ったんでしたっけw
そこから再び乗り換えの電車のグリーン車に突入^^
ちょっとエッチで暴君の菅原先輩が少し玉に瑕ではありますが、
電車はようやく目的地近くへと着いたのですう^^
栃木県・宇都宮^^
ここからもうちょっと先の電車に乗るまで時間があったので、駅前をぶらりとすることになったですう^^
『ヤベ!お兄様!目的地の帰りはここで餃子などを所望したいニャーなどと思ってるのですが、
いかがでしょうかニャ☆』
『ウム。大儀である。諸君等の御奉仕度合いによっては・・・何枚でも餃子を奢ってやろうぞ♪』
『ハハ~!兄上様^^ 嬉しいですニャ☆』
いつのまにか琴音っちノリノリじゃんか^^;
いや・・・多分彼女のことだから作戦だと思う。
これは幼馴染である私の感ですう^^
『おや? 夕実ちゃんも御奉仕してくれないと餃子抜きだけどいいのかなあ~^^』
てっきり琴音っちが全部菅原先輩の相手をうまく務めてくれると思ってたらそうはいかなかったみたいいい・・・^^;
さすが先輩抜け目無いですう^^;
ここで菅原先輩がいやらしく私に続ける
『ほれほれ夕実ちゃん。餃子が食べたいニャって言ってご覧^^
そしたら考えなくも無いぞ~^^』
・・・私もやっぱり餃子食べたいしー・・・
頑張ってその台詞を言ってみたですう^^;
『ううう・・・ご、ご主人様。ぎょ、餃子を食べたいですニャ^^;』と。
するとーーー
『素晴らしい!そのハニカミながら恥じらいながらの食べたいですニャ!とか、うひょー!さいこー♪
夕実ちゃんは餃子奢るの確定です☆』と、先輩にお墨付きを受けました。
ハア・・・嬉しいけどなんか嬉しくないんですけどw
その横では『あーん~、兄上様ずるいずるいニャ~。夕実っちばっかり~♪』と、
チョー!御奉仕メイドになりきってる琴音っちがいた^^;
たまに琴音っちのノリがよくわからないことがある^^;
さっきまで小声で『こんちくしょー』って言ってたのにいw
ようやく宇都宮を出発する私達。
目的地はそこからあっという間でした^^
『JR氏家駅』
宇都宮を過ぎたらもっと田舎田舎してるんじゃないかと勝手に思ってましたですがあー
普通の駅でしたですう^^
でもここから琴音っちの煉瓦?
菅原先輩の気晴らし?
正直今の私にはさっぱりでした。
氏家駅の西口に移動ですう。
駅前の地図を見るとそこには鬼怒川。
鬼怒川ってやっぱり川なんですねw
鬼怒川という土地名(温泉とか?)だけが脳内を先行して、
本来、流れている鬼怒川自体を全くと言っていいほど思い描いたことなかったですう^^;
先輩は持ってるカメラをパシャリ。
その先の被写体のマンホールはなんかとっても可愛らしいですう^^
駅からちょっと歩くと『国道4号線』でしたですう^^
私や先輩、そして琴音っちが今住んでいる草加市も、
旧日光街道。つまりは国道4号線が通っているです^^
こんなとこまで国道4号線は続いているんですね♪
(※ 日本橋を基点として日本で一番長い国道でもあります^^
総延長888㌔
ちなみにこんなに長いのに、トンネルはたった4こだったりします^^)
目的地が分かってる先輩と琴音っちについていくと、目の前に回転寿司が見えてきたですう。
・・・そう言えば、朝からお腹にたまるようなものは、あんまり食べてない気が・・・^^;
ジュルジュル・・・と人差し指を咥えてる私と琴音っちの無言のプレッシャーに気づいてくれたのか先輩は、
回転寿司の近所のコンビニ(ローソン)で、
表示価格より50㌫引のサンドウィッチを買ってくれた・・・ですう・・・OTL
意外とセコイです、先輩^^;
(でも、『まちかど厨房』と言うローソンのその地域の店舗内での手作りサンドウィッチは普通のサンドウィッチよりも美味しかったですよー^^)
途中、
『ザ・酒屋』という、めっちゃベタなネーミングの酒屋さんの前を通りかかった頃、
琴音っちが『喉も渇いてきましたですニャ^^ 兄上様ぁん^^』と、傍目から見てもキモイくらいに先輩に甘える琴音っち・・・^^;
その彼女のおかげで・・・ビールをおこぼれできたんですが・・・
私はここで思った。
齢20にして悟りましたですよぉ^^;
女の子は『奢ってもらえそうな男子の前では女優たれ!』と^^;
例えそれが実の兄だろうがなんだろうが・・・
道中。DIYチェーン店を発見。
別に日曜大工とかそんなの興味ないですよ?普通の女子大生なら。
でも『イマドキの煉瓦も見てみたいっす・・・ニャ☆』と琴音っちが言うもんだから急遽ホームセンターに寄り道^^;
乗り気じゃなかったけれどここで気づく。
イマドキの煉瓦さんも『刻印』はあるのですね^^
『氏家大橋』
どうやらここの近くが琴音っちの目的地パート①みたい^^
見れば鬼怒川を大きく跨ぐ、大きな大きな橋でした^^
でもここに琴音っちの好きな煉瓦!?
どう見ても普通の現代の橋っぽいんだけどなあ・・・^^;
---ここで、
『河川敷に降りるには手前のトンネル潜って土手に上がったほうがいいみたいですニャ^^』と、先輩に話しかける琴音っち。
『ああそうだな^^ とりあえず行ってみよう^^』と先輩。
私達は氏家大橋手前のトンネル前へとやってきたのですう。
えっと・・・トンネルの中全部水浸しなんですけど!
すると先輩が
『トンネル脇の縁石伝いに歩けば濡れないよ^^』と、
狭んまいとこを壁にはいつくばって歩き出したです^^;
さすがに私と琴音っちは躊躇。
案の定、先輩は途中で水溜りにドボンしてましたw
(結局、私達もサンダルやミュールだったので、やけくそで突貫しましたが・・・^^;)
ようやく土手には到着です。
でもここに何があるの???
先輩を先頭に琴音っちもドンドン河川敷へと降りていく。
『ねえ先輩。この先に何が?』
『夕実ちゃんニャーを忘れてますな。いけない子です』
・・・正直先輩ウザイです^^;
なんだかんだで結局先ほどの氏家大橋の真下にやってきたですう^^;
で、ここに何が???
相変わらず何も教えてくれない二人にプンプン丸だった私に先輩が、
川岸の方を指差しつつ『ほら夕実ちゃんアレ^^』と私を促がした。
そこにあったのは、
『あ!煉瓦ちゃんですう^^』
『夕実ちゃんニャーは?』
『はい・・・煉瓦・・・ですニャ^^;』
『よろしい^^』
・・・先輩ウザッ!
そうこうしてる間に琴音っちが丸っこい煉瓦の上に乗り出して、念入りに何かを探し始めたのですう。
そして『お!なんかそれっぽいもの発見ですニャ☆ 兄上ェ~こっちこっち~ん^^』と、琴音っちが何か見つけたようで先輩を手招きした。
私も何かな?ってことで覗き込む。
というかこの煉瓦さん達は何ですか???
琴音っちが指差した先にはーーー
なんかうっすらと文字?記号?みたいなものが。
あ、もしかしてえ『煉瓦の刻印!?』
私の驚きの声に先輩が優しくここまでの経緯とこの煉瓦ちゃんがなんなのかを解説してくれました。
『実はココ、元々はJR(旧国鉄より前の日本鉄道)の東北本線が走っていた場所なんだよ^^
明治19年(1886年)に開業したんだけれど、
度重なる鬼怒川の氾濫に悩まされてねえ・・・
明治30年(1897年)に廃線となって、新たに今の現行ルートに移行した場所なんだ^^』
ということはですよ。
ひゃ、百年以上前から放置プレーされてる物件ってことなのですね!わきゃー・・・いえ。わニャー・・・^^;
『これはその当時の橋脚の土台の部分だね^^ 当時は煉瓦基礎が流行ってたからその名残りってとこかな^^』
こ、これを見たいが為にここまで来たのですか^^;
先輩と琴音っちはおかしいですね(褒め言葉)
そんな先輩と私のやりとりに、なぜか苛立ってる感じの琴音っち?が、割って入ってきたですう。
『ねえねえそんな歴史より、この煉瓦の刻印ぽいのってマジ刻印かな?かな?』
『ニャーを語尾につけないと答えられないな!』
『あ、えっと・・・刻印でしょうかニャ^^;お兄様さまぁ^^;』
えっと・・・ほんと今回は先輩ウザイんですけど!w
『う~ん・・・。そもそも長年吹きッさらしだし状態も悪いしなあ・・・
よくよく考えたら東北本線に使われた煉瓦工場の調べもしてないだろ?ボク達。
可能性はあるけれど、これが煉瓦の刻印とは断定できないかも^^;
まあ、後で調べまわってみることにしようぜ^^』
『ハイですニャ☆ 兄上様』
煉瓦の刻印か断定できなかったけれど、琴音っちはウキウキでその刻印ぽいものをカメラにパシャパシャおさめまくってましたですw
彼女は『煉瓦の刻印』となると、まるでビックリマンシールのヘッドシールをゲットしたとか、
妖怪ウォッチのレジェンド妖怪メダルをゲットしたかのようのはしゃぎまくる。
たまについていけないなあとも思うのですが、
でもホントに好きなものに出会えて夢中になれるってのはウラヤマシイかなとも思っちゃったりですう^^
その後は、他にも残る東北本線旧線の橋脚を皆して調べまくりです^^
その橋脚跡は川辺近くにもありましたですう^^
『わきゃー!橋脚が寝そべってるですうー・・・ニャ』
『多分、長年川の勢いに下を掘られて横たわったんだろうね^^』
『せっかくだし、少し掘り出してみようか^^ もしかしたら崩れた部分から煉瓦の刻印部分が見えたりするかもしれないしね^^』と、
先輩は大きめの石を掴んで横たわった橋脚の埋もれた部分を掘り出したですう。
琴音っちもそれに躍起になって参戦するかと思いきやーーー
『兄上様お疲れ様ですニャ☆ 労働の後で美味しいビールが飲めるよう、
川でビール冷やしておきますニャ♪』と、
先ほどの『ザ・酒屋』で購入したビールを川辺に解き放ち、
先輩の背後から応援してるだけでした^^;
『うむ。ご苦労。うんまいビールが待っているならお兄ちゃんがんばっちゃうぞー^^』と先輩は黙々と掘り進めるのです。
・・・この兄弟はたまにおかしいw
そう思うことは今まで何度もありましたが
でもそれでも助けられたことも多々だし、
へんなとこひっくるめて、全部大好きですう^^
---先輩が掘り始めて数十分?
せっせと煉瓦のまわりを掘り込む先輩を見ていた私と琴音っち。
ふと、琴音っちが大声を上げたのでした!
『私達のスーパードライが見当たりませんですニャ!お兄様』
あれ?見れば確かに琴音っちが川底に沈めた
スーパードライさんが見当たりません!
そこからは先輩も掘るのを中止して、皆で缶ビール捜索開始です^^;
でも・・・結局見つかることはありませんでした。
侮っていましたが、案外水量も勢いもあったみたいで、
どんぶらこと流されていってしまったようですう^^;
『くう・・・。俺は何の為に掘り続けていたのだろうか。そこにビールがあったからじゃないのか!』
『申しわけ御座いませんニャ・・・兄上様。これはもうこの鬼怒川に身を投げて償うしかないニャ・・・』
『お前まで流されたら私はどうすればいいと言うのだい?妹よ』
『ううう・・・ありがたき言葉ですニャ。兄上様^^』
・・・えっとなんですかこの小芝居^^;
見てるこっちが恥ずかしいですうw
なぜか非常にノリノリの菅原兄妹に私は苦笑い^^;
ビールもったいないし、ゴミになっちゃうと思うんだけどなあーですう^^;
ふと、
先輩の掘り込んだ痕を見てみる。
えっと・・・あんな小さな石でよく掘ったもんですね先輩w
『ポツポツポツ・・・』
あれ?あ・・め???
ーーーここでいつのまにやら周りの天候が急変していたことに気づいた私達。
『とりあえず橋の真下に避難しよう^^;』と、先輩の号令。
私達は急に振り出した大粒の雨粒を避けるように橋の袂へ走り出したのですう。
時間にして数分でしょうか?
まだまだ空は怪しい雲行きですが、雨も落ちてこなくなったので橋下から脱出ですう。
今日はこれで終わりの旅路だと思ってました(割と本気で)
宇都宮に帰って餃子ですか?ジュルル☆って思ったりもしました。
でもですよ?
この2人(先輩と琴音っち)は、やっぱ違かったようですう^^;
『さあ~行くっす!廃鉄、廃煉瓦ちゃんの旅路ニャー^^』
『いいねいいね!レッツ廃^^』
まだまだこの先あるんですか^^;
なんとなくはそーだろーなーとは思ってましたがやっぱりです^^;
ふと、氏家大橋を渡りきったところで先輩が声を上げる。
『なん・・・だ!? あの廃墟っぽいのは???』
見れば草ボーボーに囲まれた倉庫か何かっぽかっただけなのですがーーー
実は違かったのですう。
次回、『朽ちた列車たちが並ぶ新しい廃墟と、誰も見ることの無い煉瓦の看板』ですニャ^^
※ ちなみに今日28日はオイラの誕生日なので、おめでとうをください(強制w)
第700話 山梨・八ッ沢発電所遺構群ファイナル!『三番目の魔力』 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『水路橋マジかっくいいなあ~!』
『わきゃー。あんな渓谷に水の橋を通すってすごいですう^^』
私達はふたりして驚嘆していた。
するとリーダーさんが後ろから私の肩をポンポンと叩きながら
『喜んでもらえて嬉しいね^^ でもこれだけじゃないよ?まだまだあるから^^
あ、ほらほら、もう皆先へと歩き出したよ?ボク達も急ごうか^^』
私達は『『は~い♪』』と返事して先行くメンバーを追ったのです。
久しぶりですね。第700話スタートです^^
皆さんを追って猿橋の向かい側へとやってきた私達。
そこは桂川に沿って伸びている国道20号線。
そのある一画になぜか皆が立ち止まっている。
・・・どうしたんすかねえと思った私は夕実っちと共に覗き込んでみる。
『あ、煉瓦ですう^^』
ほんとだ。でもこれって何用???
煉瓦のガードレール的なもの・・・とか?
その答えは裏側を覗き込むことですぐに出た。
回り込むように覗き込むとそこは『煉瓦造りの隧道』だったんす^^
私達が見ていたのはトンネルの頭の部分の裏っかわだったんすね^^
せっかくだしもっと間近で見てみたい!と言う一同。
私もどうせなら見てみたいなあ~と思っていた。
・・・ところがである。
そこまで降りる道はあるのですが、そこは人様のお庭を通らなければならなかったんす^^;
すると、メンバーのうちの一人のお姉さんがいつの間にかこのお宅と交渉を始めたのです。
無事にOKをいただき、ではさっそく参らんってことになったっす☆
(特にこのメンバーのお姉さん方は非常に頼もしいです!ガンガン、アポを取りにいきますぜw)
ぬかるんだ道を降りると、そこは隧道前。
じとじとと汗ばむ陽気だったのにもかかわらず、その空間だけはとてもヒンヤリでした。
皆、我先にとフェンス越しに中をカメラで覗きこむ(勿論、教授さんがトップですがw)
煉瓦と石組みの古隧道。
ここで夕実っちが『これも八ッ沢発電所の水路とかと関係あるですかね?』と私に聞いてきた。
いや~見るからに水路とまったく関係ないんじゃね?と一瞬どう返したらいいか戸惑っていると教授さんが
『アッハッハ^^ 夕実君。ここは八ッ沢発電所の水路群とはまた別物なのだよ^^
ここは“中央本線旧線”の名残りで“大原隧道跡”と呼ばれるものなのだ^^
今日、私達は“八ッ沢発電所遺構群”と、“中央本線旧線”を一緒に巡っているということさ^^』と説明してくれたのです。
『ほえほえほえ~、そうだったですか^^ てっきり水路橋も近いしその方角と同じ感じだったので、ついついそう思ってしまったですう^^』
私も夕実っち同様に少しそれを思った。
なんだか水路橋や開渠と同じようなとこにあるなあ~と。
そんな私達を見てか教授さんは続ける。
『そうだね^^ ここ桂川に沿った形でどちらも造られたのは共通しているね^^
この中央本線旧線(猿橋~鳥沢区間)は急曲でトンネルも狭かったことにより、昭和43年に新線に切り替えられてしまうんだ。
近代の輸送需要の拡大と、複線化という時代に飲まれた遺構と言えるものなんだろうな~。アッハッハ^^』
時代に飲まれた遺構かあ。いつも思うけれどちょっぴり寂しい感じっす。
この後は敷地の通過を許可してくださったお宅にありがとうございましたをして(リーダーさんが)
私達は次なる場所へと向ったっす^^
そこから歩いて数分の丘の上にある猿橋中学校。
どうやらその付近に『第三号隧道(今度は八ッ沢発電所関係^^;)』があるらしいのですが・・・
結局地元の人に聞いてもよく分からず発見できませんでしたっす^^;
『そろそろ正午を過ぎた頃ですね^^ 皆さんいかがです?ここらで昼食でも』とリーダーさん。
覗いたスマフォのデジタル数字は12時をいくらか過ぎていたっす。
ということで、車を駐車してある郷土資料館への帰り道途中、
公園内の渓谷を見渡せる場所にてランチタイムとなったっす^^
菓子パンだけじゃ味気ないなあ~と思ってたところ、
メンバーのお姉さんが家で作ってきたと言う鳥の唐揚げをご相伴にあずかりましたっす♪
この後は再び車に乗り込んで次へと移動です^^
第二号水路橋(勿論、八ッ沢サイド)
国道から望んだんすが・・・木々が邪魔してよく見えなかったっす^^;
(教授さんと女性メンバーさんは国道から斜面を降ってカメラにおさめてましたっすw さすが教授です☆)
ここを後にして次に向ったのはーーー
『ううう・・・八ッ沢発電所遺構群と中央本線旧線の行ったり来たりでどっちがどっちか分からないですう~^^;』
夕実っちが嘆くのも無理は無いw
だってほんとに八ッ沢サイドと、旧線サイドはDNAの螺旋のように絡み合って残っているのだから^^;
えっと、ちなみにここは『宮原隧道(旧線サイド)』っす^^
丁度、公民館が近所(目の前)にあったのでそこに車を止め、
そこからゾロゾロと10名の大人たちが藪の中のトンネルを目指す。
他人が見たら『この人たち何なの!?』って絶対思われるに違いないっすw
やって来たっす宮原隧道。
先ほど見た大原隧道と共に立派な感じで残ってた^^
フェンス越しに(当然のごとくここも)中を覗きこむメンバーさん達。
かつてここを鉄道が走っていただなんてと、トンネル内と、私の背中の向こうを振り向き交互に見てしまった。
『わきゃー♪ ヤブヘビイチゴがなってるですう^^』
トンネル脇にヘビイチゴの実を見つけてキャッキャしてる夕実っち。
チッチッチ。まだまだ煉瓦修行がたりませんね夕実っちさん^^;
そんなのに現を抜かすようではw
ああでも、子供の頃2人でヘビイチゴ食べて『まっず・・・^^;』って思った思い出があったねえ・・・。
ーーーとは言え、
多分このフェンスの先には行けないだろうし、これ以上ここの煉瓦もじっくり拝めないんだろうなあ~と思った私は、
『そうそうそう。そーいや夕実っちってば、ヘビイチゴ集めてジャムでもつくろうよ!とか昔言ってたよねw』と、夕実っちの野草談義に付き合っていた。
が!
そんな認識は甘かったようです。
『ほらほらここから入れますよ^^』
『あ、ほんとだあ~♪』
と、いつの間にか中へと突入している皆さん方。
『私達も行こうか^^;』
『うん・・・。行くですw』
こうして宮原隧道探索が始まった。
トンネル内壁下部は石積み。
見上げれば煤けた感じのくすんだ煉瓦の星空。
煉瓦のプラネタリウムといった空間でしょうか。
ここで夕実っちが聞いてきた。
煉瓦のひとつひとつを天井からなぞるように指差して。
『ねえねえ琴音ちい^^ この煉瓦ちゃんって、何積みなんですか? ほら、あのイギリス積みとかフランス積みとかあるじゃない~^^』
夕実っちが言うまであんまり気にしてなかったんだけど、改めてマジマジと見てみた。
すると、
一番下の部分だけを除いて全部、均一で同じ長い側面の煉瓦の積み方だった。
所謂・・・長手積み?
『長手積みかなあ~・・・。要するに煉瓦の一番長い側面ばかりで積まれた煉瓦の積み方かな^^』
『わきゃー!そんなのもあるですか!勉強になったです~^^』
・・・これから煉瓦ばっかりのサークルの部長になられるというのに
それすらも知らなかったですか部長どのw
(明治35年にここは開通。その当時はイギリス積みが主流かな?
小口積みが長手積み5~6段と組み合わさってるのはアメリカ積みとも言いますが、ここは下部だけが小口積み。アメリカ積みでも無い。
そこまで詳しくないけれど、多分トンネル入り口の一部分とトンネル内最下部を除いてほぼ長手積みという施工ではないでしょうか)
トンネルの向こう側へと到達。そこはうっそうと茂った森でした。
壁に打ち込まれた犬釘の傍ににムカデ!?
思わずギョッとする私と夕実っち。
・・・よく見ると、ムカデは生きてなかった^^;
蟻たちがムカデの亡き骸をせっせと運んでいるところだったっす。
入り口付近からの光がトワイライトゾーンのワンシーンみたい。
途中、待避所の名残りを見つける。
アーチ部分は煉瓦ちゃんだった^^
(ちなみにここで皆で記念撮影したのはナイショですw 弱小ブログですし誰も見てないでしょうからコッソリね☆)
トンネルを出た後、国道沿いへと徒歩で降る私達。
途中、メンバーさんが民家の軒先の煉瓦で大発見!
無造作に並べられた庭先の煉瓦たちに煉瓦の刻印を発見するのですぜ^^
写真じゃ分かりづらいけど確かに刻印がありましたっす☆
(またもやここでお姉さんチームが家の人といつのまにか交渉。
結果、じっくりしっかり見させていただけることになりました^^)
そして民家の人にお礼を皆で述べて、国道20号線へと降り立った。
ここでリーダーさんが、
『この先に第三号開渠(八ッ沢サイド)が待ってます^^ 車の交通量が結構多いので注意して進んでください^^』との警告。
確かにこんなに道幅も狭い道だというのに、引っ切り無しに車がブンブンと通過していたっす。
歩くこと数分。
対面側の歩道脇に
『第三号開渠』を示す看板が!
ここでリーダーさんが『車に気をつけて渡りましょう^^』と皆に声掛け。
私達は車の通行の合間を縫って向こう側へと走った。
そこから見えたのは第一号開渠と同じような施設だったっす。
一応そこまで向って覗き込んだのですが・・・
金網で囲われていて、あまり感動を得るものでは・・・・・・なかったかな? ぶっちゃけ^^;
新廃村サークル部長殿であらせられる夕実っちも『ううう・・・煉瓦も見えないし、つまんなーいですねここ^^;』と嘆くほど^^;
(メンバーさんには聞こえない程度にねw)
正直、猿橋や猿橋近辺で出会った第一号水路橋での感動を超える出会いは、もうこの先無いんだろうなあ・・・と、
思い始めていました。
そこから更にちょびっとだけ歩く事になる。
今までの流れで言ったらば、開渠があるなら次は水路橋見学と言う事っすね^^
私達はリーダーさんに導かれ、国道20号線の脇道へと降りていくことになったのですーーー
『第三号水路橋』
地面を伝う開渠(水路)より、橋の上を水が通る水路橋は少し期待できるかな?
と、さっきまで思っていた私はここに来て後悔。自分を嘆くことになるーーー
フェンス越しに見えたその水路橋は
今までと別物だったっす。
間近に見える、苔むした緑のトンネルからドドドと流れる青い水流!
青と緑のコントラストに思わずフェンスをいつのまにかガッシリ掴んでいたっす。
ふと横を見ると夕実っちも、
『わあー!わあー!わあー!す・・・すごいですう!
なんでこんなに青いんですかね☆
なんでこんなにキレイなんですかね。わきゃー☆』と、
食い入るようにフェンスの網目に目をくっつけて見ていたっす。
この水路橋の流れを見ているだけでも時を忘れそうだったんだけど、
皆さんがドンドンと水路橋脇の道を降りていくので、夕実っち共々急かされた感じでついて行く。
その途中で見えた本来のこの水路橋の大きさに
わたしたちは『うはっ!?』『わきゃっ!?』と
短く声を出しつつその後の声が出ないくらいに目の前の景色に驚いた。
先行ったメンバーさんが橋のたもとにめっちゃ!小さく見える!
しかも煉瓦としてはあまりにも巨大な建造物!
上から見ても痺れたっつーのに、
全体像を見たらぶっとびましたっすw
正直なんだここは!?って思った。
もうそこからは『うわー!うわー!』としか、しばらく声が出なかった。
私は夕実っちすら放って、思い思いに色々な角度から場所から、この第三号水路橋をうっとりと眺める私だった。
いや、正確に言うと眺め倒す!ってくらいw(そんな言葉は無いのだけれど、キモチはそんのくらい^^)
関東の煉瓦遺構や構造物は、ある程度把握してる『つもりだった』のです。
北海道や関西などの有名どころはある程度お勉強していたつもりだった。
でも、こんなところを知らなかった自分をどんなに嘆いたことか。
そのくらいこの出会いに感動したってことっす^^!
---ふと夕実っちが声を掛けてきた。
『ねえねえ琴音ちい^^ 前に碓氷のめがね橋(碓氷第三橋梁)に行ったじゃない?』
『うん。行ったねえ^^』
『あそこもたくさん煉瓦のトンネルと煉瓦橋があったけれど、三番目の橋、つまりめがね橋が一番立派で凄かったよね^^
この八ッ沢発電所遺構群も“三番目”のこの水路橋にびっくりさせられちゃったよお~^^』
確かにそうかも^^
まあでもたまたまなんだろうけど、三番目の魔力にぐぐっと惹かれたのは事実。
しかも八ッ沢の開渠たちが碓氷で言ったらいくつもの隧道。
水路橋が橋梁と、目的は違えどとても重なる部分があるような気がしたっす^^
(※ちなみに水路橋は第4まで存在します。橋長で言ったら猿橋の奥に見えた第1号水路橋のほうが42.7メートルで一番長いのですが、
こちら第3号水路橋は40.3メートルとは言え煉瓦造り&コンクリの五連アーチ。
1号の鉄筋コンクリ単アーチと比べると痺れるくらいにカッコいいのですよ!^^)
---ここに来てどれくらい経っただろう
煉瓦研究ネットワークの皆さんも、他のどの開渠や水路橋よりも多くの時間をここで割いていたと思います^^
『さあでは時間も丁度良いということで、そろそろ次へといきましょう^^』とリーダーさんが声がけ。
すると『もう充分じゃないか?w むしろこれだけ巡れただけでもよかったじゃん^^』と館長さんが突っ込みを入れる。
ドッと沸くみなさん^^
まあでも確かに私はここで充分満足感ありありでした^^
ということで、車の場所まで戻って次へと移動っす。
(結局、第四号水路橋などはパスすることになりました)
その代わりにやってきたというのも変ですが、今まで巡ってきた開渠・水路橋を経て水が辿り着くゴール的存在の“大野調整池”
つまり大野ダムへとやってきましたっす^^
広々とした景色に私と夕実っちは思わず『う~ん』と背伸びして深呼吸^^
そこに教授さんがやってきた。
『ははは、お疲れ様だね^^ まあ~ここまで含めて八ッ沢発電所施設ということだね。アッハッハ^^
この目の前の大きな調整池を含めてわが国最初期の本格的な水力発電所。
当時の土木技術の粋を集めた場所でもあるんだよね^^』
『『勉強になりました^^』』
『アッハッハ^^ そう言っていただけると嬉しいね^^ まあ、あと少しだけ巡るところがあるから頑張りましょう^^
なんてったってここにも煉瓦は存在するからねw』
私達は再び車に乗り込み、この大野ダムのへりを進むことになった。
大野調整池制水門施設。残念ながら金網越しでよく見えず^^;
その後は最後に取水口口を見に行くことになりました。
なんてったって水たちのゴールの瞬間を見てみたい!
夕実っちは『流しそうめん流したらそこから出てくるのかなあ~』とかワケワカメなこと言ってましたがスルーします。
ようやく取水口口へとやってきました。
ここで車を止めて、徒歩でいざ鎌倉です。
とは言えどうにもこうにも木々が邪魔して満足に見えない・・・^^;
もっと湖水近くに下りなければ満足に見えない感じ。
するとメンバーのお姉さまの一人が
『大野ダム横で畑仕事してる方にアポとりましたよー!^^
こちらから降って行けます☆』と皆を呼んだ。
いつのまに!
・・・大人の女子力はんぱねーなオイw
と言うことで~農作業の方に皆さんご挨拶しつつも湖面へと突入ですw
少々の藪を越えーーー
簡易な橋渡しを踏み越えーーー
なぜかチェアーが堂々といらっしゃる、取水口ベストスポットへとやってきましたっす^^;
そこから見えたのはーーー
煉瓦のアーチから勢い良く飛び出してくる水流。
あの水路橋や開渠で見た、見届けた水がここまで来たんだなあ~と思うと、
なにか感慨深いものがこみ上げたっすね^^
さあいよいよ八ッ沢発電所施設遺構群たちともここでお別れです。
帰りの車に乗り込むときに、ふと夕実っちが教授さんに質問した言葉が少々気になったけれど。
(『ゴールは見たですう~^^ でもでもそもそもこの八ッ沢発電所のスタート部分はどこなんでしょうか教授さん?^^』
『上流に駒橋発電所というのがあるのですよ^^ そこからの水を使用してるので、しいて言うならばそこがスタートかもしれませんね、大瀬崎さん^^
ちなみに駒橋発電所の方が八ッ沢発電所よりも古かったりするのはナイショです。しー!ですよ。アッハッハ^^』)
中央高速を経て八王子駅へと到着。
本来ならここで今回の会は解散でしたっす^^
でもっすよ。せっかくの集いに参加させていただきました。
しかも教授さんのツテのおかげで二度目の参加ですよ!
大学のサークル風情や、個人のちからでは中々辿り着けないものを色々と教わったわけです。
『このあと打ち上げをしたいと思うのですが、参加される方は手を挙げてください^^』とリーダーさんがおっしゃったので、
迷わず私は手を挙げましたっす^^
また、夕実っちも恥ずかしがることもなく普通に手を挙げて参加の意志を示してくれたことに私は安堵し、
彼女を誘って良かった。と思った。
居酒屋での打ち上げ。バンバン料理を頼んでガンガン出てくるのには夕実っち共々びびっちゃいましたがw
それでも楽しかったっす^^
年上の方々ということで戸惑いもありましたが、煉瓦に取り付かれた集まりです^^
お酒も入って垣根はどこそこと言うことですね☆
ーーー実は、
リーダーさんの婚約祝いも兼ねていたそうです☆
ご婚約おめでとうございます!^^
またこんな会に参加できたらなあ。
普通に過ごしていたらきっと出会わなかったはず。
煉瓦を通して色々な出会い、そしてまさかの出会いが出来たんだなあと、しみじみ思った今回の煉瓦レポート。
なんかそういう風に思います^^
琴音の煉瓦日記、二冊目のある夏の1ページのお話でした。
みなさんお久しぶりぶりw とりあえずここまで読んでいただきありがとうございました^^
あんた更新さぼり過ぎでしょここんとこ^^;
いやあ~・・・忙しいだけならまだいいんだけどさあ、
仕事場のエアコンが不調でね・・・。
この前とうとう立ちくらみってやつを始めて経験しましたっすよ^^;
自分でもびっくりしたよ!
包丁もって刺身引いてたら後ろの方にスーーーって意識が遠のくんだもの^^;
しかも二度三度。
所謂・・・熱中症じゃないかね(むしろそうであって欲しい。他の病気とかこわすぎるw)
おかげでここ2~3日グッタリ。
久しぶりにお酒も飲まないでさっさと寝てたよお^^;
酒も飲まないで寝るとかオッチャン的にヤバイねw
まあでもおかげで元に戻りつつあります^^
とりあえず草加市から届いてる特定健康診断とかガン検診とか受けてくださいよw
そのうち・・・行こうかな^^;
低料金で体の健康を見てもらえるんだから行けよw
まあ・・・時間があれば行こうと思います。
まだまだおいらは若いぜ!とは勝手に思ってたけど、
やっぱり若い頃とは全然違うもんな^^;
(傷の治り具合とか疲労回復の頻度とかしみじみ実感するし)
さて次回は『男やもめ』な話題を1つ挟んで、いよいよ8月2日に迫った地元のお祭り『猫踊りまつり』へと進むことになるかと思います^^
(居酒屋けいばというオイラのブログ的にも最大のイベントですし)
勿論、お休み取れたので今年も『函南・猫おどり』に参加です☆
ではではまたのご来店をお待ちしております♪
第697話 山梨八ツ沢発電所遺構編☆vol②『今でも現役バリバリの煉瓦たち』猿橋&第一号開渠(かいきょ)など [廃村さーくる(古煉瓦)]
『全部う~そさ!そんなも~んさーーー♪』と懐メロが、
バッグの中で外に出たがり大暴れ。
う・・・あれ?教授さんからの着信みたい^^;
私の肩に寄りかかって寝息をたてている夕実っちを少し肩で押しのけてメールを覗き込んだ。
『いまどこにいるの?アッハッハ』
私は急いで夕実っちを揺り起こし、駅前で手を降る教授さんの下へ向ったーーー
第697話、スタートっす☆
少し早めに現地に到着していた教授さんと合流。
私達はしばらく駅のコンコースの窓から煉瓦のプラットホームの観察をしていた。
すると、今回お世話になる煉瓦研究ネットワーク東京さんのメンバーの女性に声を掛けられたっす^^
『おはようございます^^ みなさん☆』
---待ち合わせ時間定刻。
ぞろぞろとメンバーらしき人たちが駅の階段から降りてきた。
が、
まだ数人いらしてないとのこと。
どうしたのかな?と思っていたら、女性のメンバーさんが
『みなさん、煉瓦のプラットホームに夢中のようですよw』と、ここからホームのほうを指差した。
・・・ああほんとだ。何人か駅のホームから食い入るように下を覗いているっすw
さすが煉瓦に取り付かれた集団っすね☆
---それでは皆さんおそろいの様なのでーーー
数分遅れで集合場所に勢ぞろいしたのは、私達を含めて丁度10名のメンバーさん達。
『え・・・えとえと・・・い、いっぱんさんかの・・・大瀬崎ですう・・・^^; きょ、きょうはよろしくお願いします!』
夕実っちは初参加ということもあって皆さんにご挨拶。
『ううう・・・めちゃめちゃ緊張したですよ^^;』と小声で私に言って来た。
『みんな気さくでいい人ばっかだよ夕実っち。だから安心するっすよ^^』
『は、はいですう^^;』
私も猿島の時は夕実っちのように緊張したなあ~w
あの頃の自分を見るようでなんか懐かしくも思えた。
『ではではまずは先ほどの煉瓦のプラットホーム。通称ゼロ番線ホームを覗きに行ってから、今日の今後の予定を説明いたしますよ^^』
と、今回の企画を練った男性のメンバーさん(以下、呼称をリーダーさんとします)が、皆を先導した。
私達も末席にてついていくことに(教授さんはアッハッハと皆より先に先行してるけどw)
架線作業の敷地内にお邪魔する私達。
『わきゃー!ここ入ってもいいですか?』と夕実っちが恐る恐る聞いてくる。
『煉瓦研究ネットワーク東京さんの力を信じるのだ夕実っちさんw』
『ほえほえ~すごいですう^^』
作業中の皆さんに『おはようございます』『よろしくおねがいします』とお声を掛けつつもゾロゾロとゼロ番線ホームのベストスポットへと向った。
車止めの向こうに煉瓦のゼロ番線ホームが顔を出す。
ここで皆さんはカメラを構えだした。
私達も負けずにパシャパシャするっす(夕実っちはスマフォのカメラ)
今度は向かい側まで皆で移動して、猿橋駅のプラットホームをじっくり観察。
ここで教授さんが『こうやって見ると私達が今利用しているホーム下も煉瓦だったんだね。
よくみると煉瓦のプラットホームの上にコンクリで高さを出しているようだ^^
壊さず再利用。素敵な煉瓦じゃないか。アッハッハ^^』
現役バリバリの古煉瓦ちゃん最高っす^^
廃墟と違って再利用率が高いのもまた、私が廃村サークルを古煉瓦バージョンに移行しようとしたキッカケでもあるっす^^
---私達は元の集合場所へと再び向うことに
そこではリーダーさんから今回の目的の場所の資料を手渡され、今日一日の行程のお話がありました。
なにより今回は猿島編のように地元の教育委員会さんの助けはあまり無いとのこと。
『自力で見つける煉瓦の旅ですので皆さんなにとぞご協力くださいw』とリーダーさんがおっしゃった。
そこに
『ひとつかふたつでも周れれば今日は御の字じゃないかねw』と、歴史資料館の館長さんがツッコミ(以下、呼称を館長さんに)
ドッと笑いが起こる。
夕実っちはそれを見て小首をかしげていた。
夕実っち。一緒に皆さんと行動していればきっとその突っ込みと笑いの意味が分かるはずだよ^^
なんせ子供のように皆夢中で先へ中々進まない人達だからw
今回メンバーさんが用意された車二台にそれぞれ乗り込むことに。
なんせこの八ッ沢発電所遺構群は広範囲に広がりを見せている物件なんすよ。
徒歩などではほんとに一個か二個しか巡れないくらいに^^
途中のコンビニで皆それぞれ必要なものを購入して(昼食をとれる場所があまりないので、お弁当やジュース類などを購入)
最初にやってきたのは『大月市郷土資料館』っす^^
駐車場を間借りさせていただけるとのことでやんす。
資料館さんのご好意があり、無料でしばらく館内巡りっす^^
『ねえねえ琴音っちい^^; ここに煉瓦あるの?』
『うんにゃよくわからないよ私も』
『なんでよw』
なんでかというと、実は私。
今回巡る八ッ沢発電所遺構群を一切下調べしてこなかった。
理由はめんどくさいとかではなく、何も知らない方がより感動できると思ったから。ただそれだけ^^
それはのちのち大成功だと思うのは、今の私はまだ知らない☆
資料館二階の窓から向こうを覗くメンバーさん達が居た。
『何を見ているんですか?』と尋ねると
『ああ~こっちこっち、ほらあれをご覧なさい^^』と窓の近くまで私達を迎え入れ、
『あれが八ッ沢の第一開渠だよ^^』と教えてくれたっす。
『わきゃー♪煉瓦ちゃんが見えるですよお^^』
ああほんとだ。うっすら汚れた窓からかろうじて煉瓦の遺構が顔をのぞかせていた。
私は開渠(かいきょ)って何だろうと思って教授さんに聞こうと振り向いたのだけれど、いつのまにかいない!?
『あ、あそこにリーダーさんと教授さんが近づいてるですう^^』
早いねリーダーさんと教授さんはw
私達も資料館の見学そこそこに外へ出ることにした。
(※ 開渠とは水路や放水路が蓋をされてない状態のものですね^^
それとは逆に暗渠というものもあります。
これは都市部でよく見かけるんじゃないかな。ドブやら側溝にコンクリの蓋がしてあって道になってるところがあるでしょ?
あれが所謂、暗渠というものもです^^)
資料館の裏手に出たところ、そこは小さな畑になっていましたっす。
ちょっと入っていいのかためらったのだけど、もう皆さっさと第一開渠へと向っていたので私達も向うことにw
そしたら普通に第一開渠はコチラって看板出ていたw
ためらう必要もなにもなかったようで・・・^^;
金網越しに見てもスゴイ勢いの水流!
とはいえ私が用があるのはあくまでも煉瓦ちゃんですぜ♪
開渠の先のほうにある煉瓦ちゃん目指して先を急ぐ。
『ううう・・・ちょー狭いですう^^;』
そこまでは矢印でコチラですとは看板が謳っていましたが、
歩く道は別に整備された歩道でもなんでもなかったっすw
溝を左右にヨイショヨイショと跨ぎながら皆さんの後を追った。
『やあ君達遅かったねアッハッハ^^』と、既に教授さんはカメラをバッチリ構えてらっしゃいました(さすがです☆)
第一開渠の煉瓦を指差して館長さんがお話を始めた。
『この第一開渠を筆頭に八ッ沢発電所関連施設は約14㌔ほどにも及ぶ長大な水力発電所施設なんだよ^^
日本では最初期の本格的な水力発電所でもあるし、
日本で最大規模の重要文化財でもあるだなこれが^^』
うはマジッスカ!なんか日本一とか聞いちゃうとスゲーって思っちゃうよ~ん^^
しかもここだけじゃなくってその先も、これまたもっと先も重文の施設が続いて、尚且つそれらには古煉瓦ちゃんが使われているとのこと!
これは・・・ぐへへ。たまりませんね!w
第一開渠を満喫した私達(金網越しなのが少々不満だけど、あの水流に飲まれたら間違いなくヤバイし^^;)
資料館横の猿橋公園に戻り、そこから第一水路橋見学へと向うことになったっす。
公園の芝生を突っ切る煉瓦大好き人間御一行様☆
整備された公園を抜けるとーーー
紫陽花色めくアップダウンのある道へと突入。
歩道と平行して流れる桂川を遠目に見る。
釣りしてる人もいるし、時折渓谷を抜ける風がとても爽やか~ん♪
歩き進めると、いつのまにか桂川がかなりの谷底へと遠のいた。
正直見下ろすのも怖いっす^^;
そして森が開けてきた頃ーーー
名勝『猿橋』が見えてきたっす^^
『わきゃー♪ なんか橋の下に屋根がいっぱい付いてて不思議な橋ですねココ^^』
夕実っちが言うように確かに橋を支えてる橋梁の部分が屋根と言うか屋根瓦?みたいなヘンテコリンやんw
『アッハッハ^^ これがまたこの橋の面白いところなんだよ。木を組み合わせて造ってあるから非常に強固に出来ているんだね^^』と、教授さんが補足してくれた^^
また別のメンバーさんがカメラを構えつつも教えてくれる
『ここは日本三奇橋の1つでもあり“はね橋”という特殊な橋でね~。
日本に現存する木造のはね橋は、この猿橋ただ1つなんだよお姉さん方^^』
『マジっすか』『わきゃー♪なんかスゴイスゴイですうー^^』
私達は改めてこの猿橋をまじまじと見つめる。
昔の人ってやっぱりすごいよなー^^
(※ はね橋とは、橋の端になる岩盤などに木を差し込み、その木をベースに上へ上へと木を組み上げて、対岸とこちら側を結ぶように造った橋のことです^^ ま、簡単にだけど。
こう言う渓谷上の厳しい条件下では、つり橋という手法が多いですが、こっちのほうがやっぱすごいよなあ^^)
せっかくなので猿橋の上を歩いてみる。何度も改修されてはいるけど川底までの高さと木製ってことを考えると結構怖いかも^^;
---ここで館長さんが
『向こうを見なさいな^^』と私達に向こうを促がした。
そこから見えたのはーーー
うは、何あれ? 煉瓦だけど何!?
よくよく見ると橋のようになってるけど・・・どう考えても人が渡るような橋に見えない!^^;
『わきゃー。なんですかアレー^^;』と、夕実っちと一緒になって不思議がっていたら、
リーダーさんがやってきて色々教えてくださいましたっす^^
『あれはね“第一号水路橋”って言って、これもまた八ッ沢発電所のいち施設なんだよ^^
今じゃ鉄のパイプで川の上を水を通すこともあるしなんてことないけれど、当時(明治43~大正3年)としてはビックリな技術だよね^^』
えっと・・・今から100年くらいは前でしょ?
当時の技術力とかは正直わかんないけれど、それでもこの深い渓谷の上に発電の為の水を橋を造って通したんだから、
何回も言うけどやっぱすごいよなあ~^^
改めて猿橋から下を覗きこむ。
・・・よくもまあ、
こんなところに人どころか水を通したものっすよね^^;
猿橋の入り口に、おや?っと思える煉瓦壁の家があったんすけど、
『ねえねえお姉さんたち^^ こっちからもっと第一号水路橋が見えるよ^^』と館長さんが手招きしてくださったのでそちらへ向う。
勿論ここも重文。
ベストビュースポット。
そしてやっぱり教授さんが先に居たw
そこから見えた水路橋は、やっぱり金網越しだったけれど、
今もなお渓谷の上を勢いよく流れる水と、
そして煉瓦のアーチへと吸い込まれていくその様に、
私と夕実っちはしばし見惚れるのでした。
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
八ッ沢発電所遺構群編はもう少し続くんですが、なにぶん歴史やその背景も交えて色々と調べながら書き綴ってるので記事書く時間かかるんすよねw
ここに限った話ではありませんが基本、なるたけその煉瓦や行った先々などのバックボーンを紹介したいってとこがあるので、
廃村さーくるの記事は、更新期間も文章も増長気味になるのはご理解ください^^
ではでは次はvol③と行きたいところですが、
恐らく『鱧しゃぶオフ会+アルファ』の話を一回挟むと思いますw
ではではまた今度☆
手が空き次第、みなさんのとこに訪問しようと思います^^
第696話 山梨・八ツ沢発電所遺構編☆vol①『わきゃー!煉瓦どころか蛾がいっぱい?』猿橋駅 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『ふむふむなるほどなるほど。今回から部長も参加させたいというわけだね。アッハッハ^^』
乱雑に。そして所狭しと積み上げられた本や書類の塔が崩れてしまうんじゃないかと思うくらいの教授の笑い声が、
教授室にゴゴゴと吹きすさぶ。
『はい^^ 学生のサークル内で活動するのもいいんすけど、せっかくの機会です。むしろチャンス?
今回は新部長である大瀬崎さん(夕実ちゃんの苗字です)も連れて行きたいと思ってるんですが・・・いいですかね教授^^』
『勿論だとも。ウェルカムだよ琴音君^^ さっそく先方にも伝えておくよアッハッハ☆』
高幡教授のOKが出た!
私は教授に何を懇願したかというとーーー
教授が常々参加されている
『煉瓦研究ネットワーク東京』という古煉瓦追求の集まりに、
夕実っちが煉瓦サークルの部長としての今後の向学の為には実にいいんじゃね?と思ったからなんすよ^^
学生なんかよりツーランクもスリーランク。いやいやもっともっと上の本格的な古煉瓦追求の場に触れてみる機会ってのは中々無いしね☆
っつーことでえ、
『ううう・・・歴史資料館の人とか学芸員さんの集まりとか私にはドキドキして怖いですうう・・・^^;』とビビッた夕実っちを半ば強制的に参加させたのが今回のお話っすw
ではでは山梨・八ッ沢発電所遺構編!
スタートっすよ~^^
『ううう・・・眠々ですう^^;』と目蓋をぐりぐりとこする夕実っちを布団から引っ張り出し(わたしんちに前泊)
早朝、外へと飛び出した。
どうやら私は天気に愛されたみたいっす。
見上げた空は梅雨時を忘れさせるようなカラッとした青空だった^^
最近近所に出来た牛の丼を食べれるチェーン店で朝食をこなして電車へ乗り込む私達(必ず豚汁変更っす☆)
武蔵野線を乗り継いで一時間ちょっとを掛けJR中央線へと乗り込んだ!
『ここから目指すは今回、山梨県っすよ夕実っち!』
『わきゃー♪ 廃村サークルで関東近県は出向いたですが~ーーー
山梨県は初上陸ですう~♪』
私が今回の企画へと誘った当初は渋々な感じの夕実っちだったけど、行った事の無い場所へのワクワク感が今は勝ってるみたいにはしゃいでる^^
実は私も山梨県は数えるほどしか行ってないからウキウキみたいなw
---八王子駅から乗り込んだ私達。
ちょっと今までの電車旅とは異質な感じに驚いた。
『ねえねえ琴音っちィ^^; なんか私達以外の乗客さんの格好が
普通っぽくないですう^^;』
『そうだねえ・・・^^; なんか私達以外の7か8割の人たちは皆、でっかいリュック背負って格好も登山仕様の出で立ちっすねw』
---まあほんとにびっくらこいた。
時間も時間だったけれど、車輌にいる人たち皆さん山登りの格好ですぜ^^;
途中駅で乗り込んできた地元の学生さん達も非常に居心地悪そうなくらい^^;
んで、その理由は乗り換え駅で答えが見つかった。
『わきゃー♪ あのちょちょちょちょちょー有名な高尾山って、この中央線だったですね^^』
『ここに訪れる年間の登山客の数は世界一って言うもんね^^ だから登山スタイルの乗客がめっちゃ多かったみたい^^;』
(※ 今めっちゃはまってるアニメ“ヤマノススメ”で高尾山の知識を大体得ましたw
あのアニメは素晴らしい☆ 山に登りたくなっちゃうよなあ~^^
ちなみにオイラは高尾山に興味抱いてるのは山登りとかじゃなくって、
高尾山ビアマウントっちゅ~高尾山でのビアガーデンだねえ~w
山の上のビアガーデンとか発狂したくなるくらい素敵やないかっ!w)
『さあ夕実っち^^ 中央線から中央本線に乗り換えてレッツゴーっすよ^^』
『はーいですう^^』
・・・乗り換えたその車輌もまた登山スタイラーな人々ばっかりなのはなんでよ?
山登りにてんで疎い私達は
『この先にも山登りのベストバウトな山があるのかな?』とか
『あのでっかいリュックには何が入ってるんですかね?』と言う山登り談義に花が咲いちゃったw
まあでも興味あるっすよ山ガール!
煉瓦の次は山もいいかな?なーんて思いましたっすよ^^
---そんなこんなで
あっという間に、今回の待ち合わせの駅であるーーー
山梨県は大月市、猿橋駅へと到着っす^^
私達は『これから偉い人たちに会うのに寝坊したらマジでマズイっしょw』と言う考えで、
待ち合わせ時間の約二時間前にやってきたんす^^:
『わきゃ!?』
夕実っちが駅のホームへ降りた瞬間に目の前を指差して小さく驚く。
私はその夕実っちの指先の向こう側へと思わず目線を動かしたのす。
そこに見えたのは
煉瓦のプラットホームだった。
『いきなり煉瓦のお出迎えっすか^^ さすが煉瓦のエキスパートさん達が選んだ場所っす。抜かりないっすね☆』
『わきゃあー。でもなんか今は使われてないっぽいですう^^』
『ええそう?今でも使えそうなきがするけど・・・・ってアレ?
そもそもこのプラットホームに降りる手段がないねえ^^;
あとで教授さんと合流したらここが何の煉瓦なのか聞いてみようね夕実っち^^』
(※ ここは別称“ゼロ番線ホーム”と言われる旧国鉄時代のプラットホームの名残りだそうっす。
1997年に駅舎と島式ホームを改良・リニューアルしたそうですが、そのまま残されているようっすね^^)
私達は煉瓦のプラットホームをじっくり堪能した後、改札口へと向ったのです。
『わわわわわきゃああああああ!?』
階段を登って改札のあるコンコースへと降り立った時、突然夕実っちが発狂!
『ど、どどどどどーしたのさ夕実っち!』と声を掛けると、
『あわわ・・・あわわ・・・ですう・・・』と言いながら夕実っちが近くの窓を指差した。
何があんのよ^^;と、指差す方向を見た
その刹那!
蛾がたくさん張り付いていたっす☆
(※ マイマイガかな?日本全国どこでも大量発生してお騒がせする蛾)
『私ダメです・・・蛾がダメですう・・・^^;』
いや私もちょー苦手だよ^^; 特に目玉模様があるでっかいやつは私でも夕実っちのように発狂するかもだ^^;
(※ なんせ子供の頃に蛾に関する超トラウマな出来事が二本立てであるからねえ・・・^^;
ひとつは・・・親族一同での夏の集まりでの食事中の蛾の卵バラバラ事件。
もうひとつは・・・小学校時代の通学路の垣根に大量発生した巨大目玉の蛾の来襲事件。。。
ちなみに、教授さんと合流した際に駅舎の窓から煉瓦のプラットホームを撮影していたら地元の方?に、
「あんまり窓開けないでね^^; 今朝はコンコースの床一面に蛾が一杯入り込んで掃除したから^^;」と指摘されましたっす^^;
相当・・・蛾ですんごいことになってたらしい・・・^^;)
蛾にビビる夕実っちを引っ張って、とりあえず改札を抜けることにした私達。
ちょっと待ち合わせ時間まで腰を落ち着けられそうなベンチを探すことにしたっす(あわよくば仮眠など)
まずは北口から駅まわりを探索っす。
基本、民家ばっかり。
中でも気になったのがこの色々と風化し始めてる民家さんの前に落っこちていたある物
『ねえねえ琴音っち。煉瓦がポツポツ落ちてるですよ^^』
『ああほんとっすね^^』
私は夕実っちが見つけた煉瓦を手にとってじっくり観察するのです。
ちりめんジワ。古い煉瓦ちゃんに特に多い煉瓦形成時の名残りっす。
その後、何個か手に取ったけれどーーー
煉瓦の刻印らしきものは無かったっす(ちぇっw
北口周辺にはベンチが無かったので諦めて南口へと向う私達。
(※ 本当はあったんだけど・・・、ツーリングのお兄さんとか他の観光客の人に占領されてたっす^^;)
南口へと降り立つと小さな小さなロータリー?
その隅っこにポツンとベンチがひとつだけあったのです。
しかも大きな木の木陰付き物件☆
私達は腰を下ろすといつのまにか寄り添うように夢の中へと誘われたのであったーーー
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
今回は山梨・八ッ沢発電所遺構群のさわりの部分でございやす。
次回からはいよいよ本格的に?煉瓦に自然に触れるお話になるかと思います。
ではではまた今度ねえ~w
第695話 群馬県 旧境町・島村編☆vol②『中州の村を守ろうとした煉瓦たち』島村の渡し&八坂神社 [廃村さーくる(古煉瓦)]
『わきゃー!小雨になってきたですう^^』
あ、ほんとだ。
先ほどまでの豪雨が嘘みたいにパタリとやんだ。
私の普段の行ないが良いからっすね^^(いいえ違います)
『だいぶ足止めをしちゃいましたが行きますですよ~^^』と夕実っちが、
可愛いらしい胸をドン!と叩いて私を先導しだしたのだ。
第695話、スタートっす^^
雨宿りでお世話になった防災センター脇のトイレにバイビーして私達は河川敷へと向った。
逸る夕実っちを先に行かせて途中にあった町の観光案内版をチラ見した私。
そこには夕実っちが恐らくここらへんを目指してるんじゃないかなあ~って思った場所
『島村の渡し』と書いてあった。
・・・せっかくなので聞いてみたっす。
『ねえねえ夕実っち。島村の渡しってとこに行くの?行くんでしょ?w』と。
すると、
『な、ナイショですう!し、島村の渡し? そ、そんなとこ・・・し・・知らないですよ~^^;』と、実に分かりやすい反応です☆
歩く事数分。
コチラが島村の渡しですという案内板のとこまでやってきた。
先行く夕実っちは『こっち!こっちですう^^』と、私を島村の渡し方向へと誘う。
『やっぱり島村の渡しに行くんだよね?』と聞いても
『い・・・いいえ。た、たたたたたまたま同じ方向なんじゃないかですう^^;』と嘘ぶく。
・・・実に嘘がヘタクソだ。
でもまあそこが彼女の魅力でもある^^
私は彼女の言葉に付き合って
『そうだよね!まさか島村の渡しじゃないよね!マジで♪』と半笑いで返したったw
利根川の河川敷まで到達。
こんなとこに煉瓦なんてあるの?と内心思った。
確かに昔の煉瓦の運搬には河川が大活躍したし、
煉瓦工場も河川の傍が定番と言うのも今まで勉強した中で知った知識っす。
でもその定番はあくまでも河川の近くの立地であって、河川敷内じゃない。
夕実っちに先導されながら利根川の土手にあがる。
『たぶんこっちだと思うです~^^』と指差した方向はどう考えても
島村渡船はコチラって書いてあるんですけど!
・・・もしかしてこの渡船の場所が煉瓦と関係してくるってことっすかね?
それはそれで興味ある。
私はあえて突っ込まずに彼女の後をついて行った。
土手を降りて河川敷までやってきた私達。
見やると随分と川まで遠い。
さすが利根川!
川の長さは信濃川に日本第1位を譲るけれども、
その流域面積は日本一☆ってのは伊達じゃないっすね(あんま嬉しくない。土手から川まで遠いよ!)
ここで夕実っちが辺りをキョロキョロとしだす。
なんだろな?と思って問うてみたっす。
『どったのよ夕実っち?』
『うーん・・・島村の渡しってどこかなあ・・・って思って^^;
あ、あっちかも^^』
夕実っちは何か確信したように河川敷下沿いに伸びている砂利道の先を歩き出した。
私は慌てて彼女についていくんだけど・・・
・・・夕実っちが歩き出した方向とは真逆の方に、渡船の受付みたいな建物を私ってばチラッと見た気がしたんだけどなあ・・・^^;
ーーーというかあなた!
島村の渡しってどこかな?って今言ったよね?
ねえ?言ったよね?(散々知らないよ?って言ってたのに普通に言ったよね夕実ちゃあ~ん^^;)
先ほどの豪雨ですっかり大きな水溜りが行く手を阻んでいた。
そこから歩く事数分ーーー
『ううう・・・どう考えてもおかしいし、たぶん行きすぎましたですう^^; もしかしたら逆方向だったかもです。
なんか渡船の建物っぽいの見えたし』
と、今来た道をUターンしようと夕実ちゃんが提案してきた。
おい。あんたも渡船の建物っぽいの気づいてたんかよ!なら何でこっちに来ちゃったんだよw
もう正直つっこみどこ満載です^^;
でもまあ~あえてツッコミません。
この子は泳がせた方がオモロイからw
『あれ?もしかしたらこの道が渡船への道なんじゃないかなあ~♪』と、
突如として砂利道から脱線する夕実っち。
見れば確かに河川の方向へと続く藪道。
って、いやいや違うでしょ!
普通に考えてあんなに観光案内版がたくさんあるような場所なのにこんな藪道ぜったいおかしいでしょアナタw
『いざ進めですう。煉瓦の花道ぃ~☆』と夕実っちが藪道へ突貫^^;
とはいえ流石に草ボーボー過ぎてようやく気づいてくれたようです。
『ううう・・・どう考えても観光名所の道じゃないですう・・・』と。
うんそうだね。見れば普通に分かるよね。よくできました夕実っち♪
藪の葉に足元を擦られて痒痒になりつつも元来た砂利道へと戻った私達。
ここで再び雨足が強くなってきた・・・
『島村渡船船着場』
通称『島村の渡し』
やっぱりこっちだったじゃないかwとは思いつつも、なんとか辿り着けたようで2人とも安心したっす^^
なんでも河川の増水や悪天候でもなければ、対岸へと無料で船で送ってくれる渡船のようです。
近隣に橋が無かった頃の名残りが今もあるんでしょうね(今日は渡船無理っぽいけどw)
船着場への道は水浸し状態だったっす^^;
でも『この島村の渡しの船着場の辺りに琴音っちの好きな煉瓦があるらしいですよお~^^』と、
夕実ちゃんがとっても嬉しそうに言うもんだから、
私は『オラ、わくわくしてきたっす☆』と嬉しそうに笑顔でお返事です^^
『わふう・・・^^; ま、まむしに注意とか書いてあるです^^;』
『まむしいるのかよ!』
夕実っちに付き合わされて藪道突進してたのが脳内プレイバック。
あんまり気にしなかった自分に反省です^^;
よーやく船着場に到着!
やっぱり利根川中流域の河川敷は恐ろしく広いってのを実感っす^^;
『わきゃ!? あ、あれがここの渡しの船ですかね・・・』
夕実っちが見やる川べりにはポツンと古めかしい船が係留されていた。
え!? いくらなんでも2~3人しか乗れなそうな船です^^;
あれで対岸まで渡るのか?と思ったらそうじゃなかった。
別んとこにちゃんとした渡船が係留されてたっすw
まあ・・・さっきの小船で川を渡るのもそれはそれで味があるし風情アリアリっすけどね☆
---ふと、この島村の渡しの船着場に辿り着いたところで
私はおや!?っと気づく。
足元にたくさんの煉瓦片を見かけたからっす。
そんな私を見てか夕実っちは
『色々わたしなりに調べたですよ? ここは古煉瓦の欠片がたくさん落っこちている場所らしいのですう^^』と教えてくれたのです。
そして更に夕実っちが続けた言葉に、私はすこぶる震えたっす。
『ここの煉瓦片には“上敷免(じょうしきめん)”と刻印された、琴音っちが大好きな刻印煉瓦の欠片を見つけられる可能性があるらしいですう^^』
・・・
・・・
・・・上敷免・・・だ・・・とお!?
そ、それは明治初頭に埼玉県は深谷に設立された煉瓦工場の地名。
東京駅やら旧日本銀行、その他諸々の官庁に使用された明治初期の煉瓦には、その上敷免という刻印が含まれていたりするのです。
要するに古煉瓦でもブランドチックな代物っす^^
(基本、日本屈指の大煉瓦工場でもあったので、勿論、刻印煉瓦は数多く存在しますしそこまでブランドってわけでもありませんが、
だからってホイホイそこらに落ちてるわけでもないっす^^)
私は夕実ちゃんに
『でかした(よくやった)!夕実っち♪』と、彼女の背中をバシッと叩いて感謝の意を伝え(い、痛いですう~^^;とは言ってたけど)
さっそく刻印煉瓦探しに没頭っす☆
フムフム。古煉瓦特有のシワもあるし、夕実っちの情報も間違いじゃなさそーっすね^^
私はひたすら煉瓦刻印探しに邁進。
夕実っちも勿論お手伝い^^
川べりには煉瓦片どころか煉瓦の壁?の一部みたいなものまでゴロゴロしていたっす^^
中でも一際目立っていたのはコチラ↓
『ぐは!なんだこりゃ?元々どんな形でどんな使われ方されてたのか想像つかないっすねコレ^^;』
そもそもなんでこんな利根川の川べりにこんな煉瓦の塊がゴロゴロ?
正直よく分からないっす^^;
---そこに夕実っちが追いついてきて色々と説明してくれたんす^^
『ここいらへんは昔、前島と言う利根川の中にポツンと存在した
中州の島だったそうですう^^
島村地区の中心的場所でもあったみたいです。
島としてあった頃は神社や学校なんかもあった大きな島だったそうですよお^^』
・・・マジっすか。川の中の島にそんなんあったのか^^;
さすが利根川、恐るべし・・・
夕実っちは人に説明するのが苦手な人なのに頑張って更に続ける。
『かつては養蚕業も盛んな土地だったそうですう(ああそういえばここに来る時に養蚕業の集落跡って看板を見かけたなあ)
でも、やっぱり川の中の島であり、度々の洪水に悩まされていたそうです(そりゃそうだろうなあ・・・)
その度にどんどん島の面積を削られていき人々は対策を講じたんだそうですう。
村を神社を寺を。そして寺子屋から小学校へとなった子供達のためにもと。
そこに登場したのが赤煉瓦の護岸壁ですう^^
村人総出で長さ約300メートル・高さ約3メートルの煉瓦壁を利根川の流れの先に築いたのですう^^(1908年)
でもでもですう^^;
・・・翌年の洪水により決壊。
大正時代に新たに築いた堤防の南北に島村地区の人たちは移転。
結果、前島という島は廃村に^^;
後年(1951年)残りの煉瓦壁も爆破され川の中へと消えていくのですう・・・。
(島村自体も1955年に合併で境町の一部に。2005年。更に境町も伊勢崎市の一部に)
だからですよ?この島村の渡しの近くにはかつての村が川底に眠ってるのですう。
煉瓦壁は中州の島を守ろうとしたその名残りでもあるですね・・・』
そんな歴史があったとこなんだ^^;
ここに散らばってる煉瓦片1個1個には歴史がめちゃくちゃ詰まってるんすね・・・
私は夕実っちから聞かされて、急に手に持っていた煉瓦片がズシリと重たく感じたのだった。
とは言えそれはそれ。
納得しつつも刻印煉瓦ちゃん探し続行っすw
煉瓦をひっくり返してはため息をつき
煉瓦の塊をミノか何かで剥がせたらなあとか嘆きつつも周辺巡りですw
『わきゃー。ここの歴史はなんとなく分かったですが~。でもなんでここに深谷市の煉瓦(旧日本煉瓦製造)が多く使われたですかね?』
夕実っちがふと頭の上に?マークを浮かべて私に聞いてきた。
私はプッと笑って彼女に返した。
『夕実っちい~。だって利根川の向こうは深谷市だよ?w
そんな近くに煉瓦工場あるなら、普通そこに煉瓦の受注を頼むっしょw』
『え?わわわ・・・そ、そうなんですかあ^^; 私、地理得意じゃないから全然気づかなかったですうw』
(※ 上敷免。つまりはかつて存在した日本煉瓦製造があった埼玉県深谷市は、利根川を挟んでお隣さんだったと言うわけです^^
群馬と埼玉の県境。川を挟んだ向こうとコチラではあるけれど、
文化や歴史は昔から行き来をしてたわけってことですよね~^^)
『むきいいい! 結局“煉瓦の刻印”っぽいの全然みつからなかったっす^^; 』
そうなんです。
あんなに煉瓦片が利根川河川敷にあったんだけど、結局それらしいのは見つからなかったっす^^;
歴史背景や土地柄考えても間違いなく古古古古煉瓦ちゃんなのにね!
(怪しいのはゴロゴロしてましたが、どうせならしっかり刻印されてるやつ欲し・・・いやいや、見たいですよねw)
正直、夕実っちにしては上々の煉瓦のおもてなし(エスコート)だと思ったけれど、
煉瓦の刻印片がゲット出来なかった私は、ぶっちゃけ消化不良だったかな^^;
---さて。後は帰るのみ。
私達は世良田駅までの帰路につくことに。
本来ならこのまま夕実っちと吾が町へと舞い戻り、ご近所の居酒屋で今日の労をねぎらう飲み会する予定でした(脳内ではね^^)
まっすぐ駅まで歩いたらの話だけどね!
ーーー駅へ戻る道すがら
夕実っちが、ふと駅へと真っ直ぐに伸びる道路の横道の向こうに見えた建物を指差した。
『ねえねえ琴音っち!なんかアソコに、いかにも古い感じの建物あるですよー^^』
・・・もうまっすぐ家に帰ってお疲れ様のアルコール飲めればいいやないかと思っていた私だったけど、
彼女が言う“古い”とか“建物”と言うキーワードに思わず反応してしまった。
まあコレが結果的に大成功の寄り道になったことは、この時点ではまだダレもしらないーーー
『わきゃー!なんかいかにも昔っぽい建物ですう^^
門には“世良田村役場”と刻まれていた。
確かに見上げれば見上げるほど、結構なノスタルジック!
こんな片田舎・・・いや地方の町には少々立派な村役場跡に興味をそそられたっす^^
ご近所には山車か御輿を収納する小屋なんかもあったっす^^
じゃあ~そろそろ駅へとまっすぐ行こうかって思った矢先に神社が登場。
『八坂神社』
ぶっちゃけ私も夕実っちも『へえ~。神社があるんだ~』くらいの軽い感じだったっす。
でもっすよ!
『わきゃ? ここは手水舎の周りに煉瓦が敷き詰めてあるですね^^?』
と、夕実っちが不思議そうに境内内部を指差した。
ぐは!確かに煉瓦張り。
ここまでは半分『どうせ新しい神社だから煉瓦使ってたりすんだろ?』ってとこだったけど
『もしかしたら・・・』と好奇心が俄然湧いてきた。
『旅の最後にお参りしてくのもいいよね^^』と、夕実っちを誘いつつ境内へと偵察がてら侵入っす^^
するとーーー
なんと拝殿までの参道が赤煉瓦敷きだった!
『ぐは!まじっすかw 私大歓喜っす☆』
よくよく見ると決して新しくも無く綻んでいて歴史のありそうな煉瓦の参道でした。
更に拝殿の元までやって来るとーーー
これまたその土台も煉瓦積みだったのです♪
『またもやでかした!夕実っち偉い!偉い♪』
『わきゃー♪ えへへそれほどでもないですう~w』
偶然とは言え中々の発見と出会いっす^^
私は『じゃあー、お賽銭多目にいっちゃおー☆』と財布の中をゴソゴソしたのである。
『じゃじゃーん。ごじゅうえんだまあ~(ドラえもん風味)』
『大して奮発してないですう^^;』
これが私の限界なのだ。許せ夕実っちw
私達は仲良くお賽銭をチャリンチャリン。
願い事ではなく『今日はありがとうございました』と神様に報告をした。
(※ ちなみにこの世良田の八坂神社は1000年を越える由緒ある神社だそうです^^
かつては関東3大祭りと言われた世良田祗園もここで今も行われています。
建物自体は何度か改築しているんでしょうね。煉瓦は1000年前にないだろうしw)
思いも寄らない収穫にしばしご満悦の私。
駅までの道のりも軽かったっす^^
そして無事に世良田駅到着。どうやら20分くらい電車待ちみたいだ。
私は自販機のジュースでも飲みながらまったりしていたのだがーーー
そこに夕実っちが何ともいえない表情で『ねえねえ琴音ちい・・・^^;
ちょっとこの看板見てよ^^;』と私を呼んだので渋々向うことに。
その看板は島村の渡しへ向かう時に慌てて覗き込んだ案内板の横の看板だ。
『あわわ・・・・・無料で自転車借りられたみたいですう^^;』
なんだそりゃあああああああああああああああw
私の時間を返してよ夕実っち!^^;
そんなオチがついたある梅雨時の物語でしたっす。
ここまで読んでくださりありがとうございました^^
まあ良く見ないといけないってことっすね^^;
ここに来られる方はレンタル自転車の旅とかいかがでしょうか?
重文の立派な東照宮もあるし見所満載のところでもありますよ^^
次回はもっと遠出の煉瓦の旅路です(また煉瓦か!)